しばらく前、自転車キンクリートという若い劇団の芝居を見て、う〜むと考えこんでしまったことがある。
別に難解な作品ではない。難解どころか、平明すぎるくらい平明で、たとえが古いが、松竹新喜劇や伝助劇団を連想させるくらいにわかりやすい、軽演劇タッチの芝居だった。わたしが劇場通いをはじめたのは、早稲田小劇場・状況劇場・天井桟敷というアングラ御三家が全盛期を終えようとする頃にあたっていたから、若い劇団がこんなにわかりやすい芝居をかけるようになったのか……という感慨があったのも事実である。
しかし、それが驚きのすべてではない。わたしが驚いたのは内容だった。語り口こそ平明だが、語られている中身はきわめて抽象的で、ある意味で「難解」といっていいようなレベルのものだったからである。
一口にいえば、若い社員がダベリングに使っている会社の資料室を舞台に男女の人間模様をスケッチした芝居で、結婚を約束した二人がなぜわかれてしまったかがテーマだったが、わかれることになった理由というのが、すこぶる理知的で、一昔前だったら、何とか客席に伝えようと、青筋をたて、唾を飛ばしながら怒鳴らなければならないようなややこしい理屈だったのである。その理屈を、若い役者たちはいともやすやすと井戸端会議風に表現していたし、客席を埋めたミーハーそのものの観客も、台詞の一つ一つに敏感に反応していたから、あのこみいった頭の働かせ方にきちんとついていったわけである。
日本の若者はいつからこんなに知的になってしまったのだろうと考え込んだが、よくよく思い返してみれば、つかこうへい世代やアングラ御三家世代の若者だって、十分知的だったのだし、60年安保世代の若者だって、知的でなかったわけではない。なにしろ、あの騒動は、食糧暴動とか宗教紛争とかではなく、「民主主義」という抽象的な観念をめぐる贅沢な論争だったのだから(安保は敗北したが、誰も困りはしなかった)。
結局、日本は平均的知的レベルがすこぶる高く、傑出した知性がいない代わりに、誰もがほどほどに知的であるという例によって例のごとしの結論にゆきつくが、この結論は、態のいい自己満足の種となると同時に、また、どうしょうもない閉塞感をもたらす。なるほど、日本の庶民の知的レベルは高い。しかし、それが何を生みだすというのか。せいぜいが受験戦争を激化させるだけではないのか。管理社会をおちょくるくらいが関の山で、うっかりすると自己管理の片棒を担ぐことになるのではないか。
近年、江戸時代というものが見直されいる背景には、おそらく、この自己満足と同時に閉塞感があるだろう。江戸時代が、かつていわれていたような切り捨て御免の野蛮な時代ではなく、庶民の驚異的な識字率の高さをもたらした教養の時代だったという認識はすでに一般のものとなったが、その認識は、また、知的洗練が管理社会の徹底と停滞にしか行き着かないのではないかという不安を潜めてもいるはずだ。
橋本治が『江戸にフランス革命を』(青土社)という風変りな題名の本をまとめたのも、この自己満足=閉塞感にいらだってのことである。本書で、橋本は江戸の随筆家よろしく、枕詞の由来は何だ、戯作者の原稿料はこうなっていた、江戸の税金はどうかと、うがちをつづけながらも、いつになくいらだちの色をあらわに出しているが、それはいかなる新しさも生みださなかった江戸文明の不毛な高さに対してであり、当然、現代の日本が二重映しになっている。
まァ、出家が知性の行き着くところっていうのは江戸以前の話で、徳川幕府が存在していること自体が既に思想的には「完成している」っていうのが江戸の前提なんだからさ、別に哲学する知性なんかいらない。出来上がった法論理を保守点検する技術者がいればいいってことになるんだから、儒教だけが根本哲学でいいんだよね。戦後の民主主義と江戸の儒教は、おかれ方としてはおんなじもんよ。個人と思索っていうものは、結局のところ体制に吸収されちゃうのね。徳川幕府という体制とか民主主義の社会とかの体制にね。学問そのものは、身を守る背広のようなものにはなっても、あんまり血となったり肉となったりはしないのね。
本書は歌舞伎、浮世絵、戯作といった江戸時代の文化そのものを論じた既発表の文章を最初と最後に配し、まん中に断章形式の書きおろし、「江戸はなぜ難解か?」をおくという構成を取っている。一番読みごたえのあるのは、もちろん、「江戸はなぜ難解か?」だが、なぜかここだけ小さな活字で上下二段組になっているが、多分、これはいつになくマジになってしまった照れ隠しのゆえではないか。
橋本がどれくらいマジになっているかというと、「百姓のセガレに学問はいらない」という言葉をとりあげて、こんな「田舎」批判を展開している。
近代に立ち向かうんだったら、まず近代の中に入りこまなきゃいけないのに、そのことを平気で拒んでる。”農耕する知性”っていうものを生もうとはしなかった、日本の田舎の背景ってこれだよね。「自分の頭で考えて自分の力でなんとかする、そのことが”自由”と呼ばれることである」っていうのが”近代自我”の根本にあるもんだと僕は思うんだけどさ、それよりも、管理というシステムの中で搾取されることを、日本の田舎は望んだのね。”管理”というものをすべての前提とする──それが幸福をよぶか不幸となるかは、それを管理する”支配者”あるいは”責任者”の腕しだいっていうのが、日本人の思考の根本にあるみたいでさ、勿論これを成り立たせたのは、徳川三百年という平和な管理社会のおかげだけど、でももう、これは終っちゃったんだ。
もちろん、橋本の論じている「田舎」とは、農産物自由化反対をさけんでいる地理上の田舎だけではなく、企業村の村人たちを含めた上での「田舎」である。今日日、「平和な管理社会」という太平楽な幻想が一番根強く生き残っているのは、実は企業村の方であろう。
江戸を現代の鏡とする橋本の見解の面白さと有効性は申し分ないけれども、徳川的管理社会の存在が確立したところから話をはじめている点は不十分ではないだろうか。橋本のいうとおり、徳川体制というのは実にいい加減で、したたかな代物だったけれども、その成立の過程を考えると、隆慶一郎の『影武者・徳川家康』をはじめとする小説が描き出したように、どうしょうもなくいかがわしい代物でもあったからだ。
さらにいえば、フランス革命を理想とすることにも疑問がないわけではない。近年の実証的研究はフランス革命がブルジョワ革命であるというマルクス主義的な定説をぶちこわしてしまった。あの騒動は人類の自由の勝利などではなく、もっと出鱈目な、もののはずみで起きたものらしいのである。そうであれば、日本人ももっと楽観的に構えていてもいいかもしれない。