映画ファイル   January - March 2000

加藤弘一
1999年12月までの映画ファイル
2000年 4月からの映画ファイル

January 2000

*[01* 題 名<] イフ・オンリー
*[01* 原 題<] If only
*[02* 製作年<] 1998
*[03*   国<] 英国
*[03*    <] スペイン
*[05* 監 督<] リポル,マリア
*[08* 出 演<]ヒーディ,リナ
*[09*    <]ヘンシャル,ダグラス
*[10*    <]クルス,ペネロペ
*[11*    <]コールマン,シャーロット

 愛すべき小品。ロンドンが舞台だが、最近の苦みのきいた英国映画とテイストが違うと思ったら、監督はスペイン人で、屋外の場面以外はスペインで撮影したらしい。

 売れない俳優のヴィクター(ダグラス・ヘンシャル)は八か月前に別れたケースワーカーのシルヴィア(ヒーディ)を忘れられず、彼女の結婚にとり乱し、あの手この手で妨害しようとするが、相手にされない。結婚式前夜、バーで女性バーテンダに愚痴を聞いてもらう。店を出ようとすると雨が降りだし、女性バーテンダは折りたたみ傘を貸してくれる。

 二月の冷たい雨にあたり、自暴自棄になった彼はゴミ箱にはいって自殺を試みるが、ドン・キホーテとサンチョ・パンサのような二人組に救わる。二人組は彼を八か月前の破局の日にもどしてくれる。

 それは八月のカーニバルの日で、かつての彼は浮気を本気と勘違いし、自分から別れを言いだしたが、今度はうまくごまかし、どうせじきに別れることになる浮気相手とさっさと手を切る。

 ところが、シルヴィアの前は、前の世界の結婚相手のトラクター運転手があらわれ、妨害も虚しく、二人はラブラブになってしまい、彼女の方からヴィクターを捨てる。

 落ちこんだ彼は愚痴を聞いてくれた女性バーテンダのいるバーにいくが、そこにはルイーズ(クルス)という小説家志望の別の女性がいた。

 こちらの時間軸ではまったく別の未来が展開し、ヴィクターはルイーズと結ばれ、シルヴィアが後悔する破目になるが、最後の場面で彼女はドン・キホーテとサンチョのような二人組に出会い、もう一波乱を暗示して終る。

 ダグラス・ヘンシャルはエリック・ストルツそっくり。飄々とした味も似ている。ペネロペ・クルスのルイーズはつましく、愛らしい。

 甘口のロマンチック・コメディだが、偶然と見えても、すべては必然だというメッセージが妙に説得力がある。

*[01* 題 名<] シューティング・スター
*[01* 原 題<] Le ciel est à nous
*[02* 製作年<] 1999
*[03*   国<] フランス
*[05* 監 督<] ギット,グラハム
*[08* 出 演<]ボーランジェ,ロマーヌ
*[09*    <]プポー,メルヴィル
*[10*    <]エコフェ,ジャン=フィリップ
*[11*    <]ブーシェ,エロディー
*[12*    <]フラマン,ジャン=クロード

 麻薬がらみで若い夫婦を惨殺した二人組が、赤ん坊を殺すかどうか言い争う場面からはじまる。殺さずに去るが、20年後、赤ん坊はレニー(プポー)という若者に成長し、ロンドンでガールフレンドから金を騙しとり、コカインを仕入れてパリに高飛び。

 大物ディーラーのジョエルと話をつけ、歯磨粉で増量したコカインを売りつけることに成功するが、金をもって取引にあらわれたジョエルの愛人のジュリエット(ボーランジェ)と意気投合し、空港のホテルでベッドをともにするが、ジョエルにはめられ、着の身着のままで放りだされる。

 ジュリエットは麻薬を持ちだしてレニーのもとに走るが、アタッシェケースの中味は麻薬ではなく、麻薬の効目を維持する薬で、それだけでは意味がなかった。なんとか換金しようと、裏の世界の駆引の話になるが、ごちゃごちゃして、話が見えにくい。

