――林先生は、JIS C 6226-1978(以下、78JIS)の文字セットの資料の一つとなった1971年の「標準コード用漢字表(試案)」(以下、「学会試案」と呼ぶ)の段階から、文字コードにかかわってこられたわけですが、この「学会試案」の策定にあたった「漢字コード委員会」はどんなものだったのでしょうか。資料によると、1969年12月に発足し、毎月一回会合を開き、1971年に「標準コード用漢字表(試案)」を完成したとありますが。
林 あれは情報処理学会規格委員会の和田弘さんから御相談がありまして、若い国語学者に声をかけたんです。国立国語研究所の田中章夫君、野村雅昭君などに集まってもらって、小さなワーキンググループを作りました。
――その段階から、日下部重太郎氏が昭和八年に発表された「日下部表」(『現代国語思潮』続篇に付載された漢字表)をたたき台にされたのですか。
林 そうです。
――日下部表をもとにされたのは、一番大きな漢字表だったからですか。
林 一番大きいとわたしは思っていました。だから、その中から選んでいけばいいと思ったわけ。日下部先生の表にないものはつけくわえたし、あっても問題にならないものははずしました。当時のものが残っていますよ。
――これが大元だったんですね。
林 ぼくにとっての大元の資料であって、これを「学会試案」の委員会に出したわけではないです。本当は最初から覚悟を決めて、拡大コピーをとってやればよかったんですが、こちょこちょはじめたものですから、こういう見にくいものになってしまいました。
――委員会で一字一字検討したわけではないんですか。
林 原則的な話だけで、この字はどうする、こうするというような話はやりませんでした。
――「しにか」という雑誌に掲載された「漢字の行政を追う」(1990年7月号)という記事では、78JISの原案作成に参加した国語学者が林先生お一人だったのは、複数の国語学者を委員会にいれたところ、どの字体が正しいの、間違っているのと侃々諤々の議論をはじめてしまい、作業が進まなかったからだとありました。
その説をわたしのWWWページで紹介したところ、JCS委員会の芝野さんから 78JIS原案作成に複数の国語学者が参加したという記録はないから、もしそういうことがあったとすれば、「学会試案」を作る段階ではないかというご指摘を受けました。
個々の文字をめぐって、激論になるということはなかったのでしょうか。
林 「しにか」の記事は勘違いをしています。複数の国語学者が参加したのは、情報処理学会の作業委員会のことです。どういう議論をしたのだったかは忘れてしまいましたが、激論した覚えはありません。
JISのための委員会になってから、ぼくが主にかかわったのは漢字の並べ方です。漢字の範囲については、ぼくはあまり発言しませんでした。並べ方というのは、読みで排列するのは使いやすいんだけれども、読めなければ探せません。音読みにするか訓読みにするかの問題もあります。部首排列を使いこなすには深い知識が必要です。そこで簡単な原則をおぼえるだけで使える五筆検字法、四角号碼、ローゼンベルクの五段排列法など、字形で排列する方法をいろいろ検討しました。しかし、日本人になじみのない排列にすると、そのための詳しい説明を新たにしなければなりませんから、結局、字形排列としては康煕字典以来の部首順になりました。
ここに資料がありますから、ご覧になりますか。
利用者によって、あるいは音訓排列だけ、あるいは字形排列だけを用いることができるように、二重の排列番号を与えることも考えられよう。ただし音訓だけでは決定的な排列はできない。字形でも分類の組合せが必要である。音訓順・部首順併用という発想が、この時点ですでにあらわれていたことは記録しておきたい。
――貴重な資料をありがとうございます。
日下部表は戦前の「常用漢字表」の選定が妥当なものであることを証明するために作られた面があると思うのですが、その関連で、各文字が一等字から四等字まで等級付けられています。日下部表の等級付は第1水準・第2水準にわける上で影響したのでしょうか。
林 「学会試案」ではまだ第1水準・第2水準にわけていません。和田委員長から全体の字数の検討についてお話があり、その際に「第1水準・第2水準」という言葉が出て、「水準」という用語にとまどった記憶があります。実際に第1水準・第2水準にわけたのは、JISの原案を審議する段階でおこなったのですが、日下部表の等級はまったく使っていません。字を拾うのに使っただけです。
――1971年に「学会試案」を完成されたわけですが、印刷はやはり写植でしたか。
