母殺し ──小松左京論

加藤弘一

文体

 小松左京の文章には「──」がしきりにはさまれる。そのほとんど習癖と呼んで差し支えないほどの頻出ぶりは、早く石川喬司氏の注目するところで、石川氏は「──」の休止は段落よりも軽い「間」にあたり、継続の印象を強くとどめていること、こうした「間」でつながれていく叙述は、思考の強靱さと明晰さの端的なあらわれにほかならないことを結論している。

 その通りにちがいない。しかし、わたしの興味の中心はその手前にある。「──」は思考を連結する接続詞的符号である前に、語り手がふと口をつぐんだり、ためらったりする変化を表した符牒ではなかったろうか? どんなに無造作な置かれ方をしているようでも、語り手の表情がまったく反映していないとはいえない。わたしが注目したいのは、つまり、「──」の間投詞的側面なのである。

 たとえば、こんな情景がある。

 壁には、たてに、細い亀裂が走っていた。──細くてほとんど気がつかないが、わずかにジグザグしながら、はるか上のほうまではしっている。(『日本沈没』

 おれは、その風の音の底に、はっきり楽音のハーモニーをきいたような気がして、たちどまって耳をすませた。──耳をすませると、もうそのあえかな歌はきこえない。びょうびょうとむせび泣くように鳴るのは、ただの風の音だ。(「星殺し」

 フゥ・リャンは、クスリと笑った。笑うと、また、あの花の香りが、濡れ羽色の髪からにおった。──おとといの晩、ニューヨークの賢者の研究室で、薬物調合係からもらった花を、彼女はまだ髪にさしていた。さすがに花びらが重ぼったく、しなびかけている。(『継ぐのは誰か』

 「──」による沈黙を境として、対象の把握が一段と深まったことに注意しょう。しかも、この深まりは、最初の大雑把な知覚から精細なそれへまっすぐ進むというのではなく、視点人物の構えの転換によってひきおこされている。単に目に映り、耳に聞こえたにすぎない対象をぢきぢきに把み直そうとして、息をこらし、感官をとぎすまし、記憶をまさぐる。それが「──」である。もちろん、そうした知覚の明確化を書きつけた作家は小松だけではないだろう。しかし、彼ほどあらゆる場合にこの過程に固執し、「──」で身構えの転換を明示しつづけようとした作家はいない。それはまた、彼にとって、認識が単なる知的作用ではなく、ことさら「──」によって表情をこめなければ正確な表現をえないほど身体感覚に浸透された行為となっていること、つまり一種の全身的行為となっているということである。

 私たちは、海を見た。
 熊野灘の色は、くろぐろとした北赤道海流の色だ。陽光はうねりにまばゆく照りかえし、はるか南の水平線には、亜熱帯の島々のしんきろうかと見まがう雲の団塊があり、──そしてここは、また、日本列島が、特に急傾斜で、深海底におちこんでいるところだ。潮ノ岬から、二十キロ沖合に出れば、そこはすでに深さ千メートルに達する。(『日本沈没』

 ここでは、認識はほとんど対象との格闘である。はじける陽光と複雑な色相が野放図に氾濫する海景に語り手は魅了され、我を忘れかける。だが、次の瞬間、身をふりもぐようにして官能の横溢から逃れ、輝かしい眺望にかくされた暗黒の奈落を透視する。感官を全開にした直接性の認識の次元から、知識と推論によって媒介された間接性の認識の次元へのこの激しい転調は、ついには「アジア大陸塊の縁辺に、あやうくかかった、三つの花ふさからなる日本列島」が「巨大な大陸塊の圧力により」「徐々に深海底へのめりこんでいく」というあんたんたる光景にまで、われわれを導いていく。冒頭の「私たちは、海を見た」という歓喜にみちた嘆声から、たったひとまたぎで、なんと遠い地点まで来てしまったことだろう。われわれはこの「──」に、所与の感覚をのりこえ、新たな認識の次元へ踏み出していく武者振いのようなものを感得しないわけにはいかない。

 それは、「──」には及ばないにしても、やはりずいぶん使われている「……」と比較することで一層はっきりする。

 おれは、彼女が湖水の上に見ているものに気がついた。──湖水の上で、発光昆虫が、みごとな光のバレーを見せていた。渦巻、縄線、真円、そして特に波型……そして、湖水の水面では、発光虫が、まねくような波のうねりにのって、巨大な矢印のように点滅している。湖水のむこうにむかって……(「星殺し」

