加藤弘一
一昨日(8月17日)、JCS委員会のエディタをつとめる豊島正之様から、「文字コード問題早わかり」続・漢字編に関する記述に誤解があると指摘した長文のメールをいただきました。
「文字コード問題」のページは、以前にもエディトリアルに書きましたが、さまざまな方から「誤解がある」「事実誤認だ」「解釈が一方的だ」「リンクが切れている」「こういうページを開いたのでリンクしてほしい」等々のメールをいただいていまして、内容の正確を期すために、できるだけ早く対応するように心がけています。
豊島様は規格本文を執筆されるエディタという責任あるお立場の方であり、またこちらが未見の資料を引用されていこともあって、とりあえず問題の部分を公開停止にし、当該資料を閲覧した上で、訂正すべき部分があれば、訂正のページを作ってリンクするとお答えし、お返事を待たずに公開停止の措置をとりました。
昨日は忙しくて、十分検討できなかったので、今日、あらためて豊島様のメールを拝見しましたが、論拠とされている点が、ぼくにとってはかならずしも納得のできるものではなく、公開停止にするほどのものではないと考えるにいたり、この付記をつけた上で、公開を再開することにしました。
豊島様が問題とされているのは、「文字コード問題早わかり 3」第二章の以下の記述です。
しかし、部分字形の統一をしろなどという原則は、常用漢字表にも、常用漢字表のもとになった国語審議会の答申にも書かれていません。いや、書かれていないどころか、常用漢字表の前書きには、次のような一文があるのです。
常用漢字表に掲げていない漢字の字体に対して、新たに、表内の漢字の字体に準じた整理を及ぼすかどうかの問題については、当面、特定の方向を示さず、各分野における慎重な検討にまつことにした。国語審議会は、部分字形の統一という性急な主張に、待ったをかけていたのです! 83年改正をおこなった第2次JCS委員会は、国語審議会の決めた方針を無視して、部分字形の統一を勝手に強行したわけです。
豊島様は「第108回国語審議会(1978年9月8日)の議事録」、および国語審議会が1977年1月21日に公開した「新漢字表試案」(後の「常用漢字表」)と、その説明資料を論拠に、表外字の字体を拘束しないという解釈は誤りであり、常用漢字表以後も、「字体の統一」推進の方針は一貫してつづいているとされています。
ぼくは以上の資料は未見ですし、来月にならなければ調べにいく時間がとれないのですが、いずれも最終答申にいたる途中段階の文書であることは間違いありません。
確かに、審議の中では、豊島様が指摘されているように、「字体の統一」推進の方針を主張する発言もあったでしょう。
しかし、そういう発言ばかりだったら、「常用漢字表に掲げていない漢字の字体に対して、新たに、表内の漢字の字体に準じた整理を及ぼすかどうかの問題については、当面、特定の方向を示さず、各分野における慎重な検討にまつことにした」という文言が常用漢字表にはいるとは考えにくいのです。
当該資料は未見なので、あくまで推測ですが、表外字の部分字形統一に反対する意見も出され、しかもそれが主流を占めたからこそ、「字体の統一」をもとめていた「新漢字表試案」(1977年1月21日公開)の文言が改められ、現在の形におちついたのではないでしょうか。行政が指針とすべきは、あくまで内閣告示となった常用漢字表であって、途中段階の試案や議事録ではありません。ぼくは常用漢字表の公示によって、戦後の漢字政策は転換したのではないかと考えています。
また、JISの83年改訂の中心となったと言われている野村雅昭氏が、常用漢字表が、漢字政策の転換点だという認識をもたれていたことは、氏の著書である『漢字と未来』の以下の記述でも明らかだと思います。
つまり、多少好意的に解釈しても、常用漢字表はせまくかぎられた一般生活という場所におしこめられてしまったわけである。もはや、すべての国民がおなじ文字を所有し、なるべくおなじことばで意志を交換するという理想は、うしなわれてしまった。敗戦後の自由をあれほど享受したわれわれが、こういう事態をまねいたのは、みずからの怠慢によるものである。一九八一年をさかいとして、国語改革における時計のハリは、あきらかに逆にまわりはじめたのである。
常用漢字表が「字形の統一」を推進するものであったのなら、「すべての国民がおなじ文字を所有し、なるべくおなじことばで意志を交換するという理想」がもはや失われてしまったとまで書かれた理由が理解しにくいのではないでしょうか。
ぼくはまだ豊島様が言及された資料を見ていませんから、豊島様が指摘されたように、常用漢字表の前書きを誤解しているのかもしれません。9月15日までには、資料を閲読し、最終的な見解なり訂正をほら貝上で公開する予定です。
読者の皆様にはご面倒をおかけしますが、9月15日以降にもう一度、来訪してくださるようお願いいたします。
なお、1997年2月に開かれた文化庁主催「国語施策懇談会」における豊島様の発表をとりあげた部分については、予稿集に掲載した原稿と実際の発表内容は異なるのに、掲載原稿だけにもとづく批判は不当であるとのご指摘を、豊島様からいただきました。確かに、ぼく自身は懇談会に出席していなかったので、懇談会の発言を云々するかのような書き方をしたのは不適切でした。その点は深くお詫びいたします。
しかし、JCS委員会のエディタという責任あるお立場の方が、文化庁の出版物に発表された原稿をとりあげるのは差し支えないと考え、「「国語施策懇談会」において」を「「国語施策懇談会」の予稿集に寄せた原稿において」と改めた上で、ひきつづき掲載していることをお断わりしておきます。(Aug19 1997)