新文芸座の「スーパーSF日本特撮映画大会」で見た。新文芸座になってはじめてというくらい客が入っていなかった。
ここで客の入りが悪い時はたいていゴミ作品なのだが、はたしてゴミだった。小笠原諸島が怪獣保護区になっていて、ゴジラやモスラ、ラドン、アンギラス、キングギドラなど11頭が仲良く暮しているという設定で、チビ太の顔が乗ったような子ゴジラまでいる。ゴジラは目がぱっちりした可愛い顔になっている。
地下の管理センターに突然黄色いガスが吹きだしてきて、スタッフのバタバタ倒れていき、地上の怪獣たちも黄色いガスにやられてしまう。数日後、ラドンはモスクワ、モスラはパリ、ゴジラはニューヨークを襲い、世界中は大混乱に。
怪獣に都市を襲わせたのはキラアク星人という悪い宇宙人で、電波で怪獣をリモートコントロールしている。世界中に電波の中継器がばらまかれているという設定で、のどかな木曾の風景が出てきたりする。
特撮もののアイテムが全部出てくる大サービスで、興行的にはあたったそうだが、今となっては見るに耐えない。
ゴジラ史上最低最悪の作品として有名だそうだが、確かにこれはひどい。水爆実験で被害を受けたシートピア人が水爆をやめさせるために怪獣を暴れさせるというストーリーは「海底軍艦」を思わせるが、「海底軍艦」のサスペンス感は皆無。ドラマ部分の安っぽさは泣きたくなる。怪獣部分はよくできているが、過去のフィルムの使いまわしが多いのだから当然か。
ジェットジャガーというウルトラマンもどきのロボットについては何も書くまい。ゴジラはここまで落ちたのかと悲しくなった。
ニュープリントだったので色はきれいだったが、作品が駄目なのでニュープリントの意味がなかった。
終映後、杉作J太郎氏、ギンティ小林氏、「映画秘宝」の馬飼野元宏氏によるトークショーがあったが、客席ががらがらだったこともあって寒かった。杉作氏は必死に盛りあげようとしているが、かえって盛り下がる始末。
杉作氏は「ゴジラ」映画に出演したことがあるが、台詞のある役立ったのでギャラがよくてびっくりしたそうだ。
自慢してしまうと、この映画は封切で見ている。はじめて見た映画かどうかはわからないが、記憶に残っているのはこの映画が最初だ。歌謡ショーの後に映画だったから浅草国際劇場だったと思うが、月の場面で怖くなって途中で出てきてしまった。地元の映画館に落ちてきてからもう一度見たが、ナタールの基地発見後、洞窟の場面で怖くなり、また途中で出てきてしまった。全編を見たのは今回がはじめてである。
よくかかる映画だしDVDにもなっているので見ようと思えば見ることはできたが、失望したくなかったので敢えて見ようとはしなかった。今回は土屋嘉男氏のトークショーがあるというので思い切って見てみることにした。
インド人だと思っていたアーメド博士がイラン人だったとか、若干の思い違いはあったが、特撮場面はもとより台詞の返しまで克明に憶えていたのには驚いた。二回しか見ていないはずなのだが、子供の頃の記憶力は今とは違う。
出来であるが、初代『ゴジラ』とならぶ東宝特撮映画の最高傑作ではないだろうか。もちろん突っこみどころはあるが、宇宙ステーションと円盤の戦闘場面、光線が発射できなくて進路を変更して宇宙魚雷を避ける場面、月に着陸して探検車を降ろす場面、月を探検車が進む場面、いずれも迫力満点で、今見ても引きこまれる。東宝作品はすぐに怪獣を登場させるが、この映画は怪獣ではなく、ナタール人にインプラントされた科学者が内部で破壊活動することでサスペンスを生みだしている。このあたりが大人の鑑賞にたえる点だろう。千田是也が安達博士をやっていたのは意外だった。
