演劇ファイル  Oct - Dec 1990

1990年 9月までの舞台へ
1991年 1月からの舞台へ
加藤弘一

*[01* 題 名<] ドン・ジュアン
*[02* 劇 団<] 木山事務所
*[03* 場 所<] サンモール
*[04* 演 出<] 末木利文
*[05* 戯 曲<] モリエール
*[05* 翻 訳<] 鈴木力衛
*[06  上演日<] 1990-10-03
*[09* 出 演<]廣田行生
*[10*    <]林次樹
*[11*    <]稲垣愛
*[12*    <]柘植英樹
*[13*    <]水野ゆふ
*[14*    <]本田次布
 ロックスター風のぎんぎらぎんの衣裳をまとい、髪を三原色に染めわけた、今風のドン・ジュアンとスガナレルだ。台本も相当手が入っていて、日本語の洒落や地口が満載、主従は機関銃のように台詞をまくしたてる。
 和風の改変に異和感があったが、だんだん芝居にひきこまれた。最初は林のスピード感あふれるスガナレルがリードする形だったが、廣田のドン・ジュアンがどんどんよくなっていく。ふてぶてしさこそ足りないが、神を馬鹿にする大見えを切った後、ふと見せる心細さが、いかつい風貌との落差とあいまって、複雑な味を生みだしている。ニッと笑う独特の幼児的な表情を持っていて、憎めない無邪気な悪人にしあがっている。
 スガナレルの小心さも笑わせる。田舎娘をやった水野ゆふと徳尾明美ははまり役だが、田舎っぽさの強調がくどすぎると思う(特に大川透のピアロ)。一方、稲垣のドンナ・エルビーラは鈴木力衛の台本をそのまま使ったらしく、格調高く、崇高でさえあった。
 印象的だったのは騎士の像の柘植英樹。青銅色のメークやエコーの効果もあったが、異形のものの不気味さと畏怖を存分に舞台にふりまいていた。左足を交通事故で失ったということだが、石像役ということもあって、わからなかった。
 まだギクシャクする部分があるが、再演すれば確実によくなるだろう。小さいながらセリをそなえたサンモールの舞台を活用した演出だったので、よそではやりにくいかもしれない。
*[01* 題 名<] どん底
*[02* 劇 団<] 民藝
*[03* 場 所<] サンシャイン
*[04* 演 出<] 渡辺浩子
*[05* 戯 曲<] ゴーリキー
*[05* 翻 訳<] 渡辺浩子
*[06  上演日<] 1990-10-25
*[09* 出 演<]滝沢修
*[10*    <]奈良岡朋子
*[11*    <]樫山文枝
*[12*    <]観世葉子
*[13*    <]新田昌玄
*[14*    <]岩下浩
 民藝創立40周年記念公演だけあって、豪華な配役だけれども、教科書的な印象がつきまとう。うまいのだが、エネルギーが感じられず、討論めいたやり取りも空々しいのだ。
 いかがわしい連中が集まっているはずなのに、みんな真面目ないい人に見えてしまう。だから、ナターシャが姉のワシリーサとペーペルはぐるだったと叫ぶ場面が、小娘の錯乱にしか受取れない。ひょっとしたら、二人はぐるかもしれないという危うさがないのは致命的だろう。以前、黒テントが林隆三を引っぱってきてやった「どん底」の方が、まだ、凄みがあった。
 奈良岡のワシリーサはガミガミ口うるさいだけの女にしかみえないし、樫山のナースチャはお嬢さん芸だ。滝沢のルカはいかがわしさを漂わせてよかったが、危なさまでは出ていない。サーチンの岩下、男爵の新田はあまりにも善人すぎる。ナターシャの観世葉子は天性の品の良さをいかして印象に残ったが、ひたむきにやっていればいいだけのもうけ役だったせいかもしれない。
 パンフレットに民藝40年の年表あり。これで千円は高い。
*[01* 題 名<] 山猫からの手紙
*[02* 劇 団<] 文学座
*[03* 場 所<] 紀伊国屋ホール
*[04* 演 出<] 藤原新平
*[05* 戯 曲<] 別役実
*[06  上演日<] 1990-11-07
*[09* 出 演<]北村和夫
*[10*    <]三津田健
*[11*    <]長岡輝子
*[12*    <]角野卓造
*[13*    <]吉野由樹子
*[14*    <]田村勝彦
 「イーハトーボ伝説」の副題のように、宮澤賢治の童話を下敷きにした芝居。ブドリとネリの兄妹に擬せられる三世代の近親相姦と殺人の罪を負った男女が「不幸の鎖」をつないで、イーハトーボに引寄せられていく。本歌どりの手法といい、因縁の連鎖といい、「頭痛肩凝り樋口一葉」を思い出したが、みんな有罪という東洋的な諦念へ向うのではなく、童話的ユーモアをかぶせながらも、あくまで個人の責任を追いつめていく点で、西洋的、ギリシア悲劇的である。