林 いえ、活版です。なんといったかな、漢文の教科書を印刷している西神田の印刷所に頼みました。そこの印刷所の活字にない文字は、実はJISなどに必要のない字だとぼくは思ったのですが、印刷所の方で注文に応じられないのは恥だという調子で、新しく活字を作ってくれました。きれいな仕上りでした。
――「学会試案」を情報処理学会に提出した後、委員会はどんな活動をされたんですか。
林 さあ、なにもしていないんじゃなかったかな。
――1973年から1976年までの名簿が残っているんですが、形式的につづいていただけということでしょうか。
林 そういう格好だと思います。
年 | 月 | |
1969 | 4 | 情報処理学会の漢字コード委員会発足 |
1971 | 3 | 漢字コード委員会は「標準コード用漢字表(試案)」をまとめて休眠にはいる |
1974 | 3 | 行政管理庁、「標準コード用漢字表(試案)」「日本生命漢字コード表」「行政管理庁基本漢字」「国土行政区画便覧」をもとに「行政情報処理用標準漢字選定のための漢字使用頻度および対応分析結果」をまとめる |
1974 | 4 | 日本情報処理開発センター(現在の「日本情報処理開発協会」)、漢字コード開発を受託し、「漢字符号標準化調査研究委員会」発足。行政管理庁の成果を文字セットの基本にする |
1976 | 3 | JIS C 6226の原型というべき「情報交換のための漢字符号の標準化に関する調査研究報告書」がまとまる |
1976 | 4 | 日本規格協会が JIS C 6226の開発を受託、JIS原案委員会発足 |
1978 | 1 | 日本工業標準調査会の審議をへて、JIS C 6226-1978制定 |
――JISの委員会が発足するのは 1976年ですから、1971年の情報処理学会の「学会試案」から五年間も空白があったことになりますね。
林 ちょっと違います。JISのための委員会は森口さんが委員長で、 1974年からはじまっています。最初の二年間は、情報処理開発協会が事務局になりまして、JIS原案のもとになるものを作ったような記憶があります。
――そうだったんですか。情報処理開発協会といいますと、78JISの最後に「原案作成協力者」として載っている団体ですね。JIS X 0208:1997(以下、97JIS)の解説にもちらっと出てきますが、そういう大きな役割を果したとは知りませんでした。
林 今はどうかわかりませんが、当時は、情報処理学会がはいっていた芝公園の機械振興会館にありました。JISの委員会がはじまったあとも、漢字のカードは情報処理開発協会の方にあったので、ぼくは機械振興会館の方に通って仕事をしました。
――78JISの漢字の排列についてなんですが、第一水準が読み順、第二水準が部首順になっています。読み順と部首順の併用をスマートにまとめていて、使いやすいという意見があり、実際、使いやすいんですが、その一方、批判もあります。これはどういう風に決ったんでしょうか。
林 使いやすくしようと思ったんです。全部部首順だと使いにくいし、全部あいうえお順だと、読めない字があったりして、しっぽの方が大変になる。そこで、第一・第二で別にしたらいいんじゃないかとぼくが言ったら、みなさん「そうだ、そうだ」と言ってくださって、採用されたのです。言いだしたのはぼくだから、そのことについては責任を感じています。だけど、どうしたらよかったかということになると、今でもあれしかなかったかなあと思っています。
――解説には康煕字典の214部にしたがうとありますが、実際は阜偏と邑偏を一つにまとめているというように、部首の立て方が独特です。そのことについてはどんな議論があったんでしょうか。
林 小さなワーキング・グループでやっていましたから、議論をして決めたというわけではないです。コンピュータの学者さんばかりだったから、ぼくが「この方がわかりやすいじゃないんですか」というと、皆さん、賛成してくださったんです。
そのあたりはね、ちょこちょこしたことを、ぼく、やったんですよ。使いやすくした方がいいと思ったから、本当にちょこちょことしたことが多いんです。
――第一水準で音読みと訓読みを併用するのも、先生の発案ですか。
林 併用というのは、どちらから引けるというのではありません。音読みの字もあれば、訓読みの字もある、音か訓かどっちかで引くというわけ。これは、常用漢字表の排列もそうなっています。
――漢字の選定や例示字体の確定も先生が一人でおやりになったと言われていますが。
