エディトリアル   November 2012

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11月 7日

 今日発売の「新潮」に安部公房の未発表作品『天使』が掲載され、解説を担当させたもらった。書簡の中で引揚船の中で書いたと言及されていたので気になっていたが、あの徹底的な全集の後でまさか出てくるとは思わなかった。

 引揚船の中で書いたことも興味深いが、初期作品の位置づけについて再考をうながすような作品でもあった。「安部公房全集第1巻ではじめて読めるようになった初期作品の位置づけは悩ましい問題であるが、『天使』が出てきたことで無視できなくなったと思う。

 安部公房全集は高いし、昨今の住宅事情では欲しくてもなかなか買えない人が多いだろう。全部は買えなくても未発表作品が大部分を占める第1巻と、CD-ROMがついて資料が充実している第30巻だけは、なくならないうちに買っておくことをお勧めする。

 『天使』解説のために図書館にこもって満洲関係や引揚関係のにわか勉強をしたが、最初に手にとった本に安部公房の父親の名前がチブス禍の殉職者として出てきたのには驚いた。『満洲奉天日本人史』という奉天についての基本図書なのであるが、なぜ誰もこれまで言及しなかったのだろう。

 敗戦後の満洲を描いた映画やTVドラマは逃げ惑う日本人しかとりあげないが、引揚関係の本や手記を読み満洲の日本人は決して手をこまねいていたわけでなく、東日本大震災の被災者のように同胞のために全力をつくす人々もすくなくなかったことを知った。安部公房とその父親もそうした人々の一人だった。

 『天使』で予想通りだったのは満洲の悲惨な体験がまったく出てこなかったこと。安部公房は体験は書かないと決めたのだろう。引揚船の中の暮らしも相当悲惨だったが、それもまったく出てこない。あんな体験をしてきて、しかもあの環境で、こんなとぼけた味わいの作品が書けるとは恐るべき精神力だ。

 たいした材料は残っていないが、『天使』の解説のために集めた材料を「『天使』解説・拾遺」として公開の予定である。解説そのものは当分載せる予定がないので「新潮」を買ってほしい。

11月10日

 『鷗外の恋』の六草いちか氏の講演会にいってきた。2時間のうち1時間半は「舞姫」のストーリーにそって当時の写真や地図で1880年代のベルリンを案内する趣向である。特に新しい情報はなかったが、2/3ははじめて見る図版だった。六草氏自身の語りなので臨場感があった。

 豊太郎が外国でも食べていける医学生ではなくつぶしのきかない法学生に、エリスが妊娠中でも働けるお針子ではなく踊れなくなる踊子に設定されているのは悲劇を盛り上げるためだという指摘はコロンブスの卵だった。鷗外もこの頃はストーリーを工夫していたわけだ。

 六草氏は3月に津和野でおこなわれた鷗外生誕150年式典でも講演されたたが、主催者側から今日は鷗外の子孫が30人以上来ているのでエリスの話題は遠慮してほしいと釘をさされた。しかし鷗外の子孫はよくエリスのモデルをつきとめてくれたと六草氏に感謝を述べたということである。

 最後の30分は『鷗外の恋』の刊行以後にわかった事実で、肝の部分は11月6日の新聞記事と同じだったが、老人ホームに遺品が残っている可能性はないという。エリーゼは78歳の時に爆撃にあい、着の身着のままで保護されたので手紙や写真はすべて焼けてしまったようだ。

 ではエリーゼにつながる糸は切れたのかというと有望な手がかりがいくつか残っていて、来年5月に講談社から出す予定の2冊目の著書にその成果がはいるかもしれないとのこと。楽しみである。

 知人に六草さんを紹介してもらったが、『書評空間』に書いた『鷗外の恋』の書評を読んでいてくださった。著者の方からメールをいただいたことは何度かあったが、御本人から読んだと言ってもらったのは初めてである。

 安部公房の新発見作品『天使』の解説に使わなかった材料を「『天使』解説・補遺」として公開した。興味のある方は見てほしい。

 Twitterの検索機能で『天使』の評判を見てみたが、Amazonをふくむ多くの書店で「新潮」が売れ切れてしまい入手できない人が続出しているらしい。近所の書店の文芸誌のコーナーでも「新潮」だけなかった。今回は若干多く刷ったと聞いているが、それでもなくなってしまったわけだ。うれしい誤算である。

 売り切れたからといって増刷はない。文芸誌が増刷された例は後にも先にも「群像」の村上龍『限りなく透明に近いブルー』掲載号だけである。

 ところが増刷になった。出版不況だというのにこんなこともあるのである(Nov13 2012)。

 もう一つ意外だったのは「デビュー前の作品」という言葉に反応している人が多かったことだ。安部公房全集第一巻の大部分がデビュー前の作品だということはディープな読者には周知の事実だが、そこまでいれこんでいない人には「デビュー前の作品」を目にする初めての機会なのかもしれない。

