エディトリアル   Jul 2013

加藤弘一 Jun 2013までのエディトリアル
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7月 2日

 新文芸座で「アルバート氏の人生」を見た。女一人では生きられなかったビクトリア朝時代、ウェイターのアルバートとして一生を終えた貧しい女性をグレン・クローズが演じた濃密な映画。

 教育があればジェーン・エアのように家庭教師になれたが、孤児で教育がないと、娼婦に身を落としたくないなら男のふりをして生きるしかなかったのだ。何十年も女としての感性を抑圧しつづけたために完全に男の頭になっている。

 同僚の蓮っ葉なウェイトレスと結婚する夢に突き進む場面など、もてない男そのもの。最後は悲しすぎる。地味な映画だが、見終わった後でズシンとくる。

7月 3日

 新文芸座で「屋根裏のマリアたち」を見た。フランスで大ヒットしたということだが、すごく面白かった。

 1960年代のパリ。親代々の豪華なアパルトマンに住むジャン=ルイ一家のところにスペイン人の家政婦のマリアがやってくる。アパルトマンの持主は6階の屋根裏に納戸と女中部屋をもっている。1960年代はフランスも経済成長で住込みの家政婦がフランス人からスペイン人に代わる時期にあたっていて、6階はスペイン語の世界になっていた。ジャン=ルイはマリアに好意をもっていたが、顧客の派手な女との仲を邪推した妻に家を追いだされた彼は6階の納戸に住みはじめる。

 ジャン=ルイ役はファブリス・ルッキーニで、恋する気弱な中年男を演じさせたらこの人の右に出る者はいない。マリア役のナタリア・ベルベケははじめて見たが、男に媚びないところがいい。ラストはハッピーエンド。安心して見られる。

 会津戦争のクライマックスをむかえた「八重の桜」が視聴率14%と伸び悩んでいる。演出と脚本がボケ気味なのは確かだが、男装した綾瀬はるかをはじめとして出演者がみなすばらしく、史実がドラマチックなので面白くないはずがない。昨年の「清盛」とは違う。

 上手な人が「八重の桜」前半の英語版総集編を作れば、世界的にヒットする可能性があるのではないか。「ラスト・サムライ」より絵的にも、物語的にも格段に面白いし、なぜか登場しないブリュネ大尉やスネル兄弟という史実もあるの。

 ブリュネ大尉を紹介した「真実のラスト・サムライ」という動画が世界的な評判になっているそうだから、「八重の桜」がハリウッドでリメイクされたとしても不思議ではないだろう。その場合は八重はひきつづき綾瀬はるかにやってほしい。チャン・ツィイーでは駄目だ。

7月 5日

  国立新美術館で「貴婦人と一角獣」展を見た。すばらしかった。最初の大ホールに六面を全部見せ、次に細部を拡大したパネルとデジタル映像、さらに関連展示、最後に全体の紹介の映像という構成。

 それぞれのタピスリーは五感と自我をあらわしているとされているが、「味覚」が断然よかった。貴婦人と侍女のモデルは二人づついるらしいが、二人のモデルが交互に貴婦人役になったり侍女役になっている可能性もある。ポスターよりは退色していたが、大きさは圧倒的。一角獣のとぼけたやさしげな表情がいい。ライオンも愛敬がある。いくら見ていても見飽きない。

 「アフターアース」を見た。ウィル・スミスが息子と共同主演した親ばか映画だが、意外な拾い物。予告編から想像するようなスケールはないが、よくできている。

 宇宙船の不時着で重傷を負ったウィル・スミスがヘタレの息子を遠隔操縦して、救難信号を出す機械をとりにいかせる話だが、モンスターの跋扈する未来の地球で時間制限内に目的地につけるかという一点に絞った単純明解な構成が成功している。息子もスターの素質がある。ただ低予算は隠しようがなく、映画館の大画面で見る必然性はない。家で時間があいた時に見るのにちょうどいい。

7月 9日

 「塀の中のジュリアス・シーザー」を見た。傑作である。

 ローマのレビッピア刑務所の囚人劇団の実話。囚人に演劇をやらせるというのも驚きだが、刑務所内に劇場があって、一般の観客をいれるというのも日本ではありえない。オーディションから実際の公演までを見せるが、完全なドキュメンタリーというより脚色がはいっている風である。

