伊井直行氏と語る

加藤弘一

瀬戸内海

──先日、『悲しみの航海』が朝日文芸文庫にはいりましたね。造船所を中心にした瀬戸内海の小さな町に、アスパシアという謎の国家の豪華客船がドックいりのためにやってくるという話で、町の歴史とアスパシアの歴史を魔術的リアリズムの手法で描いた幻想的な小説です。ぼくはこの長編は、伊井さんがこれまで書かれた作品のうちで最高の傑作だと思い、ずっと注目しているんですが、この小説のあとにも、『湯微島訪問記』で淡路島とおぼしい瀬戸内海の島を舞台にされています。伊井さんは九州の延岡のご出身で、瀬戸内海とは直接の関係はないとうかがっているんですが、なぜ、瀬戸内海を二度も舞台に選ばれたのですか?

伊井 『悲しみの航海』のモデルは相生(あいおい)という町なんですが、わたしは九州に住んでいたもので、学生時代、東京から帰省するのに夜行を使うことがよくあったんです。夜行は相生という駅でかなり長い間停まったんですが、その時の印象では、相生という駅はすごく大きな駅に見えたんですよ。山陽新幹線も停まりますし、こんなところにあまり聞いたことのない大きな町があるんだなと思っていました。

 それが、ある時、瀬戸内海を車でずっと走っていたことがあって、相生に突入したんですけど、とんでもなく小さな町だった(笑)。小説にも書きましたけど、道を走っていたら、突然、山に船が突きささっていた。修理中なのか、建造中なのかはわかりませんが、ドックいりしていた船が山の上に突きだしているように見えたんです。

──そんなに小さい造船所なんですか?

伊井 というか、船ってでっかいんですよ。海の上や港にあると大きくは見えないんですが、陸上のものと並べると、船って大きいんです。ぼくはその時はそんな知識はなくて、船が空から降りてきたみたいだな、面白い風景だなと思ったんですけど。それが造船所のある町を小説の舞台にしようとしたきっかけです。

──それで造船所の歴史を調べはじ めたわけですね。

伊井 調べたというほど調べたわけではないですけど。

──『湯微島』はその調査の副産物ですか?

伊井 副産物というわけではないんですが。『悲しみの航海』は最高傑作かどうかはわかりませんが、自分ではよく書けたなと気にいっていたんですけど、時評とかではいいことが書かれなくて、要するにけなされたわけです。それに、なかなか本にならなくて。

──「群像」に一挙掲載されたのが86年7月、朝日新聞社から単行本として出たのが93年でしたから、7年間、匡底に秘めていたわけですね。

伊井 いえ、単純に出なかっただけです(笑)。あの頃は全然本になりませんでした。わたしに限らず。

──ああ、そうでした。80年代後半は、新人作家には厳しい時代でしたね。村上龍、村上春樹が「群像」でデビューしたあとの7、8年は、新人の書いたものでも簡単に本になったし、「群像長編賞」なんていう単行本化を前提とした新人賞もありましたが、その反動で、新人作家の本がまったく出ない時期がありました。

伊井 その時期です。話をもどすと、評価されなかったということで、ちょっとがっかりしました。それで、同じ手法というほど同じではないですが、わたしなりに復讐戦をやろうと思いまして、『湯微島訪問記』を書いたわけです。


 

魔術的リアリズム

──ぼくは『湯微島』は『悲しみの航海』ほどおもしろくはなかったですが。

伊井 ははは。わたしはどっちが好きかといわれたら、『湯微島訪問記』の方が好きなんですけど。

──前半は前衛的な短編がならんでいるのに、後半に観光会社社長の一代記がどーんとくるでしょ。一代記は一代記でおもしろいんだけど、前半とはおもしろさの質が違うと思います。木に竹をついだような感じがするなんていっては、作者に失礼にあたるかな。とにかく、模索しているなという印象を受けました。

伊井 そうですか。そのへんはぼくの欠陥かもしれませんが、自分ではぜんぜんそんな風に思っていないんですよ。あれはああいうもんなんですよ(笑)。まあ、そういった意味では、『悲しみの航海』の方が一貫性があるのかな。

──あれはラテン・アメリカの魔術的リアリズムを日本語でやって成功した、数少ない作品の一つだと思います。

伊井 『湯微島訪問記』にも、その面影がなくはないと思うんですけど。

──どうかな。前半の短編群にしても、ロブ=グリエを連想しましたが。『悲しみの航海』のような書き方を捨てたのは、評価されなかったことが原因なんですか?

