エディトリアル   Aug 2013

加藤弘一 Jul 2013までのエディトリアル
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8月 1日

 新文芸座の三國連太郎追悼特集で「鷲と鷹」を見た。横浜から門司に向かう貨物船の上で撮影したマドロス映画で、ずいぶん評価が高い。三國はアイドル的な役もこなせるのだという発見はあったが、映画としてはつまらなかった。

 海洋丸がシンガポールに出航する前夜、機関長が口笛を吹く男に殺される。凶器はシンガポールで買ったナイフだが、同じ物を船長(二本柳寛)と殺された機関長も持っていた。出航直前、欠員の水夫の補充として千吉(石原裕次郎)が乗り組むが、そこに本物の補充の佐々木(三國連太郎)があらわれ、殴りあいの喧嘩になる。

 船長が二人とも乗せていくことにしたので航海がはじまるが、女を乗せない貨物船に船長の娘の明子(浅丘ルリ子)と、千吉を追ってきた朱実(月丘夢路)がもぐりこんでいた。他愛のない謎解きと因縁話があって千吉と佐々木の正体がわかり、門司で一件落着。三國は最後に真っ白なスーツをバリッと決めるもうけ役だが、日活青春映画はこんなものか。

 併映の「異母兄弟」は田宮寅彦の原作を家城巳代治が映画化した佳作。妻が結核で寝こんでいる陸軍大尉鬼頭範太郎(三國連太郎)の家に女中としてやってきたお利江(田中絹代)は手込めにされ、身ごもってしまう。

 間に入った周旋屋が金を渡して暇を出したらどうかと勧めるが、ケチな範太郎は連隊長の娘だった妻が死んだので、お利江を後妻にする。正式な妻になったとはいえ、お利江は女中あつかいのままで、産まれた二人の子供ともども徹底した差別を受ける。

 範太郎は少将で予備役になり故郷にもどる。先妻の二人の息子は陸軍将校に、お利江の上の息子は海軍将校になって出征するが、下の息子の智秀(中村嘉葎雄)は虚弱だったので家の恥となじられる。智秀はばあや(飯田蝶子)の紹介できた女中のハル(高千穂ひづる)と引かれあうが、範太郎に見つかりハルは家に帰される。 勘当された智秀はばあやの家に預けられる。ハルと再会できると期待していたが、ハルは女郎に売られ、南方にいった後だった。智秀は行方がわからなくなる。敗戦後、鬼頭家上の三人の息子が戦死し、売り食い生活をしている。智秀がもどってくるが、範太郎は……。陰々滅々な話だが、見ごたえはあった。

8月 2日

 「エンド・オブ・ザ・ワールド」を見た。地球に接近する小惑星の爆破作戦に失敗し、三週間後の滅亡が確定したところからはじまる。緊迫感ゼロのぬるいパニック映画だが、このぬるさが見どころなのだ。

 主人公は妻に逃げられたばかりの中年の保険会社社員ドッジ(スティーヴ・カレル)。ヒロインは隣室に住む英国生まれのペニー(キーラ・ナイトレイ)。暴動の起こった街から二人で一緒に逃げるロード・ムービーだが、目的地は離婚したという通知のあったドッジの元カノの家だが、あえずじまい。

 次に子供の頃、愛人の元に去った父親(マーティン・シーン)に会いにいき和解する。父親にペニーをセスナで英国に連れて行ってもらうことになるが、ペニーはもどってきてしまい、二人でもとのアパートメントで地球最後の瞬間をむかえることに。

 セスナで大西洋が横断できるのかをはじめとして突っこみどころ満載だが、ぬるい絶望感というか虚無感を描くのが眼目の映画だから、辻褄があうかどうかはどうでもいいわけである。

 併映の「ルビー・スパークス」もぬるいファンタジーだったが、面白かった。

 19才でベストセラーを書いたものの、第二作が書けずに10年たってしまった小説家がルビーという娘の夢を見るようになり、彼女を主人公にした小説を猛然と書きだす。するとルビーが現実に現れてしまい、振りまわされるようになるというお話。ルビーを演じるゾーイ・カザンは頭も尻も軽いミーハー娘に見えるが、なんとエリア・カザンの孫で、この映画の脚本と製作を担当しているという。オバカな娘になりきれるあたり、エマ・トンプソンより上手かもしれない。

