>以前、一周年記念アンケートの際に僕が「宮本輝のページをリンクに載せないの
>は、宮本輝が嫌いからなのか」という意見を書いたところ、アンケートの結果発表
>のところで、「ページの作りがべたべたして気持ち悪いから」という理由を挙げら
>れてました。僕もあのページを、先日数ヶ月ぶりに来訪してみたところ、貴殿の意
>見に同意せざるを得なかったのですが、しかし、それでも疑問が残ります。
>「こけおどし」「文化コンプレックス」「中身はスカスカ」「反面教師」、これは
>全て「文芸ホットリスト」のリンク先の紹介の文句に出てくる言葉です。ついでに
>書くと、全て海外文学関係のサイトについてです。そんなもの「文芸ホットリスト
」
>に載せるな、と言っているのではありません。インターネットに対し、幻想を持っ
>ておらず、「ほら貝」を「方舟」に擬するくらいの貴殿の目から見れば、カスはカ
>スなのでしょう。
>そこまで巨視的に見れるなら、日本文学のサイトについてももう少し寛大になれな
>いものでしょうか。前述の宮本輝の他にも高橋源一郎のファンのページなどがリス
>トに載らないのが不思議でなりません。
>村上春樹のようにファンの数ばかりが多いような作家なら選択の幅もあるでしょう
>が、現役の純文学の作家に関するサイトは貴重だと思います。そこに忌憚ない意見
>をもって紹介していれば、問題はないのではないでしょうか。
村川泰さんからいただいたメールです。確かに、国内ページと海外ページでは選択基準が違ってきています。これではWスタンダードと受けとられても仕方ないですね。
ただ、これは国内と海外でわけた結果ではなく、選択基準が初期と現在では大幅にかわったためなのです。ほら貝をはじめた1995年当時は、日本語の文学系ページは「ロンドン漱石記念館」と「大江健三郎ページ」ぐらいしかなく、ホットリストの体裁を整えるために、ちょっとどうかなと思う海外のページを寄せ集めなければならなりませんでした。
その後、国内ですぐれたページがどんどん出てきたおかげで、選択基準も上がってきました。海外のページも国内以上に増えているのですが、あまりにも多くて(yahoo.comにのっているものだけで 2000を越えています)、把握しきれないのが実情です。本当は海外ページも定期的にパトロールして、いいものを厳選したいのですが、国内ページだけで手いっぱいで、海外ページは初期の選択を放置する状態がつづいています。
「日本文学のサイトについてももう少し寛大になれないか」とのことですが、ほら貝はページを軽くすることをモットーとしているので、文学系ページがこのペースで増えていくとすると、基準が高くなることはあっても、低くなることはないでしょう。海外の屑ページについては、時期を見て一掃する予定です。
>高校の現代国語の教材で、特に
>生徒たちに不評なのが、森鷗外の「舞姫」です。
>無論、あの教材はあくまで現代国語のものなのですが、
>現在私が勤務している学校(レベル的にはさほど高くありません)の
>ようなところでは、ほとんど古文さながらの
>解釈中心の授業になってしまい、
>書いてある内容は二の次、といった状況になってしまうのが現状です。
>
>生徒たちがあの作品に何を読むか、については、
>もちろん生徒たちの自由です。
>しかし、現状では、とてもそこまでたどり着けないため、
>鷗外には申し訳ないなあ、と思いつつ、
>現代語訳を作成することにしました。
>どうせですから、これをウェブ上で公開し、
>高校時代に「舞姫」と不幸な出会いをしてしまった
>人達のお役に立てれば、と思い立ったわけです。
高校で国語を教えていらっしゃる小林さんという方からいただいたメールです。
メールの趣旨は、「舞姫」の現代語訳を公開しても著作権法上、問題はないかという問い合わせでした。著作権には財産権としての著作権のほかに著作者人格権があります。財産権としての著作権は著作者の死後五十年で失効しますから、「舞姫」の場合、WWWで公開しても著作財産権については問題は生じません。平たく言えば、印税を払う必要はないということです。
