「一九四五年、十月一日の十時から十時三十分の間に、プラウ・ペティアともウイリー・ジョーンズ島とも呼ばれる島で(どちらも地図上の名前ではないが)、三人のアメリカ兵が姿を消した。以来、ずっと行方が知れない。
ぼくはあの島へもどるぞ、そうとも! もどらなきゃいけないんだ。手足が笑ったんだ! 殺すなら、殺せ! もどってみせるからな! ああ、そうだ、そうだったんだ。一人でもやりとげなくては。
三人の兵隊とはテキサス州オレンジのチャールズ・サンティ軍曹、テネシー州ゴベィのロバート・キャスパー伍長、それからボストンのティモシー・ロリガン一等兵だ。ボストンは東部のどこかの州の町だった。ぼくは、その中の一人だ。
たとえ、もう二十年かかっても、ぼくは島を見つけだすぞ!」
違ウ、違ウ、違ウ! ソノ話ハ間違ッテイル。起キタ場所ハウイリィ・ジョーンズ島ダガ、経緯ハマッタク違ウ。アレハ何年カ前、バーデ聞カサレタ話ダ。「ソチラ、島デ一緒ダッタ方デハアリマセンカ?」トイウ決マリ文句デ知リアッタ次ノ夜ノコトダッタ。
「そうしたちょっとした勘違いのふりはよく使う手じゃ。しょっぱなで間違えるのもな」とギャリが言った。「商売でよく使う手さ。相手を怒らせておいて、困ったふりをする。その時にはひっかかっているというわけじゃな」
ギャリは東インド諸島の人間で、生まれついてのほら吹きだった。「そもそも話のネタは一つだけだが、反応は二つある。一つは分別を働かす方で、『何だって、そんなはずあるものか』じゃが、もう一つは驚く方で、『何だって、そんなことがあったのか』じゃ」彼はほら吹きで、うまい話術を教えてやろうと持ちかけてきた。
ギャリはわたしたちに目をつけた。何か魂胆があるらしい。
「千年来、わしらは同じネタをくりかえしてきた」と彼は言った。「しかし、今は違う。新しいネタ元ができたのじゃ。アメリカのコミック雑誌じゃよ。ある時、ある所でわしの祖父さんがネタに使いだし、今、ここでわしも使っているというわけじゃ。わしはお国の軍隊のテントから失敬したのを箱一杯持っているよ。『スペース・コミック』とか『コマンダー・ミッドナイト』、『銀河の水兵』、『マイティ・マウス』、『グリーン・ホーネット』、それから『仮面ジェッター』もある。祖父さんが持ってたのも同じ題じゃが、昔のマンガ家が描いたやつじゃったな。もっとも、『ワンダー・ウーマン』は持っていない。一冊もだ。彼女の本なら、一冊に三冊の割で交換してもいい。プレミアだってつけるよ。彼女の本があれば、ある島の伝説とくっつけて、まるっきり新しい続き話をつくれるのになぁ。わしは何時だって新しいネタを探しているのじゃ。あんた、『ワンダー・ウーマン』を持っていなさらんか?」
ギャリがこの話を持ちだした時、心あたりがないではなかった。手持ちはなかったが、どこにいけば手にはいるか、あてがあったのだ。あれは、そう、確か『ワンダー・ウーマン、宇宙手品師と会う』だった。
わたしは本をくすねてきてやった。すると、ギャリは喜んで、ほらの吹き方だけではなく、次に披露する物語を聞かせてくれた。
「しだいに高まっていく笛の音を思い浮かべてみなされ」とギャリは言った。「笛なんて無いのじゃが、物語をはじめるにはムードをつくらなくてはいかん。さぁ、アラビァ海から一隻の船がやって来て、ジロロ島へ、つまり今、わしらがいる島へ流れつくと思い浮かべてみなされ。波と木々も思い浮かべてみなされ。今ある波や木のひいひいひい祖父さんにあたる波や木をな」
