5月の安部公房全集発売を前に、没後発見された未発表作品三篇が「新潮」1997年3月号に掲載されることが、朝日新聞1997年1月15日朝刊で報じられた。
今回、掲載されるのは43〜45年に書かれたと見られる「老村長の死」、47年の「白い蛾」、48年の「悪魔ドゥベモオ」。また、未発表の詩は「波」に掲載される。
なお、朝日の記事では、安部が19歳の誕生日(1943年3月7日)に書きはじめられた「題未定 (霊媒の話より)」という原稿用紙150枚近い習作も紹介され、この作品が安部の第一作だろうとしている。(Jan17; Updated on Jan28)
昨年10月の安部ねりさんのインタビューでは、安部公房の遺作、『飛ぶ男』が『スプーン曲げ少年』と改題の上、1997年2月に新潮文庫にはいるということだったが、文庫版の刊行は延期されることになった。
(この問題については、「國文學」の安部公房特集号に李貞煕氏の詳しいレポートが載ることになったので、同誌を参照のこと。)(Jun26)
初期の安部公房に深い影響をあたえ、処女作『終りし道の標に』を世に出す上でも尽力した埴谷雄高氏が、2月19日、脳梗塞のため、吉祥寺の自宅で逝去された。
故人の意志で葬儀はおこなわれないが、無宗教形式の「お別れ会」が2月24日、午後5時から、地下鉄丸の内線新宿御苑前の近くの大宗寺でおこなわれる。「来るものは拒まず」が埴谷氏の原則だったから、読者の参列ももちろん大丈夫だ。平服でもかまわないということだが、心配なら、喪章や黒いネクタイを締めるのもよいかもしれない。(Feb20; Updated on Feb21)
3月24日、モスクワでおこなわれた第3回「黄金のマスク」演劇祭で、安部公房原作『砂の女』(オムスク・アカデミー・ドラマ劇場公演)が主演女優賞、主演男優賞、演出賞をとった。
『砂の女』はニフォロワ脚色、ウラジミール・ペトロフ演出による二人芝居で、男はミハイル・オクネフ、女は日本の荒木かずほ(東京芸術座所属)が演じた。オムスク・アカデミー・ドラマ劇場は、西シベリアのオムスク市に本拠をおく地方劇団だが、この芝居は、1996年10月、同市で開かれた「日本の文化と芸術のフェスティバル」で初演されて反響をよび、モスクワでも喝采をはくした。(Mar26; Updated on Apr09)
巻頭に岸田今日子氏の談話をかかげ、新発見の作品から没後刊行の『飛ぶ男』にいたるまで小説の流れをおい、さらに演劇と評論もとりあげるという。全集によってはじまる安部公房再評価の第一弾として期待したい。(Jun09)
目次が入手できたので、以下に紹介する。(Jun26)
7月10日の安部公房全集刊行を前に、未発表作品を紹介した三浦雅士氏のエッセイが「波」に掲載された。(Jun26)
安部スタジオの主宰で、9月7日から 27日まで、草月会館を会場に、安部公房と演劇・映画をめぐる大規模なイベントが催されることになった。ドナルド・キーン氏と辻井喬氏の講演、安部をよく知る演劇人・映画人によるシンポジュウム、映画「おとし穴」と「時の崖」の上映、安部スタジオの上演した「仔象は死んだ」と「ウェー」の記録フィルムの上映という貴重な内容で、安部の活動を知るまたとない機会である。
参加費は前売 2500円、当日 2800円、通し券 8000円で、7月26日からチケットセゾン、チケットぴあから発売される。
また、これと平行して、若い俳優・演出家向けに、「安部公房システム・ワークショップ」がベニサンの森下スタジオで開催される。安部の生みだした独自のエクササイズを、安部の愛弟子たちが直に伝えるもので、安部の演劇的思考に近づく唯一の道である。
期間は 9月17日〜27日、毎日午後 1時〜 5時までの予定。参加費は八日間通しのみで 35000円。先着50名で締切となる。(Jul09)
テーマ | 日時 | 上映 | 講演 | シンポジュウム |
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安部公房と映画 | 9月 7日(日)2時 | 「おとし穴」(1962) 監督:勅使河原宏 |
草壁久四郎、勅使河原宏、 井川比佐志、矢野宣 |
