石川淳

(イシカワ ジュン)

生涯

 小説家、批評家。1899年3月7日、東京府浅草に、銀行家斯波厚の次男として生まれる。本名は淳(キヨシ)。厚は幕臣だった石川家から斯波家へ養子にはいった人で、次男の淳は石川家をつぐため、昌平黌の儒官だった祖父省斎のもとで育てられる。省斎によって授けられた儒学が、石川淳の生涯のバックボーンとなるとともに桎梏ともなる。本人は老荘を称するが、本質は儒である。

 1924年、福岡高等学校に仏語講師として赴任するが、学生の政治活動を煽動したとして退職を勧告され、東京にもどり、『法王庁の抜穴』、『背徳者』などを訳出。いずれも完璧な日本語に移した名訳であり、外の訳業に匹敵する。

 1935年、処女作「佳人」。1937年、「普賢」で芥川賞をうける。大戦中は「江戸に留学」を余儀なくされるが、敗戦とともに創作を再開。「焼跡のイエス」、「処女懐胎」など、焼け跡闇市の風俗に朱子学の形而上学をかさねた短編を次々と発表。安部公房が師事するようになり、1951年、安部の『壁』に序をあたえる。

 1957年、代表作の「紫苑物語」を発表する、これは骨肉化した朱子学との戦いを象徴的に描いた精神的自伝である。1980年、10年をかけた巨編『狂風記』を刊行。『狂風記』はSF的な乱万丈の長編で、石川の作品としては異例のベストセラーとなる。  1987年12月、『蛇の歌』を連載中、88歳で死去。生涯現役をつらぬいた。

(C) 2000 Kato Koiti


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