室井光広氏と語る

加藤弘一

定型詩から小説へ

──室井さんは群像新人賞の時は評論部門でとられましたよね。最初が「零の力」というボルヘス論で、次に「霊の力」というエズラ・パウンド論(註1)を書かれている。ボルヘスパウンドも前衛文学であると同時にヨーロッパ文学の正統に棹さした作家ですが、小説家としては郷里の会津という土地にこだわっていらっしゃる室井さんが、なぜ、この二人に関心をもったのかということからうかがいたいのですが。

室井 月並みですが、正統と前衛という二極ふたつながら共存する文学に今でもあこがれていて、ボルヘスとかパウンドへの畏敬はそのことに尽きますね。出自としての土地と普遍性の問題も彼らの文学では一見そう見えなくても、相当つきつめられている気がします。
 ぼくは小説や評論を書きだす前は、俳句や短歌、現代詩をやってたんですよ。一日に俳句十句、短歌十首、現代詩一篇というようにノルマを課して、相当せっせとやってました。うちの田舎ふうにいうと、"とりどりの菓子を三度のメシのように喰らう"愚行ですが……。

──同時進行でですか? 俳句、短歌、現代詩を遍歴する人はいますが、並行してというのはめずらしいですね。

室井 どのジャンルの人にも、そんなことを声高に言うと馬鹿にされちゃうんですが、寺山修司の猥雑というか、ごっちゃにしたやり方に影響を受けまして、十年くらいチャンポンにやってたんですよ。その頃は勤めていた関係もあって、時間的な制約から短詩形しかできなかったということもありましたが、ダンテやエリオットといったヨーロッパの大詩人にすごく興味がありましたから、とりあえず──このとりあえずというのが、ぼくのこれまでの方法論のすべてをあらわしています(笑)──日本語の定型詩を徹底的にやって、どこまでいけるか試したかったんです。

──なるほど。パウンドはともかく、ダンテもエリオットも、伝統的な詩法にしたがって、韻を踏んで書いていますね。

室井 ええ。でも、日本語の定型詩では、どうやっても限界があるなという感じがしてきました。俳句は五七五、短歌は五七五七七という形式をもっていますが、エリオットとかそういう人たちの詩の構造は、もっとすごい厚みがある。

──物理的に長さが短くて、内容を盛りきれないということですか? それとも、俳句にしろ短歌にしろ、挨拶の域を出ず、芸術にはなりえないということですか? 俳句第二芸術論なんていう議論がありましたが。

室井 ぼくは第二芸術論なんていうことはどうでもいいです。むしろ、散文に転向してしまった人間としては、俳句に一番哀惜があります。短歌は悪しき日本的イデオロギーの代表ともなりうる感傷装置という面がありますが、いい面での挨拶性、開かれた挨拶性を代表しているのは俳句だという気がします。
 ただ、ぼくはヨーロッパの詩概念というか、文学=詩というヨーロッパ文学のありかたに恋いこがれてきたところがあって、わが国の言語でやるとしたら何が相当するだろうかということを、かなり真面目に考えたし、定型というフォルムの修練も積んだつもりです。でも、結局、わが国の定型詩ではヨーロッパ文学にはかなわないという、詩人としての才能を棚上げたひとりよがりの結論になった。エリオットやダンテやパウンドという詩人たちの作品は、建造物としてもものすごいですが、無意識の底の底まで掬いとっている。日本語の定型詩にはそこまでできないという感じがしてならないんです。


 

幽霊みたいな言葉

──ダンテにしても、エリオットにしても、ヨーロッパ文学の場合、中世ラテン文学や、さらにさかのぼってギリシア文学まで、伝統というものを背負っていますよね。ホラチウスやウェルギリウスの本歌どりをしたり、暗黙の言及をすることで、人間の全経験を盛りこめるような言葉が生まれます。漢詩や和歌の場合も伝統を背負っているという点では同じだと思うんですが、室井さんの独自なところは、文学の伝統ではなく、方言を背負った点です。室井さんは「あんにゃ」や「おどるでく」という方言の音を転がしていくことで、言葉の中にすべてを見ようとしている。これはもう、ユニークというか、ずるいというか……(笑)。ナボコフ註2)にとってのロシア語みたいだ。室井さんの小説はかねがねナボコフと似ていると思っていました。