ギャリの語るところによれば、それは海賊が猖獗をきわめた一六二〇年のとある午後のことだった。ここ、モルッカ諸島は香料の島として、はや三百年の繁栄を謳歌していた。しかも、当地はメキシコやパナマ地峡から出帆したガレオン船がマニラへ向かう通り道にあたっていた。アラビア人、インド人、中国人といった地元の海賊は不面目にも制海権を失っていた。荒っぽい仕事に励んでいたのはイギリス人だった。諸島の交易を牛耳っていたのはオランダ人で、ポルトガル人はぱっとしなかった。東インド諸島では、勇敢で命知らずの海賊はいくらでも運に恵まれた。
海賊たちは島に着いた。そして、ウイリー・ジョーンズはこうした新来の荒くれ者のうちで一番若かったわけではない。
ウイリー・ジョーンズはウェールズ人だったといわれている。信じる、信じないはあなたの勝手だ。悪魔についても同じことがいわれている。ウイリーがついに自分の船を持ち、さまざまな国の荒くれ者を手下にしたがえた時、彼は二十五才になっていた。大三角帆を張った船は傴僂の鳥のように見えた。突然、オールの列が突き出されるや、翼が生えたよう。へさきのマスカットには鳥が彫刻されて、今にも飛びかからんばかり。船は空飛ぶ蛇号とも、翼ある蛇号とも訳せる名前で呼ばれていた。
「ここで、一休み」とギャリ。「ムードが大切じゃ。いろんな殺された方をした人間を思い浮かべてみなされ。すぐに血なまぐさい場面が出てくるじゃろて」
ある朝まだき、翼ある蛇号は立派なオランダ船に襲いかかった。餌食の船にカギ錨をかけてにじりよると、蛇号の男たちはオランダ船に乗り移った。オランダ船の乗組員は武装していたが、蛇号の浅黒い男たちが見せたような素早さ、残虐さは経験がなかった。甲板は血でヌルヌルすべるよになり、男たちはうめきをあげながら死んでいった。
「言い忘れたが、この事件が起きたのはモルッカ海からバンダ海にぬける水道じゃった」ギャリは言った。
オランダ船から蛇号に小さいが高価な積荷が移された。マラヤ人の腕利き水夫が数人、金貨が相当の枚数、書類、そしてマーガレットという名の鳶色のオランダ娘といったところだ。ウイリー・ジョーンズはそのいくつかを先手を打って自分のものにした。蛇号は立派なオランダ船の強奪をつづけた。そして、わずか数本の肋材になりはて、炎上しながら洋上を漂っていった。
「言い忘れたが、その背の高いオランダ船はルフトカステル号という名前じゃった」ギャリは言った。
ウイリー・ジョーンズの眼前でルフトカステル号は海中に姿を消した。彼は書類を検分し、鳶色のオランダ娘マーガレットを取り調べた。彼は不意に心を決めた。戦利品を売って、暫くの間、陸にあがろうと。
彼は書類からある島のことを知った。それは豊かな島で、ウイリー・ジョーンズがルフトカステル号の船底まで追い詰めた飛び切り裕福なオランダの香料商人の持物だった。荒くれ男たちはウイリー・ジョーンズが島を手に入れる手伝いをしてくれたわけだが、代わりに彼は船と縄張りと苦労して造りあげた手蔓をくれてやることにした。
ウイリー・ジョーンズは島をわがものにして統治した。船から持ってきたのは金と鳶色のオランダ娘マーガレット、そしてオマーンのユダヤ人三人の身の代金代わりに手にいれた三体のゴーレムだけである。
「言い忘れたが、マーガレットはオランダの香料商人の娘じゃった。島と立派な船の持ち主で、ウイリーに殺されたあの男のな」ギャリは言った。「だから、島は今はマーガレットのものということになる。父親の娘じゃからな」
一年の間、ウイリー・ジョーンズは小さな植民地を治めた。三体のゴーレムと前から住んでいた住民を使って香料を収穫し、梱包して倉庫にしまった(香料は同じ重さの銀と同じ価値があった)。また、大きな屋敷も建てた。そして、一年の間、鳶色のオランダ娘マーガレットに求愛しつづけたが、他の娘のように床に連れこむことはできなかった。
彼女が拒んだのは彼が父親を殺したからだった。そして彼女にとっては家であり、国でもあったルフトカステル号を破壊したうえ、島を奪いとったからでもあった。