 最初の方にちょっとだけ顔を出す売人役のエロディー・ブーシェがケバい金髪で、深紅の部屋に陣取っていて、強烈な印象を残す(それだけしか記憶に残らない)。

*[01* 題 名<] 御法度
*[02* 製作年<] 1999
*[03*   国<] 日本
*[05* 監 督<] 大島渚
*[05* 原 作<] 司馬遼太郎
*[08* 出 演<]ビートたけし
*[09*    <]松田龍平
*[10*    <]浅野忠信
*[11*    <]武田真治
*[12*    <]崔洋一

 17歳にもなって、前髪を落さない惣三郎という美貌の剣士の加入でざわつきはじめる新撰組内部を描いた小品。美意識で完結するタイプの作品で、意表をついたワダエミの新撰組の制服が圧倒的。完成度は高いが、ところどころ弛む箇所があるのが惜しい。

 松田龍平の妖しげな色気を前提にした作品で、もともと台詞がなく、無表情でとおすので、存在感だけで主役がつとまっている。

 土方のたけしが中心で、確かに貫禄があるが、出番が多すぎるのではないか。沖田総司の武田真治が爽やかで浮いているが、わざと浮せたのではないか。惣三郎に衆道を教える浅野忠信がすかっとして、強い印象を残す。脇役だが、彼がやった役の中では一番出来がいいのではないか。

 剣のできない幹部役の坂上二郎と、監察役のトミーズ雅が惣三郎にからむ場面が長く、ここがゆるい。役者はいいのだが、演出が一本調子だ。

*[01* 題 名<] 雨あがる
*[02* 製作年<] 2000
*[03*   国<] 日本
*[05* 監 督<] 小泉堯史
*[05* 原 作<] 山本周五郎
*[08* 出 演<]寺尾聰
*[09*    <]宮崎美子
*[10*    <]三船史郎
*[11*    <]原田美枝子
*[12*    <]仲代達矢

 黒澤明の遺した脚本を助監督として仕えた小泉堯史が映画化。「さわやか」とか「心が洗われる」という感想を見かけるが、まさにその通りの作品。

 素材のよさが際だつ。大道具、小道具がいいのはもちろんだが、役者がいい。さばけた殿様の三船史郎は、子役以来の映画出演らしいが、不器用なところが風格を感じさせる。うまい下手ではなく、圧倒的な存在感で、他の配役は思い浮ばない。

 主人公の妻の宮崎美子も他の配役は考えられない。素材そのままという感じ。主人公の寺尾聰も、他の配役はいそうでいない。

 素材がいいのはもちろんだが、演出の跡を見せない監督は意外に手練なのかもしれない。

*[01* 題 名<] トレインスポッティング
*[01* 原 題<] Trainspotting
*[02* 製作年<] 1996
*[03*   国<] 英国
*[05* 監 督<] ボイル,ダニー
*[05* 原 作<] ウェルイシュ,アービン
*[08* 出 演<]マクレガー,ユアン
*[09*    <]カーライル,ロバート
*[10*    <]ブレンナー,ユエン
*[11*    <]ミラー,ジョニー・リー
*[12*    <]マクドナルド,ケリー

 このところ好調の英国映画の原点といえる作品で、ようやく見ることができた。

 エジンバラに住むジャンキー仲間のどうしようもない日常がテーマだが、悲惨な現実を一片の悲哀も哀感もなく、スピード感あふれる映像で、軽快に、ドライに描いている。主人公のレントンを演ずる五分刈りのユアン・マクレガーはすでに風格がある。

 レントンは麻薬をやめようとするが、睡眠薬が効くまでのつなぎに阿片の座薬を入れるのだから、挫折するのは最初からわかっている。

 汚物だらけの部屋で、ヘロインをまわし射ちして、寝ころがっている間を赤ん坊が無邪気にはいはいしている。危ないと思っていると、果たして赤ん坊は死んでしまう。気がついた母親は泣き叫ぶが、悲しみから逃げるために、またヘロインを射つ。半狂乱の母親に、あっさりヘロインを選ばせるところに、監督の才気を感じる。

 レントンは万引でつかまるが、麻薬断ちを条件に執行猶予がつき、両親の家で禁断症状に耐え、麻薬をやめることに成功する。

 ロンドンに出てまともに働きはじめるが、アル中ですぐに切れるベグビー(カーライル)が転がりこんできたために、馘になる。スコットランドに帰るが、元の仲間が上物のヘロインを入手したことから、片棒をかつがされ、またも麻薬漬にもどる。

