題名からすると、また最近流行の江戸の呪術解読もの二番煎じで、天海上人がどうのこうのという話だろうなと思ったが、この本は一味ちがう。呪術解読ものにはちがいないけれども、本書の中心になった文章は1985年に発表されていて、一連の類書の種本にあたるものだったのだ。呪術によって結界された魔界都市、江戸の発見は本書の冒頭におかれた「徳川幕藩制国家の呪的都市計画」をもって嚆矢とするようである(荒俣宏氏の『帝都物語』の方が早い?)。
本書はプライオリティがあるというだけではなく、徳川幕府が単なる政権であっただけでなく、東国王権でもあったという観点につらぬかれている。国家というのは怖い部分がないとなりたたないらしく、怖さをいかに演出するかで、国家の安定度がきまってくる。このあたりが論じられるようになったのはまだ新しく、徳川将軍家が天皇家とは別の王権だという説はこれからの課題だろう。
著者による江戸の都市計画の解読はあくまで徳川将軍家の王権を解明する試みの一環なのである。類書のように地図を操作するだけで終わるのではなく、将軍家がにぎにぎしくおこなった数々の儀式や、民間信仰も対象となっている。建物や都市計画はあくまでハードウェアにすぎず、王権が王権として呪的な威光を発揮するには(民衆を怖がらせるには)、儀式や民間伝承というソフトウェアが必要なのだから、当たり前といえば当たり前だが。
著者は徳川王権を解明する大著を準備中だそうで、本書はあくまで一般向けの「予告編」にすぎないらしい。実際、インタビューがあったり、座談会があったりのよせあつめ状態であるが、民俗学者の宮田登氏と上野寛永寺執事で歴史学者の浦井正明氏をまじえた鼎談はよそでは読んだことのない話がいろいろつまっていて、一読の価値がある。
著者は一連のオウム事件で「戦犯」あつかいされ、謹慎をよぎなくされたという噂もあるが、この騒動、思想家中沢新一にとっては(そして読者にとっても)、かえって幸運だったかもしれない。じっくり腰をすえて書いたとおぼしい『純粋な自然の贈与』がすばらしい本に仕上がっているからだ。
中沢氏の本は『野うさぎの走り』あたりから水増しという印象がぬぐえなかった。刺激的だし、おもしろいものの、『チベットのモーツアルト』や『雪片曲線論』のレベルにとどいていないのではないかという思いがあったのだ。今回の本は初期の論集をこえる傑作ではないかと思う。
キリスト教の三位一体論の歴史の中に聖霊と資本の隠微な関係を位置づけた序文や次の「すばらしい日本捕鯨」もみごとだが、三番目にくる「日本思想の原郷」は度会行忠と『問はず語り』の作者の出会いを発端に、原始神道から本居宣長の国学にいたる日本思想史の隠れた水脈を掘りおこした瞠目すべき論文である。
このあと、二篇のゴダール論とバルトーク論をはさんで、書き下ろしの「新贈与論」と「ディケンズの亡霊」からなる後半にはいる。
後半の二つの論文では霊の種々相をさぐった前半の考察を文化人類学の視野におきなおし、旧石器時代以来の人類史のなかに位置づけようとしていて、それがみごとに決まっている。
著者はイワシ漁の基地としてしられる館山の水産試験場につとめる技師である。中央の学会からはあまり重んじられてはいないらしいが、30年間、地域の漁民に漁況予報を発しつづけ、みずから「イワシの予報官」を任じている。漁労長から重要なデータの提供をうけることもあれば、船主から事業展開について相談をうけることもあるというから、「町医者」的な役割をはたしているのだろう。
豊漁となる魚種が数十年単位で交替するについては気候変動説、自転速度変化による海流変動説など、何冊も本が出ているが、マイワシの資源量の変動が直接の原因となって、他種の魚の変動を引き起こすというのはほぼ定説になっているらしい。なんらかの原因でマイワシが増えると、餌となるプランクトンを食べつくしてしまい、サンマやカタクチイワシやマサバが減少するが、マイワシが減ると、他種が増えるチャンスがめぐってくるというわけである。
著者はマイワシの増減の原因はマイワシ自身の生態の変化にあるという。というのも不漁期のマイワシは栄養状態がよく、成熟も早いが、豊漁期には魚体がやせ、成熟にも1〜2年よけいにかかるというように、あきらかに生態が変化しているからだ。豊漁期には餌をもとめて回遊範囲がひろがり、産卵場所もひろがっていくが、極限までひろがってしまうと、ちょっとした気候変動で稚魚の大量死がおこり、一気に不漁になっていく。このマイワシ自己振動説は現在、かなり有力らしい。著者には悪いが、マイワシは海のイナゴのような存在なのかもしれない。
