──室井さんは群像新人賞の時は評論部門でとられましたよね。最初が「零の力」というボルヘス論で、次に「霊の力」というエズラ・パウンド論(註1)を書かれている。ボルヘスもパウンドも前衛文学であると同時にヨーロッパ文学の正統に棹さした作家ですが、小説家としては郷里の会津という土地にこだわっていらっしゃる室井さんが、なぜ、この二人に関心をもったのかということからうかがいたいのですが。
ぼくは小説や評論を書きだす前は、俳句や短歌、現代詩をやってたんですよ。一日に俳句十句、短歌十首、現代詩一篇というようにノルマを課して、相当せっせとやってました。うちの田舎ふうにいうと、"とりどりの菓子を三度のメシのように喰らう"愚行ですが……。
──同時進行でですか? 俳句、短歌、現代詩を遍歴する人はいますが、並行してというのはめずらしいですね。
──なるほど。パウンドはともかく、ダンテもエリオットも、伝統的な詩法にしたがって、韻を踏んで書いていますね。
──物理的に長さが短くて、内容を盛りきれないということですか? それとも、俳句にしろ短歌にしろ、挨拶の域を出ず、芸術にはなりえないということですか? 俳句第二芸術論なんていう議論がありましたが。
ただ、ぼくはヨーロッパの詩概念というか、文学=詩というヨーロッパ文学のありかたに恋いこがれてきたところがあって、わが国の言語でやるとしたら何が相当するだろうかということを、かなり真面目に考えたし、定型というフォルムの修練も積んだつもりです。でも、結局、わが国の定型詩ではヨーロッパ文学にはかなわないという、詩人としての才能を棚上げたひとりよがりの結論になった。エリオットやダンテやパウンドという詩人たちの作品は、建造物としてもものすごいですが、無意識の底の底まで掬いとっている。日本語の定型詩にはそこまでできないという感じがしてならないんです。
──ダンテにしても、エリオットにしても、ヨーロッパ文学の場合、中世ラテン文学や、さらにさかのぼってギリシア文学まで、伝統というものを背負っていますよね。ホラチウスやウェルギリウスの本歌どりをしたり、暗黙の言及をすることで、人間の全経験を盛りこめるような言葉が生まれます。漢詩や和歌の場合も伝統を背負っているという点では同じだと思うんですが、室井さんの独自なところは、文学の伝統ではなく、方言を背負った点です。室井さんは「あんにゃ」や「おどるでく」という方言の音を転がしていくことで、言葉の中にすべてを見ようとしている。これはもう、ユニークというか、ずるいというか……(笑)。ナボコフ(註2)にとってのロシア語みたいだ。室井さんの小説はかねがねナボコフと似ていると思っていました。
──あの方言はすべて実在するんですか? 方言辞典を調べてもない言葉がかなりありましたが。
──ああ、やはり(笑)。ナボコフは架空の詩人の詩を注釈するという形で小説を書いていますが、その工夫に匹敵します。「おどるでく」という方言はあるんですか。
──ジョイスは変な造語もつくりましたが、基本的には英語で書いているし、ヨーロッパ文学の伝統も背負っていると思いますが。
アイルランドでは実際には英語をしゃべっているわけですが、建前としては第一公用語はケルト語です。地名表示なども、上にケルト語、下に英語を書いています。ジョイスは作品のいたるところで、いわば工夫をこらしたかたちで、大英帝国の悪口をいって、英語なんかは習得された言語だと嘆いていますが、作品はケルト語では書かなかった。英語で書いたから、今みたいな影響力をもったという面も確かにあります。これからインターネット時代になると、世界に向かって本当に開かれた言葉は英語くらいしかないのかもしれません。ただ、そのことと英語を全面的にうけいれることは別です。ジョイスは心情的には最後まで英語に距離をおいていたと思います。
──室井さんの場合、ジョイスの英語にあたるのが標準語というわけですか。
──お話をうかがっていると、丸谷才一氏の場合と対照的ですね。丸谷氏も東北出身で、ジョイスの影響から出発した作家ですが、方言の世界ではなく、日本文学の正統である宮廷文学の伝統を背負おうとしている。
このあいだ、信頼する編集者のすすめで小川紳介監督のドキュメンタリー映画『ニッポン国古屋敷村』を遅ればせながらみて感動したんですが、あの村の世界がぼくの出自の原風景です。そういう先祖代々の経験というのが、ぼくの中に全部流れこんできていますから、それを抜きにしては、なにもはじまらないんですよ。
もちろん、それはもはや存在しえない世界なわけですが、精神の基層として、ぼくの思考の根がそこから養分をすいあげるものとしてあるということです。ちょうど縄文の基層の上に弥生文化が乗っかっているみたいな。