 仲間とともにロンドンに転売にいき、一種のハッピーエンドで終る。レントンは裏切るのだが、悪友と手の切れない弱さをあっさりやりすごすあたり、爽快感がある。

*[01* 題 名<] フェイス
*[01* 原 題<] Face
*[02* 製作年<] 1997
*[03*   国<] 英国
*[05* 監 督<] バード,アントニア
*[08* 出 演<]カーライル,ロバート
*[09*    <]ウィンストン,レイ
*[10*    <]ウォディントン,スティーブン
*[11*    <]デイビス,フィリップ

 「フル・モンティ」のギャング版という印象がなくもない佳作。

 五人組の中年ギャングが現金回収所を用意周到に襲い、紙幣を強奪するところまではよかったが、金額が意外にすくなかったことから、仲間内でいがみあいがはじまる。壁をぶち破る鉄材をつけた車を準備したジュリアン(デイビス)が必要経費をふっかけたことから、仲間で彼をぶちのめす。

 その夜、血塗れの顔のデイブ(ウィンストン)が、リーダーのレイ(カーライル)のところに金を奪われたと訴えてくる。レイは、同居人のスティービーと、デイブとともに、金を預かってもらった老夫婦のところへいくが、老夫婦は惨殺され、金もなくなっている。ジュリアンを疑い、家に押しかけるが、彼は本当に知らない。残るは一人だが、行方がわからなくなっている。彼が犯人なのか……という展開。

 ギャング映画ではあるが、華やかなところがまったくなく、人生の盛りをすぎた人間の悲哀がじわじわと伝わってくる。

 レイの母親は左翼のバリバリの活動家で、恋人(リナ・ハーディ)はクルド人支援組織のスタッフ。警察に追われ、せっぱ詰ったレイは、街角でピケをはっている一団の中に母親と恋人を見かけ、母親にはした金を借りる。

 レイも若い頃はデモで鳴らしたらしいが、ソ連崩壊と左翼思想の壊滅で、今はしがないギャングで食べている。刑務所で知りあって以来、彼を慕っているスティービーに、「ギャングは割りにあわない。まともに働いていたら、もっと稼いでいた」とさとす場面はリアリティありすぎ。

 案の定、腐敗警官に娘をおさえられていたデイブの仕業とわかるが、信じていた友の裏切は苦い。

 ラスト、金をとりかえしに腐敗警官の勤務する警察のロッカールームに潜入するが、ここでも中年の友人の裏切がある。裏切らざるをえない事情を前もって描いているので、この種の映画にありがちなゲーム的な軽さがなく、ただただわびしい。

 一種のハッピーエンドで終るが、レイの恋人の黒い髪と貧乏くさい顔がまた切ない。

February 2000

*[01* 題 名<] ジャンヌ・ダルク
*[01* 原 題<] Joan of Arc
*[02* 製作年<] 1999
*[03*   国<] フランス
*[05* 監 督<] ベッソン,リュック
*[08* 出 演<]ジョヴォヴィッチ,ミラ
*[09*    <]ホフマン,ダスティン
*[10*    <]マルコヴィッチ,ジョン
*[11*    <]ダナウェイ,フェイ
*[12*    <]ドーロン,ジャン

 予告編では向日葵畑で長剣を振りまわすミラ・ジョヴォヴィッチが印象的だったが、本篇ではこの場面はなく、子役を使ったジャンヌの子供時代からはじまる。

 ドンレミーの村を英軍が襲い、幼いジャンヌに隠れ場所を譲った姉が兵士に凌辱され、胸を串刺しにされて殺されるのだ。ジャンヌのおびえた表情は、物陰に縮こまって銃撃を避けるニキータそっくりである。

 ジャンヌは村を建てなおす間、伯母の家に預けられるが、彼女は天使との対話に没頭していく。幼い日に受けた衝撃の大きさを暗示するこのくだりは本当にすばらしい。

 物語は一転して、成長したジャンヌがシャルルの宮廷を訪ねる場面に飛ぶ。ここからはおなじみの展開だが、心に傷を負った、勘の鋭い娘が、もののはずみで軍事的成功をおさめるという見方も可能なように作ってある。