ただし、著作者の子孫が健在なら(鷗外の子孫は健在です)、著作者人格権は存続しており、著者の意に反すると推定されるような作品の改変はできません(著作権法第60条)。現代語訳が著作者人格権の侵害になるかどうかは微妙ですが、小林さんの「舞姫」訳のように、訳文が一定のレベルに達しているなら、問題になることは多分ないでしょう(作品を傷つけるようなひどい代物を「現代語訳」と称して公開したら、著作者人格権の侵害になる可能性があります)。
ぼくとしては、訳文の出来のよしあしにかかわらず、近代文学の「現代語訳」はおこなうべきでないと考えているので、「個人的な意見としては、現代語訳をしてまで「舞姫」を読ませるのは疑問に思います。「舞姫」の擬古文は完全に趣味の領域であって、好きな人だけが舌なめずりしながら読めばよいのです。むしろ、若い人には論理的な文章を読み書きできる力を培ってほしいと考えます」と書き添えました。
小林さんから、おりかえし、次のようなお返事をいただきました。
>確かに、論理的な文章を読み書きする能力は大事です。
>しかし、単なるツールとしての国語使用の熟達を促すばかりではなく、
>――これはあくまで私個人の考えですが――
>様々な文芸作品との出会いの場を設定することも、
>やはり国語科の重要な課題ではないかと思うのです。
>
>世間ではいろいろないわれ方をされていますが、
>今の高校生はどうしても忙しい生活を送らざるを得ないのが現状です。
>本を、それも小説を読むとなればどうしても
>国語の教科書だけ、となりがちな高校生に、
>小説と不幸な出会いをして欲しくない、というのが私の考えです。
>
>結局、国語教師の仕事とは、生徒たちにとって
>よりよい言語体験の場をセッティングすることではないか、と思っています。
おっしゃることはわかりますし、小林さんの誠実な姿勢にも感銘を受けましたが、なぜ現代語訳なんていう不自然なことをしてまで、「舞姫」にこだわるのだろうという疑問は残ります。
現代の読者にとっては、「舞姫」は文章にもまして、内容がわかりにくくなっています。留学や国際結婚、家長制度が、当時、もっていた意味を細かく説明したとしても、主人公の葛藤が切実なものとして伝わるかどうか。そもそも、「舞姫」は鷗外の伝記を掘りかえす人にとっては重要であっても、作品としてどれだけ意味をもつのか疑問に思います。私見ですが、「舞姫」で面白いのは文体だけです。現代語に訳したら、唯一の美点が消えてしまうでしょう。
高校生によりよい言語体験をしてもらうには、「阿部一族」や「堺事件」の方が適しているのではないでしょうか。サムライの世界の話ですから、かえってわかりやすいと思います。
ぼくとしては、「舞姫」を教科書に入れた筆者たちの見識を疑います。こういう不適切な作品は飛ばした方が、生徒のみなさんはゆたかな言語体験をもてるのではないでしょうか。
> 小説作法の講座なので高校生に教えるのとはわけが
>ちがうのですが、この作品はいつも加藤さんがおしゃる
>とおり受講生から苦情が出ます。苦情は決まって主人公の
>生きたかに共感できないという苦情です。
> ところで教えるほうからすると、この作品は如何にして
>西洋的な恋愛を日本の風土に取り入れたかを説明する
>のにとても適しているのです。(ま、私も妊娠した女性を放り
>出すのは感心しませんが、)それまでの例えば近松の心中物
>とはまるでちがう清新な心情を日本語で描くという苦心があり
>ます。
> 以下は私の意見ではなくあるパティの会場で聞いた小説家
>辻章氏の意見です。
> 「舞姫」は日本で人気のある恋愛小説の原形だ。階級的に
>男よりも下の女性と出会い、そこで男性の人間としての自我が
>開けるというパターンは例えば「伊豆の踊り子」(川端康成)に
>も受け継がれている。
> 色恋と恋愛の違いを実際の作品で納得させるのはそれなり