地球に帰還後のナタールとの本格的な戦いは今回はじめてみたが、ここは駆足で大味。月の場面までの緊張感から較べると見劣りがする。
「宇宙大戦争」の姉妹編ということで見るのを敬遠していた。はじめて見たが、「宇宙大戦争」とは似ても似つかぬ怪獣映画だった。ミステリアン星人の安っぽさといい、がっかりした。
山奥の牧歌的な村に怪獣というか巨大ロボットが出現して暴れまくるという設定は悪くないし、自衛隊との戦いのシーンはなかなかよかった。今でも評価される所以だろう。しかし、ドラマ部分がひどすぎる。
終映後、土屋嘉男氏、みうらじゅん氏、馬飼野元宏氏によるトークショーがあった。土屋氏とみうら氏で盛りあがっていて、馬飼野氏は最後にそろそろ時間ですと言う程度。
「七人の侍」と初代「ゴジラ」は同時期に同じ砧撮影所で作っていて、土屋氏は待ち時間にゴジラの特撮の現場に遊びにいき、ミニチュアを作りこむところを見物していたそうだ。円谷英二と意気投合し、いよいよ撮影になると助監督が呼びに来たという。ミニチュアを使った撮影は一発勝負なので、円谷の方も土屋氏に見せたかったのだろう。
同じ映画会社でも監督ごとに「組」があって、子飼の俳優が他の監督の作品に出るのはおもしろく思わなかった。土屋氏は黒澤邸に居候するような子飼中の子飼の役者だったが、黒澤監督は本多猪四郎監督と助監督時代から親友だったので特別許可が下りて特撮シリーズに出ることができた。
土屋氏はSFをたくさん読んでいたので、重力の弱い月での歩き方とか、宇宙人の喋り方とか、いろいろ提案し、その後のSF映画の演技の定番になっていった。
近代宇宙旅行教会ができた時にはすぐに入会しただけでなく、円谷氏や田中友幸氏の入会届を勝手に出し、会費を土屋氏がはらっていた。しかし月や火星の土地を売りだした時には月や火星の住民に失礼だと思い退会した。
空飛ぶ円盤の会にもはいり、ホテルの屋上でおこなわれた空飛ぶ円盤を呼ぶイベントに参加したが、手をつないでベントラー、ベントラーと唱えるだけの馬鹿馬鹿しい集まりだったので参加したことに自己嫌悪した。エレベーターに乗ろうとしたら、三島由紀夫に出くわしたので、ひどい会だったねと慰めあった。
日本の文化が一番生きがよかった時代の生き証人だと再認識した。
新文芸座の「スーパーSF日本特撮映画大会」で見る。客はあまりはいっていなかったが、併映の「太平洋の翼」ともども傑作だった。こんなに贅沢な二本立てをゆったり見ることができたのだから幸運である。
「連合艦隊」なんていう漠然としたテーマをどう料理するのかと思ったら、海軍軍人を二人づつ出した本郷家と小田切家という二つの家族の悲劇を無能で無責任な海軍上層部と対比するという構図でまとめていた。
本郷家の当主直樹(森繁久弥)は考古学者で奈良国立博物館の館長だが、長男の英一は海軍兵学校に進んだ。父親は息子も学者の道に進むことを願ったが、学問の方は弟の眞二(金田賢一)にまかせ、英一はパイロットになり瑞鶴艦爆隊に配属される。瑞鶴は真珠湾につづいて珊瑚海海戦に出撃するが、艦爆隊が発進した後、アメリカ軍の攻撃隊が瑞鶴に迫ったので護衛の零戦隊を率いていた茂木大尉(丹波義隆)は母艦防衛のために独断で引きかえしてしまう。瑞鶴は助かったものの、護衛なしに突っこんだ艦爆隊の損害は甚大で艦爆隊の隊長になっていた英一は親友だった茂木と衝突、茂木は瑞鶴から転出する(茂木のモデルは岩本徹三か)。艦載機の再編のために瑞鶴は内地にもどり、ミッドウェーには参加しなかった。