 おそらく、戯曲としての完成度は高いのだろうと思うが、この舞台には疑問がある。
 人参の種のセールスマンの北村和夫が、妹の身代りのマネキンを抱えて登場するところからはじまるが、この冒頭の一人芝居が、べらんめぇ調で中途半端に客席に向って語っていて、まるでなっていない。料理店の道具一式を運ぶ田村との二人になって、やっと芝居らしくなるが、北村の台詞が安定するのは別役劇でおなじみの角野・吉野の二人が加わってからになる(顔をそむけるようにしてお茶を呑む陰気な兄妹を好演)。北村は別役の芝居を消化しきれていない。
 イーハトーボの歓迎会、実は飢饉に苦しむ人々による公開処刑をまつお茶会の場面など、神父がクッキーや干し杏の数にこだわるなどという苦しいギャグで話をつないでいる印象におちいっている。
 三津田・長岡のコンビは明るすぎて、この暗い色調の芝居から浮いている印象を受けた。お客のほとんどがカルチャー主婦で、別役の芝居に明らかに戸惑っているという不利な条件もあったが、期待外れに終わった。
*[01* 題 名<] マイ・フェア・レディ−−イライザ
*[02* 劇 団<] 
*[03* 場 所<] サンモール
*[04* 演 出<] 安西徹雄
*[05* 戯 曲<] ショー,バーナード
*[05* 翻 訳<] 安西徹雄
*[06  上演日<] 1990-11-07
*[09* 出 演<]橋爪功
*[10*    <]唐沢潤
*[11*    <]有川博
*[12*    <]仲谷昇
*[13*    <]平木久子
*[14*    <]福井裕子
 なんと、「ピグマリオン」の初演だという。しかし、すばらしい舞台に仕上がった。抱腹絶倒、橋爪の機関銃のような台詞が期待通りの快感な上に、イライザ役の唐沢が唖然とするような変身を見せた。粗野な花売娘で出てきた時は、森川由加里かと錯覚するような荒っぽい下町言葉で、変てこな帽子をかぶった姿まで森川していた。雨宿りしている連中の出身地を訛りで当てる場面もめちゃくちゃおもしろい。一人一人がすごく表情ゆたかな生きのいい訛り方で、げらげら笑いどおしだった。イライザが訪ねてくる場面もすばらしい。橋爪のヒギンズと有川のピカリングはあくまで学者馬鹿で、無神経かつ傲慢な悪童そのもの。この三人が猛烈な悪口合戦をやっているところに、唯一常識家の家政婦の福井がまともな言い分で割ってはいる。ヒギンズは映画よりもずっと若い設定で、救いようのないマザコン。おまえはなんで四十五歳以下の女性に関心をもたないのだと母親の平木が嘆くが、この母親がどっしりしていて、舞台を引き締めている。
 二幕では、映画やミュージカルの甘美な見せ場などまったく関係なしに、賭けが終わったあとのイライザの不安へ話を進める。雰囲気は一転して暗く、台詞一つ一つがグサリ、グサリとイライザの胸を切り裂く。唐沢は森川調から一変して、3○○の光永の舌っ足らずな口調で、橋爪とやりあい、フレディと結婚するという意外な結末に転がっていく。実はこういう話だったのかと呆然としたが、皮肉のきつさと言葉遊びの面白さ、そして階級制度と女性の自立というずしりとくるテーマをもりこんだ、こくのある芝居に、ショーという作家を見直した。
*[01* 題 名<] デス・トラップ
*[02* 劇 団<]
*[03* 場 所<] 博品館
*[04* 演 出<] ブレア
*[05* 戯 曲<] レヴィン,アイラ
*[06  上演日<] 1990-11-14
*[09* 出 演<]根津甚八
*[10*    <]沖田浩之
*[11*    <]湯浅実
 ゴミ! 気の抜けた、何ともしまらない芝居。台本はよく出来ているのに、あそこまでつまらなくなるとは。根津甚八は若いホモの恋人にめろめろの初老の劇作家の役で、年寄りの仕草をやってみせるが、それがそもそも似合わないのだ。心臓発作に見せかけた殺人を、ホモの恋人が芝居に書くというので彼を殺す決心をするが、銃を向ける場面ではさっそうとして、さまになる。タフガイ以外の役をやるほど演技力があるわけではないのだ。沖田浩之はなかなかよかったが、特別いいわけではない。
 壁にずらりと武器を飾った書斎のセットに見覚えがある。多分、以前にも見たはずだ。
 平日のマチネだというのに、オバサン族で客席はほぼ満員だった。
