宇野千代うのちよ

加藤弘一

生涯

 小説家、エッセイスト、編集者、着物デザイナー。1897年11月28日、山口県岩国町に生まれる。岩国高女卒業後、代用教員になるが、恋愛事件をおこす。許婚の従兄と結婚し、札幌に移るが、1921年、「脂粉の顔」が時事新報の懸賞小説に入選。上京し、尾崎士郎を知り、従兄と離婚の後、同棲。数々の浮き名を流すが、取材で出会った東郷清児との恋では『色ざんげ』が生まれる。

 1936年、スタイル社を創設し、ファッション誌の草分けである「スタイル」創刊。協力者の北原武夫と再婚し、1938年には文芸誌「文体」を創刊。戦争がはじまると、両誌とも休刊を余儀なくされる。

 1942年、浄瑠璃人形にほれこみ、阿波に人形師を訪ね、その聞き書きをもとに『人形師天狗屋久吉』を発表、傑作『おはん』につながる語りものの文体を確立する。

 戦後、「スタイル」と「文体」を復刊し、着物デザイナーとしても活躍するが、北原との結婚生活が破局をむかえるとともに、事業も行きづまる。

 1983年、自伝『生きて行く私』を新聞に連載、女性に支持され、ベストセラーとなる。

 恋愛遍歴と服飾家としての活動で派手な印象があるが、フランス心理小説の伝統に学んだ作家で、彫琢をきわめた文体は静謐で、古典の格調をもつ。

 1996年6月、死去。98歳だった。

Copyright 1999 Kato Koiti
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