十人の批評家 日本篇

加藤弘一 石川淳 吉田健一 丸谷才一 大岡信 安東次男
小林秀雄 江藤淳 吉本隆明 柄谷行人 蓮實重

石川淳

 まず、『森鷗外』(岩波文庫)をあげたい。この評論は、それまで無用の人物を無用に考証した退屈な本と片づけられていた晩年の史伝と、傍系的な仕事と見られていた翻訳に高い評価をあたえ、その後の鷗外研究の方向を定めたとされている。

 その通りには違いないが、鷗外像を書き換えた点にも注目すべきだ。鷗外はドイツに留学し、陸軍軍医総監にまでのぼりつめた明治政府の顕官であり、最新のヨーロッパの文学を紹介した啓蒙家でありというように、新時代を牽引するハイカラな文学者と見なされていた。しかし、石川は儒学と読本という二つの切り口から旧時代の洗練を極めた学芸の継承者だと喝破し、江戸文化の残照の中に立つ鷗外という新しい鷗外像を打ちだした。

 もちろん、そのように鷗外が見えたのは、石川自身が江戸文化の残照の中で育ったからにほかならない。

 論集としては『文学大概』(中公文庫 品切)、『江戸文学掌記』(新潮社 絶版)があり、どちらも必読である。

吉田健一

 吉田健一は英文学者として出発した。エリオットやフォースターのような新文学を紹介する一方、娯楽小説もたくさん訳している。最初の著書が『英国の文学』(岩波文庫 品切)になるのは普通のことだったが、内容は普通ではなかった。チョーサーからはじめるのは普通として、ジョン・ダン(吉田はドヌと表記する)ら、形而上派の詩人を評価し、十八世紀の文学を特筆大書したのだ。どちらも従来の文学史では片隅の存在だった。

 つづく『英国の近代文学』(岩波文庫)はさらに過激で、近代を分裂と混乱の時代と規定し、堂々たる現代文学論を展開している。あくまで吉田健一の文学論であって、これを鵜呑みにして、イギリス文学のレポートを書くのはやめた方がいい。

 ここまではユニークとはいえ、英文学者の守備範囲だが、『ヨオロッパの世紀末』(岩波文庫 品切)になると、近代日本を代表する大批評家の仕事であることが、誰の目にも明らかになる。世紀末文学は十八世紀文学の復活だったという指摘は虚を突かれるが、その背景には十八世紀の文化こそがヨーロッパ文化の精華であり、フランス革命は堕落の始まりとする過激な文明観がある。姉妹編というべき『ヨオロッパの人間』(講談社文芸文庫 品切)の抱腹絶倒のウォルポール論とヴォルテール論を読むと、十八世紀のおもしろさがいっそうよくわかる。

 晩年、吉田健一は『ユリイカ』にエッセイを連載しつづけ、『覚書』以降の滋味あふれる本が生まれるが、今は入手できない。

 吉田の最後の大きな仕事は『時間』(講談社文芸文庫)である。この人の生涯のテーマは時間であり、あの独特の文体も時間をとらえるためにあみだされたのだということがわかる。

丸谷才一

 丸谷才一という名前は朝日新聞の文芸時評で知った。当時、わたしは高校生だったが、毎月、文芸時評が楽しみで、わくわくしながら月末を待ったものだ(その時の時評は『雁のたより』(朝日文庫 品切)にまとめられている)。

 時評が出るのが待ちきれなくて、ある日、『後鳥羽院 第二版』(筑摩書房)を読んだ。この本は決定的だった。何度も、何度も、くりかえし読んだ。最後の古代の帝王であろうとした後鳥羽院と、最初の中世歌人になってしまった定家の相克に、日本文学、ひいては日本文化の分水嶺を見るという壮大な構想にくらくらした。批評がこんなに面白いものだということをはじめて教えられた。

 『新古今和歌集』を日本文学の分水嶺とする見方は、『日本文学史早わかり』(講談社文芸文庫)によって、全貌があきらかにされている。小さな本だが、日本文学の核心を射抜いていて、21世紀の日本文学史はこの本をもとに書かれなければならないと思う。