>に苦労があり今でもいろいろとおもしろい問題を投げかけます。
中沢けいさんからいただいたメールです。刺激的なご指摘、ありがとうございます。
中沢さんに向かって恋愛小説論をぶつのは勇気がいるのですが、「舞姫」が西洋的な恋愛を主題としているかどうかについては、ちょっと異論があります。確かに舞台はドイツですし、相手の女性もドイツ人ですが、ぼくは恋愛小説というよりは、江戸時代から書きつがれてきた花柳小説の変種ではないかと考えています。
というのは、文学に描かれる西洋的な恋愛の典型は、不倫だと考えるからです。『クレーブの奥方』、『赤と黒』、『谷間の百合』、『ボバリー夫人』、『感情教育』、『アンナ・カレーニナ』等々、西洋を代表する恋愛小説は、なぜか、そろいもそろって不倫小説なのです。それも、名流夫人がよろめくというパターンの不倫です。
なぜこんなに不倫小説が多いのか? ドニ・ド・ルージュモンの説をぼくなりにアレンジして言うと、西洋的な恋愛の原型は騎士道物語のプラトニック・ラブにあるからです。
ルネサンス前後に、南仏を中心に、トゥルバドゥールと呼ばれる吟遊詩人が活躍しました。彼らは騎士道に題材をとった恋愛詩を各地の宮廷で朗唱して歩きました。彼らが歌ったのは、人格の完成をめざして遍歴の旅をつづける若い騎士が、高貴な婦人に純粋な愛を捧げるという同工異曲の物語ですが、宮廷の貴婦人たちの圧倒的な支持を受けました。恋愛という概念はそこからうまれたのです。
時代が下ると、騎士道物語はそのままの形では受け入れられなくなっていきます。『ドン・キホーテ』のような、あからさまなパロディが書かれるようになりますが、西洋で最初の恋愛小説といわれる『クレーブの奥方』もまた、騎士道物語のパロディとして書かれたのです。高貴な婦人が、自分に愛を捧げる若い騎士をいとしく思い、彼を愛しはじめていることを夫に告げたら、どういうことになるか? ラ・ファイエット夫人は騎士道物語をひっくりかえしてみせたわけですが、二人の愛がプラトニックでとどまるあたり、トゥルバドゥールの恋愛理念をそのままなぞっていると言えるでしょう。
若く社会的地位のさだまらない男が、高貴な人妻に恋をするというパターンは、スタンダールやバルザック、フロベールらによって踏襲され、傑作が次々と書かれることになります。
「舞姫」は西洋的な恋愛小説とは似て非なる作品です。単純化していうと、吉原の太夫を身請けしたが、親や親戚の反対でいっしょになれなかったというようなパターンの話ですよね。「日本で人気のある恋愛小説の原形」という言い方は、当たっている面もありますが、正確には近代風に化粧直しした花柳小説第一号と言った方がいいでしょう。
なぜ花柳小説が、西洋的な恋愛小説と勘違いされたかというと、当時の日本にはサロンがなかったためだろうと思われます。
サロンは貴族や裕福な市民の夫人が女主人となって開く社交の場で、そのルーツはトゥルバドゥールが活躍した宮廷にまでさかのぼります。サロンは男女の出会いの場を提供すると同時に、文学の発表の場としても機能していたのです。
中世以降の日本には、サロンに当たるものはありませんでした。中世以降と限定するのは、古代には存在したからです。『源氏物語』をはじめとする平安文学は、古代宮廷が主宰したサロンの精華です。
しかし、サロンの貴婦人がいなかった代わりに、中世以降の日本には遊女がいました。近世にはいると、遊女は遊郭に固定され、遊郭がサロンの代替物として機能するようになったのです。花柳小説は、遊郭や花街を舞台に色恋を描いたもので、恋愛小説とは別物と考えています。
> 論理的な文章を勉強しろとの加藤さんのご意見ですが、論理と
>いえどもそのそこには、それぞれの言語特有の感情が横たわって
>います。そこが理解できないと論理的な文章もほんとうは書くこと
>ができません。外国の翻訳の受け売りならばできるでしょうが、
>それでは説得力にかけるようです。
> で、メールが長くなったのではしょりますが、豊かな言語生活の