 劇場が修理中で使えないので、刑務所のいろいろな場所で稽古をするということになっているが、暗殺されたシーザーを追悼する場面は刑務所の中庭でおこなわれ、コロスのローマ市民は中庭に面した窓に群がる囚人たちが演じている。あまりにもはまりすぎだ。

 出演しているのは刑期十年以上の重罪犯ばかりで、シーザー役とキャシアス役は無期囚。みんなすごい面構えで、生半可な俳優よりはるかに存在感がある。 ディシアスが甘言をろうしてシーザーを議事堂に連れだす場面では、シーザー役の囚人がディシアス役の囚人に、お前は裏で俺の悪口ばかり言っていると怒りだし、喧嘩になりかける。どこまで本当かはわからないが、迫力が半端ではない。キャシアス役の無期囚は独房にもどってから「芸術を知ってから、ここは牢獄になった」と述懐している。彼は本を出しているそうだ。ブルータス役の囚人は出所して俳優になったそうだが、演劇で食べていけるのか心配になった。

7月11日

 「すーちゃん まいちゃん さわ子さん」を見た。30代のまよえる女性三人を淡々と描いた映画だ。原作は『すーちゃん』というマンガ。一見すると四コママンガに見えるが、実際は6ページ単位の短編である。ストーリーマンガ以前の素朴なカット割がいい効果を上げているようだ。

 映画のすーちゃん(柴咲コウ)はカフェ・チェーンの社員スタッフで、マネージャーの独身男(井浦新)に好意を寄せるが、すぐに失恋する。柴咲にしては地味な役だが、意外にもこれがいいのだ。まいちゃん(真木よう子)はバリバリの営業ウーマンで目下不倫中だが、最後に堅実な道を選ぶ。真木よう子にあてて書いたのだろう。

 さわ子さん(寺島しのぶ)は実家で母親とともに祖母の介護をしながら、Webデザイナーをやっている。幼なじみと再会し結婚という話になるが、相手の無神経な言葉からご破算になる。ありがちなエピソードを積み重ねて今を生きる女性の日常を描きだす手並みは鮮やかだ。いい映画を見た。

7月12日

 新国立劇場小ホールで別役実の「」を見た(ソワレ)。2010年に好評だったので再演したということだが、つまらなかった。

 古着で埋めつくされた舞台美術は凄かったが、1970年代アングラ演劇の時期外れの物真似という印象しかなかった。「象」は1962年初演で、あんなに騒々しくはなかったと思うのだ。

7月13日

  NHKで「七つの会議」がはじまった。第一回から飛ばしていて、次回が楽しみだ。 池井戸潤の原作は書評で読んだが、映像化したら面白いだろうと思った。主人公の原島役の東山紀之はぴったりだが、原作前半のどこに転がっていくかわからない浮遊感がないのは四回では仕方あるまい。

 準主役の八角は平泉成かなと思ったが、吉田鋼太郎になった。ちょっとかっこよすぎるし、見るからに一癖ありそうなので意外性が薄れるが、わかりやすい配役だ。単なる企業抗争ものではなく、主要人物がすべて町工場の息子だという点がポイントだが、そこまで掘りさげるのは四回では無理かもしれない。日曜深夜に第一回の再放送があるので、お勧めする。

 何かとお騒がせの武雄市図書館に関する好意的な記事が出ている。やはり地元では好評のようだ。

 「あたかも公設の図書館が商業施設化することに異を唱える声もあったのだが、どうもこれらの議論はみな武雄市以外のところで論じられているようだ」という一節に笑ってしまった。ペンクラブ内部の議論がまさにこれなのだ。

 改装前の図書館を褒めている委員がいたが、その論法でいくとツタヤプロデュースの新図書館をありがたがる地元民を都会に憧れる無学な田舎者と貶める結果になる。

 「市民の要望」と図書館関係者の理想は一致するどころか、どんどん乖離する方向にある。副本問題なら「市民の要望」を批判する余地はあるが、今回の「商業化批判」は誰からも共感されないだろう。