*[01* 題 名<] 東京行進曲
*[02* 劇 団<] 新劇団協議会
*[03* 場 所<] 東京芸術劇場中ホール
*[04* 演 出<] 千田是也
*[05* 戯 曲<] 斉藤憐
*[06  上演日<] 1990-11-15
*[09* 出 演<]金内喜久夫
*[10*    <]鳳蘭
*[11*    <]近石真介
*[12*    <]渡辺美佐子
*[13*    <]日色ともゑ
*[14*    <]草野大悟
 東京芸術劇場の柿落としとあって、キャストは豪華だが、これだけつまらないとは。台本が手抜きなのだ。資料が未消化、いや、それ以前。中山新平をめぐる流行歌の草分け時代の人々を通して、日本の近代化と輸入文化の受容の問題を描くという発想はおもしろいが、中山が主人公になることで大衆派の立場が中心になるのはいいとして、対する芸術派の立場が鳳蘭演ずる佐藤千代子(芝居では加藤千代子)によってしか、代表されていないという致命的な欠陥がある。中山の反対者をレコード歌手第一号として成功したのを鼻にかける困った田舎出のスターのわがままに矮小化してしまった結果、ドラマが成立せず、あれこれの言説は有名人物のモノローグとして説明されるだけになってしまった。この基本構造のため、これこれこういうわけでこうなったという当時の裏話やゴシップを、当の本人がご丁寧に説明してしまうという滑稽な事態も生まれた。裏話やゴシップは、他人の目を通すからスリリングだし、リァリティがあるのだが、本人が説明してくれてしまうことで、御苦労様としか言いようがなくなる。
 脚本がこれだけひどいと、鳳蘭が当時の流行歌を大サービスで次々と披露しても、まったく生きてこない。ただただ徒労なだけだ。
 中山新平(芝居では萱山晋平)役は、林隆三が座骨神経痛のため、金内に代ったのだが、これも多少響いている。金内がやったことで、主役が受けの芝居に終始し、one of them になってしまったので、脚本のまずさがよけいはっきりした。
 演出もしまらない。大震災の挑戦人虐殺や東京音頭の場面などで、群衆シーンがあるのだが、ただたくさん出てきて、同じふりで体を動かしているだけなのだ。バカじゃないのか。軍国主義批判の台詞では、竹久夢二の松橋登がいかにも新劇調という感じでかっこをつけていた。いやはや……。
*[01* 題 名<] クフーリン伝説の世界
*[02* 劇 団<]
*[03* 場 所<] スタジオ200
*[04* 演 出<] 千田是也
*[05* 戯 曲<] イエーツ
*[05* 翻 訳<] 松村みね子、平田康、佐野哲郎
*[06  上演日<] 1990-11-28
*[09* 出 演<]袋正
*[10*    <]俵一
*[11*    <]森都のり
*[12*    <]中川安奈
*[13*    <]村田大
*[14*    <]依田英助
 「鷹の井戸」「バーリャの岸辺で」「クフーリンの死」の三本を一挙上演。83年にここでやったひどい「鷹の井戸」を見ていたので、今回も退屈を覚悟でいったが、案外よかった。パーカッションをうまく使った一柳と菅野由弘の音楽がいいし、仮面がすごくよく出来ている。コロスのあつかいは一昔前の「前衛」調だが、「鷹」の老人(袋正)と若者の対決は立派にドラマになっていたし、村田大の鷹の精の舞いも観賞に耐える。戦いの場面で、若者の仮面を憤怒相につけかえるのが成功している。老人のみじめさを前面に出したので、わかりやすい。これでコロスにデモーニッシュな迫力があったら、ラストの寂寥感が際立ったのだが。
 「バーリャ」は笑劇で、役者が滑稽な仮面で登場する。途中で寝てしまった。
 「クフーリンの死」は冒頭に袋正が老演出家として登場し、前口上を述べ、最後にまた彼がジーパンで現れて、娼婦が乞食に語ったエロチックな歌を披露するという額縁仕立てになっているが、真ん中のクフーリン(俵一)の最後のドラマはエロチックで、見ごたえがある。まず、彼を戦いに駆り立てる愛人(森都のり)が緩急をまじえた見事な台詞回しでうならせる。仮面をつけて喋りにくいのに、発声といい、声の表情の深さといい、舞台女優の鏡だ。彼は戦いに破れ、立つ力もなく、自分で自分を柱にしばりつける。そこにエイファ(中川安奈)があらわれ、彼に生まされた子供を彼が殺したことをなじる。老婆という設定らしいが、メタリックな衣裳で、ほとんど武部本一郎の世界。中川安奈の発声は宝塚みたいで、森都の後だけに見劣りする。次に盲の乞食が現れ、十二文の報酬で彼の首を切り落とす。その後に袋正のシャンソンっぽい歌が来るのだが、締めとしては弱い。