>ためには「詩」的なものの理解は欠かせません。鷗外の「舞姫」
>が絶対に教科書に必要だとは思いませんが、明治期の雅文調の
>文章をひとつくらい目を通しても損はしないでしょう。西洋の文物を
>輸入するとき、よくも雅分調というものを思い出したものだなと
>明治の人の連想力に感嘆し、なおかつ、それがかなり古い文化を
>大事に保存してきた結果、新しい事態に対応可能になったという
>事実に驚嘆の念すら覚えます。
> 国語の授業を居眠りしながら聞いて、それで20年後にああ
>あんな典雅な言葉も世の中にはあったのだなとうっとりするのも
>悪くなないでしょう。
> カルチャーセンターなどで講義をしていると、30年もたって蘇ってきた
>新鮮な感覚に自分で驚いているという人に出会います。男性に案外、
>にそのタイプがいます。
なるほど。そういうこともあるんですか。
ただ、国語の授業として「舞姫」をとりあげるとなると、形容詞の係り受けや、指示詞はなにを指すかといった詮索が中心になり、試験問題に使われたりもするでしょう。「舞姫」のような作品は、そういう材料には向いていないんじゃないかというのが正直な感想です。
音読するだけで、意味はあげつらわない。試験問題にも使わないという条件なら、「舞姫」をとりあげるのもおもしろいと思いますが、現在の高校ではそうもいかないでしょうね。
> 「花柳小説」と言う言い方ですが、これは近代になってからのもので、
>江戸時代まではそういう言い方はしないのです。第一、小説というもの
>があったかどうかさえ議論になるところですから。もっとも最近は定義を
>無視しているのではないかと思える使い方も評論で見かけるので、そい
>いう最新の流行については知りません。喧嘩を売るつもりではないので
>もしお聞き苦しい点があれば失礼をお許しください。
> 確かに鷗外の「舞姫」は明治から昭和にかけての「花柳界小説」の原形
>としての要素はあります。ですからご指摘はまんざらまちがいばかりでは
>ありません。それだけ日本人、いや東洋人には恋愛と結婚は神聖なもの
>であるという観念を理屈でなく情緒や感覚として伝えるのは難しかったの
>です。どうも、東洋人は恋愛は遊び、結婚は本気と考える傾向がありこれ
>は儒教のなかの宗教観念と関係があるので、決して不真面目だからそう
>感じるというのではありません。それはさておいて、「舞姫」ですが、これが
>恋愛小説かどうかの議論はまた精緻にすればおもしろい論題でしょう。
> どういう事かと申しますと西洋にあれほど姦通小説(不倫なんて変な単語
>が流行る前はこう言ってました。)が多いのは本来なら恋愛と結婚は神が
>結び付けたたもうた神聖な関係であるはずなのに、じばしば世俗的な理由
>で結婚だけが行われることに対してのアンチテーゼを含んでいるからです。
>簡略化して言うと、人間が取り決めた結婚より神の摂理の現れである恋愛
>の方が神聖だというのです。(面倒を言えば中世の心性や近世の市民感覚
>とかごちゃごちゃいろんな事を言っている人がいますが、とりあえず大雑把な
>話と思ってください。)だから姦通小説の伝統が培われました。が、近代の日本
>ではこの恋愛小説の白眉である姦通小説はとうてい受入られないと考えても
>差し支えないと思います。(現代でさえ不倫小説が流行っても、その内実は
>かなり怪しいと思います。残念ながら、かの「失楽園」を読んでいないので
>なんとも言えませんが、)で、鷗外は「舞姫」ですくなくとも恋愛の清々しく
>無垢で優しい側面を開いて見せたという手柄はあります。で、この技法が
>以後、花柳小説に転用されて行くのもと、私は理解しています。つまり、加藤
>さんのおしゃるのと私の理解は逆なのです。
中沢けいさんから反論をいただきました。確かに「花柳小説」を不用意に江戸時代にまで拡げたのはまずかったです(汗)。「花柳小説」の概念を遊女やホステスとの色恋を描いた小説という具合に拡張し、『梅暦』から吉行淳之介までを一つながりの流れとして楽しもうという立場は、決して現在の主流ではありませんから。
