青野聰氏と語る

加藤弘一

根も葉もない話

──青野さんは小説家としてすばらしい作品をたくさん書かれていますが、若い読者の中にはブコウスキーの翻訳ではじめて知ったという人がかなりいるようなので、ブコウスキーの話からうかがいたいと思います。
 ブコウスキーはほら話というか、奇想天外な話をよく書いていますよね。妻からダイエットを強制されているうちに、小人になってしまう男の話(「15センチ」)とか。青野さんはそういう話をとても楽しんで訳しておられるような印象を受けました。
 しかし、ご自身の小説ではほら話的な部分はあまり出されていないように思います。主人公以外の人物がほら話的なことを喋るという部分はたまに出てきますが、あまり大きな部分は占めていない。

青野 「ほら話」が根も葉もない話ということなら、嫌いじゃないですね。ただ、根も葉もない話で一冊の小説を書くという考えはぼくにはない。自分には出来ないですよ。でも、ひとつの小説の中にエピソードとして挿入するのは好きですね。

──青野さんは実はほら話が大好きで、それがブコウスキーの翻訳で解放されたということはありませんか? 読んでいて、ほら話を楽しんでいるという印象をもったんですが。

青野 原文がそうなんですよ(笑)。

──それを言われてしまっては。
 批評家の勘ぐりなんですが、青野さんの場合、海外放浪の体験を書かれたり、義理のお母様とのつらい体験を書かれたりというように、プライバシーをさらす形で作家としてのスタートを切られたという面があると思います。そういう出発をすると、ほら話的なものは書きにくいのではないかなと。
 もちろん、書かれている内容が本当のプライバシーかどうかはわからないわけですが、ある時期から、プライバシーを書くことから、それを書くことの意味を考えなおすことへと、小説の重点が移ったのではないかと思います。
 たとえば、『人間のいとなみ』は、他人のプライバシーをさぐる探偵という仕事をはじめた青年が、実は自分のプライバシーを売っていたことに気がつくという話ですが、この主人公のやっていることは小説家のいとなみとパラレルなわけで、まさに小説を考える小説、メタ小説になっていると思いました。

青野 ぼくはまだ小説を書くということと、プライバシーの関係がつかみきれていないんですよ。どうもプライバシーというのはあるみたいなんでが(笑)、ぼくはプライバシーのまったく外側で小説を書くことはできないだろう、プライバシーを無視して小説は書けないだろうと思うんですね。

──それはご自分の体験ということですか?

青野 プライバシーは体験ではないですよ。ではなにかというと、小説を書いていてなかなか定義しにくいんですね。最初に「どうもプライバシーというのはあるらしい」といいましたが、他人の小説を読んでいてもどうなっているのかよくわからないなぁ。プライバシーがなにかと考えつめていくと、なんだかわけがわからなくなってくる。あんまり考えない方がいいんじゃないかと思います。

──一般の読者からすると、青野さんはプライバシーの気になる小説家だと思うんですが。

青野 その場合のプライバシーというのは私生活ということだと思うけど、ぼくは私生活は書かないんです。現実にどこに住んでいるとか、何時何分にどこへいくとか、そういうことを書くのは好きじゃないんですが、書いているかのように見せるのはやるんです。それは小説家の戦略といったらいいか、小説を組みたてる土台の基礎のように気がするんです。ぼくの場合はね。それを無視した小説は書きたくないんです。


 

誰の出来事か?

──『友だちの出来事』の場合はどうなんでしょうか? この作品は青野さんの最高傑作ではないかと考えているんですが、なにしろ「友達」のできごとですから、青野さん自身の体験とは離れたかたちで書かれていますよね。すくなくとも、出来事の当事者は、野村という庭師だと思います。他の作品とは距離のとり方がかなり違うように思うんですが、どうなんでしょうか?

青野 あの小説には書き手である「私」というのが出てきます。もし、あそこに「私」が出てこなかったら、おっしゃるように、ぼくにとってまったく新しい書き方をしたと言えると思うんですよ。ところが、あの「私」が出てこないと、あの小説は書けないんですね。すくなくとも、ぼくには。

──つまり、書き手の「私」が臍の緒のように出来事と青野さんをつないでいるということですか?

青野 そうです。「私」を削りとった小説というのもありますよね。でも、それはぼくには書けない。そういう小説は志向していないんです。

──あの小説では、「私」はかなり後になってから出てくると思うんですが、すると、最初から「私」を出すという前提で書きはじめられたわけですね。

青野 そうです。あの「私」はほかの小説の書き手である「私」と同一人物なんです。だから、今回は俺のことは休んで、友だちのことを書くよということにすぎないんです。そう題名で宣言したわけです。

──なるほど。すると、あの小説は野村という庭師の出来事ではなく、「私の友だち」の出来事だったわけですね。

青野 だから、広義の「自伝」といっていいでしょう。ぼくは小説というかたちで、思いっきり波紋を広げて拡大解釈した場合の「自伝」を書いているのだと思う。

──波紋のかなり周辺部分だけれども、あくまで「自伝」の内側だというわけですね。


 

城としての小説

青野 ぼくは第一作を書いてからずっと小説を書いてきて、これからも何作か書きますが、そのいとなみは、結局、自分の城を建てることなんだろうと思っています。城には真中に天守閣があったり、外堀があったり、矢倉があったり、大手門があったり、接待の間があったり、いろいろあるじゃないですか。城というか、家ってそういうものでしょ。
 他人の小説を読んでもそうですが、その小説をその城なり館なりのどこに位置づけするかだと思うんですね。

──それをつねに意識されているんですか?

