エディトリアル   January 2010

加藤弘一 Sep 2009までのエディトリアル
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1月 5日

 新年おめでとうございます。

 一年の計といっても何もないが、強いて言えば文字論を今年こそまとめたいとは考えている。出版の当てのない原稿なので締切がなく、書き上がられるかどうか心もとない。

 旧知の出版社に相談したこともあるが、文字論は「基礎票がすくない」(興味をもつ読者がすくない)という理由で断られている。初版部数が全体的にすくなくなっているので、「基礎票」についてはハードルが下がっていると思うのだが、どうなるかわからない。興味のある編集者の方がいたら、御一報を。

 DVDやCDの初売を覗いてきたが、今年はろくなものがない。

 昨年はDVD時代の終わりということでBOXが投売りになり、「巨匠とマルガリータ」が70%offなど、いい買物ができた。CDもエームズ・コレクションや古楽が格安で買えた。この数年、新製品自体が滞っているので、処分する在庫がなくなっているのかもしれないが、三月にかけて出てくる可能性はある。

 昨年はBOXを中心にDVDを大量に買いこんだが、この一年、一枚も見ていない。

 理由ははっきりしている。昨年の前半は頭痛がつづき、DVDはおろか本も読めなくなっていたからだ。

 肩こりがあったので眼のせいだろうということは薄々わかっていたが、深刻な病気だと怖いので、マッサージやめぐリズムでごまかしていた。マッサージもめぐりズムも一時的には気持ちがいいが、対症療法では改善するはずはなく、バッファリンが手放せなかった。

 夏休みに思いきって眼科で眼底検査を受けたところ、異常はなにもなく、常用の眼鏡はぴったりの度数だったので、老眼鏡を作れということだった。

 老眼鏡というか読書用の眼鏡は一昨年に作ってあったが、ピントの合う距離が前後10cmくらいしかなく、かえって疲れるのでしだいに使わなくなっていた。パソコンを使う時には常用の眼鏡にかけかえなければならなかったこともある。

 眼鏡店で相談したところ、近々眼鏡を勧められた。本とパソコンの両方にピントの合う二重焦点眼鏡だが、遠近両用眼鏡ほど度に差がないので、異和感がないということだった。

 テスト版を作ってもらって試したところ、確かに単焦点眼鏡とほとんど変わらない。

 一つ問題があった。当時、パソコンのモニターは90cmの距離だったが、これで本も読めるようにすると中近眼鏡になるのだ。中近眼鏡のテスト版も試したが、近々眼鏡との差は歴然としていて、はっきり異和感がある。60cmだとぎりぎり近々眼鏡で対応できるので、モニターの方を近づけることにした。

 眼鏡ができてみると、60cmでは近すぎてきつかったので80cmまで離し、モニターを大きくすることにした。選んだのは三菱のWIDE RDT231WLM-Dという23インチ・モニターである。これは3万円近くするモニターの大型店向け廉価版で本体は同じだが、高さ調節のブロックが5個から3個に減らされ、HDMIケーブルが附属しない分、値段を抑えたという製品である。

 これが正解だった。近々眼鏡は焦点の合う範囲が広くストレスが格段に減った。パソコン・モニターは最初こそ前のめりになって見ていたが、一週間もたつと目が慣れてきて、80cm離れていても普通に見えるようになった。老眼はかなり柔軟らしい。

 頭痛は目に見えてすくなくなり、一ヶ月でほぼおさまった。眼精疲労はだんだんすくなくなり、本が以前のように読めるようになった。読まなければいけない本がたまっているので、DVDまでは手がまわらないが、今年はDVDも消化したいと考えている。

 三菱のモニターも正解だった。三菱は98時代に使ったことがあるが、色があっさりしている傾向は液晶になっても同じである。これだけのモニターが二万円そこそこで買えるのだから、デフレも悪くない。

1月 6日

「無宿人別帳」

 新文芸座の松本清張特集で見た。同題の短編集は小伝馬町の牢や八丈島など、さまざまな境遇の無宿人を描いているが、映画は佐渡を舞台にした二編を原作としている。

 唐丸籠の行列が山道を進むのをロングで映したオープニングはうまい摑みだ。時は享和二年。江戸で無宿人狩りで捕まった一癖も二癖もある面々が狭い籠に押しこめられている。渥美清も悪人面で毒づいている。行列を指揮するのは長門宏之で、格安の労働力である無宿人を受けとりにきた佐渡の奉行所の役人という役どころ。上役にとりいって江戸に栄転をもくろんでおり、狂言回し的にちょこまか動きまわることになる。