小田切家の当主の武市(財津一郎)は下士官として海軍に18年勤務した後、予備役になって船大工をしている。一人息子の正人(中井貴一)を兵学校出のエリートにするのが夢で、正人はみごと兵学校入学を果たすが、日米開戦で予備役に動員がかかり、武市は大和に配属されて工作科分隊班長となる。
ミッドウェー海戦は澤地久枝の『滄海よ眠れ』が出る3年前の公開だからまだ「運命の5分間」説で作られているが、南雲艦隊司令部の右往左往や連合艦隊司令部との責任のなすり合いは十分描かれている。
ミッドウェー後日本はじり貧になった。英一は瑞鶴を離れて各地を転戦し、ラバウルで喧嘩別れした茂木と再会したりもするが、レイテ沖開戦直前、瑞鶴に復帰する。英一は今度の作戦が栗田艦隊がレイテ湾に突入できるよう、ハウゼー機動部隊を引きつける囮であることを承知しており、死を覚悟してもどったが、弟の眞二も主計少尉候補生として乗り組んでいたことに驚き、自分のライフジャケットをあたえる。
瑞鶴は小沢長官(丹波哲郎)の指揮のもと奮戦し、よくアメリカ機を引きつけて撃沈されるが、肝心の栗田艦隊はレイテ湾を目前にして反転したために犠牲が無駄に終ってしまった。反転についてはさまざまな説があるが、本作は電文捏造説をとっており、さらに愛宕から大和に移ってきた栗田艦隊首脳ともともと大和に座乗していた宇垣纏中将の間にあった感情的なわだかまりが影響したとしている。栗田とその幕僚は宇垣に隠れてこそこそ密談をしていて、なんともみっともない。
英一は散華するが眞二は一命をとりとめ、陸上勤務になったのを機に英一の遺言にしたがい、英一の婚約者だった陽子にプロポーズする。ところが、結婚直前、眞二は大和勤務になる。
小田切正人は兵学校卒業後、パイロットになり特攻を志願する。息子の出世を夢見ていた武市は兵学校に入れたことを後悔する。
最後の締めくくりは大和の水上特攻である。護衛機もなく沖縄に向かう大和を、出撃を翌日に控えた正人が途中まで護衛するというエピソードは伊藤長官と子息の実話から借りたわけだが、もとになった史実があったことを知らないと作りすぎと思うかもしれない。
二時間四〇分はあっという間にすぎた。特撮も素晴らしい。第二次大戦の海の戦いを描いた最高傑作だろうと思う。
紫電改で有名な三四三空の話である。「連合艦隊」と同じ松林宗恵監督・須崎勝彌脚本だが、期待にたがわぬ傑作だった。
源田實がモデルの千田中佐(三船敏郎)が特攻、特攻と、バカの一つ覚えのように特攻を連呼する海軍首脳に反発し、日本本土の制空権を奪い返すために新鋭機紫電改と太平洋各地で生き残っている歴戦のパイロットを集めた精鋭部隊の編成を願い出る。何を今さらという空気だったが、伊藤整一第二艦隊司令長官(藤田進)の強い後押しで設立が決まる。
千田は優秀なパイロット集めに乗りだし、中隊長候補としてフィリピンの滝司郎大尉(加山雄三)、硫黄島の安宅信夫大尉(夏木陽介)、ラバウルの矢野哲平大尉(佐藤允)の三人に白羽の矢を立てる。三人は部下を連れて内地に向かうが、硫黄島はすでにアメリカ軍に包囲されているし、フィリピンは抗日ゲリラだらけ、ラバウルはアメリカ軍の制海権の中に孤立している。映画の前半は三人が本土に帰り着くまでの苦闘が描かれるが、ここがおもしろい。安宅も矢野も帰る途中で部下を半分失い、滝にいたっては輸送機の燃料を節約するために銃撃で戦死した部下の遺体を空中投棄するところまで追いこまれるが、西村晃や渥美清、中谷一郎といった曲者が野武士のようなたくましさを発揮して、からっと明るい。歴戦のパイロットというのはこういう男たちだったのかもしれない。
