封切以来、見ていないはずだが、細部まで憶えていて、リバイバルで何度も見ている『2001年』よりも、よほど記憶に残っているのが興味深く、それだけ没入して見たのだろう。
原作は『虚栄の市』のサッカレーで、モーツアルトが活躍した頃のヨーロッパを舞台に、平民生まれの男の栄光と没落を描いたピカレスク・ロマンだが、ストーリーはすべてわかっていても、夢中になって見て、キュブリックの最高傑作はこれだと一人決めしている。
公開当時は吉田健一にはまっていて、彼が語る18世紀社会がそのままの姿で画面に登場するのに喜んだが、その後、多少は知識が広がったらしく、今回はロココの時代の暗黒面がきっちり描かれているのがわかって、いよいよ興味が深まった。
主演に大根役者のライアン・オニールを選んだのでドラマ性が希薄になり、衣装とセットが引き立ったと揶揄とも賛辞ともつかない評価をする人が多く、当時もそうかなと思っていたが、今も大筋は賛成で、腐敗の極みの社会を純朴な主人公がなにもわからずに泳いでいくという趣向には、頭の空っぽなライアン・オニールが適役だったのだと考えている。ヒロインのマリサ・ベレンソンもモデルあがりの頭の空っぽな女優で、以後、出演作に恵まれなかったが、この映画の彼女は希有な美しさをたたえている。
夜の場面を蠟燭の灯りだけで撮るためにNASAの開発した特別なレンズで撮影したのが評判になったが、今見ても、やわらかな色彩はたまらなく美しく、ぼうと見とれたものの、情報量がすくないのか、ビデオ的な平板さはまぬがれない。この作品もスーパービット版を出してほしい。