大岡信

 吉田健一が『ユリイカ』に「覚書」を連載していた頃、大岡信も「文学的断章」というエッセイを連載していて、これがまた滅法おもしろかった。この連載は『彩耳記』、『狩月記』、『星客集』、『年魚集』、『逢花抄』……という題名で本になっているが、今は入手がむずかしい。

 本格的な評論としては『うたげと孤心』(同時代ライブラリー 品切)がある。孤独な営為と考えられがちな文学が、本当は共同体と伝統に支えられたものだったことを和歌と連歌を通した探った野心作で、多くを教えられた。続編が予告されていたが、『折々のうた』の連載がはじまったので、それきりになってしまったように記憶している。惜しいことである。

 筑摩の「日本詩人選」の一冊として出た『紀貫之』(ちくま文庫 品切)も忘れがたい。大岡の作家論は評伝的なものが多いが、伝記的事実がよくわからないのが幸いして、作品論の部分が多く、傑作に仕上がっている。

安東次男

 安東の名前を知ったのはエリュアールの翻訳者としてだったが、筑摩の「日本詩人選」から出た『与謝蕪村』(講談社学術文庫 品切)を読み、ここに大批評家がいると驚いた。蕪村といえば俳句と画であるが、安東は「澱河歌」という自由詩をとっかかりに、蕪村の世界にはいりこんでいく。論の立て方もすごい。作品しか語っていないのに、蕪村の生きた時代と社会が如実に浮かんで来るのである。

 「日本詩人選続集」で出た『藤原定家』(講談社学術文庫 品切)はさらに徹底していて、歌の評釈だけで勝負している。とっつきにくい本であるが、評釈という、間違えればすぐにボロの出る作業に自分を追いこんだ気迫が伝わってくる。定家論としては、小倉百人一首を一般向けに解説した『百首通見』(ちくま学芸文庫)も見のがせない。

 評釈の仕事は芭蕉七部集をあつかった『完本 風狂始末』(ちくま学芸文庫)で頂点をむかえる。これは昭和批評の金字塔として残ると思う。

小林秀雄

 小林秀雄は日本に批評というジャンルを定着させた功労者とされているが、正直言って、どこがおもしろいのか、わからなかった。「私小説論」や「Xへの手紙」は一応読んだが、議論を拒絶した頭ごなしの断定には応対のしようがない。

 『本居宣長』(新潮文庫)は労作にはちがいないが、若い頃、親しんだフランス象徴派の言語観を宣長の中に再発見して、よろこんでいるだけにしか思えない。

 そう思っていたところに、柄谷行人が編集した『小林秀雄初期文芸論集』(岩波文庫 品切)を読み、はじめて小林は批評家だったのだと納得した。

 小林のデビュー作「様々なる意匠」が『改造』の懸賞論文の第二席で、一席が宮本顕治の「敗北の文学」だったことからもわかるように、小林が文壇に登場した頃はマルクス主義批評の全盛期だった。当時の小林はまだ教祖ではなく、徒手空拳、マルクス主義と戦う若い格闘家だった。この本では、一番かっこよかった頃の小林が読めるのである。

江藤淳

 小林秀雄はすべてを達観したようにふるまっていたが、江藤淳は達観とは無縁の人だった。なによりも、24歳で上梓したデビュー作、『夏目漱石』(その後の論考とあわせて『夏目漱石 決定版』(新潮文庫)として文庫化)が達観を否定した本だった。それまでの漱石は悟りすました則天去私の人のように弟子たちに祭りあげられていたが、江藤の本は漱石を地べたに引きおろし、漱石像を一変させた。本格的な漱石研究は江藤のこの本からはじまるといっていい。