三四三空がいよいよ設立されるが、最初は空襲を避けて逃げまわってばかりで特攻隊員から罵倒される日々がつづく。しかし3月11日、アメリカ軍艦載機襲来の報に出撃命令がくだり、紫電改の性能と練りに練った編隊行動によって63機撃墜の戦果をあげる。
だが、あまりにも戦果をあげすぎたために担当空域を西日本全域に広げられてしまい、兵力を分散せざるをえなくなる。編隊行動のできなくなった三四三空は戦力を消耗していく。矢野大尉も戦死する。
戦局はいよいよ悪化し、三四三空設立を支持してくれた伊藤長官の座乗する大和までもが水上特攻をすることになる。千田は護衛機もなく最期の航海に出た大和を見送ってこいと命ずるが(これは完全なフィクション)、安宅大尉、丹下一飛曹(渥美清)ら四機は帰還命令を無視して燃料の尽きるのを承知で大和につきそっていく。
最後に残った滝もB29に体当りして散華する。特攻を拒否して設立された三四三空なのに、この映画では特攻と同じ結果になってしまった(史実は違う)。
滝の体当りだが、紫電改ではB29が落とせなかったことを説明していないので、唐突な印象を受けた人もいるだろう。B29にいくら20mm機関砲を浴びせてもびくともせず、悔しがるというエピソードがほしかった。
終映後、「太平洋の翼」のチーフ助監督で「連合艦隊」では特技監督をつとめた中野昭慶氏と友井健人氏のトークショーがあった。この二本の話が聞きたかったが、今回の特集では中野氏が特技監督をつとめたゴジラ映画が四本上映されているということなので、話題はもっぱらゴジラ映画に終始した。
あの「ゴジラ対メガロ」の特撮も中野氏だった。悪名高い映画だけに、いきなりメガロの話になった。なんと二週間で撮り終えたそうである。普通の映画でも二週間は論外だが、特撮で二週間とは唖然とするしかない。予算も円谷時代の数十分の一だったそうである。
こういう低予算ゴジラ映画がはじまったのはやはり中野氏が特技監督をつとめた「ゴジラ対ヘドラ」からだった。田中友幸プロデューサーから予算を聞いてすぐに断ったが、東宝の首脳は円谷特撮を支えてきた職人を一斉解雇しようとしている、日本の特撮を守るために低予算のゴジラを作ってくれないかと頼みこまれ、やむなく承諾したということである。
「メガロ」ではダムの場面だけは一点豪華主義的にこだわったそうだ。そういう背景を聞くとメガロの悪口は言いにくくなる(でも、ひどいけれども)。
ロボットであるはずのジャットジャガーが突然巨大化するのは子供をよろこばせるためだという。ロボットが巨大化するのはおかしいというのは大人の見方で、子供はウルトラマンのつもりで見ているから巨大化を不自然とは感じないそうである。
「ゴジラ対ヘドラ」ではゴミだらけの海を作るために築地から生ゴミを買ってきて一週間放置して海に浮べたという。すさまじい悪臭で、スタッフの中には家に入れてもらえず嫁にバケツで水をかけられた人もいたというが、そういう苦労がCGには不可能な味わいを作りだしているのだという。「ヘドラ」は未見だが、初の公害怪獣という斬新さと迫力で評判はいいようだ(見たくはないが)。
低予算ゴジラ映画は夏休みや冬休み、春休みに興行する「東宝チャンピオンまつり」向けに作られたが、東宝は売店もやっているので、親子連れを呼びこんで売店を潤す映画も必要なのだそうである。
デ・シーカ、フェリーニ、モニチェリ、ヴィスコンティという四大イタリア監督が顔をそろえたオムニバスで、女優陣も豪華だ。タイトルに'70とあるが、制作は1962年。艶笑コメディ四編で、デ・シーカ篇が下層階級、モニチェリ篇が下層中産階級、フェリーニが上層中産階級、ヴィスコンティが上流階級という位置づけになる。ピザの上にビフテキをのせたような重量感があり満腹した。
