安部公房『天使』解説

加藤弘一

 安部公房の未発表作品「天使」(「新潮」2012年12月号)に付した「解説」を全文掲載する。なお「解説」に盛りきれなかった材料は「『天使』解説・拾遺」に書いたので参照されたい。(Mar07 2013)

 没後二〇年を前に安部公房の幻の作品が発見された。「天使」である。

 「天使」は二二歳で書かれた三番目の小説ということになるが、冒頭で監禁病棟が全宇宙に、看護人が天使に反転し、「固い冷い壁だと思っていたものが、実は無限そのもの」だったという発見が語られる。『S・カルマ氏の犯罪』の最後で語られる認識はすでにここに予告されていたといっていい。

 こういう作品が書かれていたらしいとわかったのは『安部公房全集』第二九巻「補遺」に追加収録された高谷治宛書簡(一九四六年一一月五日付)による(高谷は成城高校と東京帝大医学部の一年後輩で、この後上京した安部をしばらく寄食させている)。満洲から北海道の母の実家に引揚てきたばかりの安部は疲労感をにじませながらも創作への思いを吐露する。

 船の中から、「天使の国」と言ふ短編を書き始めてゐる。それは或る狂人が、ふとした事で病院から逃げ出す。そして、其処を天使の国だと思ひ込むのだ。僕は此処で、別に現世が彼に対して矛盾を感じさせるとか、現世の無力とかを書かうとは思つてゐない。さうかと言つて、見方によつては此の世の中も天国である、等と言ふ感情的な事を書きもしなかつた。僕はやはり存在の一端に在つて、歌ひ、且つ呼ぶ事を試みた丈だ。狂人であつても、現世の人間であつても、存在に対して感ずる重い悲しみ、例へ、歌うたひつゝも尚ほ既に内在する悲しみは、絶えず天使的行為の代償として払はれねばならない。僕は唯、陰の中から夕映に炎え上る緑の草を、歌によつて此処に呼び止めたかつたのだ。

 その後話題は「金山の伝記」(後の『終りし道の標べに』)の構想に移る(金山とは小学校以来の親友の金山時夫で、中国人地区の農民の家に安部とよく遊びにいった。金山は安部の満洲における原体験を共有した人物といえる)。主人公の設定や行動など「天使の国」が「天使」であるのは明白であり、書簡時点でほぼ書きあげられていたと見られる。

 「天使」でなにより注目されるのは執筆時期である。

 一九四四年一二月安部は金山とともに東京から満洲にもどり引揚まで奉天にいた。奉天時代の創作は四五年四月四日という日付の記された「老村長の死」しか伝わっていないが、全集の作品ノートで四六年冬とされている詩集『没我の地平』(高谷宅で書かれたという見方がある)まで一年八ヶ月ほど空白がある。「天使」はこの空白期の作品であり、検疫も含めて約一ヶ月間におよんだ引揚船内の生活の中で執筆されたと考えられる。

 ここで原稿の現状について報告しておこう。

 本作は安部公房の実弟で母の実家を継いだ井村春光氏宅で発見された。春光氏は安部が特に気にかけた親族で、文学に関心があることから発表先の決まっていない作品を見せることがたびたびあった。

 原稿はA5判二四行のノートの断片に黒いインクで縦書に書かれているが、二七葉のうち一九葉目までが本作に使われ、残りは空白だった。長く筐底に秘められていたからだろうか紙の保存状態は良好だが、糸でかがられた綴目はばらばらになりかけている。安部公房の青年時代の筆跡であることは安部ねり氏と近藤一弥氏が確認した。

 自筆原稿の残る一五編の初期詩編のうちの二編とエッセイ「詩と詩人(意識と無意識)」はA5判二四行の「学用ノート配給株式会社」製ノートが使われていた。本作も同じ型番のノートだった可能性が高い。横書ノートに縦書し、左右に数行空白をあける書き方も共通している。

 訂正はあるが筆勢は一定しており清書稿と思われる。基本的に正字本仮名遣で書かれているが、掲載にあたり著作権継承者である安部ねり氏の判断により新字新仮名遣に改めた。

 作品がないと考えられていた敗戦から帰国までの期間をふりかえってみよう。

 敗戦後満洲の日本人は一転して難民となったが、居留民会という互助組織を各地でつくり秩序維持と避難民の救護にあたった。

 奉天の日本人人口は避難民で倍近くにふくれあがった。奉天居留民会が恐れたのは悪疫の蔓延だった。中国大陸にはチブスやペストが常在しており、戦乱で難民が発生するたびに大流行が起きた。はたして一九四五年一〇月発疹チブスが猖獗した。『満洲奉天日本人史』には居留民会の対応が記録されているが、ここに安部公房の父の名前が登場する。

 居留民会の衛生処では、市内の医師や看護婦を総動員し、旧日本軍医薬品の入手、軍病院や町の病院の活用に全力をつくした。検病、戸口調査、患者隔離、予防注射、虱駆除等の防疫工作を実施し、旧満洲医科大学内に予防ワクチン製造班を設け、三五万人分を作った。この防疫活動で石川精一医師のほか、南満医学堂出身の亀山正雄、阿部ママ浅吉の両医師が感染して殉職するに至った。

