これまで安部公房の処女作とされてきたのは、一九四八年に真善美社から刊行された長編小説、『終りし道の標べに』である。後年、大幅な改稿の上、冬樹社から再刊するにあたり、安部は「この作品が、いまなお私の仕事をつらぬいて通っている、重要な一本の糸のはじまりであることを、否定することは出来ない。……中略……そう、これが私の処女作なのである」と書いている。
『終りし道の標べに』は馬賊の虜囚となった日本人が、ありもしない秘密のおかげで特別待遇を受けるという人を食ったシチュエーションではじまるが、全編に乾いたおかしみがただよっていて、まさに安部公房の作品となっている。その一方、若い筆者にありがちな生硬で観念的な表現が頻出するのも事実である。
こういう章句にぶつかると、安部公房にも若書きの時代があったのだなという感慨をおぼえる。『終りし道の標べに』は、いい意味でも悪い意味でも、処女作らしい処女作であって、一七年後に改稿するにあたり、大なたをふるいたくなったのも当然かとも思える。自我の最後の輪郭を失い始めていると言う自覚は、苦しい心の中でも消えずに脈打って、荒い郷愁の息づかいを全存在にふきかける。(『終りし道の標べに』)
『安部公房全集』の編集作業中に、『終りし道の標べに』に先立つ小説群が発見され、一〇代で書いた作品も出てきたという報に接した時、まず頭に浮かんだのは、真善美社版『終りし道の標べに』に輪をかけて生硬で、観念的な表現で埋めつくされているのだろうなという予想だった。
しかし、当の作品を読んでみると、予想はみごとにはずれた。同時期に書かれたとおぼしいエッセーの類は懸念した通りの生硬で観念的な表現が氾濫した若書きだったが、小説については、用字こそ古いものの、いずれもしなやかなこなれた文章で、読みはじめるとどんどん引きこまれてしまう。これが一〇代から二〇代にかけての若者の書いた小説かと目を見はった。
特にびっくりしたのは、一八歳の時に書きあげたと推定される「題未定(霊媒の話より)」である。四〇〇字詰原稿用紙で一五〇枚近い中編だが、ユーモラスな語り口から哀愁がつむぎだされ、人物も魅力的に描きだされていて、完成度の高さに驚嘆した。初期の安部には、『壁』に収録された諸作品のように、哀切なユーモアをたたえたものが少なくないが、本作の場合、イデオロギー臭がない分、哀切さがより純一できわだっている。
もちろん、これだけたったら、驚くべきことであるにしても、巨匠にしばしば見られる早熟神話の一つといえないこともない。修行時代のピカソが、みごとな写実的デッサンをものしていたというように。
「題未定(霊媒の話より)」が重要な作品−−正真正銘の処女作−−だというのは、安部的なテーマが、ある形で、明確にあらわれているからである。『終りし道の標べに』の再刊にあたり、安部はこの長編に「いまなお私の仕事をつらぬいて通っている、重要な一本の糸のはじまり」の存在を認め、「私の処女作なのである」と書いたが、その「一本の糸」はよじれながらも、未発表作品群をつらぬき、「題未定(霊媒の話より)」にまでいたっているらしいのだ。
「一本の糸」とはなにか?