ただ、「舞姫」を「花柳小説」としたには、それなりの考えがあってのことなので、すこしおつきあいください。
「舞姫」の最初の部分については、「恋愛の清々しく無垢で優しい側面を開いて見せたという手柄」を認めるにやぶさかではありません。日本的な色恋とは違う、西欧的な恋愛の片鱗が顔をのぞかせていると言ってもよく、鷗外は、多分、ヱリスのモデルといわれるエリーゼ・ヴァイゲルトに対して、それに似た胸のときめきをおぼえたのでしょう。
問題は、ドイツ女性と日本人留学生との恋愛を小説に仕組むにあたり、ヒロインを貧しい踊り子とし、妊娠した挙げ句に捨てられ、発狂するという「花柳小説」的なストーリーに仕立てていることです。
エリーゼ・ヴァイゲルトが貧しい踊り子だったかどうかは不明ですが、あの時代に単身来日した事実から考えて、ヱリスのようなか弱い、哀れな女でなかったことは確かでしょう。もし彼女が「舞姫」を読んだとしたら、憤り、鷗外を軽蔑したと思います。
体験そのままを書くべきだということではありません。体験は単なる素材で、作品を核上で変形するのは当然です。ただし、変形の仕方に作家の力量や、作家を無意識のうちに拘束している枠組がおのずとあらわれてきます。
この問題について、鷗外の研究家はいろんなことを言っていますが、ぼくは単純に考えています。つまり、当時の鷗外には、自分をもった強い女性を描き、読者を納得させるだけの力量がなかったので、ありがちのパターンに逃げたのだ、という風に。
「舞姫」の二五年後、鷗外は「最後の一句」を書き、『澁江抽斎』を書いています。現実のエリーゼは、『澁江抽斎』の五百のような女性ではなかったかと想像しています。
さて、辻章さんの言われる「日本で人気のある恋愛小説の原形」という点ですが、丸谷才一氏が『恋と女の日本文学』で指摘した「女人往生」説話との関係で考えるとおもしろいんじゃないかと思います。
日本人は、万葉集の時代から、薄倖のまま死ぬ女性の話が好きで、恋愛概念も古代的な「女人往生」説話に裏打ちされないと、いまだにピンとこないのではないかと思います。『ノルウェーの森』なんか、典型的な「女人往生」の鎮魂譚ですからね。
> 一口に恋愛小説と言ってもいろいろな側面がありますから、恋愛のどの
>部分が強調されたのか、あるいは、どの部分がまず取り入れられたのかを
>見てゆくと日本の小説は結構おもしろいです。で、どうも肉体関係と神聖という
>観念は日本人にはお対にならないらしく、時代がくだって戦後の獅子文六など
>にあると西洋中世の騎士道の系列の恋愛で肉体関係にいたらないけれども
>姦通の要素は持っている恋愛と、現実的な肉体関係を含む色恋を分裂させた
>大衆小説(たとえば「大番」など)を書いています。で、どこからが恋愛小説かと
>いうことになると、これは話しても興味の尽きないおもしろいテーマだと思います。
> それに大衆小説まで視野に入れると、近代の日本で文字を読んで楽しめる人
>の数が増えるたびに、「恋愛は神聖」という観念を確かめなおさないと前に進め
>ないという事態がおこるのです。掘辰雄や室生犀星の時代にはかなりそれが
>理解できていましたが、その辺からまた妙なねじれも出たりしました。
>
「近代の日本で文字を読んで楽しめる人の数が増えるたびに、「恋愛は神聖」という観念を確かめなおさないと前に進めない」というご指摘は、おもしろいいすね。
古代的なものが残っているといえば、地方の農村では、軍国主義がひどくなる頃まで、夜這の風習が広くおこなわれていたようですし、僻村では戦後も高度成長がはじまる前後まで、夜這があったそうです。ボノボの集団ではありませんが、夜這の風習は、日本的な農村共同体を運営していくために必須なコミュニケーション手段だったという説が有力なようです。。最近の女子高生や人妻の性の「乱れ」だって、単に日本人本来の姿にもどっただけと言う社会学者がいるくらいです。