11月13日

 安部公房の「天使」が掲載された「新潮」12月号が増刷されることになり、それがまたニュースになっている。文芸誌の増刷は『限りなく透明に近いブルー』以来かと思ったら、「新潮」は1983年の小林秀雄追悼号、2006年の吉村昭絶筆掲載号が増刷になっていた。それでも異例なことに変わりはない。

 推測であるが、定期的に買っている読者が買えなくなり編集部に抗議の電話が殺到したのかもしれない。安部公房のファンが思いのほか多かったのもうれしいが、文芸誌の固定読者が確かにいると実感できたのも頼もしい。

 増刷分の「新潮」は22日に店頭に並ぶようだ。買い逃した人は書店に予約しておこう。

11月19日

 TV朝日の「ショナイの話」に喜多あおいというTV番組のリサーチャーが登場した。相当できる人で、説明を聞いているのが快感だった。短い時間だったが使えそうなテクが詰まっていた。録画しそこねたので忘れないうちにメモしておく。

 いきなりサーチエンジンで探すのではなく本のタイトルをながめるというのは目新しくないが、紀伊国屋のBookWebの詳細検索が使えるというのは有益な情報だ。【内容キーワード】と分類で探すが、分類の全項目で試してみるというのは気がつかなかった。

 太宰治を例にしていたが、分類の「数学・物理・生物」のカテゴリーで「畜犬談」に行き着いていた。一見関係のなさそうな項目の方が面白い情報にぶつかりやすい。BookWebは内容紹介がしっかりしているので、素人評ばかりのAmazonよりリサーチに向くのだ。

 喜多あおいで調べたら朝日新聞のインタビューがひっかかった。その世界では有名な人らしい。著書には『プロフェッショナルの情報術 なぜ、ネットだけではダメなのか?』がある。「ショナイの話」に出てこなかったテクニックが載っているのだろう。これは読まなくては。

 ネットがなかった時代は大型書店の最上階から一階まで本の背表紙をながめて歩いたと言っていたが、これは実際御利益がある。物書きなら経験があると思うが行き詰まった時は大型書店でぶらぶらするのがけっこう効くのだ。大型書店がなくなると困るのでAmazonはなるべく使わないようにしよう。

11月21日

 ヒトの知性は6千年前がピークだったという説があるそうである。一瞬の判断のミスが死を招く狩猟生活をやめたために低下の一途をたどっているというのだが、ラスコーなどの洞窟壁画の凄さを考えると当たっているかなと思わないではない。

 最近読んだ本に脳で文字認識に使われている領域はもともとは動物の足跡など獲物の痕跡を読みとるために発達した領域だとあった。狩猟が知性を発達させたのなら文字はその延長線上にあることになる。農耕をはじめて劣化しだした狩猟領域が文字を使うようになって再活性化したということはないだろうか。

11月23日

 書店でフランス人の書いた三島由紀夫の評伝を見つけた。原著はガリマール書店から出ている「ガリマール新評伝シリーズ」の一冊だそうで、本国での評判はあまり芳しくないが、カミュチェーホフとならんで三島がとりあげられているのはうれしい。

 同じシリーズから安部公房が出ているかなと思って調べたが出ていなかった。いろいろ検索してわかったが、フランスでは三島と較べると安部公房はまったく影が薄く入手できる翻訳の数が格段に違う。

 海外で安部公房を最初に認めたのはフランスなので今でも高く評価されているのだろうと思いこんでいたが、そうではなかったようである。三島はユルスナールのような高名な作家が評論を書いていることも影響しているかもしれない。

 悲しくなるのはフランス版Wikipediaの安部公房の項目である。三島由紀夫の項目は内容(間違いがかなりある)はともかく長さは堂々たるものなのに対し、安部公房は試訳するとたったこれだけである。

 安部公房(1924年3月7日東京生まれ、1993年1月22日東京で没)は日本の作家である。子供時代を父親が医師をしていた満洲の奉天ですごす。兵役につくために日本にもどるが、その時の体験によって徹底的な反戦主義者となった。その後1943年から1948年まで小説を書きながら医学を学んだが、結局医学を捨てて文学にすべてを捧げた。妻の真知は有名な画家で、彼の本の挿画を描いた。

 安部の最初の長編小説『壁』は1951年に日本でもっとも権威ある文学賞である芥川賞を受賞した。作家であるとともに戦闘的な共産主義者である安部は人民文学のグループに所属し、工場地帯で文学サークルを組織し、おびただしい評論を書いた。1962年に発表された『砂の女』はフランス最優秀外国文学賞を受賞し、勅使河原宏演出の映画の原作となった。安部は1945年以来共産党の党員だったが、この作品を出版したために党を除名された。アイデンティティの喪失というテーマが共産主義のイデオロギーと相容れなかったからである。この小説家にして劇作家は1993年東京で死去した。

 御覧の通り内容は落第レベルだ。いくらWikipediaとはいえちょっとひどすぎはしまいか。フランス語の堪能な人がいたらフランス版Wikipediaの書き直しをお願いする。

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