邦題は安っぽいが、原題は「操車場」と渋く、油絵のような重厚な映像にふさわしい。キャストは演技派ぞろいで、みないい芝居をしている。
刑務所を出て、母(バースティン)の家にもどったレオは(ウォルバーグ)は叔母(ダナウェイ)の再婚相手で、フランク(カーン)のところに就職を頼みにいく。フランクは電車修理工場の社長で、彼に手に職をつけて修理工になれと勧めるが、ホワイトカラーに憧れるレオは、営業マンとして働いている親友のウィリー(フェニックス)の下で見習いをはじめる。ウィリーはフランクの指示で役所の幹部に賄賂をわたしたり、ライバル会社を妨害したりする汚れ仕事をしていて、レオもその片棒を担ぐことになる。ウィリーはレオの従妹のエリカ(セロン)と結婚することになっていて、すべてはうまくいくかに思われたが、いつもは買収される操車係が良心にたえかねて警報ボタンを押したことから歯車が狂いだし、事態はどんどん抜き差しならない方向に進行していく。
アメリカ映画は善玉・悪玉をはっきりわける傾向があるが、この映画はすべての登場人物が弱さと狡さと善良さをわけもっていて、ちょっとした弱さと狡さの積み重ねがレオを追いこんでいく。
これでうまく結末がつけば傑作になったのだが、クライマックスを盛りあげようとして、この映画は失敗した。クライマックス直前まではすばらしいのだが、なぜああいう小細工をするのか……。
グレイ監督の音声解説を聞いて、理由がわかった。ゴヤの絵など、インスピレーションをもらったと称する絵画を「コンセプト画集」としてDVDにおさめることからもわかるように、この監督はヨーロッパに対する文化的コンプレックスのかたまりなのだ。いいところまでいったのだが、詰めの部分で馬脚をあらわした。
役者は皆いい芝居をしている。エレン・バースティンの母親は「ワン・ナイト・スタンド」の演技と同じくらいすばらしい。シャーリーズ・セロンはアイシャドーをべったり塗って、1980年代のクイーンズの労働者階級の娘に扮しているが、それでも美貌の輝きはある。ホアキン・フェニックスは不完全燃焼で終わったが、脚本のせいだろう。
暗い場面が多く、画質はやや苦しい。音はいい。床を這うような重低音が不安を醸しだす。特典の音声解説は字幕がつくが、自画自賛が鼻につく。