だが、このマーガレットは愛くるしく、クチンの都のようにあでやかで、翼ある蛇号とルフトカステル号の戦いでは、一度に三人の水夫を風車のように振り回して海へ投げこんだ。彼女の眼はトンボの複眼のように輝よい、笑いと怒りを同時にきらめかせた。
「そうした娘たちは火山みたいなものじゃ」と男は言った。「すらりとした手強い山で、わしらは山を登るみたいに登るというわけじゃよ。男よ、あの山上の高みへ! 肩は笑う崖じゃ。ゆらゆらと──」
違ウ、違ウ! 最後ノ部分ハ取リ消シテクレ! ソノ話シハバーノ無駄話シガ元ジャナイカ。ソンナノハコジツケダ。
「言い忘れたが、彼女にはワンダー・ウーマンみたいなところがある」ギャリは言った。
ウイリー・ジョーンズは彼女は手つかずの貴重な賞品だと信じていた。もっとも、手をつけることができるかどうか自信はなかったが。彼は全身全霊をこめて彼女に求愛した。彼は住居にしている金緑の香料の庫という富を利用しもした。
「月に巣をつくるペルマタ鳥を思い浮かべてみなされ」ギャリは言った。「高貴な声を持つ鳥のなかでも、とりわけ高貴で情熱的な鳥じゃ。高く、高く舞上がる笛の音を思い浮かべてみなされ」
ウイリー・ジョーンズは次の曲をマーガレットにささげた。
三度目にめぐるはナツメグ月だっちゃ。
寄せ来る夜潮は絹のようにしどけないっちゃ。
大地揺れ動くはマーガレットが裸の足に踏まれたからっちゃ。
そも誰だっちゃ? かのコォエン花ペレパーの如き人っちゃ。
ウイリーはこの唄をマラヤ語で歌った。語尾はすべて「―っちゃ」の音で終わった。
「岩の斜面をほとばしる水流を思い浮かべてみなされ」ギャリは言った。「緑の茂みではしゃぐ赤鳥を思い浮かべてみなされ」
ウイリー・ジョーンズはもう一曲、マーガレットにささげた。
男を担えるほどか、かの
いまだ幼子なりし日より、待つはただ黒船だべえ、
天と齢もおなじ勇者うち乗せしというべえ。
さても何故に気づかないんだべ、われすでにここにあんべえに。
ウイリーはこの唄をオランダ語で歌った。語尾はすべて「―べえ」で終わる。
「もう一つの笛があらわれて、最初の笛にからみつくと思ってみなされ。二本の笛の音は、小鳥さながら、追いつ追われつ、飛びまわるとしてみなされ」ギャリは言った。
ウイリー・ジョーンズは最後の曲をマーガレットにささげた。
嗚乎恨めしい! 月光も「明日こそ」も何ものなもし。
とくござ編み、
小さき蟹だもんて家は自ら造りしなもし。
マーガレット、何故に炭集め、
なれなにゆえかくあらがいしなもし。
ウイリーはこの唄をウェールズ語で歌った。語尾はすべて「―もし」で終わる。
こうして一年が過ぎ、二人は結ばれた。わだかまりが解けたわけではない。父親を殺し、島を盗んだ男を許せるものだろうか。だが、二人の間には、しだいに睦まじさがうまれていった。
「ここで、五分間休憩じゃ。牧歌的な間奏曲を入れるかの」ギャリは言った。「バガン・カリ・ベルジュンパを歌うところじゃが、節は知りなさらんじゃろ。笛を吹くところじゃが、笛もなし」
牧歌的な間奏曲が終わった。
その時、ウイリーのかつての持ち船、翼ある蛇号が島にもどってきた。彼女は荒っぽくあつかわれ、見るも無残なありさまだった。古い血、新しい血の臭いがしみつき、乗せていたのは病で倒れた九人の男のみ。九人はウイリー・ジョーンズに船長にもどって頽勢を挽回してくれと懇願した。
ウイリーは九人の生きた骸骨を風呂にいれ、たらふく食わせた。三日後、彼らはでっぷりと太り、体力を回復した。そして、三体のゴーレムが船を修繕した。
「舵輪をもう一度力強い手で握ってやれば、この船は立ち直るんだ」ウイリー・ジョーンズは言った。「ぼくはまた海に乗りだして、一週間と一日だけ航海してこようと思う。新しい船乗りを仕こみ、この娘をもう一度香料諸島の恐怖にしたいんだ。ぼくはすぐにもどってくる。蛇号が血生臭い仕事に慣れたと確かめたらね。この娘はそのために生まれてきたのだもの」