 「──」が中断をともなう荒々しい所作だとするなら、「……」は余韻を楽しむ優美な滑走である。水上に明滅する光の戯れに魅惑された語り手の視線は、そのまま吸いこまれるように夜の湖面をすべっていき、そこに描きだされた発光虫の絵模様に陶然と酔う。「まねくような波のうねり」にのせられてただようのは、彼の視線であると同時に意識でもある。「……」に反響しているのは、対象の何たるかには頓着なく、所与の感覚、直接性の経験をただただ味わいつくそうとするどんらんな欲望にほかならない。「……」も、「──」も、呼吸の転調を示す間投詞にはちがいないが、そこにどよもす衝動の方向という点ではなんと対照的なことか。

 だが、大切なのはその先である。「──」と「……」の傾斜が正反対にしても、実はそのことによって、両者は補いあう関係にあるのだ。当然のことだ。「……」に託されたような直接性の次元への深い埋没がなかったなら、間接性の次元へ飛躍するために「──」で力こぶをいれるはずなどないのだから。「……」が感性的な豊かさのなかに拡散していく遠心的モメントのあらわれだとするら、「──」は自己の持続に復帰し、五感に与えられた感覚を主体的、主観的に再構築していこうとする求心的モメントのあらわれである。そして、この対立補完しあう両力こそ、直接性と間接性の両次元を生きようとする小松左京的な欲望の無定形のうねりを響かせているのである。わたしが「──」と「……」の偏愛に聞きとるのは、こうした言葉になりきらない想像界の渦動にほかならない。

 この対立は言行為の水準でも変奏されている。小松は「あつっぽい」、「ほそっこい」、「重ぼったい」のように促音、破裂音をすべりこませた、一種人なつっこい幼児的な口調を好むが、これは発語をあくまで二人関係的な親密さの中にとどめておこうとしてのことだろう。小松的促音、破裂音とは仲間になろうという呼びかけなのである。反対に、しばしばくどいくらいに傍点が打たれる(「突然、何かが見えた」)のは、暗黙の了解を切り裂き、対象を明確な個物として浮び上がらせようとしてのことに違いない。小松的傍点は、つまり、第三者的つきはなしなのだ。一体感の醸成と客観的な秩序の確立と。こうして、われわれはまたしても、きっこうしあう二重の欲望を見出すのだ。文体にあらわれたこの両力こそ、直接性と間接性という小松における特権的な主題の反映にほかならないのである。

構成

 直接性の次元と間接性の次元は相補的だと書いたが、構成の水準で考えるなら、より進んで、一つの全体性をつくっていると言うべきだろう。直接的な経験と間接的な経験は、ともに全体をつくりあげる不可欠な部分であって、どちらが欠けても全体性という観念は損なわれることになる。それゆえ、小松の小説は両者にまたがる結構をとらざるをえないし、そこから全体をめざす特有の力動が生まれる。

 小松的な小説における全体性とはどういうことか? 最初に注目したいのは、戦争と平和な日常を対比して描いた短編である。状況を自由に設定できるSFというジャンルでは、戦争と平和な日常という両極端なものが混在するという異常な設定をつくりだしてさまざまな効果(風刺、惨禍の強調等々)をひきだした作品が少なくない。たとえば、筒井康隆の「通いの軍隊」である。兵員不足に悩む発展途上国が通勤制の兵隊を募集しはじめるという突飛な設定にはじまる短編だが、主人公の日本人駐在員には、新兵募集も単なる新入社員募集としか思えない。

 「待遇はいいな」広告記事を見ながら、おれはいった。「給与が、日本円に換算して最低保証十二万だ。……あっ。交通費も支給されるんだってさ。全額だぜ。昼食も出る。被服類貸与、これはまあ、あたり前だな。あっ。いいな。週休二日制だぞ。有給休暇まである。パート・タイムも可だ」(「通いの軍隊」