伊井 捨てましたかね。当人はあんまりそういう意識はないんですが。

──書き方はかわったと思いますよ。

伊井 ……もろにやらなくなったことは確かですね。なかなかわかってもらえませんでしたからね。デビュー作の『草のかんむり』では、『百年の孤独』にもろに言及しているところがあるんですよ。でも、そういう風には誰も言いませんでした。外国の作家の影響を受けるということはよくあることですが、普通、それを日本化してやりますよね。でも、わたしはそれをはっきりわかるようにやったつもりなんですが、誰も気がついてくれなかった。ほめてくださった方は、ありがたいことに、何人もいらっしゃるんですが、ぼくが思い入れをもっているところは、ぽろっと脱けおちているんですよ。別にそのことを評価してくれといっているわけではないですが、そういうことは全然見ないんだなと……。

──意外に評価を気にするんですね。伊井さんは他人にどういわれようと、わが道をいく人だと思っていましたが。

伊井 別に時評から影響を受けることはありませんが、長いことやっていると、疲れてくるんですよ。


 

風土が企業

──話はかわりますが、普通、地方出身の小説家の方は、自分が生まれ育った郷里の話か、今、住んでいる東京の話から書きはじめて、ネタ切れになってから、よその地方都市の話を書くようになると思うんです。中には一生、郷里の話を書きつづける作家もすくなくありません。ところが、伊井さんが郷里の延岡とおぼしい町の話を書かれるようになったのは、この数年のことですよね。それまでは、ずっと直接は知らない他の地方都市を舞台にして、そのためにわざわざ取材旅行までされているとうかがっています。こういう作家はかなり珍しいと思うんですが。

伊井 正直いいますとね、相生という町を舞台にできたのは、わたしの生まれ故郷の延岡市と共通点があるとわかっていたからなんですよ。それはなにかといいますと、相生は石川島播磨重工業の町なんですよ。

──企業城下町というやつですね。

伊井 ええ。それで、延岡市は旭化生の城下町なんですよ。「レプトケファルス市へ」という鰻の出てくる話は、日立市がモデルですが、ここも企業城下町です。町を主人公の一人にしたのは『悲しみの航海』が最初で、「レプトケファルス市へ」の場合は背景に借りただけですけど。

──なるほど。『百年の孤独』を日本に移しかえたような小説はずいぶんありますが、土俗性の強調の方向に進むものが多く、すばらしい成果をあげているものもありますが、なかにはタコ壷的に閉塞していく作品もあります。ところが、伊井さんの小説は都会的というか、つねに外の世界に向かって開かれているという印象をうけるんですが、それは企業という視点があるからなんですね。
 そういえば、「さして重要でない一日」は会社の中で迷って、帰れなくなるという話でしたし、『星の見えない夜』も会社の話でした。「レプトケファルス市へ」の舞台も、日立市という土地柄は見えなくて、社宅が舞台という印象の方が強かったです。生活の場を風土としてとらえる流れがありますが、伊井さんの場合は、企業としてとらえているといっていいですか?

伊井 というか、延岡市の風土が企業だったんですよ。

──それはすごい(笑)。昨年、「群像」に発表された「三月生まれ」は、そういう土地柄を描いていましたね。昔の大地主と、そこで世話になった人たちの関係に、企業の人間関係が重なっていて、町全体が社宅みたいになっている。地方都市の濃密な人間関係を、企業はこんな風に再編成するんだなということがユーモラスに描かれていて、おもしろかったです。


 

サラリーマンは描けるか?

──ところで、黒井千次さんをどう思いますか? 黒井さんは企業の人間をテーマにした最初の作家といってよくて、その意味では、伊井さんの先輩にあたると思うんですが。

伊井 黒井さんの本は読んだことがないんですよ。

──あらら(笑)。では、サラリーマン、つまり企業の中の人間を描くということについてはどうですか?

伊井 これは話すと長くなるんですが、ぼくは企業の中の人間を書いた小説というのは、たぶん、ありえないだろうと思って書いているんですね。会社員というものは、小説が書けない最たるものだと思います。よくわからないでしょ?

