──棟上さんは公的規格にはいる文字種が際限なく広がっていくことに懸念を表明されているとうかがっています。そのあたり、詳しく語っていただけないでしょうか。
棟上 私は個人的には、現実のマーケットニーズに基づくべき工業標準が、文芸や歴史、考古学、民俗学等の標準まで取り仕切るなどということはあってはならないし、そうならなくても済むための技術的、アーキテクチャ的な仕組みを確立すべきだと思っています.JIS コードについても、その適用範囲や限界については、世の中の合意を得るようにすべきだと思います。最近 ISO/IEC JTC 1/SC 2では、古代xx文字の文字コードの標準だとか、さらにはヒエログリフのコードまで検討を始めようという話もあるようなのですが、一方では国際標準の開発に際しては、マーケットニーズの有無を、標準化作業の強い歯止めにしようという国際的な合意があるのに、一体どうなっているのかと少々あきれて、日本としては問題提起をすべきではないかと思っているところです。10万字近い漢字とか、新たに造られる文字等も含めた、オープンエンデッドな字形やらグリフの世界に関しては、これらを相互に矛盾のない形で登録し、それに基づくグリフデータベースを必要に応じて構築運用し、利用してゆくことを可能にする仕組みが必要だと思います。これらは工業標準としての文字コードと、アーキテクチャ的には素直に連接できる、別の世界であるべきではないかと思っているのです。
──エジプト学の論文を書くにはヒエログリフが必要ですし、仏教関係の論文を書くには、サンスクリット語、チベット語、漢文を混在させられる環境が必要です。パーセンテージとしてはすくないけれども、ニーズがないとは言えないと思うのですが。
棟上 この辺のニーズと、一般のマーケットニーズに基づくべき工業標準を、どのように整合させるかが課題なのだと思います。一般の人の 99.9%以上の人が、読み方も使い方も分らない、膨大な数の漢字、あるいはヒエログリフやらサンスクリット、さらには西夏文字等々の文字や記号を含む青天井の世界を、一般のワープロソフト等にサポートさせようとしてもこれは無理な話だと思うし、そもそもそのコストを誰が負担すべきなのかという問題もでてきます。合意の取れた適切な枠組みを定め、WWW等でも利用可能なグリフデータベース的なものを、数多くの人がボランタリベースで築いてゆけるようにすることが、一番現実的な解ではないかと個人的には思っています。
──公的規格だからといって、すべてのグリフを実装する必要はなく、公費で公開する基準フォントを、必要に応じてインターネット経由でおろしてくるという選択肢があると思います。
現在、策定中の規格が普及期をむかえるのは2005年以降になると思うのですが、その頃にはネット環境は格段に改善され、メモリは現在の16倍以上になっているはずです。10万字の漢字フォントくらいなら、PDAであろうと、平気になっているのではないでしょうか。
棟上 公費で作るのかどうかは別として、最初から実装しないで、できているフォントだけ必要に応じておろしてくるというのは、私の言うグリフデータベースと基本的には同じことになるのではないかと思います。しかし情報技術分野の標準規格の開発と維持には、それ自身一般に膨大な人手や費用が必要とされます。それで先ほども申しましたように、マーケットニーズの有無を標準化作業の強い歯止めにしようという、国際的な合意ができているのです。
──その合意はISOの決議になっているのですか。
棟上 決議になっているだけでなく、Directiveという、新規作業項目の提案書の書き方まで含めて、すべてを規定している作業規程の段階までおりてきています。
先述のように国際規格は(国内規格も同じですが)作るのにひじょうに費用がかかりますが、最近は、安易に作業候補を作りすぎるのではないかという批判が国際的に起こってきました。実際、規格の数はおびただしく増えていますし、ネットワーク関係の規格などでは、一つの分冊が数百頁もあったりして、全体として論理的整合性がとれているかどうかの検証すら容易ではないものもあるのです。
先進工業国はまだいいのですが、工業基盤の弱い国の中には、自分の国は作業には参加できないが、作ってくれるのなら何でもありがたいから、とりあえず賛成しておこうと、十分な検討なしに投票する国もないわけではありません。作業に参加する国が五ヶ国以上ないと、標準化作業の開始は認められないことになっているのですが、安易に通ってしまうことが少なくないので、作業候補の承認手続の厳格化が求められるようになったのです。
一般的には、マーケットニーズがきちんとあって、技術的にも安定していて、規格として使えるもの、要するに世の中にインパクトのあるものという歯止めをかけたわけです。作ってもあまり使われそうもない規格は考え直そうということで、すでに IS(国際規格)化されてしまったものや、DIS(国際規格原案)段階まできているものは規格の定期見直し時期に再検討を行うものとして、作業のそれほど進んでいないプロジェクトについては、数年前からのリエンジニアリング作業(見直し)の一環として全作業を見直し、半数に近いプロジェクトをキャンセルしてしまったという経緯もあります。
──JIS 規格は原案委員会の委員のボランティアで開発作業が支えられているようですが、ISO はどうなんですか?