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安部公房と演劇 | 9月20日(土)2時 | 「時の崖」(1971) 監督:安部公房 |
「劇作家・安部公房」ドナルド・キーン | 石沢秀二、尾崎宏次、清水邦夫、森秀男 |
安部スタジオの目ざしたもの | 9月21日(日)2時 | 「ウェー」(1975) 安部スタジオ公演 |
石沢秀二、田中邦衛、井川比佐志、扇田昭彦 | |
安部公房とその可能性 | 9月28日(日)2時 | 「仔象は死んだ」(1979) 安部スタジオ公演 |
「甦る安部公房」辻井喬 | 巽孝之、難波弘之、鴻英良、コリーヌ・ブレ |
7月11日の安部公房全集刊行を記念して、新潮ブックジャーナルで 7月9日から17日まで、安部公房の肉声を流している。電話番号は、03-3269-4700。
内容は『方舟さくら丸』(1984年11月録音)と『カンガルー・ノート』(1991年11月録音)の自作解説。わずか七年間だが、声質も話し方もまったく変わっている。録音の前年、安部公房は脳梗塞で倒れ、闘病中だった。(Jul09)
7月11日、待望の安部公房全集の第一巻がついに発売された。19歳の誕生日に書きはじめた「題未定(霊媒の話より)」をはじめとする未発表小説群にくわえて、長い間名のみ有名で、読むことの出来なかった『無名詩集』、存在すら知られていなかった詩集『没我の地平』など、はじめて紹介される作品が巻の半分近くをしめている。
文学者の全集としては、おそらく日本ではじめてと思われる総編年体による配列もすごい。書簡、小説、詩、書簡、詩、詩、エッセイ……とジャンルを横断して、執筆順にならんでいて、読み進むうちに、作家安部公房の誕生に立ち会っているような臨場感をおぼえ、どきどきしてくる。
内容もさることながら、近藤一弥氏による装丁も斬新である。箱はボール紙製で、一見地味だが、長方形の穴がくりぬかれていて、白銀色の瀟洒な布貼りの本を抜きだしてから中をのぞくと子供時代の安部の写真が見える。なんと箱の内側に写真が印刷されているのである。箱男の箱に見立てたわけで、天国の安部公房が知ったら大喜びするだろう。
漏れ聞くところによると、もっといろいろな工夫を考えていたということだが、5700円という定価が決まっていたので(5800円になると、一万円に近い印象をもつ人が多いという調査があるとか)、予算とのかねあいで、これがぎりぎりだったそうである。限られた予算の中でとはいえ、書物として手元において誇りに思える全集が出来たことは、ファンとしてうれしい限りだ。
月報には、安部公房ゆかりの人からの聞き書きが掲載されている。第一回は奉天の小学校時代の友人の語る安部公房。これも楽しみである。(Jul13)
毎日新聞八月六日夕刊の文化面に、安部ねりさんの「『安部公房全集』を刊行して」が掲載された。医者としての教育を受け、文学に縁のないまま、両親のあいつぐ不幸で著作権継承者になり、全集を編集することになった戸惑いと、完全編年体を必然と考えるにいたった経緯を抑制のきいた文章で語った好文章である。
『無名詩集』をはじめとする初期の詩について、はじめて読んだ時は青年の内発的な悩みを書きつづったセンチメンタルな作品と受けとったが、NHKの番組の取材のために奉天の旧宅を訪れたり、満鉄宿舎の瓦礫の上に立ったりするにつれて、敗戦の混乱の体験にもとづくものだと確信するようになり、生前、公開をこばんだのは、詩の背景がわからなくなってしまったからだと気がついたという。
初期詩編の読み方を示唆する重要な証言である。(Aug06)
「週刊読書人」の1997年8月22日号の1面と2面に、「安部公房の文学──「安部公房全集」全28巻・別巻1の刊行を機に」と題された、辻井喬氏と勅使河原宏氏の対談が掲載された。
勅使河原氏は安部が「世紀の会」を結成した時以来の同志で、『砂の女』など、一連の傑作を映画化したのは御存知の通り。辻井喬氏は、成城高校の後輩にあたり、安部スタジオの後援者でもある。