 無宿人たちは佐渡に着いてから小屋に入れられるが、小屋と坑内は無宿人から選ばれた三人の差配役が仕切っている。一番偉い差配役は佐渡歴40年で、今では囲いの外に家をあたえられ家庭をもっている。真面目に励めばそれなりの暮しができるというわけだ。

 一方、奉行所では不穏な動きがはじまっている。新任の若い奉行(田村高廣)が奉行所改革をはかり、長年の請負との癒着にメスをいれようとしているのだ。ところが、奉行を補佐するために江戸からついてきた支配頭の黒塚喜助(二本柳寛)は早くも請負の商人と結託し、奉行の失脚を画策している。

 この陰謀の片棒をかつがせられるのはナンバー3の新平(三國連太郎)で、小屋ぐるみ大脱走という途方もない計画をたてる。三國は人間の弱さ、狡さ、非情さといった嫌な面をこってりと見せてくれる。

 人間悪だけでは暗くなりすぎるので、ロマンスも用意されている。無宿人の中では異質の男前、宗方弥十郎(佐田啓二)は元御家人で、黒塚の妻のくみ(岡田茉莉子)とはいとこどうしで、思い思われた仲だったのだ。

 スティーヴ・マックイーンの『大脱走』と同じで暗澹たる結末が待っているが、最後の最後に佐田と宮口精二が見せる意地と、女たらしの津川雅彦がつかんだ一筋の光が救いだ。

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「内海の輪」

 「約束」の斎藤耕一監督と松本清張の顔合わせに期待したが、まったくいただけない。公開時は評価が高かったらしいが、お洒落な映画にしようとしても原作が松本清張だから良さをつぶしあう方向にしかはたらかなかった。

 考古学で注目されている江村(中尾彬)はかつて兄嫁だった美奈子(岩下志麻)と情事をつづけていた。美奈子は江村の兄と離婚した後、松山の老舗呉服店の老主人(三國連太郎)と再婚し、新事業をおこすなど活躍していたが、三ヶ月に一度上京しては江村と密会していた。不倫が出世の妨げになると江村は美奈子の殺害をたくらむというおなじみの展開。

 岩下志麻の濡れ場が売りだが、あんあん喘ぐだけのワンパターンで退屈した。

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1月12日

「彩り河」

 新文芸座の松本清張特集で見た。原作はサラ金につながる相互銀行の内幕を描いた企業小説の傑作だったが、映画版は硬派の部分は義理でなぞっているにすぎず、ちゃちというか子供だましである。一方の主人公の井川(平幹二朗)は頼りないストーカーおやじにしか見えないし、三國連太郎演じる下田もただの変態老人だ。高級ナイトクラブのママという設定の和子(吉行和子)も場末のスナックのママにしか見えない。井川とジョー(真田広之)に慕われ、彼女のために復讐するにしては安っぽすぎる。ルポライターの山越(渡瀬恒彦)にいたっては典型的な羽織ゴロで、殺されても同情する気にもなれない。

 では、まったくの駄作かというと、そうではない。三村晴彦監督はジョーとふみ子(名取裕子)のラブストーリーを後半に強引に作りこみ、この部分で成功しているからだ。復讐譚の部分はゴミだが、悲恋の部分は同じ三村監督の「天城越え」に匹敵する(この監督は硬派は不得意なのだろう)。

 名取の凛とした美しさは特筆に値する。彼女の映画は見たことがなかったが、この一編でファンになった。

 ラスト、寒々とした海岸で寄り添って座り、波を見つめつづける真田と名取の背中のショットが深い余韻を残す。名取ファンならぜひ見るべきだ。

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1月15日

「96時間」

 リーアム・ニーソンのアクション映画なんてぴんとこなかったが、これは大傑作である。

 主人公のブライアン(リーアム・ニーソン)は元CIA工作員で、家庭を顧みなかったツケで妻子に逃げられ、今は時々警備のアルバイトをしながら引退生活を送っている。妻が引きとったキム(マギー・グレイス)の成長を見守るのだけが生きがいだが、妻の再婚相手は大富豪なのでなにかと肩身が狭い。誕生日に選びに選んで携帯カラオケマシンを贈っても、養父の馬のプレゼントの前にはかすんでしまう。初老の鰥夫男の悲哀が楽しい。