林 まあ、そういう格好になりますかね。選定はしていませんよ。漢字以外の記号類は電総研(当時)の
――78JISの文字セットは、97JISの解説によりますと、「学会試案」、「行政管理庁基本漢字」、「日本生命人名漢字表」、そして「国土行政区画総覧」から選定されたとあります。ただし、この四つの漢字表を直接参照したのではなく、行政管理庁が1974年にこれら四つの漢字表をマージして作った「行政情報処理用標準漢字選定のための漢字使用頻度および対応分析結果」を参照したとしています。
林 ぼくの記憶では、その最後の行政管理庁の資料で字数と字がきまった。しかし、そのもとになったわたされた資料の中にガリ版刷のものがあって、そこからも文字がはいったような気がするんですよ。読めない字があったが、それはそういう資料からはいったのではないか。ご存知かな、ガリ版刷りには独特の書体がありましてね、それがはいった場合があったかもしれないんだ。
――ガリ版独特の書体というのは、ヤスリ(ガリ版は板状のヤスリの上に臘紙をのせ、鉄筆で文字を書くことで臘紙に微細な孔を開けた)の上で書きやすい書体ということですか。
林 昔はワープロなんてなかったから、ちょっとした文書はガリ版刷でした。ガリ版印刷を請け負うところがあって、筆耕のプロがガリ版用に工夫した書体があったんです。
――字形の話にもどるんですが、78JISは写植で印刷されたわけですが、一つの書体ではすべての文字がそろわなかったので、いろいろなデザインの書体が混ざっています。新しい写植字母を発注しなかったのは予算がなかったからですか。
林 デザインを統一するために、新しい母型を発注しようという考えは最初からありませんでした。解説にあるように、文字設計などにはかかわらないという方針でしたから。
――解説というのは「この規格は、文字概念とその符号を定めることを本旨とし、その他文字設計などのことは範囲としない」というくだりですね。
97JISの解説では、78JISの解説は規格本文と矛盾しているとしていますが、JIS C 6226はもともと「文字概念を符号化した」ものだと考えてよろしいのでしょうか。
林 そうです。
――ただ、文字概念を符号化するのであっても、どういう字体を代表として例示するかという問題は残るのではないでしょうか。83年改正の混乱で、JIS規格表を無視した実装が広まりますが、78JISの段階では、例示字体が代表字体としての重みをもっていたと思うのです。
1977年1月21日に国語審議会が出した「新漢字表試案」(後の「常用漢字表」)および説明資料によると、「表に掲げない字でも、字体を考える必要がある」と、表外字の字体整理を示唆しています。78JIS原案委員会の 1977年1月28日の議事録には、表外字の字体整理ついて質問を受けた文化庁の委員が「現在の審議会の雰囲気では、そのとおりである。今後新字体が出されれば、JISでは補正をする含みでいてほしい」と発言した記録が残っているそうです。
この後、さまざまな議論があって、表外字の字体整理に歯止めをかけた「常用漢字表」が1981年に告示されるわけですが、それは後の話であって、78JISの時点では、字体整理をする「雰囲気」だったと思われます。
ところが、78JISに例示された当用漢字表外字の字体は「いわゆる康煕字典体」がほとんどで、基本的には字体整理をしていません。
97JISの解説では、
第1次規格の字体は,第1水準は通用字体,第2水準は(常用漢字以外は)旧字体,といわれているが,これは必ずしも第1次規格の意図ではなく,規格表の製版を,一般書籍と同様に株式会社写研の写真植字によって製版したことによるものであり,この規格の意図を正確に表したとはいえない.と偶然の産物のように書いていますが、本当にそうだったんでしょうか。
林 そう受けとってもらって結構です。というのは、当用漢字表の字体整理は、当用漢字表の範囲内だけを考えたものなので、表外字に一律におよぼすと、変な字ができちゃうんですよ。だから、表外字の字体整理は避けたのです。
――そうだったんですか! 林先生は当用漢字字体表のとりまとめに深くかかわったと聞いておりますが、当用漢字字体表はそこまで考えたものだったんですね。
林 当用漢字字体表の頃は、ぼくは使い走りでしたから、審議に参加したわけではありませんよ。文部省の職員として、お手伝いはしましたけれどもね。
――仮定の話なんですが、もし中国の文字改革のように、すべての漢字を一律に字体整理するという案が当時の国語審議会で通っていたら、当用漢字表の字体整理が別のものになっていた可能性はあったんでしょうか?
