埴谷雄高はにやゆたか

加藤弘一

生涯

 1909年、台湾生まれ。小説家、批評家。日大除籍。幼児から体が弱く、青年期には結核で死を予期する毎日をおくった。多くの病をへたが、長寿をたもち、1997年2月19日、87歳で逝去。

 映画と演劇に没頭した学生時代の後、1931年に日本共産党に入党。翌年、検挙され、一年半の獄中生活をおくるが、この間、カントの『純粋理性批判』を読みふけり、以後の文学活動の基礎となる。敗戦後、平野謙、荒正人らとともに「近代文学」を創刊。安部公房、高橋和巳をはじめとする多くの後進を育て、「近代文学」は戦後派文学の拠点となった。

 「近代文学」創刊とともに連載をはじめた『死霊』はたびたびの中断をはさみながら、50年がかりで書きすすめられたが、死によってついに未完となった。埴谷の旺盛な評論活動やおびただしい対談は『死霊』を理解させるためにおこなわれたといってよく、文字どおりのライフワークとなった。埴谷は人脈的には戦後派文学の主流に位置したが、『死霊』は戦後派文学の枠組から突きぬけた傑作である。

 『埴谷雄高著作集』(河出書房、1971-1987年、全15巻、補巻 1巻)があるが、1998年から本格的な全集が講談社から刊行中である。

作品

Copyright 1999 Kato Koiti
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