 攻めるならTポイント問題しかないが、ペンクラブでは無理である。

7月16日

 はじめて担当した「広告の記号論」の授業がやっと終わった。いまさら記号論でもないから20人も集まればいい方だろうと思い、そのつもりで準備していたが、初日に想定の10倍以上の受講者がいるとわかり呆然。

 しかもこれまで相手をしてきた学生と雰囲気が違う。レポートでわかったが、彼らの大多数は広告に興味のある学生で、現代思想関係の本は読んだことがなかったのだ。

 この人数と雰囲気では後半のために用意した内容は無理と割り切り、前半の内容をふくらませることにした。ふくらませるための材料を集めなければならず、三ヶ月間自転車操業がつづいた。

 しかし収穫もあった。意外にも反応がよく、一コマのうちに教室の空気がぐっと高まる瞬間が何度もあり、質問を集めるといい質問が集まった。現代思想関係に興味のない学生だったので、記号論や構造主義の話が新鮮だったということらしい。

 記号論にしても構造主義にしても、流行こそ終わったものの、興味を引くような切り口を見つけることができればまだまだいけそうである。

7月17日

 早稲田松竹で「魔女と呼ばれた少女」を見た。反政府ゲリラに子供兵にされた12才の少女の話で、最初にやらされたのが両親の処刑。お前が射殺しないと鉈で殺すと脅され引金を引く。

 戦闘前に飲まされた幻覚性の樹液で亡霊が見えるようになり、敵兵の攻撃をいち早く察したことからゲリラの指導者のグレート・タイガーの魔女に抜擢される。

 しかし好意を寄せてくれる先輩子供兵のマジシャンが戦闘に負けたら殺される、これまで3人の魔女が殺されてきたと教えてくれ、いっしょに脱走する。

 マジシャンはプロポーズするが、彼女は結婚の証に両親から聞いた白い雌鶏を要求する。マジシャンは白い雄鶏を手に入れ、肉屋の叔父のところへ彼女を連れていく。叔父はもう必要ないなといって二人から銃をとりあげる。幸福な日々がはじまるが、グレート・タイガーの手下が彼女を連れにくる。彼女はマジシャンを射殺しろといわれるが、今度は撃てずマジシャンは鉈で殺される。

 ゲリラ部隊にもどされた彼女は連隊長の女にされ、妊娠させられる。彼女は連隊長を殺し脱走する。マジシャンの叔父のもとに身を寄せるが、両親の亡霊が出てきて錯乱状態になり、子供が産まれる前に両親を葬ろうと自分が生まれた村に向かう。

 グレート・タイガーの本拠地に中国風の東屋があり、子供兵がカンフーの真似事をしていたが、反政府ゲリラを中国が支援しているという暗示か。

7月19日

 シネマ・ヴェーラで1944年版の「ジェーン・エア」を見た。ジェーン・フォンテーンとオーソン・ウェルズの顔合わせで、最初から最後まで釘づけ。演劇的とというか、ほとんどウェルズ歌舞伎という感じ。

 97分なので孤児院の教師をやらずにいきなり家庭教師になるとか、かなりはしょっているが、演劇的な作りなので不自然には感じない。大人になったジェーンを演ずるジェーン・フォンテーンは気品といい、気丈さといい、美しさといい、さすがの貫禄だが、子供時代をやった子役が憎々しい。あれではブロクルハースト氏ならずとも折檻したくなるだろう。その憎たらしいジェーンを庇うブルネットのヘレンの儚げな美しさ。なんと子役時代のエリザベス・テーラーだという。

7月20日

 NHKの「七つの会議」二回目は早くも部品の欠陥隠しの全貌が明らかになり、主人公は板挟みにおちいる。原作は一話ごとに主人公が変わる連作短編のために盛りあがりきらない。TV版の方が格段にいい。次回は理想家ぶった社長の暗黒面が嫌というほど出てきて、主人公は徹底的に追いこまれていくのだろう。

 今週の「タイム・スクープ・ハンター」は「八重の桜」とのコラボで「会津 女たちの決死行!」。鶴ヶ城で炊き出しや傷病兵の看護、焼き玉おさえに走りまわる藩士の娘たちが主人公で、後半、食糧調達のために城の外へ出る。