 美術は中川安奈の兄の達郎。滑稽さと朴訥さをかねそなえた仮面が効果的だったが、主要人物はみんな仮面を被っているので、中川安奈がどの役だったのか、カーテンコールまでわからなかった。
*[01* 題 名<] グリークス1「戦争」1
*[01*    <] アウリスのイピゲネイア
*[02* 劇 団<] 文学座
*[03* 場 所<] 文学座アトリエ
*[04* 演 出<] 吉川徹
*[05* 戯 曲<] バートン、カヴァンダー
*[05* 翻 訳<] 吉田美枝
*[06  上演日<] 1990-12-11
*[09* 出 演<]石田圭祐
*[10*    <]寺田路恵
*[11*    <]高橋紀恵
*[12*    <]得丸伸二
*[13*    <]大滝寛
*[14*    <]鵜沢秀行
 「プロローグ」砂地の舞台を白い布が斜めに覆っている。布がおちて、コロスの女たちが登場し(後で大きい役をやる女優たちからなる)、布をかたづけはじめる。白いブラウスにグレイのジャンパスカートという女学生のような格好。騒がしく喋りあい、本当の女学生のよう。「誰が悪かったの」という問いかけから、神話の話になる。三女神の美しさの競いあいからパリスの審判、ヘレネの誘拐と進み、暗転。まるで、神々の物語が学校のうわさ話みたいで、ギリシア悲劇を身近に引寄せる試みという主題を実にうまく見せている。
 「アウリスのイピゲネイア」すばらしい! 悲劇の崇高さと下世話さがいりまじった舞台で、こんなの見たことない。石田のアガメムノンはひどくだらしのない男で、ギリシア軍の総帥だというのに、決心はぐらぐら。「俺は軍の奴隸なのだ」という台詞がぴったりだ。寺田のクリュタイメストラはどこにでもいそうな母親で、夫に娘の助命を請う場面など、ホーム・ドラマすれすれの愁嘆場で、文学座だなと思った。白いシンプルなローブに、緑色のスカーフを首の周りに巻いているが、金色の装身具が緑色と白に映えて、かっこいい。
 高橋のイピゲネイアはもうけ役。技術的には未熟だが、たどたどしく懸命にやることで、それがそのまま自らの死をけなげに受け入れる悲劇の王女の格調につながる。
 アガメムノンを軽蔑しながら、彼女の誇り高さに打たれ、結婚を申しこむ大滝のアキレウスも青年の傲慢さと客気が出ていていい。絶叫芝居なのだが、速いテンポとあいまって、すこしも不自然ではない。
 ラスト、クリュタイメストラはイピゲネイアは神に救われたと告げる布告使の言葉を「信じない」とつっぱね、イピゲネイアの名前を呼ぶ。この叫びがすごく澄んだ発音なのだ。すごい技術だと思う。小さな劇場の濃密な空気を切り裂くようで忘れがたい。
 角野卓造が場内整理をしていた。さすがに、知っている人を案内するくらいだったが、それ以外は手持ち無沙汰にうろうろしていた。
*[01* 題 名<] グリークス1「戦争」2
*[02* 劇 団<] 文学座
*[03* 場 所<] 文学座アトリエ
*[04* 演 出<] 吉川徹
*[05* 戯 曲<] バートン、カヴァンダー
*[05* 翻 訳<] 吉田美枝
*[06  上演日<] 1990-12-11
*[09* 出 演<]大滝寛
*[10*    <]麻志奈純子
*[11*    <]石田圭祐
*[12*    <]林秀樹
*[13*    <]坂口芳貞
*[14*    <]外山誠二
 暗転の後、クレオパトラのような扮装の老女が出てきて、ザリガニのように背をこごめ、腕を広げ、おどおどした口調でゼウスがどうのと語りだす。彼女は第一幕で崇高な青年として登場したアキレウスの母親で、海の精のテティスだという。どこかで見たと思ったが、麻志奈純子という名前でわかった。大量脱退直後のシェイクスピァ・シアターの「夏の夜の夢」で若作りのヘレナを怪演した人だ。
 この幕は一幕の崇高さとは対照的な喜劇である。十年の戦争のあげくに、ギリシア陣営には頽廃がはびこり、だらしなかったアガメムノンはいよいよ駄目男になり、クリュセイスをあきらめる代りと称して、アキレウスのお気に入りのブリセイスを奪ってしまう。アキレウスもあのケバい母親にだだをこねる子供になっていて、自分の力がどれほどのものか思い知らせるために、ゼウスにギリシアが窮地に追いやられるように頼んできてくれと母親にねだる始末。