「もし海にでたら、ウイリー・ジョーンズ、あんたは何年ももどらない」鳶色のオランダ娘、マーガレットは言った。
「せいぜい一年だ」とウイリーは言った。
「あんたがもどってきた頃には、あたし、お墓にはいっているわ」
「おまえを閉じこめておけるお墓なんてあるものか、マーガレット」
「そうね、閉じこめてはおけないかもしれない。もどってきたら、あたし、お墓から這い出して、あんたの目の前に出て来てやる。でも、たった二三年でも、お墓の中にはいってたら、ひどいことになってる。ここへ帰ってきた時、あんたはあたしのものでいてくれてるかしら。あたしが残していったままの女でいるかどうかだって、わからるかどうか。いいえ、わかるはずあるもんですか。あたしは火山なのに、憎しみの溶岩を押しこめて、あんたの言うことをきいた。でも、あたしを捨てて行くというのなら、あたし、噴火するかもしれない。あんたを金輪際ゆるしてなんかあげない」
しかし、ウイリー・ジョーンズは空飛ぶ蛇号と海にもどり、彼女を置き去りにした。彼は二体のゴーレムを連れて行ったが、一体はマーガレットのために残していった。
次から次へと事件がかさなり、彼は二十年間もどらなかった。
「ぼくたちはその朝、好奇心を満たすために、おどろが屋敷へ出かけた」と仲間が言った。「間もなく、島を永遠に去ることになっていたんだ。おどろが屋敷のことは知っているな。君もウイリー・ジョーンズ島にいたのなら。ジロロ人はどくろの家と呼んでいるが、マラヤ系や東インド諸島の連中はあの屋敷の話はしたがらない。
おどろが屋敷は一マイルと離れていなかった。大きな崩れかかった建物だったが、ふと、人が住んでいるような気配を感じた。誰もいないことになっていたはずなのだが。その時だ、女が二人──母と娘──目に入った。身震いが襲い、ぼくたちは何が何だかわからなくなった。そして、彼女たちの方に駆け寄った。
彼女たちは瓜二つで、見わけがつかないほどだった。その眼はきらきら輝き、夫を食べるという昆虫の複眼そっくりだった。真昼の稲妻だ! なんてまばゆい! その武器に人は薙ぎ倒され、骨が歌い出す! ぼくは知っていた、彼女たちが双子でなく、姉妹でさへないことを。彼女たちは母娘だったのだ。
あんな女に会ったのは初めてだ! あとの二人の兵隊の身に何が起こったのであれ、それだけの値打ちがあったことは確かだ。何が起ころうと、死んでしまえば、同じじゃないか! あの二人の女は完璧だった。たとえ、いっしょにいられるのが、五分間だけだったとしても」
「まるで、美人局だな」
違ウ、違ウ、違ウ! ソレハ出鱈目ダ。ギャリガワタシニ話シタノハ、ソンナ話ジャナカッタ。ソレハバーデ隣ノ男ガ喋ッタ話ノ方ダ。彼ノ話スコトハ混乱シテイルウエニ、前後ガメチャクチャダ。多分、軍隊時代、ウイリー・ジョーンズ島デ顔見知リダッタ気安サカラダロウガ。ダガ、再会シタ時ニハ、アイツハ頭ガオカシクナッテイタ。「世界中ニ広ガル火山帯ハ、伝説ノ分布トピッタリ重ナッテイル」ト彼ハ言ッタ。「ソシテ、ソノ下ニハ地底世界ガ広ガッテイルノダ。ボクガ世界中ニ行ケタノハ、ソノオカゲサ」デハ、彼ハ地底世界ニ出入リデキタトイウノカ。彼ノコトハヨク知ラナイ。三人ノ兵士ノウチノ誰ダッタカサヘワカラナイ。彼ラハ三人トモ死ンダト聞カサレテイタガ。「今度は陰謀騒ぎを思い浮かべてみなされ」とギャリは言った。「日が昇る前のビンロウジュ林でかわされるひそひそ話を思い浮かべてみるのじゃ」
「どうやったらあいつをおどかせるかしら?」マーガレットは自分のゴーレムに尋ねた。ウイリー・ジョーンズに置いてきぼりにされて間もなくのことだ。「だけど、この機械人間、本当におどかし方を教えてくれたりしたらどうしょう」