 南満医学堂出身とわざわざ書いているのは南満医学堂(後に満洲医科大学、敗戦後は瀋陽医学院)が奉天市民の誇りだったからである。大学の医師や学生は大車輪で動いた。特に日系学生三〇〇名は市内各所に診療所や薬局を開設し、難民の中にはいっていって診療奉仕にあたった。安部公房も大学こそ違え医学生であり父親とともに防疫に身を投じたが、本人もチブスに感染し四十度の熱が一週間もつづいた。

 安部ねり氏の『安部公房伝』に次の記述がある。

 新京の検疫所で、白衣の前をはだけてかっ歩している公房の姿が、同級生に目撃されている。検疫所で医者として予防注射を打つ仕事をしているようだった。同級生に「どうしているのか」と声をかけた公房は、「忙しい」と言ってすぐに立ち去ったという。

 これだけを読むと安部公房が贋医者をやっていたと思う人がいるかもしれないが(本人も贋医者をやっていたんだよとうそぶくかもしれない)、実際は生命を危険にさらして防疫活動にあたっていたのである。

 検疫所出張にはもう一つ目的があった。最近わかったことであるが、金山の死を聞いた安部公房は彼の母親と許嫁の身を案じ収容所を捜し歩いた。そしてついに見つけだし日本に連れもどしたのである。

 第一期引揚は一九四六年五月から一〇月までおこなわれ、一〇〇万人余が帰国した。安部公房は九月一一日に奉天を出たので第一期の最後の方になる。奉天では分区を一大隊として医師と看護婦をつけ無蓋貨車で西南三〇〇キロの葫蘆島に運んだ。船が払底していたので輸送にはアメリカ軍のLST(上陸用舟艇)が使われたが、安部公房は家族と金山の遺族を病人ということにして輸送船に乗せた。未完の小説「歴史の頁が(仮題)」(全集第三巻)の記述が現実を反映しているなら船には一二〇〇人が詰めこまれ、LSTよりも遅かった。しかも航海中にコレラ患者が出たために佐世保港を目前にしてなかなか上陸が許されなかった。発狂者まで出たと安部公房は自筆年譜に書いている。

 一九七五年の「続・藤野君のこと」(『笑う月』収載)では引揚船の内部が描かれている。

 うっかり便所(甲板に張出した、穴つきの杉板)に長居でもしようものなら、留守のあいだに自分の領分が半分になっていたりする。居場所を確保するためには、なるべく横になったまま、体を突っ張らせている必要があったほどだ。たまに死人が出たりすると、周囲の者がうらやましがられた。重病人の左右はつねに関心のまとだった。空間はまさに、食糧につぐ貴重品だったのである。

 ひどい環境だったが家族を食べさせる苦労からは解放された。ものを書く時間が生まれた。多くの死を経験してきた安部公房はペンをとった。

 全集第一巻ではじめて世に出た初期作品はいずれも中国人が主人公で人間愛が前面に出た作品になっている。後年の皮肉屋でこわもてのする安部公房とのあまりの違いに戸惑いをおぼえた読者はすくなくないだろう。

 「天使」には安部のシニカルな面が強く出ている。一九歳の時に書かれた処女作「題未定(霊媒の話より)」でもインチキな憑依現象が物語の鍵となったが、この作品では語り手も含めて全員が天使になってしまうのである。高谷宛書簡では人間と隔絶したリルケ的な天使という印象だったが、現物を読んでみると至高の天使とはいいにくい。

 「天使」は狂人の視点から描かれている。精神病院に監禁されていた主人公は病棟を脱けだし人々を驚かせながらさまよう。彼の妄想世界では看護人や通行人はみな天使で善意の塊であり、病院の外の世界は天界なのだ。いわばスウェーデンボルグの霊界探訪のパロディで、全編にグロテスクな滑稽感がただよっている。

 しかし籬から摘みとって上衣のボタン穴に挿した真紅の花を讃美する条では狂人の妄想を突き抜けた世界が片鱗をのぞかせる。

 「見給え、奇妙な此の輝き。死の花なんだ。此の赤はどうだろう。赤い、赤い。数億の魂が此の中に血を交わしたのだ。今にこぼれるだろうか、散って行くだろうか。宇宙の中で此の花弁はきっと大きな渦になって炎え上るだろう。死の花だ。天使達の、肯定と笑いを刻んで行く、そして而も永遠に遠い憧れであり夢である。不死の唇が、更に更に高い歌を歌わん為の」

 これは逆説的な生命賛歌であろう。安部公房は日本敗北後の混乱の中で家族と同胞を守るために戦い多くの修羅場を見たが、悲惨な体験を悲惨なまま描こうとはしなかった。引揚体験を売物にするような小説家にはなりたくないというダンディズムもあろうが、安部公房はパロディという形で生命賛歌を歌い上げた。われわれの知る安部公房はここにはじめてその片鱗をあらわしたといえる。

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