室井 ナボコフは物語の才能があって、もっとうんとのびやかに書いていると思いますけどね。方言にすべてを見ようとしているというのは、おっしゃるとおりですが、ぼくにはそれしかなかったんですよ。

──あの方言はすべて実在するんですか? 方言辞典を調べてもない言葉がかなりありましたが。

室井 半分以上はつくったものです。

──ああ、やはり(笑)。ナボコフは架空の詩人の詩を注釈するという形で小説を書いていますが、その工夫に匹敵します。「おどるでく」という方言はあるんですか。

室井 あれもないです。ただ、根も葉もないわけではなくて、子供の頃、爺さんがしゃべってたなんだかわからない言葉のかけらとか、お袋がなにかの拍子にぴゅーっと口に出した言葉とかをなぞってつくっているんです。ぼくとしては、なんていうか、そういう幽霊みたいな言葉としてとらえていて、ジョイス語(註3)と似ているかもしれません。


 

マイナー言語

──ジョイスは変な造語もつくりましたが、基本的には英語で書いているし、ヨーロッパ文学の伝統も背負っていると思いますが。

室井 アイルランド史について、ぼくはまったくの門外漢なんですが、学者の受け売りでいうと、この国にキリスト教が渡った際、世界史的にも珍しいほど平和裡に教化がなされた。ケルト文化を完全に根絶するようなやり方をとらなかったそうで、このためアイルランドの古代史は融合的なものになった。もちろん、ジョイス作品の上には近代以降の悲惨な母国史の影が落ちているわけだけど、ぼくは英語で書いたジョイスのメンタリティにとってこの融合性は重要だと考えます。わが国の縄文と弥生の文化融合に似た事情がケルトとキリスト教英語文化の中にあって、それが非常に興味深いカタチでジョイス文学の血脈をつくっている。
 アイルランドでは実際には英語をしゃべっているわけですが、建前としては第一公用語はケルト語です。地名表示なども、上にケルト語、下に英語を書いています。ジョイスは作品のいたるところで、いわば工夫をこらしたかたちで、大英帝国の悪口をいって、英語なんかは習得された言語だと嘆いていますが、作品はケルト語では書かなかった。英語で書いたから、今みたいな影響力をもったという面も確かにあります。これからインターネット時代になると、世界に向かって本当に開かれた言葉は英語くらいしかないのかもしれません。ただ、そのことと英語を全面的にうけいれることは別です。ジョイスは心情的には最後まで英語に距離をおいていたと思います。

──室井さんの場合、ジョイスの英語にあたるのが標準語というわけですか。

室井 いや、アイルランド人の言語状況などとは比較するのもおこがましいものです。それでも、ぼくの場合、標準語の世界というのは、つねに遠くにあるもんだったんです。小学校4年まで、一学年十人しかいない分校にいたんですが、その分校も三つの村の分を統合してつくった分校で、ぼくの家が一番遠くて時間がかかりました。上の学年になって町の本校にいっても、中学、高校にいっても、ずっと遠距離通学者でした。大学は上京ですから、遠距離通学というわけではないですが、やはりよっこらしょと出かけていく世界にあるものでした。ジョイスにずっと振りまわされているのは、標準語の世界に対する距離感ということが核心にあるからなのかもしれません。

──お話をうかがっていると、丸谷才一氏の場合と対照的ですね。丸谷氏も東北出身で、ジョイスの影響から出発した作家ですが、方言の世界ではなく、日本文学の正統である宮廷文学の伝統を背負おうとしている。

室井 ぼくは出自というのは、結局、逃れられないものとしてあるんだと思うんです。丸谷さんは東北といっても、城下町でお生まれになったわけですが、ぼくは水田もつくれない山奥の村で生まれ育ちました。山仕事しかできない貧しい土地で、爺さんも、ひい爺さんもそこで生きてきた。
 このあいだ、信頼する編集者のすすめで小川紳介監督のドキュメンタリー映画『ニッポン国古屋敷村』を遅ればせながらみて感動したんですが、あの村の世界がぼくの出自の原風景です。そういう先祖代々の経験というのが、ぼくの中に全部流れこんできていますから、それを抜きにしては、なにもはじまらないんですよ。
 もちろん、それはもはや存在しえない世界なわけですが、精神の基層として、ぼくの思考の根がそこから養分をすいあげるものとしてあるということです。ちょうど縄文の基層の上に弥生文化が乗っかっているみたいな。