「秘密を教えてさしあげましょう」ゴーレムが言った。「わたしたちは機械人間ではないのです。ある種の秘密に通じた賢者は、自分たちが造ったと思いこんでいますが、それは間違いです。彼らはわたしたちが住処にしている家を造りましたが、それだけのことです。わたしたちのような住処を持たぬ霊魂はたくさんいて、こんな風な家を見つけて住処としています。ですから、わたしはどんな人だろうと、その奥底に潜む宿無し霊魂のことはよく承知しています。そうした霊魂を一つ選んで、ウイリー・ジョーンズをおどかしてやりましょう。ウイリーはウェールズ人ですが、養子縁組でオランダ人、マラヤ人、ジロロ人になりました。そうしたすべてに通じている古い霊がいるのです。時機が来たら、その霊を呼び出しましょう」
「言い忘れたが、マーガレットのゴーレムの名前は、メシュラットといった」ギャリは言った。
二十年の海賊稼業を終え、ウイリー・ジョーンズは自分の島にもどってきた。鳶色のオランダ娘、マーガレットが、別れた時と同じ若さ、同じ噴火寸前の不機嫌さで立っていた。彼は彼女に抱きついた。そして、雷の一撃。気がつくと、彼は砂の上にのびていた。
彼は驚かなかったし、(初めそう思いこんだように)首をはねられたわけでもなかった。いゃ、不愉快にさへ思わなかった。愛の行為の最中、マーガレットは凶暴性を見せるのが常だったから。
「でも、おまえにまた言うことをきかせてみせるぞ」ウイリーは誓った。口の中でかすかに血の味がした。彼は膝をついて立ち上がった。「一度はマーガレット虎を乗りこなしたぼくだ」
「あんたなんか、腰に乗せたげない、老いぼれの好色山羊さん」彼女の声は鐘の音のように響きわたった。「あたし、あんたの奥さんじゃないもん。あたしは、あんたが母さんの子宮に残していった娘だもん。あたしの母さんは丘の上のお墓の中だわ」
ウイリー・ジョーンズはいたく悲しんだ。そして、墓へおもむいた。
だが、マーガレットは後ろから近づき、残酷な言葉を見舞った。「言った通りだわ。やっぱり、あんた、もどってきても、あたしが前と同じ女かどうかわからなかった」彼女は高らかに笑った。「あんたには金輪際わからないのよ」
「マーガレット、やはりおまえだったのか!」ウイリー・ジョーンズは声をつまらせた。
「あたしがあんたの奥さんの年齢に見えて?」彼女はからかった。「よく見なさい! あたし、いくつに見える?」
「島に残していった時そのままに若い」とウイリーは言った。「でも、ビゾックの実を食べていれば、外見は変わらないはずだ」
「ビゾックの実の話をするのを忘れていた」とギャリは言った。「ビゾックの樹、またの名を明日の樹、時間の樹ともいう樹の実を食べると、年をとらないのじゃよ。その代わり、身の毛もよだつような災難がついてまわるがの」
「ひょっとしたら、食べていてよ」とマーガレットは言った。「でも、そこにあたしのお墓があるわ。あたし、何年もその中に寝ていたの、もう一人と同じに。あんた、あたしたちのどちらにも触れることができないのよ」
「おまえは母親の方か、娘の方か、魔女よ?」
「あんたには金輪際わからない。あたしたち、代わる代わるあらわれるから、両方と会えてよ。でも、どっちがどっちだか、あんたには見わけがつかないでしょ。いいこと、お墓はいつだってざわついているけど、人生への入口は静かなものなのよ」
「真実ならゴーレムから聞ける。ぼくのいない間、おまえの世話をしたゴーレムから」
「ゴーレムは人造人間じゃ」ギャリは言った。「ゴーレムは、大昔、ユダヤ人やアラブ人が造ったものじゃが、彼らは今では造り方を忘れてしまったと言っておる。それにしても、何であなたのお国ではゴーレムを造りなさらんのじゃ?
