スティープルドン 『スターメイカー』

加藤弘一

 世界が底なしの不況に落ち込んでいった1930年、イギリスで奇怪な本が評判になった。それは、この間終った世界大戦から筆を起こして、人類の未来史を克明に記述した本で、『最後にして最初の人間』と題されていた。著者はオラフ・ステープルドンという大学で哲学を教える無名の学者だったが、マルクス主義者であったにもかかわらず、シュペングラー的な循環史観の立場を取り、ロシアもドイツの毒ガスであっさり滅ぼしてしまうなど、恐ろしくペシミスティックな内容になっている。

 「奇怪な本」と断ったのは、この本の描く未来は百年、二百年といったスケールではなく、実に二十億年にわたる人類と太陽系の物語だったからである。二十億年といえば、進化論レベルの時間である。事実、地球の度重なる環境激変によって、現人類は没落し、グロテスクに進化を遂げた新人類があいついであらわれ、金星に移住したり、海王星に逃げたりした末に最後を迎える。大恐慌の時代に歓迎されただけあって、楽しい読物では決してない。

 ステープルドンは七年後、さらにスケールを広げた宇宙史を書く。今回、ようやく翻訳された『スターメイカー』である(浜口稔訳、国書刊行会3000円)。

 『スターメイカー』は五千億年にわたる宇宙全体の歴史であり、さまざまな銀河系をまたにかけて話が進む。『最後にして最初の人間』と、その続編の「ロンドンに来た最後の人間」の描いた二十億年の太陽系の歴史でさえ、ここでは、わずか半ページ足らずに要約されてしまうほどである。

 本書の語り手は現代のイギリスに住む妻子のある男性で、ある夜、ヒースの丘で気を失い、我にかえると、精神だけの存在となって、宇宙空間を飛翔していた。彼は地球と同じように生物のいる惑星を求めて、さまざまな恒星を遍歴するが、なぜか、大部分の恒星は惑星を従えていない(惑星は恒星どうしが接近して、ガスを引きだしあったときだけに誕生するというのが、当時の定説だった)。ようやく見つけた惑星も、ほとんどは生物なしか、生物がいても文明を築くところまでいっておらず、人類に匹敵する知的生物の棲む「別地球」を見つけたときには、銀河系からはるか隔たっていた。

 「別地球」には、味覚を主に発達させた人類が棲息している。語り手はさまざまな人に寄生した末に、ブヴァルトゥという哲学者と知りあい、彼の目を通して、文明の終幕に立ち会う。

 「別地球」の終焉の後、語り手はブヴァルトゥの精神とともに宇宙に旅立ち、知的生命を発見しては、彼らに賛同した精神と共に、さらなる宇宙の遍歴を続ける。ここには巨大星は若い恒星だという、今日では誤りとされる説も引かれているが、その一方、惑星は巨大な生物体だという地球ガイア仮説を先取りする考え方も含まれているし、太陽表面に棲むガス状生命という途方もないアイデアもある。本書には普通のSF作家なら、300冊分の長編が書けるくらいのアイデアが詰めこまれている、といっても誇張ではない。

 『スターメイカー』を貫くのは、共棲というテーマである。想像力の大盤振舞いといっていい多様さにもかかわらず、語られているのはつねにただ一つのドラマなのである。

 旅する精神の仲間自体、多数の「わたし」でありながら、ただ一人の「わたし」でもあるという共棲関係であるが、『スターメイカー』の宇宙では、あらゆる生命体が共棲関係という姿で登場してくる。語り手が属す精神の共棲集団もそうだが、魚人類と甲殻人類の関係もそうである。

 いくつもの時代を経て、二つの種は相互に接合して完全に融合したひとつの生命体へと進化した。チンパンジーよりも小さな甲殻人類は、大きな魚の頭蓋の後ろにあるおあつらえむきの窪みにはまりこみ、背中はそのままあい方の大きな胴へと続いて流線型を呈していた。……生化学的な相互依存もまた進化した。魚人類の浮袋の膜をとおして内分泌の交換が実現した。

 異種の生命が合体して、より高度な生命体となる……訳者は、これをホワイトヘッドの影響としているが、わたしにはマルクス主義の唯物弁証法の手のこんだ応用のように思われる。というのは、共棲関係は、つねに敵対と闘争の可能性をはらんだ、緊張関係にあるからだ。

 先の例でいえば、甲殻人類は、地上でも生活できるために、独力で科学文明を発達させ、魚人類との間に決定的な格差が生じたために、愛しあっていた両種族の間に戦争がはじまる。戦いは科学を握った甲殻人類の勝利に終るかと見えたが、魚人類との関係を失った甲殻人類の多くはノイローゼに陥り、内乱や反革命があいつぎ、文明を謳歌した美しい海中都市は荒廃に帰してしまう。やがて、紛争の反省から、もう一度共棲関係をはじめようとする動きが起こり、文明は再興し、「産業の奴隸であった科学は自由な叡知の友」となる。

 これはまったく弁証法の物語である。驚くべきことに、異星を舞台に、階級闘争さえ語られている。「別地球」でも激しい階級闘争が戦われていたが、貝類から帆船そっくりの形に進化した船人類では、誕生時に左舷に産まれおちたか、右舷に産まれおちたかで支配階級か、労働者階級かがわかれた。惑星生命と恒星生命が敵対しあい、寄生的な惑星生命を吹き飛ばすために、恒星が超新星になるというエピソードも、革命の比喩的表現かもしれないし、生命の多彩な形態に注目することにも、「存在が意識を規定する」というテーゼのヴァリエーションを聞きとることが出来よう。

 では、最終的な歴史の完成はあるのだろうか。宇宙の弁証法は、テレパシーによって結ばれた銀河のユートピアとして開花するのだろうか。しかし、ステープルドンの物語が弁証法の物語と袂をわかつのは、まさにこの点である。ステープルドンの宇宙では、ユートピアは必ず破壊され、歴史は不毛な循環の中に崩れ落ちるからだ。弁証法の運動は、自己に還るどころか、虚無の中にたたき込まれる。『スターメイカー』は、『最後にして最初の人間』の黄昏色のペシミズムを越えて、冷徹なニヒリズムの風景を作り出しているのである。

 ところが、ステープルドンは、このニヒリズムの風景の中に、崇高なものを認めようとする。破壊しつつ、無慈悲な創造を続ける造物主をスターメイカーの名で認めるからだ。ステープルドンは語り手にスターメイカーへの帰依を語らせる。破壊と虚無の中に彼は超越的なものを見たからだ。

 この信仰への転回は、超人類の悲劇を語った『オッド・ジョン』や、超能力犬と人間の交流を描いた名作『シリウス』のテーマでもある(どちらもハヤカワSF文庫)。ステープルドンの小説を一貫しているのは、唯物論から信仰へ飛躍する霊的な転回なのである。

(1990 『週刊宝石』)
Copyright 1996 Kato Koiti
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