 ところが、娘がパリで誘拐されると、この冴えなかったオヤジが大変身する。娘を救うためにパリの裏社会で大立ち回りをくりひろげるのだ。相手は人身売買のシンジケート、こちらは娘を愛する父親という大義名分があるので、まったくためらいなしに殺しまくる。痛快の一語につきる。

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「セントアンナの奇跡」

 実話もののように宣伝していたが、同題の小説を原作とするフィクションで実話ではない。スパイク・リーと戦争映画はミスマッチだが、イタリア戦線で戦った黒人部隊バッファロー・ソルジャーの話だとわかり、なるほどと思った。

 物語は現代のニューヨークからはじまる。郵便局の窓口で定年間近の黒人の局員がイタリア移民の客を射殺したのだ。警察が家宅捜索をすると第二次大戦中に行方不明になっていたフィレンツェの彫像の頭部が見つかる。その謎解きを額縁にしてバッファロー・ソルジャーの話にはいっていく。

 はっきり言って額縁は余計だった。いかにも作り物のハッピーエンドであって、白けるだけだ。

 謎解きの行きつくところはパルチザン掃蕩に民間人が巻添えになったセントアンナの大虐殺事件で救いがない。映画としてまとめるには奇跡話が必要だったというところだろうが、ごたごたして冗漫なだけの駄作で終わっている。

 バッファロー・ソルジャーの話は興味深いので、こんな小細工を弄せず正攻法で映画にしてほしかった。

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1月19日

「ウーマン・イン・ホワイト」

 『月長石』とならぶウィルキー・コリンズの代表作、『白衣の女』のミュージカル版である。作曲と演出はアンドリュー・ロイド・ウェーバーとトレーバー・ナンの大御所コンビ。

 原作はぶ厚い文庫で三巻、千ページを越える大作だが、短編が元じゃないかと勘違いするくらいコンパクトにまとまっており、『レ・ミゼラブル』のようなスケール感はない。英国では脚色の是非で論争が起こったそうだから、原作とはかなり違うのだろう。

 一幕目は地主館に家庭教師に雇われた貧しい画家ハートライト(田代万里生)の視点で進む。生徒は活発なマリアン(笹本玲奈)と控えめなローラ(大和田美帆)の異父姉妹。姉のマリアンは母親の連れ子で、財産は妹のローラが相続している。夢のような日々がつづき、ハートライトとローラは互いに引かれあうが、ローラにはパーシヴァル男爵(パク・トンハ)という許婚者がいた。マリアンはパーシヴァル男爵にうさんくささを感じとっていたが、ハートライトに引かれていた彼女は嫉妬から妹とハートライトの間を引き裂いてしまう。

 ハートライトが去った後、ローラとパーシヴァルは結婚すむが、パーシヴァルには巨額の借金がある上に、監禁されている白いドレスの女(和音美桜)との間に秘密の関係があるらしい。

 マリアンとローラは白いドレスの女と秘かに会い、秘密を聞き出そうとするが、パーシヴァルの手の者に阻まれ、白いドレスの女は連れ去られてしまう。

 パーシヴァルはローラに財産の委任状に署名させようとするが、マリアンの忠告もあってローラは拒みつづける。借金に追われたパーシヴァルは切羽詰まって腹心のイタリア人医師、フォスコ伯爵にマリアンに一服盛らせる。

 マリアンは三日間眠りつづけるが、目覚めてみるとローラは急死し、埋葬もすんだ後というあっと驚く展開。。

 二幕ではパーシヴァルの財産横領を阻止するために孤立無援のマリアンが大活躍する。

 一幕は説明に終始し、二幕が見せ場である。お嬢様然としたマリアンの変貌ぶりがすごい。「すべてをローラに」というマリアンの悔恨に満ちたアリアはロイド・ウィーバーならではの甘いメロディーで泣かせる。

 最後、ミュージカルとは思えないどんでん返しで、原作はウィルキー・コリンズだったかと膝を打った。

 何度も見たくなる作品ではないが、面白かった。

 パンフレットは1800円したが、笹本玲奈のアリアが三本はいったミニCDがおまけでついてきた。収録曲は「すべてをローラに」と『レ・ミゼラブル』の「オン・マイ・オウン」、『ミス・サイゴン』の「命をあげよう」という豪華版である。笹本玲奈のデビュー十周年記念CDはおしゃべりばかりで肝心の歌があまりないらしいが、それを考えると得をした気分だ。

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