著者によると、人間の乱獲防止くらいではマイワシの豊漁・不漁の波をならすことはできないが、不漁期にはいったところで、マシラスの全面禁漁をおこなえば、落ちこみをある程度なだらかにできるのではないかという。
村上龍の本は出たらすぐに読むのだが、この本はしばらく積ん読の状態だった。題名が『料理小説集』という村上にしては出来のよくない短編集に似ていたからだが、なんの気なしに手にとって目次を見ると、60年代、70年代に公開された名画の題名がならんでいて、名作『恋はいつも未知なもの』を踏襲した連作であることがわかった。最初の作品を読みだすと、すぐに傑作だと直感した。
第一作の「甘い生活」はすばらしい作品だ。村上がこれまで書いた中で最高の短編だと思うし、これだけの作品はあと何編も書けないのではないだろうか。次の「ラスト・ショー」もいい。三作目からは中だるみ気味だが、七作目の「アラビアのロレンス」から調子をとりもどし、最後まで高いテンションを維持している。これは出色の短編集である。
一連の短編の主人公兼語り手はヤザキという中年の小説家で、『エクスタシー』と『メランコリア』の主人公と同名である。十八歳で長崎から上京してヒッピー生活をし、福生に住んでドラッグとセックスに耽溺した生活をおくってから美大にはいり、ヒッピー時代の体験を描いた小説でデビューしたとなれば、村上本人の分身というべき人物であることは自明だろう。もちろん、体験そのままを書いたはずもないが、『限りなく透明に近いブルー』の登場人物が再登場しているし、時代背景もくわしく描かれていて、二五年をへて小説の厚みが一段とふくらんでいる。村上龍はいい年のとり方をした。
著者の堀氏は前大戦中、フィリピンの山下方面軍幕下から大本営陸軍部情報参謀となった人物である。戦後は自衛隊で情報部門を担当したというから、情報畑の第一人者といえる。
大本営発表といえば嘘八百の代名詞だし、旧日本軍の参謀も最近は無責任官僚の元祖のようなあつかいだから、「大本営参謀」となると大蔵省主計局や厚生省薬務局級に印象が悪い。どんな言い訳をしているのかという興味で読みはじめたが、恐ろしいことが書いてあった。大本営のほとんどの参謀は大本営発表を事実と信じこんで、作戦をたてていたというのである。
なぜ、そんなことになったのか? もともと陸軍と海軍の仲が悪く、おたがい自分の失敗を隠していたということもあるが(陸軍参謀である著者はミッドウェー海戦で日本の機動部隊が全滅したことを、ドイツ武官から教えられるまで知らなかったそうである)、日本には航空戦の戦果を客観的に検証する仕組がなく、パイロットの希望的観測のまじった報告を鵜呑みにするしかなかったからだ。もちろん、その背景には情報軽視という日本の宿痾がある(情報参謀は大本営の作戦室にはいれなかった!)。
あきれるような話がこれでもか、これでもかと出てくるが、昭和18年後半にはいり、ガタルカナルで守備隊がつぎつぎに玉砕していくと、さすがの大本営もこれはおかしいと気がつき、着任したばかりの著者にアメリカ軍の戦法を研究させた。戦争をはじめて二年近くたって相手の研究をはじめるとは泥縄もいいところだが、一年後、著者は『敵軍戦法早わかり』という本をまとめた。サイパン戦には間にあわなかったが、硫黄島や沖縄、ルソン島の戦闘ではこの研究がいかされ、アメリカ軍に多大の損害をあたえることになった(なまじ効果的な反撃ができたために、住民や日本の将兵の苦しみが倍増した面もあるが)。
敗戦後も日本の情報音痴ぶりはあいかわらずだが、アメリカはこと情報に関しては神経質で、著者たちがたてたアメリカ軍の本土上陸作戦の予想があまりにも当たっていたので、情報漏洩がなかったかどうか、執拗に取り調べられた。なんと、1985年になっても同じ件で取材をうけたというから、徹底している。
著者の大塚恭男氏は今日の漢方医学復興の基をすえた故大塚敬節医師のご子息にあたり、現在、北里研究所付属東洋医学研究所の所長をつとめている方である。