 漱石研究は江藤のワイフワークになり。大部の評伝『漱石とその時代』を死の直前まで書きつづけることになる(『道草』執筆時点までの第五部で擱筆)。

 重要な著作としては『作家は行動する』(講談社文芸文庫)と『成熟と喪失』(講談社文芸文庫)、『近代以前』(文藝春秋 絶版)がある。

 『作家は行動する』は題名とは裏腹に文体分析の本で、文章のみから作家に迫っている。江藤は英文科の出身で、ニュークリティシズムを自家薬籠中にしていたのだろう。

 『成熟と喪失』は第三の新人論だが、文芸批評を越えて、父性不在の戦後社会の批判となっており、この頃から江藤は社会評論の分野に本格的に乗りだすことになる。

 『近代以前』は江戸儒学に父性の淵源を探った本で、この方面をもっと究めてほしかった。

吉本隆明

 吉本隆明というと『定本 言語にとって美とはなにか』(角川ソフィア文庫)や『共同幻想論』が有名で、「理論家」ということになっている。「共同幻想」という言葉は残るだろうが、『共同幻想論』はどうだろうか。「共同幻想」や「アフリカ的段階」という造語はフランケンシュタイン博士の怪物のようなもので、吉本を置き去りにし、勝手に一人歩きをはじめているように見える。

 吉本理論は理論の態をなしていないと思うが、理論以外の短文にはすぐれたものが多い。『マチウ書試論・転向論』(講談社文芸文庫)のような初期作品や、『書物の解体学』(中公文庫 品切)のような論集は後世に残るだろう。吉本は長距離ランナーではないが、短距離のチャンピオンではあるのだ。

柄谷行人

 丸谷才一の『横しぐれ』を読むために「群像」という雑誌を初めて買ったが、そこに柄谷行人という未知の批評家の『マルクス その可能性の中心』(講談社学術文庫)という連載が載っていた。3回目か4回目だったと思うが、最初のページを読んだだけで、これはすごいと居ずまいを正したのを憶えている。こんな明晰な文章で哲学を語っている日本人がいたことに驚いたのだ。

 翌日、図書館でバックナンバーのコピーをとり、書店で『畏怖する人間』(講談社文芸文庫)と『意味という病』(講談社文芸文庫)を買った。『意味という病』の「マクベス論」で、この人は大批評家だと確信した。

 しかし、それから数年、柄谷行人の新作は読めなかったし、『マルクス その可能性の中心』もなかなか本にならなかった。後にわかったことだが、柄谷は当時、アメリカに留学中だったのである。

 帰国後、『マルクス その可能性の中心』を上梓してからの柄谷についてはよく知られているので、あらためて書くまでもあるまい。

 他に重要な著作としては『日本近代文学の起源』(講談社文芸文庫)と『内省と遡行』(講談社学術文庫)がある。

 『トランス・クリティーク』(岩波書店)はまだ読んでいないが、主著といえる本らしい。

蓮實重

 蓮實重 はフランス現代思想の紹介者として登場した。ドゥルーズやフーコーという大立者に直接インタビューした『批評あるいは仮死の祭典』(せりか書房)が当時放っていたギラギラした輝きは今となっては説明しにくい。

 蓮實は最新の文学理論を紹介する一方、実作に精力的に取りくんだ。『表層批評宣言』や『物語批判序説』は理論紹介のレベルで、実作とはいえない。実作といえるのは『夏目漱石論』(福武文庫 絶版)と『大江健三郎論』(青土社 絶版)、そして『「私小説」を読む』(中央公論社 絶版)、『小説論=批評論』(河出文庫 品切)に収録された論考群である。

 蓮實はポスト構造主義やテキスト派と見られているが、それは紹介レベルの話であって、彼の最もすぐれた実作といえる『夏目漱石論』はテマティック批評の傑作である。

 日本にはテマティック批評が十分紹介されないうちにポスト構造主義がはいってきたので、テマティック批評は忘れられた形だが、文芸批評として本当に可能性があるのはテマティック批評の方ではないかと思う。その意味でも蓮實の『夏目漱石論』は再評価される価値がある。

 もう一つ、蓮實の重要な著作として『小説から遠く離れて』(河出文庫)がある。この本を読んだ時の悔しさは忘れられない。他人の書いた批評を読んで、悔しいと思ったのは、後にも先にもこの本だけだ。

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