昨年のNHK大河ドラマ『太平記』は久しぶりにおもしろかった。新史料を取りいれたという今年の信長や、来年以降に予定されている東北と流球の王朝の物語も、刺激的なドラマになると期待していいだろう。
NHKのこうした意欲的な企画の背景には、網野善彦に代表される新しい歴史学があるといっていいが、薄められているとはいえ、歴史のタブーが茶の間に持ちこまれるようになったのは、時代の変化によるとしか言いようがない。アメリカで『ダンス・ウィズ・ウルブズ』がヒットし、ソ連で共産党の文書館が差し押さえられたことと、ひょっとしたら同時的な現象ではないかという気さえする。
梅原猛もまた、歴史のタブーに挑んできた一人だが、新著『海人と天皇』は、その総決算ともいうべき本である。
梅原は、象徴天皇制の誕生という大問題に正面から切りこむ。
象徴天皇制は、天皇を絶対者と持ち上げながら、その実、裏の権力者のあやつり人形にしてしまう。幼帝をいただいた摂関政治や院政、武士政権による公家権力の棚上げもすべてこのパターンだが、武士政権内部でも、北条執権による将軍の棚上げがおこなわれていたように、日本的権力の基本性格といってもいいくらいあらゆる場所に蔓延している。
梅原によれば、象徴天皇制は律令国家の成立にはじまる。これは一見、奇妙な説である。律令は皇帝が独裁権力をふるう隋唐の制度を移入したもので、摂関政治や院政による天皇の名目化は、律令制の乱れの結果とされるのが普通だからだ。だが、日本の律令制は、中国の制度を取りいれると称しながら、最高権力者の独裁権力を巧妙に骨抜きにする、一貫した意志の産物であり、名誉が高いものには財が薄く、財が厚い者には名誉が低くという日本的な権力分散の制度の原型でもあった。
その「意志」とは、女帝の時代を演出した藤原不比等の意志だというのが、年来、梅原の説くところだが、今回は六人の女帝一人一人の背景に立ちいり、不比等の娘とされている聖武帝の母、宮子の、明石の上にも似たシンデレラ・ストーリーをあぶりだしていく。
梅原の謎解きが例によってスリリングなことはいうまでもないが、宮子の場合、息子の聖武帝と孫娘の孝謙帝の驚くべき後日譚が続く。孝謙帝は、道鏡との密通で有名な女帝だが、あのスキャンダルについても、梅原は大変な新説を立てて、彼女の名誉回復をはかっている。にわかに賛同できないが、大変説得力のある説だということを申しそえておこう。