第一話「くじ引き」(La riffa)はデ・シーカ監督、ソフィア・ローレン主演。田舎をまわるサーカス団の射的屋が裏でいとなむ売春宝くじの話で、景品となるゾーエ(ソフィア・ローレン)は村のイケメンと恋におち、景品になったことを後悔している。
99本のくじのうち当りを買ったのは教会で墓堀をやっている地味な男。村の男たちは大金を積んで当たりくじを買おうとするが、一生の思い出にと母親に送りだされて勇んでゾーエのワゴン車に出かける。男はみんなの注目する中、ワゴン車に乗こむが、突然走りだしてしまう。ゾーエに惚れたイケメンが運転して村はずれに向かったのだ。くじにはずれた男たちがその後を追い……。
売春というと生々しいが、1/99の確率のために景品となるゾーエが女神様のような輝きをおびている。くじに夢中になる村の男たちのバカさ加減がほほえましい。四作の中ではこれがベストだと思う。
第二話「アントニオ博士の誘惑」(Le tentazioni del dottor Antonio)はフェリーニ監督、アニタ・エクバーグ主演。ゴリゴリのカトリックで風紀取締に熱心なアントニオ博士(ペッピーノ・デ・フィリッポ)の家の真前にあろうことか妖艶な美女がねそべっている大看板ができてしまう。博士は人脈を総動員して看板の撤去をはかるが埒が明かない。とうとう逮捕覚悟で看板にペンキ缶を投げつけ、覆いをつけさせることに成功する。ところが幻覚の中で美女は絵から抜けだし、博士を誘惑しはじめる……。
一応おもしろかったが、くどすぎる。50分くらいあるが、40分以内にまとめていたら傑作になったかもしれない。
第三話「レンツォとルチアーナ」(Renzo e Luciana)はマリオ・モニチェリ監督、マリサ・ソリナス主演で脚本にイタロ・カルヴィーノが参加している。
デパートにタイピストとして勤めるルチアーナ(マリサ・ソナリス)は配送係のレンツォ(ジェルマーノ・ジリオーリ)と会社に隠れて結婚する。タイピストは待遇がいいが、会社にわかると辞めなければならないからだ。
新婚生活を楽しみたいのにルチアーナの実家に寄食している上に、上司が彼女に言い寄ってきて邪魔ばかり。彼女は勤務中に貧血で倒れ、医者から妊娠の可能性を告げられる。妊娠していたら勤めはやめなければならない。我慢に我慢を重ねていたルチアーナは……
ルチアーナは可愛いが、もうイタリアの肝っ玉母さんになっている。イタリア女はたくましい。
第四話「仕事中」(Il lavoro)はヴィスコンティ監督、ロミー・シュナイダー主演。
ミラノの若いイケメンの伯爵(トマス・ミリアン)が通っていたパリの娼館に手入れがあり、夜遊びが新聞ダネになる。伯爵は側近の弁護士にマスコミ対策をさせるが、ドイツの義父から銀行口座を凍結すると電話がはいって大慌て。伯爵家の内情は火の車でプーペ夫人(ロミー・シュナイダー)の実家頼みだからだ。夫人にとりなしてもらおうとするが前日から行方がわからない。警察に相談しようという段になって、すでに家にもどっていたことがわかる。
夫人はパリで伯爵の相手をしていた娼婦と会っていて、自分も働きたいと言いだす。店を出したいが資金を伯爵に出せという。10ヶ月の間に200回寝たから、娼婦と同じように払えばすぐにたまるというわけだ。その夜から早速伯爵は夫人にお金を払ってベッドにはいることになる。
少女らしさを残したロミー・シュナイダーが可憐でたまらなく魅力的だ。ヴィスコンティはこういう少女にきわどい台詞をしゃべらせてよろこんでいたのだろうか。