8月 6日

 キネカ大森のクローネンバーグ特集で「スキャナーズ」を見た。超能力ものの傑作といわれているが納得した。

 低予算のローテク映画で最近の映画とは較べものにならないチープな映像だが、それでも面白いのだからたいしたものだ。「Akira」の対決場面など、これがもとになっていた。ジェニファー・オニールは美しく年を重ねていたが、これといった見せ場がないのが残念。

 併映の「ザ・ブルード」は演劇療法をやっている郊外の精神病院に妻を入院させた建築家の話。毎週末に娘のキャンディーにあわせる約束だったが、娘の体に虐待の痕を見つけ、もうあわせないと通告すると、娘を預けた義理の母が血みどろで殺されるなど、怪事件が頻発。犯人は妻の怒りが実体化したブルードという生き物で娘とそっくりの姿をしており、兎唇で不気味。

 しかもこの生き物、屋根裏にうじゅうじゃいるのだ。クライマックスでは妻の体から出てきたばかりのブルード(膜に包まれた胎児)が映し出される。人間ドラマが希薄なので、グロテスクさばかりが際立つ。いいとは思わないが、一見の価値あり。

8月10日

 「風立ちぬ」を見た。面白かった。純愛ものとしてよくできていたし、兵器オタクでありながら空想平和主義者でもある宮崎駿監督の葛藤を想像しながら見るという意地の悪い楽しみもあった。

 零戦を描きたくても描けないというストレスを反映してだろうか、作中人物はのべつまくなしにタバコを吸うのである。とうとう日本禁煙学会が苦言を呈したよし。

 声優初挑戦の庵野秀明だが、異和感はすぐになくなった。宮崎の矛盾から主人公は空中10cmを漂っている人物として設定されているので、浮いているくらいがいいのだ。ヒロインの瀧本美織もよかった。ちょっと粘っこい声が生命への執着を感じさせ、死病にとりつかれた陰翳を深めた。

8月11日

 「終戦のエンペラー」を見たが、あまりにもチャチである。昭和天皇に戦争責任があるかどうかという謎が日本文化の謎になってしまい、西田敏行が西洋人の喜びそうな日本文化論を得々と語る。

 初音映莉子のヒロイン(モデルになった女性はいたそうだが)も薄っぺらで、西洋人が喜びそうな東洋の神秘という視点からしか描かれていない。

 監督は全国民が献身している天皇が、最後の場面で、国民に献身していたことがわかるという逆説を描きたかったらしいが、助走部分がチャチなので逆説になっていない。

8月13日

 帝劇で「二都物語」を見た。ほどほどに面白かったが、感動はしなった。20年以上の因縁の物語を描いた19世紀大小説のミュージカル化なので、「レ・ミゼラブル」と比較されてしまうのは仕方ないが、格が違う。

 ロンドンとパリという二つの都市の場面が交互に出てくるが、どっちの街なのかわかりにくいのは致命的だ。蜷川がやっているようにテーマカラーで区別するとか方法はいくらでもあるだろう。

 登場人物が個人でしかないという点が弱い。「レミズ」の場合、ジャン・バルジャンも、ジャベールも、コゼットも、マリウスも、さまざまな人々の思いを背負って生きていて、それがドラマに深みをもたらしていた。それに対してこの舞台は個人の悲劇で終わってしまっているのだ。

 そうは言ってもミュージカルとしてのレベルは高く、聞かせるナンバーもある。再演でよくなるかもしれない。

8月14日

 「ワールド・ウォーZ」を見た。予告編では伏せていたが、開映3分でゾンビものとわかる。しまったと思ったが、最初の30分の派手なアクションが一段落したところで、新機軸を打ちだしていることに気がつく。

 何が新機軸なのだろうか。ゾンビに対抗するには銃で頭を吹き飛ばすか、燃やして灰にするといったワンパターンの対処法しかなかった。ところがこの映画では北朝鮮があっと驚く対処法を実行し、それに触発されて主人公は本気でゾンビ対策を考え、洗練された方法を発見するのである。

 人類が知恵の力でゾンビに勝ってしまうのだ。こんなゾンビ映画はありそうでなかった。マックス・ブルックスの原作は人類がさまざまな手段でゾンビを克服する姿を描いているらしい。これは読まなくては。

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