 大河ではスルーされていた新政府軍の掠奪行為を描いたのはよかった。焼き玉おさえは先週の大河にも出てきたが、こちらは見るからに低予算だし、女優の演技力もぎこちないのに迫力がある。凧揚げの場面もそう。

 大河では農家に匿われている剛力が見上げるだけだったが、戦っている藩士が見上げて力づけられる場面にしないと意味がない。全滅寸前まで追いこまれていた新撰組が見上げていたら感動的になったと思うのだが(時尾が凧揚げする子供の世話をしていて、次に斎藤一が仲間とよろこびあう場面をつなげれば二人の結婚の伏線になるだろう)、戦士が元気づけられる場面をわざわざ避けたのだろうか。

 鶴ヶ城籠城戦は前半のクライマックスにするべく時間と予算をかけたはずなのに、そして綾瀬はるかをはじめ役者も部分部分ではいい芝居をしているのに、どうしてこんなにしょぼいんだろう。NHKお得意の反戦という偽善が足を引っ張ったのだろうか。

 中国経済いよいよ危ないらしい(「断末魔の中国、ドル依存金融 北京が最も恐れる「QE縮小」宣言])。

 外資の流入がなくなれば人民元が刷れなくなるとあるが、贋札の方は外貨の裏づけなしに勝手に増えていく。通貨発行量の2割が贋札という説もあるくらいで、今でも膨大な贋人民元が出回っているのに、これで金融が引き締められたら桁違いの贋札、というか贋の「真札」があふれ出すのではないか(→「数枚の「同一番号」中国人民元。これがなんと「本物」鑑定という、「とてつもない闇」の入り口を覗き見た」)。

 フィナンシャル・タイムスの「高まるハードランディングの危機」という記事は6%の成長が可能という前提でかかれているが、統計がそもそも怪しいのだから6%という数字は甘いのではないか。

 シャドーバンキング問題はたいしたことないと吠えているエコノミストがいまだにいるが、共産党幹部が先を争って裸官化しているのだから、強権の内側は想像以上にひどいことになっていると思う。中国に進出した日本企業は自業自得とはいえ、気の毒なことになるだろう。

7月22日

 「横道世之介」を見た。2時間40分もあるが、短く感じた。1987年の法政大学での学生生活を2004年時点から回顧する趣向で、主人公の世之介は3ヶ月前に事故で死亡している。

 封切時はベタな青春ものかなと敬遠していたが、ベタベタしているようで節度がある。世之介役の高良健吾もいいが、与謝野祥子役の吉高由里子が断然光っている。天然のようで女の本能をしっかりもっているこういう役は吉高以外では難しいだろう。

 世之介が憧れる片瀬千春役の伊藤歩は印象が薄かった。アナウンサーなのか、タレントの卵と称する高級娼婦なのか、設定がはっきりしなかったこともある。バブル真っ盛りの頃にはこういう得体の知れない女性がうろうろしていた。原作は吉田修一。世之介とほぼ同年齢のようである。

 併映の「みなさん、さようなら」はまったくノーマークだったが、傑作ではないか。自分が生まれ育った団地の外に一歩も出ないと決めた少年が30才になるまでの18年間を描いた作品で、その間に同級生はどんどん引っ越していき、団地も寂れていく。

 引きこもりを指す隠語に「自宅警備員」があるが、主人公は日に何度も団地をパトロールして歩き、いわば「団地警備員」をしている。なぜ彼が団地内引きこもりになってしまったかという謎は中間部分で明らかにされる。後半、トラウマを克服するような事件があるが、団地の外に出るにはもう一つ事件が必要になる。 引きこもりなのに二人の同級生の女の子と恋愛しているのが救いである。というか、二人がいたから狂わずにすんだのだろう。二人を演じた波瑠と倉科カナがすばらしくエロチック。

 ケーキ屋のオヤジ役のベンガルもいい味を出している。原作は久保寺健彦のパピルス新人賞受賞作。幻冬舎の賞だが、ラノベが対象か。

 主演は濱田岳だが、彼以外の役者には12才から30才を一人で演ずるなんて不可能だ。原作と濱田のちょうどいいタイミングでの出会いは双方にとってラッキーだったと思う。もちろん日本映画にとっても。