 高みの見物をきめていた彼は、思いがけない事情から、「通勤の兵隊」の一人として戦場に通うことになる。砲煙弾雨の中を右往左往するはめに陥るが、サラリーマン意識はついに抜けず、戦争と日常はちぐはぐなまま、彼の眼前でいりみだれつづける。そこには、もはや対立ということさへない。戦争が表面化された戦争であるのと同じように、日常生活もまた表面化された日常生活であるからだ。「わが家の戦士」、「アフリカの爆弾」でも同様であって、筒井は両極端な経験を平然と並列することによって、断片的な経験が断片のままに散乱し、いかなる統一にも行き着かない今日的状況を造形することに成功しているのだ。

 これに対して、小松が戦争と日常を並置するのは、戦争の経験と平和な日常の経験とが越えがたい隔たりをはさんでたいじしていると認めるからであり、また、戦争は常に不快なものである以上、日常によって隠蔽されると考えているからである。彼にとって、戦争の記憶をぬぐいさって成立する日常はぎまんにすぎない。だが、戦争の記憶を背負った自分と、平安な日常を生きる自分がともに一つの自己だというのは、本人にとって自明なことだろうか。誰しもそんなことは認めたくないし、できれば忘れてしまいたいことに違いない。平和な日常という現実だけを唯一の現実としたいに違いない。そして、そこには、抑圧という機制が介在し、首尾よく仕事を完遂してくれるはずだ。しかし、小松にとって、直接的な平和な日常にだけ切り縮められた現実はは見せかけの現実にすぎず、その心地よさにひたる自己は全体性から切り離された半身不随の自己にすぎない。その裏側には可能性としての戦争が常に息をひそめているのである。筒井の場合、戦争と日常のそごを正面突破することで叙述は分裂症過程をつき進んでいったが、一方あくまで自己の一貫性に固執する小松の小説は強迫神経症的色彩をおびることになる。

 「恋と幽霊と夢」は強迫念慮と化した戦争を主題としている。絵に描いたように幸福な恋人たちは、血みどろの兵士たちの幻におびやかされ、性愛の悦びにも水をさされる。おぞましい戦争と無垢そのものの彼らと、一体、どんな関係があるというのか? 関係はあるどころではない。実は、幻影と見えた兵士たちこそ実在で、幸福に生をおうかする恋人たちは兵士たちが死の淵で見た夢想、ありえたかもしれない自己にすぎないからだ。彼らは、知らず知らずのうちに兵士たちの欲望を自己の欲望として生きていたのである。

 「戦争はなかった」では、さらに神経症的色彩が濃厚になる。戦中派世代の主人公は、同窓会で軍歌を歌い出すが、同級生たちはいっしょに歌うどころか、当惑の表情をうかべ、そんな歌は知らないと言いだす。彼らは戦争のあったことさへ否定する。

 「いったい何の話だ?」玉置はいぶかしそうに、眉をしかめた。「何をいってるのか、さっぱりわからん。戦争って……いつの戦争だ」(「戦争はなかった」

 戦争を「忘れて」しまったのは、同級生たちだけではなかった。家族も、会社の同僚も、アメリカとの戦争など知らないと言いはるし、世の中から「大東亜戦争」の痕跡は、その夜を境に、すっかり消えてしまったことがわかる。日本が平和国家として繁栄していることに変わりはないが、彼はどうやら戦争を経験しなかった別の日本に次元移動してしまったらしいのである。

 戦争なしに平和国家への転換が達成できたのであれば、そんなけっこうな話しはないだろう。だが、彼はこのけっこうなもう一つの日本を受け入れることができない。彼は世の中に戦争を「思い出させる」ために孤独な示威行動をはじめる。彼は「戦争はあった/多くの人々が死んだ/日本は敗けた」と大書したプラカードをかついで街頭に立つ。

 行きずりの人々の、好奇の、あるいは冷やかな無関心のまなざしの中で、彼はそのプラカードをたかくかかげ、声をからしてしゃべりつづけた。──特攻隊で死んで行った自分の先輩たち、彼の目撃した空襲あとの死骸の山、栄養失調で死んで行った人々、面白がっているとしか思えない機銃掃射に頭蓋をふっとばさて死んだ小学生、飢餓と蒸発、広島長崎の惨禍、言論・思想の弾圧と、拷問の中で死んでいった人々、占領地での軍隊の暴虐、敗走と玉砕……思いつくままに、とめどもなく、彼は道行く人にしゃべりつづけた。言葉につまると歌をうたった。「わが大君に召されたる……」とか、「ああ、あの顔で、あの声で……」とか……(「戦争はなかった