 本当にギリシア軍は追いまくられ、船まで焼かれそうになる。手のひらを返したように御機嫌取りをするアガメムノンが滑稽だし、坂口の禿頭のオデュッセウス(はまり役!)が舌先三寸で言いくるめようとするのも笑える。
 それでも立上がらないアキレウスに業を煮やし、親友のパトロクロスが戦況挽回のために、アキレウスの鎧をつけて出撃するが、ヘクトルに倒される。アキレウスは親友の仇を取るが、その夜、ヘクトルの死骸を受取りにトロイア王プリアモスがアキレウスの陣にやってくる。
 ホメロスの頽廃というが、この芝居を見て納得した。アキレウスは自分の最期が近いということを知っており、ヘクトルを殺したことで、いよいよ死が間近いことを確信する。神々に弄ばれている仲間としてプリアモスとしみじみ語りあう場面に感銘を受けた。アキレウスは今の日本にいそうな幼児的な駄目男のようでもあるが、死を受け入れ、すべては自分の過失から起こったことと見極める強さが彼を古典叙事詩の主人公にしている。
*[01* 題 名<] グリークス1「戦争」3
*[01*    <] トロイアの女たち
*[02* 劇 団<] 文学座
*[03* 場 所<] 文学座アトリエ
*[04* 演 出<] 吉川徹
*[05* 戯 曲<] バートン、カヴァンダー
*[05* 翻 訳<] 吉田美枝
*[06  上演日<] 1990-12-11
*[09* 出 演<]松下砂稚子
*[10*    <]篠倉伸子
*[11*    <]古坂るみ子
*[12*    <]斎藤志郎
*[13*    <]山本郁子
*[14*    <]石田圭祐
 「トロイアの女たち」最後でがたっと落ちる。散漫。
 原作のせいかもしれないが、カサンドラの篠倉のまずさが効いている。かろうじて保っていた緊張が、彼女の狂乱の場面でプツンと終わってしまうのだ。髪型だけでなく、芝居まで石原真理子を意識しているのだろうか。若い娘の驕慢さは出ているけれども、これではおさらい会だ。
 ヘカベの松下も良くない。あれでは愚痴っぽいただのオバサンだ。息子を殺される山本のアンドロマケでかなり救われていたが、一人一人のエピソードをまとめあげるところまでいっていない。基本的に新劇なので、コロスの存在感が弱いことにも一因があるかもしれない。
*[01* 題 名<] グリークス 2 「殺人」1
*[01*    <] ヘカベ
*[02* 劇 団<] 文学座
*[03* 場 所<] 文学座アトリエ
*[04* 演 出<] 鵜山仁
*[05* 戯 曲<] バートン、カヴァンダー
*[05* 翻 訳<] 吉田美枝
*[06  上演日<] 1990-12-12
*[09* 出 演<]松下砂稚子
*[10*    <]都築香弥子
*[11*    <]坂口芳貞
*[12*    <]川辺久造
*[13*    <]斎藤志郎
*[14*    <]石田圭祐
 トラキアの浜に流れついたギリシア軍が、アキレウスへの生贄にトロイアの王女ポリュクセネを捧げるエピソードと、預けてあった王子を殺されたヘカベがトラキア王ポリュメストルに復讐するエピソードからなる。
 都築のポリュクセネはすばらしい。ヘカベはオデュッセウスに助けてやった恩をかえせと娘の助命を懇願するが、ポリュクセネは愛するアキレウスの花嫁になると言い放ち、自分から犠牲になる。斎藤のタルテュビオスが伝える死の姿は感動的だ。
 だが、またしても篠倉のカサンドラでドラマがこわれる。
 トラキア王とのエピソードでは、ヘカベが色じかけまで使ってアガメムノンに復讐の許可をもらう。彼女はたくみな言葉で王を安心させ、テントの中で彼の息子を殺し、彼の目をつぶす。騒ぎをきいてあらわれたアガメムノンに、トラキア王は裁きを請うが、何かいうたびにヘカベと女たちは大笑いをする。ヘカベの凄みは出ていたが、あの笑いはちょっと違うのではないかと思う。やけっぱちの暗さが出ていないのだ。あの哄笑がもっと恐ろしければ、文句なしにすごかったのだが。
 今日もマフラーに登山帽をかぶった角野卓造が場内整理をしていた。
*[01* 題 名<] グリークス 1 「殺人」2
*[01*    <] アガメムノン
*[02* 劇 団<] 文学座
*[03* 場 所<] 文学座アトリエ
*[04* 演 出<] 鵜山仁
*[05* 戯 曲<] バートン、カヴァンダー
*[05* 翻 訳<] 吉田美枝
*[06  上演日<] 1990-12-12
*[09* 出 演<]寺田路恵