青野 つねにではない。つねにそんなことを意識していたら書けません。でも、小説を書くことはそういうものだと決めこんでいるんです。だから、つらい時は、今日はちょっとモザイクの窓を作っておくかとか、『友だちの出来事』みたいに接待の間のレンガを積んでおこうかなとかとかするわけです。だから、書き手である「私」が出てこないと、ぼくの小説は成立しないんですよ。

──「私」が登場しなければ、『友だちの出来事』は書けなかった?

青野 というか、書く必要がないしね。ぼくには。

──小説家というのはそういう発想をするんですか?!

青野 他人の小説を読んでいて、そう思いますね。十本、二十本と書いている小説家の仕事をまとめて読んでみますと、大体、そういう風にかたちとして見えますよ。
 小説家の変化っていう言い方、できますね。十年、二十年書いていれば、小説家も変化してきますから。その変化でガウディの建築みたいにねじれちゃうこともあります。はじめは寝室と隣あった書斎を書いたつもりが、だんだん年月がたって、家を大きくしていって見ると、なんのことはない、単なる子供部屋だったりするんですよ。それで、結局、年をとってくると、天守閣みたいのが書きたくなるんですね(笑)。それが城になっているか、どうかということは、後の人が見ればわかりますけれども。
 それは私小説の人でもいえますよ。ぼくは日本では大江さんや安岡さんの小説を読んでいて、よく思いましたけど。これは一つの大きな城なんだな、と。

──では、全体の設計図があるんですか?

青野 いや。小説を書くのは見えない崖っぷちを跳ぶようなところがありますから。書き終わった途端に、過去になって、設計図に組みこまれるといった方がいいでしょうね。つまり、後から見ると、設計図があったなとわかるということと、もう一つ、暗い崖を跳ぶ時に覚悟のようなものがあるでしょ。これはちょっと奥まったところを書いて見せるぞとかね。たとえば、ぼくが『母よ』という小説を書いたのは、ぼくにとっては引きこんだ暗い部屋を書いてみるという意識がありました。
 自我の奥底を探るとか、そういう安っぽい批評言辞がありますが、そんなのは、要するに、自分の家の奥の方の、あまり客を通したことのない部屋に人をいれるというだけのことなんですよ。大事なお母さんの写真が飾ってある部屋とかね。そういうの、昔、映画で見たことありません?

──イメージとしてはわかりますが。


 

母の救われ

──話はかわりますが、「群像」の二月号に丸谷才一氏が「女の救われ」という長い評論を書いています。日本文学には可哀そうな死に方をした女性を救済したいという伝統があるということを、古代母系制社会の考察や、『源氏物語』から『細雪』にいたるまでの作品を通して検証したものなのですが、この議論は青野さんの小説にも当てはまるなと思いました。
 たとえば、『遊平の旅』という小説は、世界をまたにかけて妻問い婚をして歩く話といえると思うのですが、寂しく傷ついたさまざまな女性を癒して歩くことで、遊平は若くして愛人という立場のまま死んだ実の母と、本妻でありながら夫に裏切られつづけ、愛人の子供まで育てさせられた義理の母という二人の可哀そうな母の魂をなぐさめ、救おうとしているんじゃないかと思ったのです。

青野 ほう。ぼくは古代のことはわかりませんが、なるほどね。

──『友だちの出来事』でいえば、ヒロインの由香里は結婚した相手が暴力亭主で、そこを逃げだしたと思ったら、東南アジアで売られてしまい、日本にもどると娼婦になって、最後は雪の中で凍死するという、ひじょうに可哀そうな女性です。
 小説がはじまった時点ではすでに彼女は死んでいて、その死の謎を探ろうとすることで小説が進んでいきます。これはまさに異常な死に方をした者への魂鎮めではないか、この小説は魂鎮めの旅を言葉でしているのではないかと思いました。『母との契約』や『母よ』も同じで、二人の母の魂鎮めだと思いました。青野さんの小説は、可哀そうな女性の魂をなぐさめようとする時、もっとも輝くように思うのですが。

青野 うーん。なぜでしょうか。

──いや、そんなことを振られても。ぼくは青野さんは鎮魂のために世界中を行脚している歩いている小説を書かれていると思っていたものですから、城をつくるつもりで小説を書いているという話をうかがって驚いています。作者としては城を作っておられるのでしょうが、読者から見ると鎮魂の旅に見えるのです。

青野 うん。おもしろいですね。ちょっと聞きますが、魂鎮めって未来がありますか?