林 どうでしょうね。……あったかもしれませんね。
――完成した規格表は写研が印刷したわけですが、なぜ写植になったのでしょうか。
林 写研の布施さんが JIS C 6226の委員をなさっていて、引きうけていいと言ってくださったので、お願いしたんです。写研の方から売りこんだようなことを書いている人がいるそうですが、ぼくとしては、無理を聞いてもらったという印象をもっています。全部の漢字を同一の書体でというのはむずかしいということでしたが、それを承知の上でおたのみしました。JISの原案のことです。公刊された規格表は、どういう手続きで印刷されたのであったか記憶しませんが、字画の設計はきれいに統一されています。
――97JISの解説によると、78JISは増刷の途中で、一部の文字の字形が変更されているそうですし、原稿の字体と規格表の字体が違っている場合もあるそうです。
その点に関し、JCS委員会WG2のオブザーバーの立場にある方から「JISの規格表には著者校正の習慣がないからではないか」と聞いたのですが、JIS C 6226-1978の校正は先生がされたんでしょうか。
林 JISの原型の校正はぼくがやったと思いますが、公刊された規格表の校正はどうだったか。
――1983年の改正なんですが、これは野村雅昭先生が中心になって進められたとうかがっています。林先生も委員に名前を連ねられていますが、どんな役割を果されたんでしょうか。
林 83年の時は、情報処理学会の時からかかわっている野村君に委員になってもらったので、ぼくは逃げちゃったんです。名前は載っていますが、委員会には一回も出なかったと思います。
――野村先生になにか申し送りのようなことはされたんですか?
林 していません。野村君がどう受けとったかはわかりませんが。
――どうも今日は長時間にわたり、貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。
林大氏は85歳になられた現在もお元気で、都内の仕事場に毎日通い、小学館『国語大辞典』の改訂作業をつづけておられる。このインタビューは、辞典改訂作業の合間の時間をいただき、仕事場にお邪魔しておこなった。
仕事場にはNECの9801がデスクトップ型とノート型の二種類があり、清書に使っておられるとのことだった。主に使用されるソフトは「新松 ver5」ということである。
1976年に日本規格協会の委員会のはじまる前に、情報処理開発センターを事務局とする委員会が1974・1975年度の二年間、活動していたことは一般にはあまり知られていない。
1974年の委員会がどういう性格のものだったかを確認するために、つてを頼って探したところ、当時の情報処理開発センターにおられて、林氏を助けられた高橋眞理子氏が現在、情報処理開発協会(1976年に情報処理開発センターなど三つの団体が合併してできた団体)に在職しておられることがわかった。
74年の委員会の正式名称は「漢字符号標準化調査研究委員会」といい、情報処理開発センターが1974年度と1975年度の二年間、通産省から受託した研究のために設けられた。委員長は76年の委員会同様、森口繁一氏である。
1974年の委員会発足にあたり、角川書店の「新字源」の 9921字に、他の資料からの 2215字を加えた 12136字の漢字カードを事務局側で作成した。カードは図書館の図書カードのような体裁で、図書カードとおなじように、細長い段ボール箱にいれて保管したという。「新字源」の文字は辞書から切り貼りし、資料によってはガリ版刷だったりしたので、手で書き写したものもあったという。一連の作業のために、「新字源」を十冊以上つぶしたそうだが、無傷のものが一冊残っていたので、写真にとってきた。
林氏は高橋氏を助手に、一万二千枚余のカードを一枚一枚めくって、何度も何度もチェックし、例示字形の確認をおこなった。作業はしばしば午後10時、11時におよんだという。
1974年の委員会は、1975年3月と1976年3月に報告書をまとめて解散するが、最終的な報告書には「図形文字用符号表」が添付されている。印刷されたものだけでなく、印刷原版の複写も見せていただいたが、写植(罫のつなぎ目からして、写植と思われる)で枠と字母のある限りの文字を印刷し、写植文字のない文字については、「新字源」の文字を切り貼りしている(文字の上下が不揃い)。報告書の表は、この原版をオフセット印刷したものらしい。この表はすでに第1水準・第2水準にわけられており、78JISほぼそのままといってよい。
JISの委員会は、この資料をもとに、二年かけて規格の細部調整をおこなったわけだが、高橋氏によると漢字カードは受託研究の終った後も、情報処理開発協会が保管したので、林氏は引きつづき機械振興会館に通い、一万二千枚余のカードと格闘して、最終的なチェックをおこなわれたそうである。コンピュータが手軽に使えなかったあの時代、ほとんど手作業で文字セットを確定した偉業は記憶しておくべきである。