*[10*    <]石田圭祐
*[11*    <]林秀樹
*[12*    <]篠原伸子
*[13*    <]斎藤志郎
*[14*    <]赤司まり子
 緑がかった灰色の服の女たちが宮殿の庭で働いている。ひそひそ話で、宮廷の変化をなげいている。そこへクリュタイメストラがあらわれ、トロイアが落ちたとのろしで知らせがあったと伝える。昨日は白と緑の清楚な衣裳だったのに、今日は胸元を大きくあけた黒いドレスに黒いマントだ。凱旋したアガメムノンの前に絨毯を敷き、どうぞこの上を踏んで歩いてくれと頼むが、彼がなかなか承知せず、歯の浮くような言葉で説得する場面も不安な予感があってなかなかいい。
 しかし、篠倉のカサンドラでまたしてもぶちこわし。館の中で起こることを彼女が女たちに予言するわけだが、これが昨日と同じでわがままなお嬢様が、わけのわからないことをぼそぼそ言っているという印象でしかない。
 やがて、彼女も奥に消え、つづいて悲鳴。そして、奥の二階部分を覆っていた網がばさっと落ちて、二人の死体が降ってくる。あらわれたクリュタイメストラのアガメムノン告発の言葉は、ちょっと冴えない。下世話すぎて、「イピゲネイア」の格調がないのだ。続いてあらわれた林のアイギストスは陰気で狡猾な駄目男の台詞として、陰惨さがよく出ていたが。
*[01* 題 名<] グリークス 2 「殺人」3
*[01*    <] エレクトラ
*[02* 劇 団<] 文学座
*[03* 場 所<] 文学座アトリエ
*[04* 演 出<] 鵜山仁
*[05* 戯 曲<] バートン、カヴァンダー
*[05* 翻 訳<] 吉田美枝
*[06  上演日<] 1990-12-12
*[09* 出 演<]塩田朋子
*[10*    <]寺田路恵
*[11*    <]中村彰男
*[12*    <]林秀樹
*[13*    <]鵜沢秀行
*[14*    <]福田裕子
 塩田のエレクトラは宝塚風の芝居で、うまくあっている。ボロボロの服をわざと着て、下働きの女たち相手に母親と義父を罵るが、悲劇の王女というより、すねた不良娘という感じがしないでもない。うまく立ち回っている妹のクリュソテミスがずるいという感じがせず、むしろけなげでさえあるので、よけいそう感じる。やがて、弟の死の知らせを老人が持ってきて、弟の骨つぼを届けにきたという若い男まであらわれて、彼女はなげくが、その男は実はオレステス自身だった。ここまでの展開はちょっとかったるい。
 しかし、母殺しの場面はすごい。奥で悲鳴が上がったかと思うと、血を流した(赤いひらひらのついたスカーフで表現)クリュタイメストラと短剣を手にしたオレステスが飛出してくる。クリュタイメストラは息子の顔を乳房に押しつけて助命を請う。このエロチックな懇願は凄みがある。昨日の「イピゲネイア」と対照的で、寺田の力量と演技の幅を見せつけた。オレステスの弱さも生々しく、復讐されるという予言に心おののきながら、さらにアイギストスを殺す。アイギストスは自分達一族の血塗られた歴史を説き、正義の名でそんなことをしても、空しい復讐を繰り返すだけだと助命を請うが、その言葉は女々しくて後味が悪い。
 オレステスのひ弱さといい、クリュタイメストラの母性といい、鈴木忠志の『悲劇』よりさらに現代的でなまなましく、救われない気分だ。明日はどうなるのか。
*[01* 題 名<] グリークス 3 「神々」1
*[01*    <] ヘレネ
*[02* 劇 団<] 文学座
*[03* 場 所<] 文学座アトリエ
*[04* 演 出<] 高瀬久男
*[05* 戯 曲<] バートン、カヴァンダー
*[05* 翻 訳<] 吉田美枝
*[06  上演日<] 1990-12-13
*[09* 出 演<]古坂るみ子
*[10*    <]得丸伸二
*[11*    <]斎藤志郎
*[12*    <]外山誠二
*[13*    <]赤司まり子
*[14*    <]藤堂陽子
 唖然呆然。舞台が明るくなると、白いマットに肌もあらわな古坂のヘレネが寝そべっている。正面には直径1メートル近い丸い鏡。対角線の位置の石の上には小さなピラミッドが乗せてあって、エジプトの聖なる墓所という設定だ。金ラメのマントや水着のような衣裳で舞台を飛びまわるヘレネが例の甘ったるい口調で語ることには、トロイアに連れていかれたのはヘラの造った似姿で、自分は17年間、このエジプトで夫に操を守ったというのだ。そこへあらわれる、彼女の世話をする囚われのギリシア女たち。あっけらかんとしたやりとり。完全に道化芝居。通しで見ていたら、このショックはもっとすごかっただろう。エウリピデスは、飛んでもない男だ。