進んだ技をお持ちじゃろうに。ゴーレムのことは、お国の英雄文学にちゃんと出てくるし、絵にもなっておる」(彼は腕の下のマンガ雑誌をたたいた)「ところが、目下のところは、まだお持ちでないようじゃな」
ゴーレムはウイリー・ジョーンズに以下の経緯を話した。
確かにマーガレットには娘が生まれた。彼女は子供をなぶり殺しにし、中有の世界に移した。だから、子供は墓の中にいることもあれば、島を歩きまわっていることもあるわけだった。彼女は他の子供と同じように成長した。そして、マーガレットはといえば、ビザックの実を食べたので、年をとらなかった。
母親と娘が同じ年、同じ外見になった時(それはまさしく、ウイリー・ジョーンズがもどった前日のことだった)、娘の方もビゾックの実を食べはじめた。かくして、母と娘は永遠に同じ見かけを保ちつづけることになり、ゴーレムでさへ二人を見わけられないというのである。
ウイリー・ジョーンズは怒り狂って女のところにもどってきた。
「さっきからわかっていたが、今は絶対に自信がある。おまえがマーガレットだ」彼は言った。「いいか、これ以上、ぼくを怒らせるな」
「あたしたちは両方ともマーガレットだわ」彼女は言った。「それに、あたしは、あんたがさっき話しかけた方ではないわ。あたしたち、あんたがゴーレムのところに行ってる間に入れ代わったの。あたしたち、二人とも中有の世界にいるのよ。あたしたち、二人ともお墓の中で死んでいて、あんたは金輪際手を触れることはできないわ。オランダ人になり、マラヤ人になり、ジロロ人になったウェールズ人は、この霊を四倍以上も持っているのよ。悪魔でさへ、自分の娘には手をつけられないんだから」
最後の言葉は嘘だったが、ウイリー・ジョーンズは知らなかった。
「それなら、永遠ににらみあいをつづけるまでだ」ウイリー・ジョーンズは言った。「ぼくはおどろが屋敷を憎しみの家、どくろの家にしょう。おまえたちは屋敷の敷地の外へ出ることはできない。一度足を踏みいれた人間も同じだ。やって来た男は皆殺しにし、おまえたちのかたみに、どくろを高く積みあげてやる」
それから、ウイリー・ジョーンズはポポク・ルゥの樹皮を剥ぎとって食べた。
「言い忘れたが、怒りながらポポク・ルゥの樹皮を食べると、その怒りは永遠につづくのじゃ」とギャリは言った。
「もし、殺すお客が必要なら、あたしと母・娘とで、どっさり用意してあげる」マーガレットは言った。「男は危険もかまわずに、次から次へとここへ引き寄せられて来るわ。特別な種類のテラァ・ツントンを食べると、どんな男だって、死も厭わず、ここへ引き寄せられてしまうの」
「言い忘れたが、特別な種類のテラァ・ツントンを雌が食べると、雄はムラムラしてきて、引き寄せられて来るのじゃ」ギャリは言った。「あ、その笑いは疑っておるな。ビゾックの実とか、ポポク・ルゥの樹皮とか、特別な種類のテラァ・ツントンにそんな効き目があるはずないと思っておったんじゃろ。しかし、今は小さな子供のように薬草の不思議に驚いておろう。この諸島では薬草はそこらじゅうにある。それが判らぬほど、おぬしの眼は節穴だったのじゃ。こう言っておるのは、ものを知らぬ男ではないぞ。わしはお国の兵舎から失敬してきて、いろいろと本を読んでおる。『数式を使わない物理学』とか、『混沌から宇宙へ』、『頭を使わない心理学』とかをな。ハード・サイエンスだけではない。ソフト・サイエンスにも通じておるぞ。胡散臭いとか、お伽噺の世界の科学などと誤って呼ばれている分野じゃ。