──わからないですね。

伊井 会社員というような十全な登場人物になりえないものは、小説にはできないんです。まだ、抽象的ですか?

──『雷山からの下山』は大家と店子の話ですが、二人ともサラリーマンではないですか? 店子の方は途中でフリーターになってしまいますが。

伊井 あの主人公たちは、実は、一度も会社に行っていないんです。

──えっ?!

伊井 会話の中などで会社の話題は出てきますが、小説の中に流れている時間では、一度も会社の場面は登場しないんです。これは意図的でしてね、「さして重要でない一日」の方では、一度も会社の外へ出ないんですよ。

──そうですね。あれはコピー機をさがして会社の中をさまようという、会社怪談みたいな話でしたから。

伊井 彼は本来の仕事は一度もしていないんですよ。彼は営業マンで、外へ行って注文をとってくるのが本当の仕事で、それ以外のコピーをとるとかというのは雑用なんです。なんでそんなことをしているのかというと、ぼくは黒井千次さんを読んでいないので、すべてがとは言いませんが、会社員の出てくる小説は、会社の中で電話をかけているとか、昼休みになにかしているとか、社員旅行でどうとか、会社から帰って家でどうとかという展開になって、仕事の話は出てこないんです。

──あ、思いだした。『星の見えない夜で』にはちゃんと会社の中で仕事をしている場面が出てきます。とてもロマンチックな話である一方、人事をめぐる厳しいやり取りもありました。

伊井 いや、あれは会社から出たり入ったりすることで、会社の内と外が曖昧になってしまう作りなんですよ。

──なんか詭弁っぽいですね(笑)。伊井さんが会社について、ある種のこだわりをもっていることはよくわかりましたが。


 

会社員の誕生

──しかし、サラリーマン小説というジャンルがありますよね。源氏鶏太とか。

伊井 源氏鶏太の小説の場合も、主人公は仕事はしていないんです。サラリーマン小説というのは、サラリーマンという身分の人間が、どんな生活をしているのかという小説なんですね。

──小説というのはそういうものなんじゃないですか? 主人公の仕事内容が小説の中心テーマになるのは、探偵小説くらいで、普通の小説は世態人情というか、丸谷才一的な意味での「風俗」というか、人間が社会の中でどんな生活をしているかを描くものであって、仕事はあくまで世帯人情の一部にすぎないと思うんですが。

伊井 では、仕事をとりさった会社員とは何者でしょうか?

──うーむ。しかしですね、仕事をしていなくても、会社の人間関係は生活の中にはいりこんでいると思うんですよ。会社員的な気の使い方とか、頭のはたらかせ方というのがあって、それがその人間の生活をかなり決定しているんじゃないでしょうか。
 そういう会社員の風俗というか、世態人情を描いているのは、純文学といわれている分野では、黒井さんと伊井さんだと思うんですが。

伊井 黒井さんはわかりませんが、以前の「三田文学」の編集長をやっておられた坂上弘氏のある作品には、文学的志をもった会社員が出てくるんです(笑)。でも、小説を書こうと思っている会社員は、すでに会社員というより、文学志向の人のある種の形なんですよね。

──途中まではわかるんですが……。
 話をちょっと大きくしますが、日本はついこの間まで農村社会でしたよね。都市といっても、都市の住民の大半は地方出身者で、農村社会の臍の緒を引きずっていた。ところが、高度成長経済をへて、いつの間にか企業社会になりました。農村社会的な世態人情は、明治・大正と昭和初期の小説が描きましたが、乱暴なくくり方をすると、戦後の日本小説は芸術家小説になってしまって、小説家を主人公にした小説以外はリァリティがありません。その意味では、サラリーマン的な世態人情はほとんど小説に描かれてこなかったといっていいかもしれない。日本には市民小説がないという議論になりますが。

伊井 日本以外の国々にも、会社員小説というのはまずありえないだろうと思いますが、それはさておき、わたしは明治になって会社員が誕生したのと、小説が誕生したのはほぼ同時だろうと考えています。そして、「会社員の誕生」という大事件があったにもかかわらず、小説はほとんどそれをとらえていません。会社員と小説はおたがい、そっぽを向きながら、歴史をたどってきたんですね。そのへんのことに関しては、わたしはいっぱい、いっぱい考えたんですよ。たとえば、会社員は現代を代表する職種のようにいわれていますが、全就業人口の20%ほどのはずです。