7月25日

 ジャン・ヴィゴの「アタラント号」を見た。クライテリオン版のDVDによる上映で、2001年に親族が監修したバージョンである。昔見た時は感動したが、今見ると普通におもしろい映画で、間道まではいかなかった。

 併映の「エイブ・リンカーン」は予告されていた「若き日のリンカーン」が上映できなくなったので、急遽差し替えで上映されたもので、なぜか日本語吹替版。1940年に百万ドルを投じて作られた大作だったが、興行的には大赤字だったそうな。

 リンカーンが生家を出てから大統領に当選するまでを描く。オリジナルは110分だが、上映されたのは80分しかない。30分短くなっていることになるが、エピソードが飛びすぎているので、本来は倍以上長かったのではないかという気がする。 そこそこ面白かったが、リンカーンとメアリ夫人が老けすぎているのが難。

7月30日

 新文芸座の三國連太郎追悼特集でデビュー作の「善魔」を見た。善魔とは善をつらぬくために戦う魔性の者という意味で、三國演ずる新米記者をさす。台詞は棒読みの早口だが、存在感は主役だ。芸名を役名からとったことは知っていたが、「三國君」とか「三國連太郎という男は」という台詞が出てくるとギョッとする。

 松竹の公式サイトをはじめとして、ネットの紹介はどれもおかしいので、内容を書きとめておく。

 新聞社の政治部長の中沼(森雅之)は大蔵官僚の北浦(千田是也)の妻伊都子(淡島千景)が家出をしているという情報をつかみ、三國連太郎に行方を追わせる。三國は別荘に疎開している父親(笠智衆)を訪ね、日本平の同級生のところではないかと目星をつける。伊都子の妹の三香子(桂木洋子)が同行するが、互いに引かれあうようになる。伊都子は家出の理由を役人の妻が嫌になったとしかいわない。三國は三香子の頼みで北浦に伊都子の所在を教えてしまう。北浦は中沼に直談判して記事をつぶすが、中沼は学生時代に伊都子に憧れていた過去があり、そそもそも記事にするつもりはなかった。

 中沼は伊都子に会いにいき、焼けぼっくいに火がつく。北浦の圧力か、伊都子の記事をライバル紙に抜かれたせいかは曖昧だが、上層部に睨まれていた中沼は地方紙に飛ばされそうになる。三國は中沼を守るために北浦の周囲を取材し、伊都子の家出のきっかけになったらしい汚職の事実をつかむ。政治スキャンダルが進行する一方で三香子の容体が急変し、三國は急遽結婚を申し込み、中沼に結婚の立会人になってくれるように頼みこむ。社を辞めることにした中沼は快諾し、疎開先の別荘に三國と向かうが、中沼が新劇女優の愛人を冷たく棄てたことを知った三國は中沼の立会いなんかいらないと言いだす。

 別荘に着いてみると三香子は亡くなっていた。三國は死姦しかねない勢いで遺体にとりすがる。戸外に出た中沼は伊都子と語りあい、関係が終わったことを自覚する。不自然な部分が随分あるが、なかなかの作品だと思う。

 併映の「あした来る人」は傑作だ。井上靖の原作を川島雄三が映画化したもので、実業家の梶大助(山村聰)の周囲に集まる非生産的な若者たちを描いた群像劇。三國はカジカ研究に没頭する曾根二郎という学者の役。

 曾根を梶に紹介したのは娘の八千代(月丘夢路)だが、八千代は夫の克平(三橋達也)が登山に夢中になり、全然かまってくれないので離婚を考えている。八千代は曾根に熱を上げはじめるが、カジカに夢中の曾根と再婚したら同じことなると思うのだが。

 梶は新進デザイナーの山名杏子(新珠三千代)を愛人にしているが、杏子は克平が梶の婿だと知らずに知りあい、ヒマラヤ登山の計画に夢中になる彼に引かれるようになり、店の二階を事務所に提供する。

 複雑な人間関係がからみあいながら克平の出発というクライマックスに突き進んでいく展開は見ごたえがある。多分、井上靖の同題の原作がよく書けているのだろう。

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