山田風太郎といえば奇想天外な忍法帖を連想する読者が多いだろうが、近年の活躍は忍者ものの枠を大きく越えている。探偵小説仕立てで文明開化の東京を描いた明治ものがあるかと思えば、戦時下の生活を医学生の眼から記録した『戦中派不戦日記』があるというように。
とはいえ、山田風太郎は山田風太郎である。『戦中派不戦日記』のもとになる日記をつけていた医学生の観察眼は『人間臨終図鑑』で近代日本知識人の死に方を記述する四十年後の透徹した眼にそのまま受けつがれているし、妖しい空想をつぎつぎとくりだす忍法帖の呼吸は、意外な近代裏面史を息つく間もなく織りだす明治ものの自在さに通っている。
本書は関川夏央氏が、毎月一回、一年半にわたっておこなったインタビューをもとにした座談風の評伝である。表題に「戦中派天才老人」とあるように、戦時下でおくった青年期、天馬空を行くような中年期、そして現在の老年期を串刺しにして読者に供しようというわけだ。
座談仕立てだけに、話はあちらに飛び、そちらにただようというぐあいに、はなはだ気ままである。どこまで演技か脚色かはわからないが、それに老人性健忘症めかしたはぐらかしがくわわり、冷え冷えとしたユーモアがかもしだされる。折り目正しい評伝では重苦しさ一辺倒になりかねない、両親と死別し親戚の間を転々として育ったという思春期がさらりと語られていることは特筆したい。
虚無的とも即物的ともいえる冷徹な観察眼は、この時期に確立したといえようが、山田は当時の境遇を「生涯列外」と達観することで、自分の一生をささえる立脚点に転換している。世の良識をさかなでするような着想の数々は、この「列外」という位置から生みだされたといえようが、この列の内と外を、風のように飄飄と出入りすることこそが、山田風太郎の面目なのである。