大塚敬節の本は昔、何冊か読んだが、こんな症状にこんな処方を出したら治ったという細かい話が主で、総論的な話になると西洋医学は分析的だが、東洋医学は総合的だというような図式の羅列に終始し、誰もが納得するようには書かれていなかった。いろいろな人が大塚敬節について書いた本を読むと、どうも天才肌の激しい人で、臨床家としてはすごいけれども、自分の直観を第三者にもわかるように表現するのが不得意だったようである。そういう激しさがなければ、明治以来ずっとつづいた漢方医学受難時代に、伝統の復興なんていう大仕事はできなかっただろうが。
他方、後継者の恭男氏は本書の印象からすると、着実につみあげていく秀才型のようで、ちょうど伊藤仁斎・東涯父子のような関係なのかもしれない。
本書は12章にわかれ、8章までが総論、後ろの4章が処方の適用例を紹介した各論にあたる。各章の終りには鑑真和上や『医心方』の丹波康頼から、戦国・江戸期を経て、明治以後にいたる漢方の名医を紹介したコラムがおかれている。
おもしろいのはなんといっても総論の部分だ。東洋医学の歴史から独特の身体観、疾病観が、西洋の古代医学との比較のもとに簡潔に述べられており、現代医学の見地から見るとどうなるかという、現代人にとっては一番知りたいことにもスペースがさかれている。これだけわかりやすい、説得力のある東洋医学の概説はめずらしい。
後半の処方の紹介は別の本にした方がよかったと思う。むしろ、コラムで紹介されている名医列伝をひとつづきの文章にまとめて、中国とは別の形で発展した日本漢方の歴史を紹介してほしかった。
サリン=クンダリーニ説で評判になったオウム解読本である。大ざっぱにまとめると、オウムの売り物にした超能力はテレパシーにしても、アストラル体投射にしても、空中浮遊にしても、自己の身体の枠をこえて意識がひろがっていく状態をめざしている。それは必然的に自他の境界を曖昧にして、自分がガス状に拡散していくと同時に、自分の中に見えないガス状の他者がまぎれこんでくるという恐怖をうむ。その隠喩的表現がサリンだという論旨だ。
多少とも瞑想やヨガに興味があり、実践を経験したことのある人間としては、オウムのすべてをペテンと薬物で片づける風潮を危険だと思ってきた。薬物にはしる以前のオウムではそれなりの修練の効果が出ていたといわれているし、こんな騒動になる前、最初期のオウムを知る人に様子を聞いたことがあるが、そういうことがあってもおかしくないと思われる内容だった。
正直に言おう。麻原にはそれなりの神秘的能力があったとわたしは考えている。そもそも俗物だからすべてインチキだ(神秘的能力をもたない)という言い方は神秘的能力をもっていれば、人格的にすぐれているという予断を強化してしまう。神秘的能力の持ち主は何人も見てきたが、はっきりいえるのは神秘的能力といっても暗算や絶対音感の能力と変わらず、人格の高低とは何の関係もないということだ。
オウムの主張する神秘的能力を思想的にきちんと検討しようとした著者の試みはとても貴重だし、本書には傾聴に値する部分が多々あると思う。それを認めた上であえて苦言をていすると、著者はいくつか勘違いをしているのではないか。
この点については微妙な議論になるので、いずれ本式に書いてみたい。ただ、本書は片山洋次郎氏の『オウムと身体』(日本エディタースクール出版部)とともに、これまで書かれたうちでもっとも重要なオウム本だと断言してさしつかえないと思う。
本書は「月刊アスキー」に連載された、日本のコンピュータの揺籃期に活躍したキーパーソンの連続インタビューをまとめたものだ。すでに鬼籍にはいっている人がすくなくないが、故人をよく知る後輩や部下、弟子に登場してもらって、知られざるエピソードを発掘している。
NHKの『電子立国』に登場した人も多いが、数値計算の基礎技術を確立した宇野利雄氏、まだ未熟なコンピュータでオンラインシステムをまっさきに導入してオンラインシステムをつくった小野田セメントの南澤宣郎氏の影の功労、手回し式計算機や計算尺、アメリカ軍をなやませた日本海軍の「パープル」暗号機といったコンピュータ前史にまで目配りがきいている。連載では秋葉原電気街をつくった易者さんの息子にあたる人も登場していたが、単行本で削られたのは残念だ。