 これを戦中派の嘆き節とか、戦争体験の風化を批判する寓話として受け取ったのなら、単なる観念的な短編と単純化してしまうことになるだろう。第一、主人公は特攻隊世代の下の世代、つまり直接には戦場を知らない世代に属し、空襲下を逃げまわるという受け身の形でしか戦争を体験していない。本当に一兵士として死地をくぐってきた人の前で、この主人公のような声高な訴えが何ほどの意味を持つだろうか。むしろ、重視すべきは、嘆き節や寓話を語れるような地盤が彼には欠けているということである。彼は自分を引き裂かれた存在、欠落した存在として感じている。彼は現在の平和な日本と、過去のたたきのめされた日本の両方を生きようとしている。あるいは、生きなければいけないという強迫念慮につかれている。彼は戦争を忘れることができない。忘れようとしても、戦争の方で彼を忘れない。彼は抑圧された現実にせかされるようにして、平和一色の日本に異議を申し立てる。戦争とは抑圧された現実の端的な表現であり、彼は狂気じみた行動に走ることで、かろうじて自己の不全感を癒し、ありうべき全体性を再建しょうとしているのだ。

 このような主人公を設定する小松の戦争ものの短編は、直接的な認識の外部に広がる象徴的現実に接近する試みといえる。直接性の経験は、どれほど十全で甘美に見えようと、畢竟全体の中の一部分にすぎず、うっかりすると残酷な真実を下に隠した見せかけにすぎない。それゆえ、直接に知られる現実は不完全であり、より高次の現実の中に統合される必要がある。間接的な認識の不可欠さは、ここから生まれる。

 『日本沈没』はこのような全体性の獲得をめざした小説である。この長編は、主人公の小野寺の活躍する主筋に、二系統の異質な叙述が介入するかたちで展開する。それは、まず、

 北半球の半分をおおうユーラシア大陸の東端で、いま、一頭の龍が死にかけていた。(『日本沈没』

にはじまる、日本列島の沈降を「龍の死」に見立てる叙述である。地殻変動の諸相に巨人の闘いを幻視し、「龍の死」を見通す展望に置き直すなら、人間の力は、どれほど死力を尽くそうと無に等しい。それゆえ、叙述は一種の静けさをおびることになる。

 龍がのたうち、火と煙と灼熱の血をふき上げてほうこうするたびに、長年にわたってその背中や、鱗の間に住みついてきた小さな生き物たちが数知れず死に、また何十万年にわたって住みついてきた宿主の体をはなれて、海の外へのがれようと右往左往するのだった。

 この描写の残酷さは、日本列島の沈没という出来事を、徹頭徹尾、人間を越える視点から、いわば「自然」の視点から描いている点にある。

 陸地はこの星の表面をさまざまな方向に漂い、さまざまに形をかえ、時にはいくつにも裂け、海に沈んだ。……まして今、陸が海にかえそうとしている小さな土地の一切れなど、たとえその上に、かつて海から生まれた生物が、一人よがりな「繁栄」をほこっていたとしても、なにほどのことがあろう──そう海はうそぶいているようだった。

 つまり、「自然」に悲劇ということはない。あるのは一連の過程であり、日本列島の沈降もその一コマにすぎない。真の残酷さは悪意からではなく、無関心からうまれる。ここでは、確かに、「自然」の無関心さがつきとめられている。

 宇宙の高みから見下ろしたようなこの叙述に対して、もう一方の叙述は地面をはいずるようにして書かれている。わたしが言うのは、第五章9に挿入された匿名の父親のエピソードである。

 「配給制度?」外から疲れきった顔で帰ってきた妻に、初老の夫は、かみつきそうな顔でいった。「いつからだ?」

 「配給制度」という時代錯誤した言葉に、平和と繁栄にまぎらせてきた記憶、とうに忘れていたはずの記憶が一挙に浮かびあがる。買い出し、焼け跡、バラック生活、飢えを訴える声……すべては、思い出というにはあまりにも切実な表情でよみがえる。男は「あの地獄」に明日を重ねあわせざるをえない。