2008年の初演で絶讃され、演劇賞を総なめにした舞台の再演である。
大阪空港の北に隣接した伊丹市中村地区にあった金龍吉(申哲振)一家の焼肉屋が舞台である。店は龍吉にちなんで「焼肉ドラゴン」と呼ばれている。時は万博景気にわく1970年だが、国有地を不法占拠してできた朝鮮人街は立ち退きを迫られていて、景気のいい話はない。
龍吉は戦前済州島から日本に来て働きに働き、先妻との間に長女の静花(栗田麗)と次女の梨花(占部房子)が生まれる。戦争で左腕を奪われたと語るが、兵役に志願したのか、徴用で事故にあったのか、空襲で負傷したのかは不明。戦後、家財をもって帰郷しようとしたが、直前になって次女が熱を出したので荷物だけ先に送り、一家は一便遅らせることにした。ところが、荷を載せた船は沈没。その後、もう一度財産を作ろうとするが、故郷の村は四・三事件で焼討ちにあい皆殺しに。もはや帰る故郷はなくなり、先妻も亡くしてしまう。
後妻の高英順(高秀喜)も済州島の生まれで、四・三事件で家族と村を失い、夫ともに日本に逃げてくるが(密入国?)、夫の暴力の耐えきれず離婚。娘の美花(朱仁英)を連れて龍吉と再婚する。再婚後に生れたのが長男の時生(若松力)で、この芝居の視点人物だ。
下手側2/3は焼肉屋のセット、上手側は朝鮮人街の路地になっている。開演前から焼肉屋の座敷では七厘で肉を焼いて四人の常連が盛り上がっている。奥につながる通路には「哲男さん、梨花さん結婚おめでとう」と書いた模造紙が吊ってある。視点人物の時生あらわれ、焼肉屋の向井の小屋の屋根に登り、ジェット機の爆音が轟くと客電が消え芝居がはじまる。
一幕目は李哲男(千葉哲也)と梨花の結婚をめぐるドタバタだ。哲男は大学を出たが、在日朝鮮人なので納得できる仕事につけず、工事現場を転々としていた。結婚届を出しに行った市役所の対応が気にいらないと帰ってきてしまい、新婚一日目から梨花と大喧嘩。その後も哲男は仕事につこうとしないので喧嘩が絶えない上に、哲男と静花の間には過去に経緯があったのを梨花が蒸し返して余計ややこしくなる。梨花は韓国からの密入国者と深い仲になり、ついに結婚は破綻する。
三女の美花は歌手になるのが夢で、ナイトクラブーのマネージャー(笑福亭銀瓶)の引きで舞台に立っているが、そのマネージャーと深い関係になっていく。
時生は成績がいいので、無理をして私立の進学校に入学するが、いじめのために学校に行こうとせず、店の前の小屋の屋根の上で時間をつぶしている。
家族の物語の一方で空港拡張のために立ち退きが現実のものになっていく。龍吉は醤油屋の佐藤さんから土地を買ったというが、常連の客からもともと国有地だし登記もしていないのでは無効だと諭されるが、ここは自分の土地だと頑としてゆずらない。
第二幕は静花の婚約式ではじまる。静花はジャリ業者の在日韓国人を夫に選ぶが、北朝鮮に「帰国」することになった哲男がどうか北朝鮮についてきてくれと懇願する。静花はなりふりかまわずかき口説く哲男にほだされ、婚約を破棄して哲男と北朝鮮に行くことを承諾する。
視点人物の時生は成長してこの芝居の作者になるのかと思ったら、まさかの展開になる。
いよいよ中村地区の朝鮮人街は取り壊されることになり、金龍吉一家も焼肉ドラゴンを離れることになる。最後の最後はチェーホフで締めた。在日のイメージそのままの世界だったが、通俗的な在日のイメージは間違っていなかったということか。
面白かったが、演劇賞を総なめにするほどよかったかというと疑問である。インテリ特有の贖罪意識から過大評価しているのではないか。