──未来というか、丸谷説にのっかっていうと、日本の伝統の一部ですから。

青野 文化論ではなくて、小説としてということです。女の魂鎮めの小説って、いろんな類型があると思いますが、読んでいておもしろいですか?

──おもしろいですよ。『源氏物語』の昔から『細雪』にいたるまで、女の魂鎮めの小説は延々書きつづけられてきて、読者に支持されてきたわけですから、なくなるとは思いません。確かに、現代では死後に魂が残るという考え方は否定されていて、魂鎮めが書きにくくてっていることは事実ですが、「タタリじゃー」なんていう言葉がそれなりに説得力をもっているように、可哀そうな死に方をした女性をなぐさめたいという感受性は生きつづけていると思います。
 『友だちの出来事』の場合、なんだかわからない死に方をした女性の死の真相を追うという設定ですから、抵抗なくすんなり鎮魂の旅の中にはいっていけました。この作品は女の救われという伝統を現代に甦らせた傑作だと思います。

青野 ぼくもあの作品は気にいっているんですけど、他人はあんまり誉めてくれませんでした。ぼくはかなり一生懸命書きましたよ。だって、友だちの出来事ですからね。自分の出来事なら、また次がありえますけど、友だちだの出来事ではそうはいきませんから。


 

出来事を起こすには

──『友だちの出来事』にはモデルはいるんですか? つまり、主人公の野村という庭師と、ヒロインの由香里のモデルということですが。

青野 庭師の友だちはいます。でも、由香里の方はいないんです。

──あらら(笑)。

青野 女性を造型する場合、ぼくはまず小説を書くんです。つまり、二段階踏まないと、女性が書けないんです。こういう女性が書きたいというのがあるじゃないですか。そうすると、まず、きわめて古風なスタイルで書いていくわけです。

──えっ!?

青野 つまり、女性を生みださなくてはいけないじゃないですか。ところが、『友だちの出来事』という小説は、書きながら生みだすことはできない書き方なんですね。だから、由香里を生みだすために、何百枚か書いておかなければならなかったんですよ。
 ごく当り前な書き方、たとえば新聞小説みたいな時系列にそった普通の書き方をしていくと、登場人物というのは生まれてくるんですね。腕はだるくなってあきちゃうけれども。

──人物が勝手に動きだすというやつですか?

青野 そうそう。なにか起きてこないと小説にならないじゃないですか。書いていくと、なにかが起きてくるんですね。窓をあけると外は雪だった。じゃ、その雪の中を走っていってみようという風に、動きだすんですよ。それは書かないと駄目なんです。二十行目に出てくる一行は、それまでに十九行書いたから出てきたんであって、いきなりは出てこないんです。ぼくの場合、風俗的なというか、読んでいて飽きるようなものをまず書いてからでないと、人物が個性をもって動きださないんですよ。モデルは、そう意味では必要ないんですね。

──すると、『友だちの出来事』にはプロトタイプというか、発表しない原稿が何百枚かあるのですか!?

青野 あるんです。

──それは時系列にそった、普通の書き方をしてあるんですか?

青野 そうです。そうじゃないと、出来ないじゃないですか。

──じゃ、その何百枚かを捨てて、あれを書き出したと?

青野 そうそう。あれはそうしたかった。ぼくはプロトタイプが八百枚くらいあるような短編小説を書きたかったんですよ。そうすると、文体もああなっちゃうんですね。余分なものが一切ないというか。それは結末で女が死んでいること知っているからというか、すでに女の死が起こっているから書けるんですね。

──なるほど。今のお話は、三島由紀夫が最後の一行を決めてから、すべて逆算して書くというのとはまったく別の話ですね。結局、三島の小説がつまらないのは、出来事が頭の中でだけ起こっていて、言葉の中というか、小説の中では起こっていないからだと思います。小説の中で出来事を起こすには、ただひたすら書くしかない、と。

青野 そう。ただ、経済効率は悪いですよ(笑)。ぼくも編集者のよろこびそうな、普通の書き方をした小説を書くんですけどね、途中でいやになっちゃんです。自分で自分の文体を批評しちゃうっていうか。そういう限界を乗り越えようとして、『友だちの出来事』という小説も生まれたんです。『遊平の旅』なんていうのは、新聞小説でしたから、そういう作業はしていませんが。
 しない方がいいこともあるんですが、もし『遊平の旅』が手元に返されていたら、どうにかしちゃうと思うんですよ。

──あの作品は書いたそのままを本にしたわけですか?

青野 もちろん、手はくわえましたよ。ただ、手をくわえたといっても、末端の表現だけです。

──そういうものなんですか。想像もしませんでした。

青野 いや、小説家っていうのは、ほとんどなんかしてますよ。読んでてわかりますよ。これは第一稿を完成稿にしているなとか、相当いじっているなと。

──そういうことは考えたことがないです。やはり、それは小説を書く現場を知っていないと気がつかないですよ。

青野 まあ、現場のことですけどね。

──なるほど。今日はおもしろいお話をありがとうございました。

(May04 1996)
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Kato Koiti
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