 「やめてくれ」

と、彼は闇の中で立ちどまり、思わずなたりを見まわしたが、全面節電で常夜灯さへまばらな暗い街路に、人の姿はなかった。──もう二度と、あの声は聞きたくない。あの悪夢のような時代、地獄のような世界から、長い長い道のりを歩きつづけ、ここ十年、二十年、やっとあのころの夢を見て、汗びっしょりで眼をさまさなくなり、忘れかけていたのに……また、あれがはじまるのか。

 先の叙述が超歴史的な「自然」の無関心によって書かれているなら、こちらは歴史的に限定され、何重にも社会の中で拘束された人間の過度の関与性によって書かれている。すなわち、まったき普遍者の視座に対する、まったき個別者の視座である。日本列島を「病んだ龍」と見る視点からは、食料を探して闇雲に夜の街路に飛び出していく男の行動など何ほどのことがあろう。しかし、男の実存のふるえの前には、宇宙史的展望は意味をなさない。一方が直接的認識の極だとするなら、他方は間接的認識の極である。だが、主筋の主人公たちが主体的に係わる日常的現実の範囲から見るなら、どちらも直接的経験の外に位置する、構成された理念的経験であることに変わりはない。主人公が縦横に活躍する場面の背後には、このような抽象的認識の領域が広がっているのである。

 『日本沈没』の三つの叙述は並置されているに等しいが、『果てしなき流れの果てに』では、間接性の次元は直接性の次元へくりこまれていく。この長編の要めは、一見、無関係と見える多種多様なエピソードが、最終的には、十億年にわたる宇宙史の壮麗などんちょうにはめこまれていくことにある。主人公の野々村は、彼自身まだ知らない旅立ちの前夜、それを予感したかのように、生々しい衝動に身をつらぬかれていく。

 彼は佐世子と結婚し、そのやさしいかげりに包まれて、おだやかに生きたい、と思った。同時に、自分の心が、いまだにあの凍りつきそうな天空の彼方、むごたらしい虚空の底に描かれた不可解な文字にむかって、はげしく、あらあらしくはばたこうとしているのを知った。

 野々村の欲望は直接性と間接性との間ではげしく引き裂かれている。そして、佐世子との生活を捨て、「不可解な文字」を選んだ彼の旅は、象徴的現実をわがものとする旅、宇宙の果てをきわめる認識の旅となるだろう。それがどのようなものかは、もう一度あの小説を読みなおしていただくしかない。しかし、重要なことは、時空をかけめぐるこの長大な旅が、宇宙史の一コマの中の一コマにすぎない老いた佐世子と野々村(厳密にいえば、野々村とマツラの複合人格)の語らいの中に包みこまれていくことだ。直接的な肉の親密さは、一度はしりぞけられながら、象徴的現実を自らの内に包含してしまうのである。重要なことは、野々村の探索行がどれぼどの規模のものであれ、彼を待ちつづけた佐世子の生涯と、彼を迎える葛城山麓の田園の美しさの前では、ちょうど同じ重さを持つものでしかないということだ。

 なんとはなしに、胸とどろく思いにかられて、老人は、高速バスの道路からはなれて、舗装しのこされた、ただ一つの坂道を、一歩一歩のぼっていった。──林をぬけ、曲がり角を一つまがると、突然そこに、こんもりした木立にかこまれた、古びた藁屋根の家が見えた。──梅の老木にかこまれ、青紫蘇や、蕗のはえた前庭では、さんさんとふりそそぐ四月終わりの陽をあびて、ぬくぬくと羽毛をふくらませた鶏たちが、コッコッと鳴きながら、餌をついばんでいた。──そして縁先に、目白の籠をおろして、小さなすり鉢で、袖無しの背を丸くして、練り餌をすっていた白髪の老婆が、人の気配に、ふとふりかえった。

 白髪に、色の白い、やさしげな顔立ちの老婆だった。

 休止の多い、はずむような語調は、たしかに、老人の、そこはかとない「胸とどろく思い」をつたえている。そして、すでに、かなりはじめの方で、二人の死に立ち会い、宇宙史にしめる、その小さな小さな位置を知っているわれわれは、このはかない至福の時のはじまりを、息をつめて、見守らないわけにはいかない。いささかセンチメンタルに過ぎるが、この浄福にみちた庭先で語り出される「長い長い夢物語」こそ、小松左京の「見出された時」であり、回復された全体性のヴィジョンなのである。

続く
Copyright 1996 Kato Koiti
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