伊丹プロの『スイートホーム』は期待はずれだったが、少女役のレベッカのNOKKOだけは不思議に輝いていた。
あいかわらず精神分析かぶれの伊丹監督だけに、日本の母性文化に根をおろした恐怖映画をつくってみようという計算があらわすぎて白けてしまった。そもそも「愛」とか「和解」とかで、邪悪な霊が救われるホラー映画なんて邪道もいいところだ。母性愛に目醒めた宮本信子が、義理の娘を助けにいくところをクライマックスにしたが、本当はNOKKOの方が少女の狂暴さを霊にぶつかっていくべきだったと思う。彼女は少女の大胆不敵さで主役を完全に食っていたし、ホラーは本当は少女のものだということを思い出させてくれた。
今の世の中は、何といっても、少女が一番元気がいい。演劇を見ればわかるように、少女が文化をリードしているといってもいいくらいだ。乙女の真っ赤な心を歌ったというレベッカの近作のアルバム、「B L O N D S A U R U S」の中で、NOKKOは「女の子の恐龍たち」とか、「あと 100年くらい遊んでたいの」とシャウトするけれども、あのガラスの破片のようにキラキラするサンプリング・サウンドの密林の中を、以前にもまして表情ゆたかになった彼女の声は、ジャケットの恐龍の絵そのまま、ブロンドの髪をなびかせ、地響きをたてながらのし歩いている。恐龍が少女の自己イメージになったということこそ意味深いのだ。そういえば、宮本信子は、松田聖子のようなフリルのいっぱいついた服で身をかためて幽霊に立ち向かっていったが、あれは少女のパワーを借りるという意味もあったのかもしれない。
それにしても、少女はなぜ元気がいいのか?
大塚英志の『少女民俗学』(カッパブックス 690円)はその秘密を解き明かしてくれるかもしれない。
大塚はこれまでも現代の少女文化について多くのエッセイを書いてきたが(『システムと儀式』、『物語消費論』など)、時事的な短文ということもあってか、かならずしも説得力に富むとはいい難かった。おニャンコクラブは死と再生の通過儀礼をモデルにしているとか、子供部屋は家庭の中に組み込まれた「ネヤド」だとか、少女は民俗社会の巫女の末裔で朝シャンは少女版禊だとかいわれても、おもしろい指摘と思う反面、単なる思いつきではないかという印象が否めなかったからである。すでに過去のものとなってしまった民俗社会と、現代の高度情報社会とがどのような関係にあるか不明確なままでは、既成理論と流行現象を不器用に結びつけただけという印象がうまれるのは当然だったろう。総論だけの議論も困るが、従来の大塚の文章は総論なき各論だったのである。
大塚は本書を書きおろすことによって、はじめて総論を語った。かわいいカルチャーをめぐるさまざまな考察は、増淵宗一や本田和子、山根一真ら先学の研究ともども、ジグソーパズルのように、ようやく一枚の絵にまとめられたのである。
その結果は驚くべきものだ。
民俗学の危機はくりかえし指摘されてきた。民俗学は稲作農耕民を最も典型的な日本人、「常民」として研究対象に選ぶことで、日本人の自己イメージを描き出してきたが、日本中に都市文化が行きわたり、民俗社会は壊滅状態だからである。柳田国男が記述したような稲作農耕の生活や儀礼は、当の農村にさえ残っていないという。では、民俗学は不可能なのだろうか。
大塚はそうではないと語る。かつての日本人の心には稲作農耕民が住んでいたが、現代の日本人の心には別の生き物が住んでいる。その生き物とは近代の産物である「少女」であり、「少女」が今や常民なのだ、と。
少女が近代の産物だという考え方に戸惑いをお持ちの向きもあるかもしれない。少女は人類誕生以来いたじゃないかという風に。
なるほど、生理学的な意味での少女は大昔からいた。しかし、ヨーロッパにおける「子供」という概念が18世紀の産物であるように、社会的な意味での「少女」もまた明治期に誕生したのである。
大塚は本田の少女論をふまえて、少女の誕生をこう要約する。
近代社会は、女性を家と家との間で交換される「モノ」として、位置づけようとした。そのため、社会は女性を初潮をむかえ性的に成熟しながら、それが一人の男に使用されるまでの間、とりあえずたいせつに未使用のまま保存し、さらにその商品価値を高めようと考えた。女の商品価値を高めるために「学校」をつくり、そこで娘たちを教育しようした。はっきりいって囲い込んだのだ。
民俗社会では重要な労働力であった若い女は、こうして「少女」として生産からはずされ、留保期間の中におかれることになった。もちろん、貧しい階層では若い女は引き続き労働力だったが、戦後の高度成長以降、「少女」は激増し、いまやほとんどが「お嬢様」化してしまった。
しかし、生産からはずれたのは少女だけではなかった。今日の高度情報社会では、モノの生産は片隅に追いやられ、株とか情報とか土地といった実体のない記号のやりとりが社会の中心を占めるにいたった(その結果が、民俗社会の崩壊である)。いわば、日本人全体が少女化してしまったのである。
近代という時代を日本人が直接的な「生産」からしだいにはずれていく時代、と定義してみよう。すると、「少女」はまっ先に「生産」からはずれた存在だった。あるいは「生産」からはずれた者たちの中に芽生えたのが「少女」だった、といえるかもしれない。近代という時代は、日本人が生産者である「常民」から非生産者である「少女」へと向かう時代だったのである。
事実、1970年以降の産業構造の変動期は、「少女文化のビッグバン」の時代でもあった。リカちゃん人形がバービー人形の模倣から脱して日本独自の母子相似形の発展をはじめたのもこの時期だし、変体少女文字が人知れず誕生し、大正期に生まれた叙情画がポエムとして甦る一方、かわいいグッズを並べたファンシー・ショップが次々とオープンした。少女マンガの世界では母ものから学園もの(聖なる閉域)への転換があった。その背景には、母と娘の体型差がなくなり、お嬢様だけのものだった子供部屋が普及したという現実の変容がある。
興味深いのは、かわいいカルチャーの発展が、民俗社会の遺産をなぞることによって進んだという事実だ。それは急激な社会変動によって大人が文化をつくる暇がなかったことによるし、今ではむしろ、大人たちの方が自らを律し、コントロールするための儀礼を失ってしまった現状にうろたえて、少女を模倣しはじめているのだ。
その詳細は大塚の本にまかせるが、これだけ周到な観察を行ないながら、少女文化の明るくきれいで、ひよわな面だけの考察にとどまってしまったことは惜しまれる。たとえば、民俗社会の巫女は無性的な存在でもある反面、遊女でもあったが、遊女との関係はどうなるのだろうか。そして、少女の暗く獰猛な暗黒面は?