──うーむ。まさに「猫又拾遺」の世界だな。「猫又拾遺」は室井さんの作品の中でも、「おどるでく」とならぶ最高傑作だと思いますが、ぼくはずっと民俗学的な幻想があの作品の生命だと思っていた。しかし、あれは室井版『ダブリン市民』(註4)だったわけですね。

室井 意識はしましたね。実は、今、『ダブリン市民』を読みかえしているところなんです。『ダブリン市民』はすごいですよ。正直に告白しますと、このすごさは二十代の頃には今ひとつよくわからなかった。でも、ジョイスはあれを二十代で書いたのですから、本当に「かなわない」ですね。


 

アイルランドの貧しさ

──となると、丸谷氏のジョイスの紹介の仕方にも異議がありそうですね。別に挑発するわけではありませんが(笑)。

室井 いや、丸谷さんは立派なお仕事をされていると思いますよ。『若い芸術家の肖像』はいろんな訳を読みましたが、丸谷さんの訳が最高です。最近も新潮文庫から再刊されましたが、あれが一番ですよ。『ユリシーズ』の翻訳は、いろんな批判があるみたいですが、画期的なお仕事だし、ぼくとしてはずいぶんお世話になっています。ただ、ジョイスのユーモアのとらえ方は、丸谷さんとちょっと違うかもしれません。ジョイスのユーモアは、ゆとりのあるものではなく、貧しいんですよ。

──ユーモアが貧しい? 貧しさを背景としたユーモアということですか。

室井 絶対的な貧しさを基層にしているとでもいったらいいでしょうか。今度、ある大学でアイルランド飢饉150周年記念のイベントが開かれることになっていて、それに呼ばれているですが、ジョイスに限らず、アイルランドのユーモアの背景には、ああいう巨大な貧しさの記憶があるんです。
 それはあたかも弥生時代以降の日本人のメンタリティに、縄文の記憶が息づいているのと似ていますね。もちろん、縄文が貧しいばかりので時代であったというのではなく、あくまで"絶対的"な地平でたとえているのですが……。

──飢饉150周年ですか。確か、ジャガイモが病気で全滅して、10人に1人が餓死したという大飢饉ですよね。ケネディ大統領の祖父がアメリカに移民するきっかけにもなった。

室井 ええ。司馬遼太郎さんは『街道を行く』の愛蘭土紀行(註5)で、そういう飢えと隣あわせのアイルランドの風土とからめて、ジョイスを紹介されています。ジョイスというのはこういう貧しい土地に育った、こんなおもしろいやつで、自分には『ユリシーズ』や「フィネガンズ・ウェイク」は理解できないけれども、若い頃の『ダブリン市民』や「若い芸術家の肖像」はリアリズム小説で、とてもすばらしいし、英語をたたき壊した気持ちもよくわかると書かれています。英文学の専門家はなんか言うかもしれませんが、あれは立派なジョイス文学の啓蒙書です。

──なるほど。アイルランドの貧しさは、土地が痩せているからだけではなく、大英帝国の植民地収奪の結果でもあるわけです。そもそも、ケルト人がああいう痩せた辺境の地に追いやられたのは、アングロ・サクソンの侵略のせいだったともいえる。そういう土地に育ったジョイスが、英語にたいしてもっていた感情には、確かに複雑なものがあったのでしょう。

室井 ただ、英国王室は太腹にも、ジョイスに年金をあたえました。ジョイスは陰に陽に大英帝国の悪口ばっかり言っていたはずなんですがね。

──安い買物ですよ。雀の涙ほどの年金で、『ユリシーズ』という宝物が英文学にくわわったんですから。イギリス人が経済が落ち目でも、威張っていられるのは、英文学のおかげといってもいいくらいです。しかし、坂上田村麻呂の時代ならともかく、現在の東北とアイルランドは違うと思うんですが、室井さんの場合は会津という土地柄もあるのかな。標準語に対する異和感はそんなに強烈なものなんでしょうか。

室井 ぼくは標準語で書かざるをえないんですが、ぼくにとって標準語は遠いものだった。まして、宮廷文学となると。
 言葉は文化のサンプルで、それを習得するまでにずいぶん手間ひまかかった。ただ、その実感をナイーヴにいいすぎると、弥生文化に対する縄文文化の力というのと同じで、ロマン主義的になっちゃいますからね。文化への求心力と遠心力を二つながらに行使して、すこぶるソフィスティケートされた"復讐戦"を演じていくしかありません。


