エディトリアル   Jun 2014

加藤弘一 Aug 2013までのエディトリアル
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6月10日

 新文芸座の仲代達矢特集で「股旅三人やくざ」を見た。短編三本のオムニバスで、第一話「秋の章」は八州役人を斬って親分衆から持て余された千太郎(仲代達矢)が女郎おいね(桜町弘子)の純愛にほだされる話。自分を思ってくれる猪之助がどんな男だったかおぼえていないが、それでもいいと言い切る姿が哀れだ。千太郎は猪之助が佐原に入る手前で自分が殺した男だと気づき、おいねを救う決心をする。様式美の極み。

 第二話「冬の章」は賭場でいかさまを働いて追われた老やくざ掛川の文造(志村喬)を若いやくざ源太(松方弘樹)が助ける。二人は雪を避けるために誰もいない茶屋で暖をとるが、文造がいかさまで稼いだ金の分け前をめぐっていさかいが起こる。そこに茶屋をやっているみよこ(藤純子)が帰ってきて、みよこの母親が亡くなったとわかる。文造はみよこの父親から預かった金だといって、いかさまで稼いだ金をわたそうとするが……。源太が故郷を追われてやくざになった経緯は定住民の論理からいかにもありそうな話。一捻りした人情噺で、絶品。

 第三話「春の章」は旅鴉の久太郎(中村錦之助)が村人たちに鬼の半兵衛という賄賂役人(加藤武)を殺してくれと頼まれる話。久太郎は口だけの男で、いったんは逃げだすが、次ぎに村に来た木枯らしの仙三(江原真二郎)という一見強そうなやくざが鬼の半兵衛に買収される現場を見てしまい、一肌脱ぐ決心をする。徹底した三枚目を演じるとは錦之助は懐が深い。

 公開されている粗筋を見ると春→秋→冬の順番になっているが、春の最後に「完」の文字が焼きこまれているから、すくなくとも最後は「春の章」のはずだ。

 「いのち・ぼうにふろう」は山本周五郎の短編「深川安楽亭」の映画化。

 深川の中洲に一軒ぽつんとたつ安楽亭という一膳飯屋を根城にする悪党一味の話。江戸湾に近いことから抜荷の嫌疑がかかっているが、珍しい海外の品を紀州徳川家に献上して保護を受けているという噂のために奉行所は手が出せない。

 安楽亭に集まっているのは仲代達矢、岸田森、近藤洋介、草野大悟、佐藤慶、山本圭といった新劇の役者たち。紅一点の元締の娘おみつも栗原小巻、与力側も神山繁、中谷一郎、悪役の灘屋も滝田裕介と新劇組だ。いずれも実力派だが、これだけ新劇の役者がそろってしまうと嘘臭くなる。

 この映画が成立しているのは元締めの幾三を演じた中村翫右衛門と、元大工の勝新太郎のおかげだ。この二人の存在感は格別で、ふわふわ浮いていた芝居が地面に根をおろした。

 見どころは遊郭に売られた恋人のおきわ(酒井和歌子)を請けだすために、手代あがりの富次郎(山本圭)が勝新太郎を殺して小判を奪おうとする場面。富次郎は酔って足元があやしい勝新の跡をつけるが、勝新はすべてお見通しで、身の上を語って聞かせ、有り金をすべて富次郎にくれてやる。

 この後に大捕物があり、翫右衛門の見せ場があるが、その後がいけない。新劇俳優の限界である。

6月13日

 新文芸座の仲代達矢特集で「金環蝕」を見た。第三次池田内閣が発足してから池田の健康問題でつぶれるまでの半年余を描いた映画で、傑作と言うには余りにも荒っぽいが、なかなかの迫力。二時間半があっという間に過ぎた。

 誰がモデルか、半分もわからないが、そんなことは関係ない。宇野重吉演じる石原参吉という高利貸しの老人には森脇将光というモデルがいるということだが、乱杭歯で女体を貪る生臭い老人はそれだけで凄まじい存在感だ。すべての登場人物が欲望でギラギラしていて、高度成長はこういう人たちによってなしとげられたのだなと思った。

6月18日

 東京都美術館で「バルテュス展」を見た。久々に濃い展覧会だった。下着があらわな「夢見るテレーズ」のポスターが話題になったが、パンツをはいているのはあれくらいで、後は普通に割目が描かれている。児童ポルノ法の基準ではまさに児童ポルノだが、客の大半は女性だった。

 20代で描いた「嵐が丘」の連作が面白かった。ヒースクリフは1930年代風の与太者で、原作とは似ても似つかぬ完全なSMの世界になっている。奥さんが日本人だというのは有名だが、「座頭市」のファンだったらしく、勝新太郎に贈った特装版の画集や、勝から贈った袴などが展示してあった。

6月19日

 いい加減マンネリかと思ったが、やけに評判がいいので「X-NEN フューチャー&パスト」を3D字幕版で見た。面白かった。過去改変ものだが、ひねりがうまい。おなじみのメンバーはみな年をとったが、2023年という設定なので年をとっていて正解なのだ。

 3Dもよく出来ていて見ごたえあり。中国奥地の寺院が「47ronin」のおどろおどろしい長門の国そっくりだったのは笑った。インターネットの時代になったというのに、アメリカ人の美術スタッフは日本と中国の区別がつかないらしい。

