民主党が政権にある内に通してしまおうという火事場泥棒的発想だろうか、人権擁護法案がまた動き出している。
人権擁護法の問題点は以前にもふれたが、今回の法案でも国家公安委員会や公正取引委員会と同格の三条委員会のままであり、国会と無関係に独自の規則を制定する権限を持つ。これがどんなに恐ろしいことか、おわかりだろうか。
產經新聞の8月2日付記事によると、調査は「任意調査に一本化し、調査拒否に対する過料などの制裁規定は置かない」とした点は反対論に譲歩したものだろうが、「都道府県の人権擁護委員は地方参政権を有する者から選ぶ方針を示し、永住外国人に地方参政権が付与されれば外国人も有資格者になる」というのは断じて許されるべきではない。
もし人権擁護法案が20年前に制定されていたら、北朝鮮拉致問題は闇に葬られ、日朝国交回復をして独裁政権に莫大な経済援助をしていたことだろう。
天下の悪法が準備されているというのに、產經新聞以外のマスコミは傍観している。どうなっているのだ、この国は。
1994年に公開されたニキータ・ミハルコフ監督・主演の同題の映画の舞台化である。脚色はピーター・フラナリー、演出は栗山民也。
結末まではほぼ原作の映画通りでレベルの高い舞台に仕上がっている。なによりコトフ大佐の鹿賀丈史、ミーチャの成宮寛貴、マルーシャの水野美紀という中心になる三人がかっこいい。鹿賀は洒落っ気のある権力者をやらせたら天下一品だし、一児の母になっても娘々したマルーシャを水野は上品なコケットリーで彩っている。成宮は暗さと屈折が足りないが、鹿賀と並んでも位負けしていないのはさすがだ。
一幕目はチェーホフ的というか、「機械じかけのピアノのための未完成の戯曲」そのままに貴族家庭のドタバタが描かれる。1930年代のソ連にチェーホフの世界が生き残っているのが異常なのだが、若い妻の一族にそれを許しているのが革命の英雄コトフ大佐の力だ。そこにマルーシャの幼なじみのミーチャが突然現れることから言いようのない不安がきざしてくる。
二幕では不安が現実に形をとりはじめる。娘のナージャがミーチャにお伽話をせがんだことからミーチャがマルーシャの前から去った理由が明らかになり、マルーシャはコトフを激しくなじる。コトフはミーチャには選択の自由があったとはねつけるが、その言葉はすぐに自分にはね反ってくる。コトフは粛正の対象になり、ミーチャは逮捕の準備のために来たのだ。
問題は最後の10分間だ。原作ではたたみかけるような展開であっけなく終り、それが余韻を残したが、この舞台では説明的でもたつき、余計な見せ場を作ってかえって余韻をそいでいる。
うっかりしていたが、ミハルコフは「戦火のナージャ」という続篇を作っていた。コトフもマルーシャもミーチャも生きていて、独ソ戦に巻きこまれるという話らしいが、評判はあまりよくない。どうなのだろう。
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山本周五郎の『樅ノ木は残った』の映画化だが、いりくんだストーリーをぎりぎりまで単純化し、ギリシア悲劇のような硬質のドラマに結晶させている。脚本の思い切り方が凄い。
物語は松平伊豆守の臨終の場面からはじまる。伊豆守から外様大藩の改易を託された大老酒井雅楽頭(柳永二郎)はまず伊達藩に狙いを定め、藩主綱宗の叔父伊達兵部に養女を嫁に出そう、伊達藩62万石の半分をあたえようともちかける。酒井の甘言にまどわされた兵部は綱宗を隠居に追いこみ、後を襲った幼君亀千代の毒殺をはかる。原田甲斐(長谷川一夫)は幕府の狙いを見抜いて穏便にすませようとするが、伊達一門の安芸(加藤嘉)は兵部の陰謀を幕府に訴えでて酒井邸で吟味がおこなわれることになる。原田は酒井から兵部にあてた証書を入手し、側用人の久世大和守(宇津井健)に藩の存続を確約させて吟味に臨むが……。
史実では陰謀家とされる原田甲斐の評価を180度逆転させた原作は善玉・悪玉をはっきりさせすぎているきらいがあったが、この映画はストーリーをはしょったために酒井が極悪非道の悪玉になり、兵部と安芸は酒井の手のひらの上で踊らされるバカ、原田と久世が絶対の善玉に単純化されている。しかし極悪非道のはずの酒井が絶対の悪とは描かれていないのだ。それはお家騒動で改易に追いこむという目論見が頓挫した後の決断にあらわれている。酒井は自分の家を犠牲にする覚悟で文字通り伊達家と差し違えようとする。酒井を重厚に演じきった柳永二郎に圧倒された。
三隅研次の最高傑作だと思うが、伊達騒動の知識がないと原田の最後の決断がどんなに重いかわからないかもしれない。
外様大名取り潰し政策が吹き荒れた家光の時代、家督相続を認めたお墨つきをめぐって伊予松山の蒲生藩と幕府隠密の闇の蔵人(天津敏)一派が攻防をくりひろげる。将軍お目見えのために幼君をむかえに来る大目付が到着した時にお墨つきがなければ、蒲生藩は改易されてしまう。果たして大目付到着までお墨つきを守りきれるか。忍者を撃退する側を主人公にした異色の忍者映画だが、手に汗を握る展開で一瞬も気が抜けない。
廃城にたたずむ元今津藩士和田倉五郎衛門(近衛十四郎)が突然切りつけられる。和田倉を襲ったのは蒲生家の家臣で、彼の腕を試したのだ。
蒲生藩の城代家老会沢土佐(田村高廣)は改易された藩で忍者対策にあたった担当者を雇い、彼らの経験を活かそうとしていた。集められたのは和田倉と永長八右衛門(佐藤慶)、筧新蔵(山城新伍)、天野弥次郎(河原崎長一郎)の四人。お墨つきを守りきれれば正式の藩士にするという条件だ。
「七人の侍」のパターンだが、忍者対策のエキスパートを集めるという設定が面白い。
闇の蔵人の攻め方はある程度予想がついたが、守る側は捨て身で凄みがある。忍者映画の古典といっていいだろう。近衛十四郎の風格はさすがだ。
よく出来た映画なので、いずれされるかもしれない。