──うーむ。まさに「猫又拾遺」の世界だな。「猫又拾遺」は室井さんの作品の中でも、「おどるでく」とならぶ最高傑作だと思いますが、ぼくはずっと民俗学的な幻想があの作品の生命だと思っていた。しかし、あれは室井版『ダブリン市民』(註4)だったわけですね。
──となると、丸谷氏のジョイスの紹介の仕方にも異議がありそうですね。別に挑発するわけではありませんが(笑)。
──ユーモアが貧しい? 貧しさを背景としたユーモアということですか。
それはあたかも弥生時代以降の日本人のメンタリティに、縄文の記憶が息づいているのと似ていますね。もちろん、縄文が貧しいばかりので時代であったというのではなく、あくまで"絶対的"な地平でたとえているのですが……。
──飢饉150周年ですか。確か、ジャガイモが病気で全滅して、10人に1人が餓死したという大飢饉ですよね。ケネディ大統領の祖父がアメリカに移民するきっかけにもなった。
──なるほど。アイルランドの貧しさは、土地が痩せているからだけではなく、大英帝国の植民地収奪の結果でもあるわけです。そもそも、ケルト人がああいう痩せた辺境の地に追いやられたのは、アングロ・サクソンの侵略のせいだったともいえる。そういう土地に育ったジョイスが、英語にたいしてもっていた感情には、確かに複雑なものがあったのでしょう。
──安い買物ですよ。雀の涙ほどの年金で、『ユリシーズ』という宝物が英文学にくわわったんですから。イギリス人が経済が落ち目でも、威張っていられるのは、英文学のおかげといってもいいくらいです。しかし、坂上田村麻呂の時代ならともかく、現在の東北とアイルランドは違うと思うんですが、室井さんの場合は会津という土地柄もあるのかな。標準語に対する異和感はそんなに強烈なものなんでしょうか。
言葉は文化のサンプルで、それを習得するまでにずいぶん手間ひまかかった。ただ、その実感をナイーヴにいいすぎると、弥生文化に対する縄文文化の力というのと同じで、ロマン主義的になっちゃいますからね。文化への求心力と遠心力を二つながらに行使して、すこぶるソフィスティケートされた"復讐戦"を演じていくしかありません。
──丸谷才一の『後鳥羽院』(註6)はお読みになりましたか? あの本の第一部は、後鳥羽院の和歌を『フィネガンズ・ウェイク』を読むのと同じやり方で読んでいます。
──それは惜しい。室井さんが読んだら、すごくおもしろいと思います。言葉にすべてがあるという考え方は、ヨーロッパではサンボリスムの時代に自覚されたわけですが、日本では新古今の時代にすでに当り前のことだった。丸谷才一は後鳥羽院の和歌をすべて平仮名になおして、音を転がすことで、無意識の底の底をさぐっていくんです。室井さんの小説の方法と同じですよ。こういう方法というのは、宮廷文学とか19世紀のサロン文学のような、煮つまった状況からでなければ、生まれてこないと思うんですが。
──なるほど。室井さんの小説を「記号的」と批判する人もいるみたいですが、方言の音を転がしていくことで、そういう土着的な世界につながる無意識の底の底まで掬いあげようとされているわけですね。しかも、その無意識というのは、室井さん個人の無意識ではなく、祖父や曾祖父の無意識でもある、と。
エリオットやヘミングウェイと同時代のアメリカの詩人。一時、ファシズムに加担したため、作品そのものは長く等閑にふされ、ジョイスやエリオットが世に出るために奔走したことばかり有名だったが、最近、ようやく再評価がはじまっている。代表作は日本の俳句にヒントを受けた「キャントゥズ」など。
ロシア生まれの小説家。名門貴族に生まれ、革命後、亡命。欧米各地を転々とし、英語とロシア語で作品を書いた。『ロリータ』の作者というイメージが強いが、本領は果敢な言語実験にある。もっとも、洗練をきわめた名文は、実験であることをまったく意識させない。入手可能な本の中では、『淡い焔』(筑摩版世界文学全集にボルヘスとともに収録)がお勧め。
ジョイスの言語実験の産物をこう呼ぶ。
ダブリンのごく普通の人々を描いたスケッチ風の短編集。この作品に限っては「難解」なところはまったくない。新潮文庫で入手可能。
週刊朝日に20年以上にわたって連載されている司馬遼太郎の歴史紀行。アイルランド篇は「愛蘭土紀行」1、2として、単行本化されている。朝日文庫で入手可能。
丸谷才一の最高傑作であると同時に、明治以降に書かれた最高の批評の一つ。第一部は後鳥羽院の作品を逐語批評し、新古今時代の和歌のおもしろさを堪能させてくれる。第二部は小説家的な感性で藤原定家との確執にメスを入れ、第三部では巨視的な文明批評の見地から後鳥羽院の事業を再評価する。まだ文庫化されていないが、筑摩書房の「日本詩人選」で入手可能。