「題未定(霊媒の話より)」は『安部公房全集』第一巻(新潮社)に収録されるが、まだなじみのない作品なので、まず、概略を紹介しよう。
主人公の花丸は田舎まわりの曲馬団で育った孤児で、生みの親については事実かどうか定かでないぼんやりとした記憶があるだけである。一八歳になった彼は、物真似の才能をいかして道化役として舞台をつとめているが、一座の雰囲気になじめないでいる。
ある村の興行で、出番を終えようとした彼は、客席に両親につれられてきた楽しげな二人の子供の姿を見て、強烈な印象をうける。「失われた人々のかすかな面影が再びそこに現われた様な気がした」からである。
その日以来、彼は心ここにあらずの状態になり、ついに曲馬団を出奔し、幸福な一家を見かけた村に舞いもどる。その村の人々が皆なつかしく思え、自分の家族がいるにちがいないという想念に憑かれてしまったのだ。
村にもどった彼は、宿屋に泊まって家族さがしをつづけるが、見つかるわけがない。所持金がつきてきて、万事窮した時、たまたま裕福な地主の姑が自動車事故にあうのを目撃する。彼はとっさに、芸人仲間から聞いたインチキ霊媒の話を思いだし、地主の家にはいりこもうと思いつく。
彼は事故の報がとどくよりも早く地主の家にいき、物真似の才を使って、姑の霊が憑依した演技をする。一か八かの賭はあたり、息子夫婦は姑の身代わりとして彼を家におき、大切に世話をするようになる。夫婦に子供がいないことから、彼を養子にしようという話ももちあがる。地主の家の跡取になれるかもしれないのだ。
すべてがうまくいくかに思われた時、彼は姑を殺したのは自分ではないかという根拠のない罪悪感に襲われ、精神の平衡をうしなう。そして、ついに地主の家からも逃げだしてしまう。
見られるように、これは典型的な「醜いアヒルの子」の物語であり、本当の親さがしという「ファミリー・ロマンス」(フロイト)である。その母胎となっているのは、今、ここに、このようにある自分を生みだした現実の親を否認し、どこかに真実の親がいるはずだという夢想である。
この夢想は、一九四七年五月に書かれたと見られる「白い蛾」という短編では、よりナイーブな形で語られる。語り手は白蛾丸という真っ白な船を所用で訪れたところ、船長から船の名の由来となった白い蛾の標本を披露される。その蛾は十年ほど前、彼の船室に迷いこんできたもので、白いバラにすがりついている姿に強い印象をうけ、標本にして保存しているものだという。語り手はその話から、ただちに一編の童話を組み立てる。
港に近い森の虫の世界の中に、突然変異で真っ白な蛾が生まれてくる。白い蛾は目立つことから、「虫全体の妬みと敵意」を買い、鳥に居場所を密告されて、森を逃げだす破目になる。いよいよ最期と追いつめられた時、たまたま自分と同じ色の船が停泊しているのを見つけ、保護色になる船にかろうじてたどりつく……。
保護色の場所を「故郷」という言葉に置き換えるなら、『終りし道の標べに』もまた同じ類型の物語だといえる。
主人公のTは故郷さがしの旅をはじめた日、愛する人とかわしたはずの言葉を回想する。
存在論の用語で語られているので難解な印象を受けるが、「題未定(霊媒の話より)」、「白い蛾」とたどってきた上で聴きとれば、その意味するところは明確である。Tは花丸や白い蛾と同じく、本当の故郷を目指して旅をする「醜いアヒルの子」なのである。むろんそのように僕らは「在る」のだろう。しかしもっと別なように「在る」ことが何故不可能なんだ。別様に……そしてやはりそのように……そして結局このように……それが現象を呼び出す存在の象徴なんだよ。分るかい。象徴は現象ではない。僕らはその中に潜入する。忘却する。そして存在の故郷を作り出すのさ。(『終りし道の標べに』)
ひるがえって考えるなら、安部の作品は、『砂の女』をはじめとして、「醜いアヒルの子」の物語を下敷きにしていることに気がつく。「醜いアヒルの子」という一本の糸は、『飛ぶ男』にいたるまで、安部の小説をまっすぐつらぬいていたのである。
だが、この糸は、『終りし道の標べに』のところで、大きくよじれてもいる。
本当は未発表のエッセイ群と対比し、存在論の用語を子細に検討した上で議論を進めなければならないのだが、紙幅が尽きてしまったので、結論だけ書こう。『終りし道の標べに』では、本当の故郷はせつなく希求されていると同時に、断念されてもいる。本当の故郷など存在しないのだ。ちょうど、馬賊たちが彼が隠していると思いこんでいる「秘密」のように。「存在」ではなく、「存在象徴」という言葉が選ばれているのも、あるのは本当の故郷ではなく、現にここに「斯く在る」事物だけだという認識のゆえである。題名にある「終りし道」とは、本当の故郷への旅は終わったという意味であり、その終りを確認する作業がこの小説なのである。
「題未定(霊媒の話より)」を十八歳で書きあげた安部公房(きみふさ)は、早熟で才能ゆたかではあったが、そのまま大成したとしたら、マイナーポエットで終始したかもしれない。その安部公房(きみふさ)が、われわれが知る安部公房(こうぼう)となるには、ある終りと出発を経なければならなかった。その終り・出発の地点に建つ記念碑が『終りし道の標べに』というもう一つの処女作なのである。
Copyright 1999 Kato Koiti