 7年間の放浪で疲れはてたメネラオスが登場し、真相を知って愕然とする。つづいて登場する斎藤の老兵が、ヘレネが「もう役目は終わった」と空へ飛んでいってしまったと報告。これで「似姿」だということは証明されたが、二人のボロボロの衣服だけで十分滑稽かつ不条理だ。メネラオスは今までの陰険な感じから、完全に喜劇の人物に変っていて、妻が操を守っていたと知って手もなく喜んでしまう。
 エジプト王は、初日にアキレウスの親友を感動的に演じたカーリーヘアーの外山で、パイナップルみたいな王冠をかぶっていて、正真正銘の道化。策略で二人はエジプトをのがれ、めでたしめでたし。
 「模像」というものをはじめて見た。「模像」と道化芝居、不条理劇がくっつく理由がわかる。ヘレネは鏡を見るのが好きなので、とうとう空気のに姿をつくってしまったという台詞が面白い。
 角野卓造が例の服装で場内整理していた。今日は先輩らしい人がいたせいか、こまめに動き回っていた。
*[01* 題 名<] グリークス 3 「神々」2
*[01*    <] オレステス
*[02* 劇 団<] 文学座
*[03* 場 所<] 文学座アトリエ
*[04* 演 出<] 高瀬久男
*[05* 戯 曲<] バートン、カヴァンダー
*[05* 翻 訳<] 吉田美枝
*[06  上演日<] 1990-12-13
*[09* 出 演<]塩田朋子
*[10*    <]古坂るみ子
*[11*    <]得丸伸二
*[12*    <]中村彰男
*[13*    <]川辺久造
*[14*    <]大滝寛
 メネラオス夫婦がミュケナイに帰還し、いよいよエレクトラとオレステスの処分が決る。民衆は二人の死刑を要求している。エレクトラは地下牢で叔父に助命を請うが、彼は民衆の力を恐れて、二人を見捨ててしまう。二人はオレステスの親友のピュラデス(アキレウスの大滝)の助力をえて、ヘレネを殺し、ヘルミオネを人質に取って、脱出しようとはかる。しかし、ヘルミオーネの身柄は押えたものの、ヘレネは空気のように消えてしまう。王宮はパニック状態に陥いるが、侍女の一人が、突然、神がかりしてアポロンの名を叫ぶ。天井からロープがおりてきて、アポロンの声(さすがに姿は現さない)。人物一人一人に例の丸い大きな鏡で光を当てては行く末を決めていく。ヘレネは天空に連れていって、神にするという(入口の真上に光があたり、ヘレネがあらわれる)。これがデウス・エキス・マキーナかと感慨があった。
*[01* 題 名<] グリークス 3 「神々」3
*[01*    <] アンドロマケ
*[02* 劇 団<] 文学座
*[03* 場 所<] 文学座アトリエ
*[04* 演 出<] 高瀬久男
*[05* 戯 曲<] バートン、カヴァンダー
*[05* 翻 訳<] 吉田美枝
*[06  上演日<] 1990-12-13
*[09* 出 演<]山本郁子
*[10*    <]林秀樹
*[11*    <]麻志奈純子
*[12*    <]都築香弥子
*[13*    <]福田裕子
*[14*    <]得丸伸二
 照明が明るくなると、ビニールの紐で結界した対角線の石にむかって、シュミーズ姿に軍外套をはおっただけのしどけないアンドロマケが座っている。前の場でブリッ子していたヘルミオネは、わっかの入った白いドレスで現れ、ヘレネの娘の本性をむきだしにして、アポロンの神託にさからってアキレウスの息子のネオプトレモスと結婚し、彼の奴隸になって息子を産んでいた彼女をいじめ殺そうとしているというのだ。彼女の侍女になっているトロイアの女たちにはどうすることもできない。彼女はテティスの神殿にのがれ、老ペレウスの帰還を待つが、そこへ隠してあった息子を探しだした親馬鹿のメネラオスが登場し、あわやとなる。しかし、あやうくペレウスが戻ってきて、メネラオスを追出し、二人を救う。
 この後、諸国を放浪するオレステスとピュラデスがあらわれて、ヘルミオネを連れて去るが、デルフォイの神殿でネオプトレモスを殺害してしまう。その知らせに絶望するペレウス。自殺を決意した時、テティスがあらわれ、彼を慰め、彼に永遠の生命を与えるという。この老夫婦の語らいが感動的なのだ。思わず涙してしまった。林の世を拗ねた老人の喋りかたはもの悲しく、本当につらい。その彼に神を信じなくてはいけないと諭す麻志奈のテティスの言葉は美しい。