東野圭吾氏の同題のベストセラーの映画化である。未見だが、綾瀬はるか・山田孝之主演のTBSドラマもヒットしたそうで、すこぶる評判がいい。
主演は堀北真希・高良健吾だが、船越英一郎演ずる不器用な刑事の視点で描かれ、最初はさまざまな人物の間にまぎれていた二人が後半にいたってクローズアップされてくる。やかましくて説明過多なドラマが多い今日、暗示と伏線で真相がじわじわあぶりだされてくる描き方は新鮮だ。
ほとんど出ずっぱりの船越は子供を失い、犯人に実の子供のような愛情をいだくようになる。それはまったくの片恋だが、暑苦しい片恋の切なさがよく出ている。
船越の存在感と較べると、片恋される高良は影が薄い。飛び飛びにしか出てこないというハンデがあるのだから、あくの強い役者にした方がよかったのではないか。
一方ヒロインの堀北は存在感は十分だし、暗さがにじみ出てくる感じもいいが、同性からすかれそうなタイプで、男を虜にするニンフェット的な妖しさに欠ける。なぜ彼女の周りの男たちが簡単に骨抜きになったのか納得できない。この役に堀北はミスキャストではないか。
ICPFの「電子書籍をめぐる動向 第4回 通信事業者の電子書籍ビジネス」を聴講してきた。講師はKDDI新規ビジネス推進本部 書籍サービスグループリーダの権正和博氏で、LISMO Book Storeを軸としたKDDIの電子書籍へのとりくみの歴史と今後の展望がテーマだった。
KDDIはパケット定額制のはじまった2003年11月から au向けに電子書籍の販売を開始した、実際はたいして売れていなかったという。 2005年4月からはケータイで「立ち読み」し、気にいったら紙の本を注文できる書籍ポータルEZ Book Land!をはじめたが、この時期から電子書籍の売上が急増する。ハードの性能が向上しビューアーがきびきび動くようになったのが大きいらしい。売上が伸びればコンテンツが増え、さらに売上が伸びるという好循環がはじまるが、2008年後半にはいると伸びが鈍化する。市場が飽和したのだ。電子書籍の読者はオタクと腐女子で、実際に売れているのはアダルトものばかりといわれていたが、KDDIも似たようなものだったのだろう。
KDDIは2009年6月に電子書籍に特化したケータイ端末 biblioを発売する。biblioは7Gのメモリをもち、19種の辞書をあらかじめ内蔵するという意欲的な機種だったが、電子書籍の売上は頭打になっていたからか、あまり売れなかったような口ぶりだった(biblioは1年で販売打切になっている)。
2010年12月、KDDIは新たな電子書籍市場を開拓するために電子ペーパーを採用した電子書籍専用端末 blblio Leafを発売するとともに電子書籍ポータル LISMO Book Storeを開設した。まだ2ヶ月しかたっていないが、ユーザーは50代が一番多く女性の比率も高い。売れ筋の本は一般書店とほぼ同傾向で、アダルト系が多い従来のケータイ向け市場とは明かに違い、出版社がよろこんでいるそうだ。おそらく文字を読むことに特化した電子ペーパーのおかげだろう。
しかし電子ペーパーでは鮮かなカラー表示は当分無理である。雑誌には鮮明なカラー表示が不可欠だから、液晶の端末を出す可能性はないわけではないらしい。
スマートフォンの普及でキャリアがユーザーを囲いこめなくなりつつあるが、KDDIではオープン環境を見すえて課金プラットフォームを他社に提供し、中小書店や出版社が電子書籍ストアを開けるようにしていく。要は電子書籍の東販や日販になろうとしているわけだ。
電子書籍のブームは今回も空振りかという見方が増えているが、KDDIは着々と地歩を固めているようである。
