幸田文こうだあや

加藤弘一

生涯

 小説家、随筆家。1904年9月1日、東京府南葛飾郡寺島村に幸田露絆の次女として生まれるが、6歳の時に母を亡くす。1911年、姉を喪う。同年、露絆は児玉八代子と再婚。1917年、女子学院に入学。露絆から祖母ゆずりの家事全般を仕こまれる。卒業後、和裁を習う。1922年、弟を喪う。露絆の子供は文一人となる。

 1928年、酒問屋の三男の三橋幾之介と結婚。翌年、長女玉が生まれる(後の青木玉)。婚家が傾き、1936年から小売の酒店をはじめるが、1938年、離婚し、父のもとにもどる。1945年、信州に疎開後、小石川の家が焼亡。各所を転々とした後、千葉市川市の借家に移る。

 1947年、7月、父露絆を喪う。雑誌の求めにより、父の最期を描いた随筆を発表し、注目される。小石川の土地に新居が完成し移る。

 1949年、『みそっかす』を中央公論に連載。『父――その死』を刊行するが、文筆を業とする上での限界に直面し、一時、断筆を宣言する。名前を隠して、柳橋の芸者置屋に女中奉公し、その見聞をもとに、1955年、長編小説『流れる』を書き、映画化されるほどの好評を博す。同年、第一短編集『黒い裾』を刊行し、読売文学賞を受ける。『流れる』は翌年刊行され、新潮社文学賞に。同年、『おとうと』を書きはじめる。

 1990年10月31日、心不全で死去。86歳だった。

作品

Copyright 1999 Kato Koiti
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