棟上 やはり、基本的にはボランタリーワークですね。情報規格調査会で受持っている JTC1(ISO/IEC第1合同技術委員会)関係の場合、例えば国際会議出席のための費用は、企業の人が出席する場合には、その人の属する企業に出してもらっています。大学や国研など中立系の人間で、その人が代表団の主席格の人の場合や、専門家として余人をもって代え難いと認められる場合にだけ、規格調査会からサポートするということになっています。規格調査会でサポートした分に関しては、エコノミー料金の半額程度を国から補助してもらえる場合もありますが、全部ではありません。
──国際会議となると、会場費や通訳の費用がかなりかかると思うのですが、それはISOから出るんですか?
棟上 とんでもありません。ISO にはそんな余裕はありません。また通訳はまったく使いません。ISO では、本当はフランス語やロシア語も公用語になっていて、本来はフランス語やロシア語の同時通訳と議事録がなければいけないし、決議文や規格もフランス語版、ロシア語版を作らなければならなかったはずなのですが、少なくとも情報技術の分野では、技術の進展がものすごく速いので、時間のかかる悠長なことはやっていられないし、またとてもそんなことに費用はかけていられないのです。昔はともかく、今は会議も文書も英語だけです。
会議開催のための費用に関しても、国際会議は作業参加国のまわりもちで開くことになっていますが、費用はホスト国が負担します。大きな会議をホストするとなると、数百万から数千万円の費用がかかります。今年(1998年)の6月、JTC1の総会を仙台でやったのですが、総会は参加人数が比較的少ないこともあって、600万円 程度でおさめることができました。しかしネットワーク関係だとか、MPEGの会議となると、参加人数も多くて、費用も何千万円単位になります。こうした費用は、私ども 情報規格調査会で出すのですが、大きな会議は毎年インバイトするわけではなく、数年に一度程度なので、我々の場合は費用を積み立てています。国によって費用の工面の仕方は違いますが、規格制定の作業に参加するというのは大変なことなのです。規格をどんどん作れと言われても、お金のかかる話ですから、無駄なことをやってもらっては困るという批判は、当然出てくることになります
──インターネットでかなり安上がりになったと思うんですが。
棟上 確かにずいぶん楽になりました。しかしワーキンググループの会合だとか、編集会議など、小さな会合も結構あるんです。とにかく、人も必要だし、お金もかかる。国に、こんな規格はけしからん、もっと字を入れろとかいう要求をしているだけでは多分駄目だと思います。関係者がどのくらい労力を費やしているか、多くの人に知っておいていただきたいと思います。
──情報規格調査会は、情報処理学会の下部機関という位置づけですが、政府の補助金で運営しているんでしょうか。
棟上 そうではありません。ホームページを見ていただければ分りますが、我々の場合には、情報電子系メーカーを中心に賛助会員企業を募り、その拠出金で運営しています。
もちろん、スポンサー企業の必要とする規格しか作らないというような、極端な市場原理のところまでいってしまうのはのは好ましいことではないですから、ユーザ一般のニーズや、技術や市場の将来性に公平な判断を下せるよう、審議には大学や国研など中立系の人達にも、ほとんど手弁当ですが、大勢参加していただいています。また ISOへの公式の窓口は通産省になっていて、その意味では国の関与も一定の歯止めになっていると思います。
──アメリカの場合は、規格開発は、大部分、民間企業が自主的に結成したコンソーシアム等にまかせていて、今おっしゃった、スポンサー企業の必要とするというか、都合のいい規格しか作らないという状態に近いと思います。こうした行き方については、どうお考えですか?