 山本のアンドロマケは胸元を見せていても品があって、若い母の矜持がある。彼女のゆるぎない存在があるから、ペレアスとテティスの場面が生きたのだ。すべて終った後のトロイアの女たちの語らいもいい。シェイクスピァのロマンス劇の味わいだ。
*[01* 題 名<] グリークス 3 「神々」4
*[01*    <] タウリケのイピゲネイア
*[02* 劇 団<] 文学座
*[03* 場 所<] 文学座アトリエ
*[04* 演 出<] 高瀬久男
*[05* 戯 曲<] バートン、カヴァンダー
*[05* 翻 訳<] 吉田美枝
*[06  上演日<] 1990-12-13
*[09* 出 演<]高橋紀恵
*[10*    <]中村彰男
*[11*    <]大滝寛
*[12*    <]小瀬格
*[13*    <]赤司まり子
*[14*    <]金沢映子
 大団円の締めくくりとして、ふさわしい重厚な芝居。これもシェイクスピァのロマンス劇の味わいがある。
 高橋の今度のイピゲネイアは達観した女の静かな力を感じさせる。「アウリス」のたどたどしさは計算のうちだったわけだ。北の蛮族タウロイ人の王、トアスに囚われている彼女は毛皮の外套であるきまわり、とらわれのギリシア女たちは黒づくめの服装。
 「ヘレネ」と同工異曲の造りだが、圧巻はオレステスとイピゲネイアが姉弟だとわかる瞬間。ゆっくりゆっくり盛り上げていって、ここでも泣かせる。「ヘレネ」と同じ策略で三人は逃げ出すが、トアス王が後を追おうとすると、雷が鳴って、囚われの女の一人(葦原邦子みたいなオバサンの赤司)が神がかりして、アルテミスの言葉を伝える。デウス・エキス・マキーナだ。そもそも、「ヘレネ」の時と同様、男たちは自力で囚われの女の所まで行き着いたわけではないので、ラストを簡単に片づけても、納得できるわけだ。
 「エピローグ」囚われの女たちは黒い衣裳を脱ぎ捨てて、「プロローグ」と同じグレイのジャンパスカートになり、また女学生みたいに楽しそうに神々の話をはじめる。そして、神の名前を一人一人あげながら軽やかに暗転。
*[01* 題 名<] 弟よ――姉、乙女から坂本龍馬への伝言
*[02* 劇 団<] 木冬社
*[03* 場 所<] 紀伊国屋ホール
*[04* 演 出<] 清水邦夫
*[05* 戯 曲<] 清水邦夫
*[06  上演日<] 1990-12-17
*[09* 出 演<]松本典子
*[10*    <]磯部勉
*[11*    <]堀越大史
*[12*    <]中島久之
*[13*    <]中村美代子
*[14*    <]黒木里美
 木冬社としては最初の時代劇ではないか。おなじみの中村美代子のほか、男優五人を客演にむかえて、力の入った舞台であることがわかる。龍馬の話といっても龍馬は死んだ後で、だらしない男どもを女たちが叱咤激励するパターンに変りはない。志士の生き残りはみんなだらしなく、洗心塾という女剣士の一団が登場する。龍馬の死を信じたくない人々が、龍馬の死を納得して、新しい時代に生きはじめるまでがテーマで、これまでだと、贋龍馬や龍馬の幻を見る狂気の人物が中心になるが、あの時代は社会全体が揺れ動いており、誰もが新旧のはざまで模索していたので、前向きの開かれた芝居になっている。幻覚という個的なものに閉じこもる傾きのあった清水にしては、画期的な作品だ。
 男優のモノローグではじまって終っていたが、この芝居では松本のモノローグがその役割をしている。真っ暗な舞台を硝子をきらめかせて進む風鈴売りが彼女の台詞を引き立てる。
 席が最悪だったせいもあるが、どうもぴんとこない。あっちの方で勝手に盛り上がっている感じなのだ。新聞評では、松本の口跡と黒木のおりょうの評判が高かったが、いつもと同じじゃないかと思った。もっとも、今回は二人とも花のある使い方をされていたが。
 最後列右側から二番目という飛んでもない位置。しかも、テレビ録画のため、カメラマンの手元の照明やら台本をめくる音やらがうるさかった。
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This page was created on Sep12 2000.

演劇1990年1
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