『電子立国』に登場した人も本書ははみだし人間という切り口から語られているので、かなり印象が違う。富士通の今日を築いた池田敏雄氏や塩川新助氏の破天荒な仕事ぶりは唖然とするほかはなく、こういうとんでもない社員に好き勝手にやらせていた当時の社長もすごい。日本にも創造的な人間はたくさんいて、戦っていたのだということがよくわかる。
とてもおもしろい本なのだが、一つ残念なのは ENIACをいまだに「世界最初のコンピュータ」としている点だ。モレンホフの『ENIAC神話の崩れた日』(工業調査会)にはっきり書かれているが、1946年に動いたENIACはアイオワ州立大のアタナソフが1941年頃までにつくりあげたABCマシンのパクリであり、そのことは1973年のラーソン判決で事実と認定され、ENIACの基本特許は無効となっている。
ENIACをつくったモークリーは1973年のこの判決以降も「世界最初のコンピュータの発明者」とふるまいつづけ、世をあざむきつづけた。埋もれたコンピュータ史を発掘するなら、ENIACスキャンダルにとどめをさしてほしかったと思う。
先日とりあげた『計算機屋かく戦えり』で、世界最初のコンピュータはENIACではなく、アタナソフのABCマシンだと書いたところ、JCS委員会の芝野氏からモレンホフの『ENIAC神話の崩れた日』の解釈には問題があるので、星野力氏の『誰がどうやってコンピュータを創ったのか?』を併読した上で、事実がなにかを判断するようご教示をいただいた。昨年出た本なのだが、もうどこにもおいてなくて、やっと神保町の東京堂で見つけて読むことができた。
この本は歴史記述の部分を明朝体、著者の論評の部分をタイボ体と使いわけている。参考文献も一次資料と二次資料をわけるのは当然にしても、さらに一次資料の中から関係者自身がリアルタイムで書いた資料をえらびだし、特級資料という別あつかいをしている。巨額の特許料がからむ問題だけに(モレンホフが掘りおこしたラーソン判決はまさに特許権をめぐる裁定だった)、こういう慎重な手続きをふまないと、公正な判断はできないということのようだ。
さて、著者の結論であるが、世界最初のコンピュータはモークリーとエッカートのENIACでも、アタナソフのABCマシンでもなく、ケンブリッジ大のウィルクスが1949年5月に稼働させたEDSACだという。なぜそうなるかというと、著者の定義するコンピュータとは「プログラム可変内蔵方式」の電子計算機だからだ。ABCマシンは電子計算機ではあったが、プログラム内蔵方式ですらなく、ENIACはプログラム内蔵方式ではあったが、可変ではなかったというわけである。著者はどんな大発明も連続的改良の積み重ねで、突然出現することはないとくりかえし強調している。
なぜ「プログラム可変内蔵方式」が重要かというと、計算しかできない単なる電子計算機と、なんでもできる電脳のわかれ目はマシン自身が計算結果によってプログラムを書き換えることができるかどうかにあるからだ。
計算結果によってプログラムを書き換えるにはデータと命令を同じメモリ中に置かなければならない。このアーキテクチャは、今日、フォン・ノイマンの名を冠してノイマン型と呼ばれているが、データと命令の同居そのものはモークリーの考案といって間違いないらしい。
もっとも、ここでも議論がわかれていて、フォン・ノイマンは「プログラム可変内蔵方式」を単に数学的に整理しただけという見方と、モークリーはメモリを節約するためにデータと命令の同居を思いついただけで、プログラムを可変にすることの画期的意義には気がついていなかったという二つの見方があるという。
モークリーはフォン・ノイマンには名声を独り占めされ、アタナソフには泥棒呼ばわりされ、悲憤のうちに悶死したそうだから、確かに気の毒ではある。前に書いたモークリー批判は取り消したい。
「プログラム可変内蔵方式」の寄与は別にしても、モークリーが真空管1万8千本、重さ30トンの未曾有の電子装置をつくりあげたことは間違いなく、大規模プロジェクトの先駆者として評価すべきだという議論があるということをつけくわえておきたい。
日本語ワープロの誕生から最近のユニコードをめぐる議論まで、文字コードの問題を一般向けに解説した本である。著者はNECの関連会社で長らくプリンタの開発にあたっていた技術者で、JISの文字コード関係の委員会に参加したこともあるという。