棟上 インターネット関係の規格に見られるように、必ずしも企業の論理がすべてということになっているわけではありませんが、おっしゃる通り、アメリカでは企業が勝手に集まって、いろいろな規格を開発している例もたくさんあります。ユニコードコンソーシアムもその一つですが、これにはいい面もあれば、悪い面もあると思います。企業まかせでは、企業の視点だけで、ユーザーの視点がはいってこないじゃないかというような批判もその一つでしょう。しかし標準化には、なんらかの形で情報のオープン化の側面もあるし、企業がそのような活動に力を入れることは、動機は何であれ、基本的には好ましい点の方が多いと思います。そしてそれらが公的な標準として、認められるようなレベルのものになればさらによいと思います。一般に日本の企業は、このような面での意欲に欠ける点が、問題だとされています。
一般論としていうと、標準化の世界というのは、お金と人を出したところが発言力をもつ場所で、外部から要求しているだけではほとんど何も動きません。私は情報関係の標準化にかなり長い間関わってきましたが、電総研やIPAという中立機関に所属していたものですから、学識経験者という立場の他に、あくまでもユーザーの代表という気持ちで参加することによって、企業の論理だけでものごとが決まらないように努力してきたつもりです。標準化作業に参加されている大学の先生方も、同様な立場だと思います。
標準化はどうあるべきか等の問題に関しては、我々情報規格調査会のページに、ITSCJの広場という討論の場を設けていますので、ぜひご覧になっていただくとともに、ご意見があればお寄せいただきたいと思います。
──おっしゃる意味は理解できました。しかし、線は引けるのでしょうか? ヒエログリフなら、ネイティブな使用者はいませんが、満州文字の場合、中国東北部(旧満州)では滅びたものの、新彊には清の康煕帝時代に派遣された辺境守備隊の末裔が数万人いて、現在も満州語と満州文字を使っているそうです。そうした文字を切り捨てていいんでしょうか。
棟上 文字コードの場合には、まずネイティブな使用者が存在するかどうかは、一つの分かれ目ではないでしょうか。ネイティブな使用者がある場合には、基本的には要求があれば、その文字のコードは制定できる余地は確保しておくべきだと思います。しかしその場合、それぞれの文字集合は有限であるべきで、その大きさは市場ニーズの一定割合以上を満足できればよしとせざるを得ないと思います。この割合を、99%にするのか、99.9%にするのか、あるいは99.99%にするのが妥当なのかについては、議論を尽くす必要があると思いますが、いずれにせよ、どこかで線は引かなければならないと思います。
ただし線を引いたからといって切り捨てるわけではなく、ボランティアで私的な文字集合を作り、適切な枠組みに従って登録を行い、必要に応じてシームレスに使えるようにすればよいと思うのです。技術的には可能だと思いますよ。
──ISO 2022系なら、私的エスケープシークェンスがありますから、自由に文字集合を作って広めることもできますが、ユニコード=ISO 10646ではそういう勝手なことはできないのではないでしょうか?
棟上 ユニコード=ISO 10646という言い方は正しくないと思います。ユニコード自体どんどん変質して、当初の考え方とは変ってきているわけです。10646は JTC1で作っているものですから、ユニコードコンソーシアムと連携を取ることは望ましいとは思いますが、その中身に関しては JTC1で独自に改訂してゆくことに問題はないはずです。
──ぼくは ISO 10646には反対の立場ですが、古代文字までカバーしようという姿勢については評価します。ISO 10646は、もう枠組ができてしまっていて、現在やっているのはグリフをいれる作業ですから、費用はそれほどかからないと思いますし。
棟上 繰返しになりますが、必要なら 10646だって、枠組みを部分的に変えることは可能だと思います。それはそれとして、規格の出版を考えたら、何でもありの青天井なんて考えられないと思います。今でも電話帳なみの厚さですからね。どんどんグリフを増やして、結局使い物にならなくするというのが、落ちのような気がするのですが。
──予算の季節でお忙しいところ、今日はありがとうございました。