地歩を固めてくれるのは歓迎だが、問題がないわけではない。電子書籍の利益が非常に薄いために書籍代とは別に毎月接続料金を525円徴収していることだ(電話もネットサーフィンもできないのでこの料金で済んでいるという)。どうせつないでいるなら Wikipediaを使えるようにしたらどうかという質問が出たが、525円ではとても無理だそうだ。しかしそんなに薄利だとしたら、auプラットホームの上で電子書籍ストアは事業として成立つのだろうか。本のリコメンドの仕方でストアの特色が出せるといっていたが、それではアフリエイトと五十歩百歩ではないか。
オープン環境の関連でソニーなどとDRMの共通化をしないのかという質問が出たが、KDDIのDRMはハードウェアがからんでくるのでほぼ不可能ということだった。
ハードがからむとなると、端末が壊れた場合、買った本が読めなくなることはないのかと質問がつづいたが、KDDIのDRMは電話番号に紐づけしてあるので、新しい端末に電話番号を引きつげば大丈夫ということだった。
ということはKDDIの契約を解除したら買いためた本が読めなくなるということではないか! KDDIでうっかり電子書籍を買うと、死ぬまで毎月接続料金を払いつづけなければならなくなる。電話屋が電子書籍を作ると、こういうことになるのである。
1944年6月15日未明、アメリカ軍はサイパン島に上陸を開始し、圧倒的な兵力で島を制圧。大本営は7月18日に玉砕を発表するが、決して全滅したわけではなかった。
サイパン島は硫黄島のような逃げ場のない小さな火山島ではなく、伊豆大島よりも大きな熱帯ジャングルに覆われた島なので、日本人非戦闘員は二万人のうち一万人以上が助かった。三万四千の将兵はほとんどが戦死したか自決したが、900人ほどが生き残っている。
この映画はタッポーチョ山に籠もり、1945年12月まで1年5ヶ月間にわたって抵抗をつづけた大場栄大尉(竹之内豊)の実話にもとづく。原作はサイパン戦に一兵士として参加したドン・ジョーンズの『タッポーチョ 太平洋の奇跡』。
実際はどうだったかわからないが、映画では大場大尉は最後の総攻撃で命をとりとめ、ヤクザあがりの堀内今朝松一等兵(唐沢寿明)らに救われる。大場大尉は敗残兵をまとめ、民間人を保護しながらジャングルの中を逃げまわる。せっかく居住地を作っても、アメリカ軍に発見されたら捨てて移動しなければならない。宣伝文句ではアメリカ軍を知略で翻弄してとなっているが、映画の後半は戦闘場面はあまりなく、部下と民間人をまとめる苦労と逃げまわる話ばかりだ。
食料が底をつくと収容所に潜入して非戦闘員が保護されていることを確認した上で二百人あまりの民間人を投降させる。大場大尉は民間人を守りきったわけである。
アメリカ軍にとっては戦闘がなくても日本兵がジャングルに潜みつづけていること自体が悩みの種である。アメリカ側は投降をうながすために焼け野原になった東京の写真を載せたビラをまいた。写真に衝撃を受けた大場大尉は捕虜収容所に忍びこみ、投降した民間人から写真は本物か確認する。日本の敗戦を確信した大場大尉は上官の停戦命令があれば山を下りるとアメリカ側のルイス大尉(ショーン・マクゴーウァン)に確約する。
徹底抗戦で固まっている部下たちに日本の敗戦をいかにして納得させるかが山場だ。生き残った46人の部下とともに山を下り、戦士としての誇りをたちながら軍刀をアメリカ軍の司令官にわたす場面は感動的だ。
主演の竹之内豊は小野田さんを思わせる面構えといったら誉めすぎだろうか。時間がたつにしたがってよさが心にしみわたってくる。