「世紀群」というガリ版刷りの雑誌を出していた当時の奮闘ぶり、三島由紀夫まで入党させようとしたという戦後の一時期の共産党、映画化された自作に対する安部自身の評価、安部スタジオ誕生から解散までの経緯と、興味深いエピソードが多数語られている。(Aug28)
先に紹介した「安部公房スタジオ・プロジェクト」の一環として、草月会館でおこなわれた「安部公房・演劇の仕事」の9月20日、21日の催しを報告する。
20日は安部公房監督、井川比佐志氏主演の「時の崖」のビデオ上映の後、ドナルド・キーン氏が安部との交遊を回顧し、たくまざるユーモアで会場をわかせた。安部スタジオの最後の公演となった「仔像は死んだ」は、セリフの面白さとは別の方向に行った点は、文学者安部公房のファンとしては不満だが、パフォーミング・アーツとして時代に先んじた成功作で、ニューヨーク公演でも絶賛を博し、最終日には切符をとろうと乱闘騒ぎになったという。
石沢秀二氏氏の司会で進められた座談会では、安部は演劇批評家に対して厳しかったという尾崎宏次氏の発言を受けて、清水邦夫氏は、後輩の劇作家にはあたたかい人だったと語り、「狂人なをもて往生をとぐ」の俳優座初演が安部の尽力で実現したこと、清水氏の代表作の「楽屋」が「制服」から強い影響をうけていること、壁にぶつかって相談すると、一晩中つきあってくれたことなどを語った。清水氏は、安部が批判した大地の演劇系の旗手である蜷川幸雄氏との共同作業を通じて重要な作品を発表してきた人だけに、安部との係わりがこれほど深かったというのは意外だった。
1960年の訪中新劇団の公演で、安部の「石の語る日」が上海での演劇学校生徒を前にした、たった一回だけの試演にとどまった経緯が、当事者でもあった石沢氏と尾崎氏の口から語られたのも、興味深かった。
21日は「ウェー」の上演記録フィルムをビデオで上映後、ふたたび石沢氏の司会で、俳優座をやめて安部スタジオに参加した井川比佐志氏と田中邦衛氏、演劇記者として当時をよく知る扇田昭彦氏による座談会がおこなわれた。
井川氏は1969年の「棒になった男」初演で、安部演出に出会った感動を熱っぽく語り、当時、俳優座幹事会議長という重責をになう立場にいながら、俳優座を飛びだして安部スタジオ創立に参加した間の思いを披瀝した。
田中氏は俳優座に入団した年に、いきなり「幽霊はここにいる」の主役に抜擢された戸惑いを、田中氏ならではのユーモラスな語り口で語った。安部スタジオの旗揚げ公演となった「愛の眼鏡は色ガラス」では、台本がないまま、遊びともトレーニングともつかない稽古にはいり、役者の間でかわされた会話が、安部の手でいつの間にか戯曲化されるという魔法のような演出法がとられたという。
この演出法が、やがて安部スタジオの集団製作へと発展していき、井川氏、田中氏、仲代達也氏らのベテラン組が活動から遠ざかっていく契機となるのだが、井川氏たちから離れたのではなく、安部自身が桐朋学園の安部ゼミからスタジオに参加した若手を中心にする意向をもっていたことが明らかにされたのは、重要な収穫だった。
次々と語られる新事実もさることながら、井川氏、田中氏という当代随一の名優によるボケとツッコミのかけあいは絶妙で、これだけ面白い座談会はちょっとない。活字という形ではなく、ビデオという形で公開してほしいと思った。(Sep21)
全集の第二巻が9月8日に刊行された。この巻には 1948年 6月から 1951年 5月までに発表・口述・執筆された作品と講演、座談会、書簡が収録されている。
この巻には、新潮文庫の『水中都市・デンドロカカリヤ』と『夢の逃亡』、『壁』にはいっている作品が多いが、単行本刊行時に大幅に改稿されているものは、初出時の形で収録されている。たとえば、「デンドロカカリヤ」は短い創作ノートといっしょにはいっているが、今まで知られていたテキストとはまったくの別物の二人称小説で、驚かされる。
「虚妄」、無題で<友を持つということが>ではじまる中編、「キンドル氏とねこ」という掌編などの未発表小説、「鴉鳥」などの単行本未収録小説がはいっているが、「鴉鳥」は不気味なエネルギーを感じさせる傑作である。<友を持つということが>は、『燃えつきた地図』につながっていく作品だろう。