二人マーガレットとウイリー・ジョーンズの性質からして、その後どうなったかは言うまでもあるまい」とギャリは言った。「何百年にもわたって、男たちは世界中から二人マーガレットのところへやって来た。あの母娘は身をつつしんだりはしないからのう。そして、ウイリー・ジョーンズは男たちを片っ端から殺し、どくろを積みあげていったのじゃ。ひどく野蛮な形ではあるが、美人局とか、アライグマの罠とよばれているものじゃな」
ギャリは顔は悪いが、人はいいマラヤ人だった。彼は基地の界隈で通訳をやっていたが、(生まれながらのジロロ語にくわえて)マラヤ語、オランダ語、日本語、英語、そして(ほらふきの常として)アラビア語を知っていた。英語はすこぶる達者で、アメリカ兵がオーストラリァ人に話しかけるところ、逆にオーストラリァ人がアメリカ兵に話しかけるところを物真似できるほどだった。
「そうとも、あれはアライグマだった!」男は言った。「灰色の毛並み、ギラギラ光る眼、偏平な顔、内股に重心を落として、鈎爪を立て、口を貝のように閉じてこちらをうかがっている! あいつらはぼくらに襲いかかった。でも、ぼくは思いきってもどって、もう一度やり直してみるんだ。女といちゃついて五分もしないうちに、何かが襲ってきた。今、何かと言った。人間かそうでないか、分からないからだ。もし、人間だとしたら、今まで出会ったうちで一番冷酷な人間にちがいない。しかし、あいつらは、あいつらを造った男の命令に従っていた。その男は顔面蒼白、憎悪の塊りとなって飛びまわっていた。あいつらはぼくらに襲いかかり、ぼくらを殺しにかかった」
違ウ、違ウ、ソレハギャリノシテクレタ話ジャナイ。ソレハ別ノ夜ニバーデ交ワシタ無駄話ノ続キダ。
三百年たったが、にらみあいは続いていた。屋敷にはマラヤ人、ジロロ人のどくろが積みあげられていた。オランダ人、イギリス人、ポルトガル人、中国人、フィリピン人、ゴア人、日本人、そしてアメリカ合衆国やオーストラリァから来た男のどくろも混じっていた。
「その朝、三人のアメリカ人が来たはずなのに、どくろは二つしか増えなかった」とギャリは言った。「三人は他の男たちと同じようにやって来おった。二人マーガレットが特別な種類のテラァ・ツントンを食べたからじゃ。交接中、雄が雌に命を捧げる種では(昆虫であれ、甲殻類であれ、他の何であれ)、雌がこのテラァ・ツントンを食べているというのは本当じゃよ。雄にそんな馬鹿な真似はするなと言うても、言葉だけでは聞くまいの」
「どうして、アメリカ人が三人いたはずなのに、二つしかどくろが増えなかったんだ?」と俺は訊いた。
「一人、逃げおってな」ギャリは答えた。「そんなことはめったにあるものじゃない。三人目になるはずの男は穴に落ちて、地底世界に入ってしまったのじゃ。じゃが、地底世界から自分の国に帰る道は長くて、しかも歩いてもどらなければならん。どこの国に帰るのであれ、最低二十年はかかろうの。そして、何とも妙なことに、そうした男は故郷に帰ろうとはせんものなのじゃ。
話はこれで終わりじゃ。しかし、いきなり終えてしまってはいかん」ギャリは言った。「節を覚えていたら、チャリ・ヤン・ベザァルの唄を歌いなされ。そして、笛の音が嫋嫋と消えていくさまを思い浮かべてみなされ」
「ぼくは二十年以上もさまよっていた。本当だぜ」男は言った。彼は手すりを信じられないほどの力で握りしめながら、浮かれた笑い声に身を揺すった。まるで骨が笑っているようだった。「この世界の下に、いゃ、角をちょっと曲がったところに、もう一つの世界があることを知ってたかい?