 

宮廷文学とヨーロッパ文学

──丸谷才一の『後鳥羽院』(註6)はお読みになりましたか? あの本の第一部は、後鳥羽院の和歌を『フィネガンズ・ウェイク』を読むのと同じやり方で読んでいます。

室井 いや、読んでないです。

──それは惜しい。室井さんが読んだら、すごくおもしろいと思います。言葉にすべてがあるという考え方は、ヨーロッパではサンボリスムの時代に自覚されたわけですが、日本では新古今の時代にすでに当り前のことだった。丸谷才一は後鳥羽院の和歌をすべて平仮名になおして、音を転がすことで、無意識の底の底をさぐっていくんです。室井さんの小説の方法と同じですよ。こういう方法というのは、宮廷文学とか19世紀のサロン文学のような、煮つまった状況からでなければ、生まれてこないと思うんですが。

室井 おっしゃる通りですね。ただ、宮廷文学というと、ぼくはボルヘスがヨーロッパ文学にたいしてもっていた距離のことを思い浮かべるんですよ。ボルヘスはヨーロッパをまわって育つわけですが、青年になってアルゼンチンに帰ってくる。そして、自分の出自を発見するんです。ぼくは「零の力」では、フーコーなんかを引用してボルヘスの抽象的な面を書きましたが、他方では、パンパが果てしなく広がって、ガウチョが荒くれた生活をおくっているというアルゼンチン"土着"──このコトバは本当はあまり好きではありませんが──の世界があるんですよ。ボルヘスの抽象的な思弁の世界が力をもつのは、自分の出自につながる、アルゼンチン版の縄文世界といったような原記憶を大切にしているからだと思うですがね。

──なるほど。室井さんの小説を「記号的」と批判する人もいるみたいですが、方言の音を転がしていくことで、そういう土着的な世界につながる無意識の底の底まで掬いあげようとされているわけですね。しかも、その無意識というのは、室井さん個人の無意識ではなく、祖父や曾祖父の無意識でもある、と。

室井 ぼくはむしろ、やれるものなら「記号的」に抽象化した文学を徹底化したいんです。ボルヘスとかジョイスとかビッグネームばかり引き合いに出しておこがましかったですが、ぼくなんかは、ただ"ドン臭い"だけなんです。でも、才能のなさに絶望しないで、とぼとぼ歩いていきたいと思っています。ありがとうございました。

エズラ・パウンド

 エリオットやヘミングウェイと同時代のアメリカの詩人。一時、ファシズムに加担したため、作品そのものは長く等閑にふされ、ジョイスやエリオットが世に出るために奔走したことばかり有名だったが、最近、ようやく再評価がはじまっている。代表作は日本の俳句にヒントを受けた「キャントゥズ」など。

ナボコフ

 ロシア生まれの小説家。名門貴族に生まれ、革命後、亡命。欧米各地を転々とし、英語とロシア語で作品を書いた。『ロリータ』の作者というイメージが強いが、本領は果敢な言語実験にある。もっとも、洗練をきわめた名文は、実験であることをまったく意識させない。入手可能な本の中では、『淡い焔』(筑摩版世界文学全集にボルヘスとともに収録)がお勧め。

ジョイス語

 ジョイスの言語実験の産物をこう呼ぶ。

『ダブリン市民』

 ダブリンのごく普通の人々を描いたスケッチ風の短編集。この作品に限っては「難解」なところはまったくない。新潮文庫で入手可能。

『街道を行く』愛蘭土紀行

 週刊朝日に20年以上にわたって連載されている司馬遼太郎の歴史紀行。アイルランド篇は「愛蘭土紀行」1、2として、単行本化されている。朝日文庫で入手可能。

『後鳥羽院』

 丸谷才一の最高傑作であると同時に、明治以降に書かれた最高の批評の一つ。第一部は後鳥羽院の作品を逐語批評し、新古今時代の和歌のおもしろさを堪能させてくれる。第二部は小説家的な感性で藤原定家との確執にメスを入れ、第三部では巨視的な文明批評の見地から後鳥羽院の事業を再評価する。まだ文庫化されていないが、筑摩書房の「日本詩人選」で入手可能。

(Nov17 1995)
Copyright 1995 (Nov17 1995)
Kato Koiti
作家と語る ほら貝目次