6月20日

 世田谷パブリックシアターで『白石加代子「百物語」ファイナル公演』を見た。1992年6月にはじまったシリーズは第一夜から第四夜までは見たが、切符がとれなくなり縁が切れた。途中、二回くらい見たおぼえがあるが、今回で最後ということで久々に出かけた。

 前半は三島由紀夫の名品「橋づくし」(『花ざかりの森・憂国』所収)。「百物語」向きの作品なのでとっくにやっていると思ったが、傑作は最後にとっておいたのだろう。ユーモラスで、適度に意地が悪く、ふっくらとしていて、期待通りの出来。

 後半は泉鏡花の「天守物語」。姫路城の天守閣のてっぺんに巣くう妖怪の富姫と鷹匠の悲恋物語で、花釣りの優雅な場面からしだいに妖怪の本性があきらかになっていく条が笑える。最後のクライマックスの盛り上がりと、肩透かしは見事。

 意外だったのは「百物語」リストを見ると、鏡花はこれと「高野聖」の二編だけだったこと。鏡花はこの人のアクの強い芝居を活かせる題材の一つだと思うのだが。

 もう一つ意外だったのは石川淳と安部公房が一本もなかったこと。見逃していたら困るなと思ったが、一本もないとは。

6月22日

 ずっと愛用してきたTeraPadが一昨日から検索できなくなった。再インストールしたりいろいろ試したが、本文中からコピーした語句でもまったく引っかからなくなってしまった。英語はできる場合があるが、日本語はまったく駄目だ。わけがわからない。

 しょうがないのでsakuraを久しぶりに立ちあげたが、入力が重く、そのくせ他の動作は速い。反応速度のバランスが悪い。こういうのはストレスが溜まる。

 TeraPadによく似ているといわれているMeryも試したが、見かけは似ていても反応の仕方が違う。エディタは万年筆と同じなので、ちょっとした違いが決定的なのだ。

 それにしても、TeraPadはなぜ検索だけできなくなってしまったのだろう。我が家だけだろうか。

6月23日

 TVをつけていたらモーガン・フリーマン主演の「素敵な人生のはじめ方」という映画がはじまった。見るつもりはなかったが、面白いではないか。CMタイムにDVDを探したが、公開直後に出て絶版になったのしかなくプレミア価格がついていた。やむなく最後まで見てしまった。

 しばらく映画から遠ざかっていたハリウッド・スター(フリーマン)が場末のスーパーのレジ係(「トーク・トゥ・ハー」のパス・ヴェガ)の人生の再出発に手を貸し、自分自身もカムバックの意欲をとりもどすという話で、隠れた名作だ。 DVDにプレミアム価格がついているのは一部で評価が高いからだろう。しかし地味な映画なので再発売はないかもしれない。どうでもいい映画のDVDは何度も再発売されているのに、困ったものだ。

6月25日

 Bunkaburaミュージアムで「デュフィ展」を見た。水彩画風の色づかいをする人ぐらいの知識しかなかったが、50代まではこってりした画風だった。30代の頃にテキスタイル(プリント地の原画)の仕事をしたのが決定的だったようだ。

 色が輪郭からはみだす描き方とか、パノラマ画を色のストライプで構成するとか、テキスタイルの影響だった。アポリネールの『動物詩集』の木版画もデュフィだった。あの木版画はまさにテキスタイル調だ。

 晩年の軽みに達した作風は好きだ。パノラマ画をたくさん描いていて、万博の壁画として描かれた「電気の精」は縮小版だったが、面白かった。電気で業績をあげた科学者が下の方にずらりと描かれているが、パスカルはいるのにギルバートがいなかった。

6月27日

 「少女は自転車にのって」を見た。サウジの、それも女性監督による映画で、戒律でがんじがらめにされている女性の社会的立場をお転婆の女の子の視点から描いた佳品。

 主人公のワジダは自転車が欲しいが、母は女の子が自転車なんかに乗ったら結婚できなくなるとにべもない。そこで自分で買おうとミサンガ作りのアルバイトをしたり、上級生の恋の手引きをしたりするが、自転車の代金にはとてもおよばない。

 コーラン朗唱コンテストの賞金で買えるとわかると、ワジダは宗教の堅苦しさにに反撥していたくせに、急にコーランの暗誦をはじめる。

 努力の甲斐あってみごと優勝するが、授賞式で賞金で自転車を買うというと、校長からパレスチナの同胞のために寄付しろと強要されて夢はかなわず。

 ちょうどその日、父親が第二夫人との結婚式をあげる。息子を産めなかった女のみじめさを思い知った母親は考えを変え、ワジダに自転車を買ってくれる。

 併映は「おじいちゃんの里帰り」。100万人と1人目のゲスト労働者としてドイツにやってきたトルコ人とその一家の話で、ドイツでは五ヶ月のロングランを記録したよし。

 祖父は3人の息子と1人の娘に恵まれるが、最年長の孫娘(長女の娘)と、最年少の孫(三男の息子)のかけあいで物語が進んでいく。

 妻のたっての希望でドイツ国籍をとるところからはじまり、後半は一族そろってのトルコ里帰りの旅。故郷にはいる直前に祖父は急死し、トルコ国籍を放棄したために埋葬が認められず、ひと騒動ある。

 移民に対する差別がないはずはないと思うが、文化のズレをおもしろおかしく描くことに主眼が置かれ、口当たりのいい映画になっている。このあたりがヒットした理由だろう。

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