ぼくは毎日毎日歩きづめだった。ぼくは疑いにさいなまれていた。だって、間違った道をたどっているのかもしれないし、といって、別の道を選ぶことはできなかったのだから。それに、今自分が旅している地底世界は、すべて頭の中の産物ではないかという疑いがきざすこともあった。ぼくを殺そうと襲いかかってきた何かがくらわした恐ろしい一撃で、頭がどうかなってしまったというわけさ。もっとも、いろいろなことを考えあわせると、実在の場所に違いなかったがね。
ぼくは家へ帰ろうとしたのではなかった。帰ろうとしたのは、殺されるのであっても、あの娘たちのもとにだ。あっちの世界には色が無かった。すべて灰色だった。しかし、そうでなかったら、こっちと大して変わらなくなってしまうだろう。なにしろ、赤い雄鶏亭に似たバーまであったのだから。
(言い忘れていたが、島で知りあった兵士がこの話をしてくれたのは、赤い雄鶏亭というバーだった。)「あの屋敷へもどらなくては。今なら道はわかるし、どうやって行けばいいかもわかっている。そうなんだ、ぼくは地底世界を抜けていかなければならないんだ。もちろん、ぼくは殺される。あの乙女たちと愉しくできるのだって、五分もないだろう。でも、ぼくはあそこに帰らなくちゃならないんだ。でも、あと二十年はかかるだろうな。確かなのは、うんざりするくらい歩くということさ」
彼のことはよく知らない。名前が何だったかも思い出せない。しかし、テキサス州オレンジか、テネシー州ゴベィか、東部のどこかの州のボストンという町か、そのどこかの出身の男は、さらに二十年歩きづめに歩いて、鳶色のオランダ娘、二人マーガレットをさがし出そうとしていたのである。そう、そして死も。
昨日、俺は二三、調べ物をした。モルッカ諸島の麻薬に関するルヴェルの最新の研究があった。彼によれば、ビゾックの実は加齢を防止する効果を持つように見えるが、同時に、精神錯乱と性欲の異常昂進をもたらすという。また、ポポク・ルゥの苦い樹皮は最も穏やかな人間にも凶暴な怒りをもたらし、ある種のテラァ・ツントンは、摂取した女性に不可思議なオーラを与え、あらゆる男性を強力に引き寄せるということである。こうした麻薬類については、一層の研究が必要だとルヴェルは書いている。
マンドラゴの『地震』と『伝説と地底世界』にも目を通してみた。彼の説では、世界に分布する地震帯はまた伝説の分布地帯であり、そうした地域で行われている伝説のあるものは、地下に横たわる国についてのものである。この世界の下には地底界がひろがり、そこへ入った人間は永遠にさまようことになるという。
そして、次の夜──昨夜だ──、俺はまた赤い雄鶏亭に出かけた。例の男に会って、もっと納得のいく説明を聞けないかと思ったのだ。以前聞いたギャリの話を思い出したからである。
「いないよ。ちょうど町を出ていったところだ」バーテンは言った。「これから長い旅に出るんだそうだ。あれは一種のキ印だな。言ったじゃないか」
これで第二の物語にも結末がついた。しかし、いきなり終わるのはよくない。暫し余韻を味わおう。もし、節を覚えていれば、イツ・マサ・ダフルの唄を歌いたまえ。
笛の音が消えゆくさまを思い浮かべてほしい。笛はないが、物語はこうやって終わるものなのだから。
この翻訳は「空」とともに、1985年から1988年にかけて、個人的な楽しみのために訳したものです。1989年7月にラファティの短編五篇をあつめた『恐龍のシンデレラ』を七部だけつくり、ごく親しい人に配りました。