栗本慎一朗 『ニッポンの終焉』

加藤弘一

 栗本慎一朗の最近の仕事に疑問を持つ向きは少なくないのではないか。初期の『パンツをはいたサル』の時代は、見てくれこそ異様だが、中身はまっとうな研究者という評価が一般的だったと思うが、『パンツを捨てるサル』以降についてはオカルトがかっていて、中身も「?」ではないかというわけだ。

 今回、現代書林から出版された『ニッポンの終焉』(1300円)も、のっけから「文明興亡の法則」などという眉に唾をつけさせるような題名が出てくる。

 しかし、栗本の仕事を丹念に追跡した者としては、表現方法に注文はあるが、彼は依然としてまっとうな論客であり、今日、もっとも生産的な学者であると断言したい。

 彼がここで展開しているのは社会を情報処理系としてとらえる視点であり、経済さえも物の流通ではなく、情報の流通と考えられる。

 栗本は電脳化しつつある日本社会が、情報処理系として重大な問題をかかえていると述べている。

 日本の社会は集団による情報処理だけを認め、個人に判断させないことによって、今日の成功を築いたが、情報化が進んだために、個人が直接生の情報にさらされるようになり、容易にパニックをおこすような不安定な社会へ変質しつつあるというのである。

 この指摘は正鵠を射ていると思う。だが、処方箋を含めて、栗本の情報文明論は、まだまだ論議の余地はあるはずである。一つの問題提起として受けとめたい。

(1989 『週刊宝石』)
Copyright 1996 Kato Koiti
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