著者は理系の技術者ですから、表題にある「漢字文化」に関しては漢字クイズくらいしか期待できないが、文字コードについてはなかなかわかりやすくまとめてある。
一般向けの啓蒙書だから、仕方がないのかもしれないが、きれいごとしか書いていないという印象がある。ちらちらとJIS批判が出てくるが、NECを代表してJISの委員になったのなら、なぜNECは1983年に制定された新JISを10年間も無視して旧JISを使いつづけたのか、JISの委員会ではどんな議論がおこなわれたのか、ぜひ書いてほしかった。
『大江戸魔方陣』、『東京魔方陣』の加門七海氏が、この二作の前年に出した本で、江戸=東京の魔術的仕掛にとりくんだ最初の仕事だという。出版時の題名は『平将門は神になれたか』でしたが、文庫化にあたり、「魔方陣」で題名をそろえることにしたわけだ。
地図上で神社間に線を引き、魔方陣探しをするのは『大江戸……』、『東京……』と同じ趣向だが、将門ゆかりの神社をむすぶと北斗七星の形になるあたり、ムムと思った。将門と妙見信仰のかかわりからいって、かなり筋のいい見方かもしれない。
『大江戸……』、『東京……』では線の引き方でどうにでもなる二等辺三角形が基本だったので、説得力がいまいちだったが、将門がらみで北斗七星があぶりだされてくるとなると、加門説は案外いい線をいっていたのかもしれない。
『東京……』で一番おもしろかったのは明治政府や戦後の日本政府も二等辺三角形の呪術で都市改造をやっていたという部分で、眉唾にしても、これだけ話を大きくするとおもしろいと思っていたが、神田明神が明治天皇親拝のために、将門を祭神からはずしたとか、神社本庁が妙なことをやっているという話とからめると、話がきな臭くなる。
こうなると、わが氷川神社の謎解きが、がぜん読みたくなる。
日本が稲作を基本にした農業国だという江戸幕府と明治政府のでっちあげた神話は網野善彦らの一連の仕事で否定されたが、本書は建築の分野からの日本=農業国神話の見直しである。
著者は都市計画を専門とする建築家で、西洋流の都市計画は日本になじまないのはなぜかという問題意識をもっていたという。本書が卓抜なのは西洋流の都市計画が日本にあわないだけでなく、中国流の都市計画もあわないことに着目した点だろう。実際、京都を例外として、奈良時代に全国62ヶ所の陸路の拠点に建設された条理都市はほとんど発展をみなかった。日本の大都市は京都以外はすべて漁村から発展した。世界的に見て、これはきわめて特異なことだそうである。
著者は貝塚や海岸古墳、神社が漁民のためのランドマークの役目をはたしていたことに注目し、沖縄のウタキの分析を通じて、日本の都市の原型が海辺の聖地であり、現在の巨大都市にも漁村の構造が隠れているという刺激的な仮説を提出する。
まだ理論としては発展途上だが、生食や木、侘び住まいへのこだわりといった日本文化の特質にも縄文以来の漁民文化の観点から考察をくわえていて、きわめて刺激的である。日本論としても出色の本だと思う。
著者は風水がこんなにブームになる前から都市の呪術的側面に注目してきた異能の建築家である。これまでにもいろいろと怪しげな本を出しているが、今回の本はきわめつけといえる。荒俣宏氏の小説に著者をモデルにしたとおぼしい「田網毅網」なる悪逆非道の建築家が登場するそうだが、本書はその田網毅網と、陰陽道の大宗、安倍晴明との対話という形式をとっているのだ。平田篤胤やムー大陸時代の記憶をとりもどしたと称する危ない医者、ダウジングの達人も(後の二人は現存の人物)ゲスト出演している。
題名には「インターネット」とあるが、これは昨今のインターネット・ブームにあやかっただけで、著者がいうのは龍脈とかレイラインと呼ばれてきた大地の中を流れているとされるエネルギーのネットワークのことである。この大地のエネルギー流を操作する技術が風水なのである。
オカルト方面の話題はどこかで聞いたようなものがほとんどだが、建築業界の裏話はこの人の独擅場である。イニシャルで隠してあるが、丹下健三や黒川紀章の作った建物にはいった会社はどこも左前になるとのこと。
ぶっ飛びすぎの部分もあるが、建築が精神の深い部分につながる営みであることはこういう飛んだ本の方がよくわかるのも事実だ。