「2000年紀の文字コード問題」は1999年11月末に発売予定の「電脳農奴解放ジャーナル」という雑誌のために書いたもので、校正まで終っていたのですが、雑誌の性格とあわないということで不掲載になりました。原稿料は払うが、他の媒体で発表するのは自由という申し出をいただきましたので、WWWで公開することにしました。
原稿の依頼をいただいたの8月のことで、9月末締切、長さは原稿用紙30枚相当、発行は10月末ということでした。「電脳農奴」の編集実務はSという編集プロダクションが請負っており、担当はI氏でした。
執筆にかかったのは9月半ばでしたが、どのくらいの知識をもった読者を想定すればいいのか、I氏にうかがったところ、初心者向けに基本的なところから説明してほしい、長さが倍になってもかまわないということでした。
15枚ほどできた時点で、I氏に見ていただいたのですが、専門用語は編集部が脚注で補足するので、このままでかまわないということでした。
結局、倍の長さに増え、締切りにどうにかまにあったのですが、第一稿を送った直後、新しい情報がたてつづけにはいりました。原稿の修正が可能か、うかがたところ、発行が11月末に延びたので大丈夫とのことでした。
たまたまこの時期、別の出版社から出す予定の文字コードの本の担当者から、わかりやすく書くためのアドバイスを受けたので、一部だけでも実地に試してみようと、原稿を大幅に書き直しました。第二稿が仕上ったのは10月10日頃でした。この後も、文字コードをめぐるさまざまな動きがつづきましたので、校正時の修正の心覚えとして、原稿に修正をくわえていきました。
校正刷が出たのは10月27日、返送したのは29日でした。ところが、11月9日になって、突然、不掲載という通告が来たわけです。
校正の打ち合せの際、最近、「電脳農奴」の版元から出た文字コードの本の中で、筆者が批判されていることが話題になったこともあって、当初はなんらかの圧力がかかったのではと疑いましたが、話し合いの結果、その線はないという感触をえました。常識的に考えても、ベストセラー作家や広告主ならともかく、単なる執筆者に出版社を左右する力はありません。
見本誌が来なかったこともあって、よく把握していなかったのですが、「電脳農奴」は中年初心者向けの実用本位の雑誌だそうで、不掲載が決った発行元との会議では、筆者の文章は「高尚で難解すぎる」という意見が大勢を占めたそうです。
I氏は中年初心者向けの雑誌を作るのにあきたりないものを感じていたらしく、筆者の毛色の変った原稿を面白がってくれたわけですが、最終段階で通せなかったということのようです。
筆者としては、最初のお話どおり載せていただきたかったのですが、同誌は不定期刊のムック的な雑誌であること、他の雑誌を探すにしても、出版界はすでに年末体制にはいっていて、2月号までの内容が決っていること、原稿の内容に時事的な要素が多いことを勘案し、WWW掲載に踏みきりました。
校正が終っているのに載らないというのは異例の事態ですし、落胆しましたが、文字コードに関する大きな動きがつづいたこの時期に、状況を総括するまとまった文章を書くことができたのはよかったと思っています。
関係の皆様には、取材に応じてくださったばかりか、ご多忙のところ、原稿のチェックまでしていただいたのに、筆者の力がいたらず、こういう結果にいたったことを詫びいたします。