単行本未収録のエッセイや座談会も興味深い。第一巻でも、後期ハイデッガーがリアルタイムではいってきていたが、この巻ではハイデッガーに加えて、医学思想というか、唯物思想がはいってきているように思われる。花田清輝、岡本太郎、埴谷豊高といった錚々たる人々と交友を深めることで、関心が広がっていく時期だということがよくわかる。(Oct12)
1998年の新年早々、安部公房が1959年から69歳で亡くなるまでの34年間、住まいとしてきた調布市で、調布市文化・コミュニティ振興財団と朝日新聞社の共催による「安部公房展」が開かれる。
会期は 1月 6日(火)〜 2月15 日(日)10:00〜18:00で(1月26・27日は休館)、展示・行事とも入場無料。「安部公房全集」編集過程で発見された処女作、題未定『霊媒の話』の自筆原稿や、これまで処女作とされていた『終りし道の標べに』が実際に書かれていた三冊の大学ノートの展示、国内で初の遺品の公開、安部真知夫人のスケッチや作品の展示がおこなわれるほか、映画化作品の上映会や講演会も開かれる。
展示は京王線調布駅下車徒歩3分の調布市文化会館たづくり(〒182 調布市小島町2-33-1)の 1階展示室で、上映と講演も同文化会館の12階大会議場と映像シアターでおこなわれる。(Dec09)
会場 | 月日 | 時間 | 収用人数 | 種別 | 内容 |
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大会議場 | 1月15日(木) | 12:00〜13:50 | 200人 当日受付 |
映画 | 「おとし穴」 勅使河原プロ |
14:00〜16:00 | 「砂の女」 勅使河原プロ |
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1月21日(水) | 19:00〜21:00 | 「他人の顔」 勅使河原プロ |
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1月23日(金) | 19:00〜21:00 | 「燃えつきた地図」 勝プロダクション |
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映像シアター | 1月24日(土) | 12:00〜13:00 | 100人 事業課へ電話申込 |
ビデオ | 「虫は死ね」 北海道放送 |
13:00〜14:00 | 「目撃者」 rkb毎日放送 |
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大会議場 | 14:00〜16:00 | 200人 事業課へ電話申込 |
講演 | 「安部公房最後のメッセージ」 小山鉄郎(共同通信文化部次長) |
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映像シアター | 16:30〜17:00 | 100人 事業課へ電話申込 |
ビデオ | 「時の崖」 安部公房スタジオ |
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17:10〜18:10 | 「仔象は死んだ」 安部公房スタジオ |
第三回「黄金のマスク」演劇祭で主演男優賞(ミハイル・オークネフ)、主演女優賞(荒木かずほ)、演出賞(ウラジミール・ペトロフ)を受賞した国立オムスク・ドラマ劇場の「砂の女」の日本公演が、来年、おこなわれる。主催はフジテレビ。後援は文化庁、国際演劇協会日本センター、ニッポン放送、産経新聞社、フジアール、ロシア連邦文化省、ロシア連邦大使館、オムスク州行政府。
期日は 3月12日〜17日。場所は池袋西口の東京芸術劇場小ホール1。料金は前売 5000円、当日 5500円。16日 14:00〜17:00には、演出家のウラジミール・ペトロフ氏を招いて「ロシア演劇の現状」というパネル・ディスカッションもおこなわれる。
オムスクは、昨年、創建280周年が祝われたシベリアの地方都市で、ドストエフスキーが流刑にされた地として知られている。国立オムスク・ドラマ劇場は 1874年創設で、シベリア地域の中心的な劇団である。(Dec18)