「舞姫」が書かれた当時、「恋愛は神聖」という観念をもっていたのは、教会に集まったインテリ青年ぐらいでしたが、日露戦争後、官憲の取り締まりで夜這禁止が一般化していくにつれ、「恋愛」観念も普及していったようです。小説読者の増加と性のタブー化は平行しているかもしれません。
>4月にメイルを差し上げてから石川淳の作品をずいぶん読みました。「至福千年」
>「荒魂」「狂風記」「天門」のような後期の長編から、一旦「白頭吟」「紫苑物語
>」「修羅」のような中期の作品にもどり、一挙に「佳人」にさかのぼって、「貧窮
>問答」「山桜」「葦手」と順番にきて小説は「無尽燈」まで、評論は「森鷗外」「
>文学大概」まで来ました。文章の歯切れの良さを味わうだけではなく、石川淳が書
>くことに関心がないといっていた自らの私生活についても意外と書いていることは
>興味深いものがあります。「佳人」「普賢」に主人公が死ぬことを考える場面がで
>てきますが、「あけら管江」に富士山を見るくらいなら自殺のことでも考えていた
>方がましだと書いてあったり、色々発見があります。評論では例えば「江戸人の発
>想法について」「虚構について」にも共感を覚えます。全集を買わずに可能な限り
>作品を時系列順に読むための古本探しも又楽しいものがあります。先日、岩波の選
>集の随筆評論の巻だけ7冊が四千五百円で売っていたので思わず買ってしまいまし
>た。小説の方は既に大分持っており、評論随筆は文庫になっていないものが多かっ
>たので、うれしい買い物でした。さっそく「コスモスの夢」を読み、少年・石川淳
>が向島の植木屋のコスモスに西洋をみたという言葉が心に残りました。私の母の実
>家も本所吾妻橋にあり、子供の頃に浅草へよく遊びに行った記憶と重なります(ち
>なみに私は隅田川のほとりの生まれです)。ところで、いまの世の中、私のように
>石川淳にこっている人はどれくらいいるのでしょうか。同好の志と感想などを交わ
>したいとも思いますが、果たして可能でしょうか。ご教示いただければ幸いです。
今村さんからいただいたメールです。古本屋をさがしまわって、石川淳の全貌をさぐっていく楽しさ、よくわかります。石川淳の読者は決して多くないだけに、石川を愛する人と交流の場をもちたいという気持にも共感します。
インターネットには、それを可能にする手段がいくつかあります。メーリングリスト(ML)と掲示板(BBS)です。
メーリングリストと掲示板は、すでに御存知だと思いますので、説明をはしょりますが、どちらもきわめて安い費用で実現できます。
残念ながら、ほら貝をおいてあるプロバイダには、メーリングリスト・サービスはないのですが、提供しているところはかなりあります。費用も、一ヶ月数百円程度の追加料金がかかる程度で、無料のところもあるようです。手間は申しこみ手続きだけで、あとはメンテナンス・フリーのところと、新規メンバーをオーナーが登録するところの二つがあるようですが、石川淳MLの場合、参加者はあまり多くはないでしょうから、登録の手間といっても、たいしたことはないでしょう。
ただ、どれだけ参加者が見こめるか、どれだけ投稿があるかという問題があります。清水慎悟さんの主宰される安部公房MLには 100人近い参加者がいますが、石川淳ではこんなに集まらないでしょう。石川淳については、ほら貝をはじめてから現在までの二年間で、5人の読者の方からメールをいただきましたから、10人くらいは集まるかもしれませんが。
掲示板は、これまでは自分のWWWページをもっていないと開けなかったのですが、Tea Cup Comという会社が、無料掲示板サービスをはじめました。広告がはいる代わりに、費用ゼロで掲示板が作れるのですが、一ヶ月200円をはらうと、広告なしになるそうです。
ほら貝の場合、ポリシーとして掲示板は作らないことにしていますが、今村さんが作られるのなら、出来るだけ協力したいと考えています。