──その場合の会社員というのは、ホワイトカラーのことですね。

伊井 そうです。会社員というのは、平均的労働者のイメージをもたれていますが、実際はそうじゃないんです。「サラリーマン」という和製英語がありますが、この言葉など一度もきちんと定義されることもないのに、どうのこうの語られているわけです。


 

小説に書けるもの

伊井 明治以来の歴史は、会社員が増大する歴史でもあるんです。かつては官が圧倒的に強かったのに、最近は、民間が官に勝つかもしれないというところまで来ている。ところが、小説はそういうことをまったく書いたことがないんですね。そもそも、小説は会社員を書けない運命にあるのかもしれません。小説は会社員以外を書くには有効なんですが、会社員は書けない。だから、会社員が増大することによって、小説の書ける分野がだんだんせばめられつつある。ま、冗談と思ってくれてよいですが。

──純文学の不振の原因はそこにあったのか(笑)。

伊井 すくなくとも、純文学というのは、会社員を主人公にしては純文学のかっこうにならないですよね。純文学は社会不適応でドロップアウトした人だとかばかりを書かないで、もっときちんと大人を書かなければいけないということを言う人がいますが、じゃ、そんなものがかつてあったのか、と言いたいです。

──なるほど(笑)。

伊井 純文学だけではなく、小説が書いてきたのは、犯罪者とか、社会的に許されない恋愛をした人とか、劇的な生涯をおくった人とか、そういう人ばかりです。

──確かに、黒井千次さんでも、サラリーマンを書こうとしたのは初期の短編くらいで、途中からサラリーマン周辺の新中間層へシフトして、それから、傑作を書かれるようになりましたね。

伊井 ぼくもデビューして、会社員時代の経験を小説を書くのに活かそうという試みを始めて間もなく、小説にはサラリーマンは書けないということに気がつきまして、それから小説はもっと書きやすい題材で書こうと。

──小説学校の先生みたいですね(笑)。

伊井 そうは思いません。小説には書きうる限界がある、という話です。それも、近代の代表的な文学形式である小説が、もっとも近代的な存在である「会社員」を描くことができないという大いなる不自由についての話です。眼の前に大洋が広がっているのに、そこでは泳ぐことも、水を飲むこともできない、そんな不自由が小説にはあるのです。
 べつの言い方をすると、小説は小説に書ける題材を相手にするものだという当り前のことですね。会社員というのは上半身が会社にとけこんでしまっていて、全体像を書こうとすると、会社の仕事そのものを書かなければならないんです。そんなものは読んでおもしろいわけがない。無理におもしろくしようとすると、日経のビジネス小説になります。そういうことが経験的にわかったんです。まことに残念ながら。

──『雷山からの下山』という作品はフリーター的な世態人情を滑稽化していると同時に、サラリーマン的な世態人情も滑稽化していると思います。あれは立派なサラリーマン小説じゃないかと思うのですが。

伊井 あの大家は、会社の中では「窓際族」ですから、一種のドロップアウトともいえるんです。もし、バリバリに働いていますという人があそこに出てきたと考えますとね、小説として成り立たないんですよ。
 急にこういう会社員と小説なんていう話になって面食らっているかもしませんが、わたしはこの問題についてはいっぱい考えていて、この方向では、わたしが小説を書いていく上で役にたつものはあまりないだろうとわかっているんです。これに関しては、小説という形で書くより、べつの形の方が書きやすいかもしれません。

──そのわりには、不可能に挑んでいるように見えますけどね(笑)。
 最後になりましたが、4月から「三田文学」の編集長になられるそうですが、抱負を聞かせてください。

伊井 小説をみんなに興味をもって読んでもらえるようなスタイルを模索してみたいと思っています。

──うーむ。また、つかみどころがないですね。

伊井 「三田文学」は文芸誌という形で出ていますから、文芸誌という枠はこえられないんですが、その中であくまで小説を中心した雑誌をつくっていきたいと思っているわけです。それ以上は、できたものを見てください。

──よくわからないけど、すごそうですね。

伊井 なんですか、それは(笑)。でも、また不可能に挑んでしまいそうで、なかば自分が恐いんですが。

──今日はお忙しいところ、ありがとうございました。

(Jan18 1996)
Copyright 1996 Ii Naoyuki
Kato Koiti
作家と語る ほら貝目次