『渚にて』の最初の映画化で、名画といわれた作品だが、はじめて見た。
リメイクの『エンド・オブ・ザ・ワールド』では、絶望した民衆による暴動や、核戦争をはじめたアメリカに対する反米感情を描いていたが、こちらのオーストラリア人は核戦争は自分たちにも責任があると受けとめていて、死を前に自分たちが犯してきた罪を悔悟している。やけに宗教的で、行儀がいいのである。
冷戦時代には、エスカレートしていく核軍拡競争を、大国の愚かさではなく、人類全体の愚かさとみなす考え方があったのは確かだが、今時、そんな説教をされても説得力はなく、しんどいだけである。同時代に見ていたら感動していたかもしれないが、冷戦終結とともに、この映画の賞味期限も終わったのではないか。
ビッグネームをそろえた立派な配役だが、ドラマに共感できないせいか、大時代的な芝居ばかりが目についた。『エンド・オブ・ザ・ワールド』の小粒な役者の演技の方が共感できる。スター然としたエヴァ・ガードナーのモイラよりも、レイチェル・ウォードのいかれたオバチャンのモイラの方がずっと魅力的だ。
フィルムの傷はほぼ直っているが、情報量がすくなく、暗い部分がつぶれている。音はモノラルでレンジが狭く、低音成分はほとんどない。リミッタが強くかかっているような不自然な印象である。特典はない。