芹沢光治良文学館をリンクするにあたり、ご挨拶のメールをお送りしたところ、主宰者のkstudioさんから以下のようなご返事をいただきました。
>ところで僕は文学と言っても芹沢氏で初めて文学に触れたような
>人間で、芹沢氏が天理教色が強いために文壇では地味な存在だと
>いう貴ページの紹介文を見て「へえ、そうなんだ」と初めて知った
>わけですが、私の知る芹沢ファンには天理教信者は皆無で、今まで
>そんな角度から見たことがなく新鮮な情報でした。
>そこで、文学に詳しい加藤さんから見た芹沢光治良とはどういう作家
>なのでしょうか。本ページをより良いものにしていく参考のために
>ぜひお聞かせいただきたいのですが。
作家が業界(昔は「文壇」といった)で受ける評価ですが、かつて「日本文学全集」というシリーズものの出版物が各社から出ていて、そこでのあつかわれ方が一つの目安になると思います。芹沢光治良の場合、文学全集にはいることは多くはなかったし、はいっても、あつかいが小さかったように記憶しています。
もう一つ、目安になるのは、どれだけ批評に取りあげられるかです。芹沢と近い生年の作家には宮沢賢治、横光利一、川端康成、石川淳がいますが、近年人気のない横光や最初から人気のない石川と比較してすら、かなり寂しい状況です。
もちろん、これはあくまで同時代の業界内における評価であって、上にあげた作家の本当の評価がはじまるのは、生誕百年をすぎたこれからです。
さて、業界内評価が低い理由ですが、天理教のイメージが強いためとホットリストに書いたのは、時系列からいって、若干問題がありました。戦前の芹沢氏については、天理教色はないといってよく、むしろハイカラというイメージで受けとられていたと思います。天理教とのかかわりが作品に出てきたのは戦後、特に晩年の『神』三部作以降ですから。
芹沢の場合、作風が文学史的に位置づけしにくかったこともありますが、文壇付き合いに熱心でなかったことも大きいでしょう。文学史的にはみだした存在でも、埴谷雄高のように社交性ゆたかで、めんどうみがよければ、生前から高い評価を博する場合があります(埴谷は作品も傑出していますが)。
芹沢はペンクラブの会長に選ばれ、国際舞台で活躍していますが、ペンクラブや文藝家協会の役員は、PTAの役員と似たところがあると思います。芹沢は当時の物書きに欠落していた実務能力と国際経験、謹厳実直な人柄をかねそなえていて、「わからないことは、あの人にまかせておけば大丈夫」という人望があったと推測しますが、それは仲間内の人気とは別ものです。
さて、問題の『神』三部作ですが、多くの新たな読者を獲得した反面、小説家芹沢光治良の後世の評価を難しくする可能性がなくはありません。
ぼく自身はおもしろく読み、感銘を受けましたが、文学作品から受ける感銘というより、レッドフィールドの『聖なる予言』やカスタネーダのドンファン・シリーズから受ける感銘に近いものでした。くしくも『神』三部作が発表されたのは、『バシャール』など、チャネリングがブームになった時期でした。
別の小説の作中人物が実在の人物のように登場する以上、フィクションとして書かれているのは明白ですが、芹沢は教団としての天理教は批判しているものの、中山みきを仏陀やイエス・キリストと同列におき、霊媒を通じて受けた彼女の教えを主題にしています。こうなると、芹沢を論ずるには、まず天理教をどう考えるか、否定にせよ、肯定にせよ、態度表明せざるをえないわけで、それなりの時間と覚悟が必要になります。黒住教や金光教のような同時代の宗教、井出クニと同時代に活躍した大本教の出口王仁三郎などにも目配りがいるでしょう。誤解のないようにお断りしておきますが、天理教の教えに問題があるといっているのではなく、天理教とその周辺を勉強するのに時間がかかるといっているのです。
もちろん、心底、芹沢の作品にほれこんだなら、天理教でもなんでも勉強すればいいわけですが、ぼくの場合、そこまで関心があるわけではないので、批評の対象にするにはハードルが高いなという印象をもっています。