 当時の戦いを規模や兵器、地形をふくめて、忠実に再現したという戦闘場面はすごい。文字通りの肉弾戦で、野蛮の一語につきるが、このおぞましい死闘があるからこそ、後半のジャンヌの内心の葛藤にリアリティが生まれる。

 戴冠式をすませたシャルルの裏切でジャンヌはブルゴーニュ家にとらえられ、英軍に売られる。史実ではジャンヌは牢獄でレイプされているのだが、映画では暗示にとどめ、ダスティン・ホフマン演じる良心との葛藤に主眼をおいている。

 この部分は評判が悪いのだが、史実を知った上で見れば、納得できる。ラストの教会と英軍の裏切と火刑の場面は強烈である。

*[01* 題 名<] ラン・ローラ・ラン
*[01* 原 題<] Lola Rennt
*[02* 製作年<] 1998
*[03*   国<] ティクヴァ,トム
*[08* 出 演<]ポテンテ,フランカ
*[09*    <]ブライプトロイ,モーリッツ
*[10*    <]クナウプ,ヘルベルト
*[11*    <]ペトリ,ニナ

 赤く染めた髪につなぎのローラのところに、恋人のマニが電話をかけてくる。ボスにわたす大金を電車の中に置き忘れてしまった。横領を疑われたら殺される。自暴自棄になったマニは10分後に目の前のスーパーに強盗にはいると告げて電話を切る。ローラは金を作って、マニを思いとどまらせようと家を飛びだす。

 10分間と期限を切った話をどう90分に引っぱるのかと思ったら、銀行の支配人の父親に借金を断られ、手ぶらでマニのもとにむかったローラは強盗の片棒をかつぎ、あっさり殺されてしまう。

 あっけにとられていると、ローラはこんな結末は嫌だと叫び、また電話の場面にもどって、再度トライ。リセットしてまたはじめるコンピュータ・ゲームの感覚で作っていたのだ。

 詳しくは書かないが、二度目もゲームオーバーでリセット。三度目でようやくハッピーエンドとなる。

 アイデア倒れになりそうなところを、主演のパンクなネーチャンの迫力と才気ばしった演出で最後までグイグイ引っぱっていく。大変な力業である。

 途中、ローラが出会うさまざまなキャラクターのその後の運命が、毎回、変わるという趣向もおもしろい。人生なんてこんなものさという疾走感が快い。

*[01* 題 名<] 君を見つけた25時
*[01* 原 題<] 毎天愛称6小時
*[02* 製作年<] 1999
*[03*   国<] 香港
*[05* 監 督<] 阮世生
*[08* 出 演<]梁朝偉
*[09*    <]スー,ビビアン
*[10*    <]方中信
*[11*    <]蔡少芬

 香港版トレンディドラマ。広告代理店の人気CMディレクターが、たまたま見つけた大陸から出てきたばかりで、伯母の屋台で売子をしている娘の面倒を見て、トップモデルに育てていく。

 アメリカ帰りでやり手のレズの女上司が登場したりとか、いろいろ工夫して会って飽きさせないが、所詮、トレンディドラマである。

 ビビアン・スーは香港でも天然ボケを演じているが、あれが地なのか?

*[01* 題 名<] シュウシュウの季節
*[01* 原 題<] 天浴
*[02* 製作年<] 1999
*[03*   国<] アメリカ
*[05* 監 督<] チェン,ジョアン
*[05* 原 作<] ヤン,ゲリン
*[08* 出 演<]ルールー
*[09*    <]ロプサン
*[10*    <]ガオ,ジェ
*[11*    <]シャン,チェン

 下放政策で成都から辺境の村に送られ、帰ってこれなかった娘の話である。原作者の実体験にもとづくそうだが、これに類した話はたくさんあっただろう。

 文革がどんなに愚かな騒動だったか、わかりもしないシュシュウが、革命の理想に胸をときめかせ、下放に旅だっていく場面からはじまる。両親は共産党の気まぐれのために娘が奪われることをわかっているのだが、そんなことは口に出せない。シュウシュウは軍から支給されたブカブカの上着を誇らしげに着こみ、級友たちとトラックに乗りこむ。シュウシュウの無邪気な姿を見つめるのは、親のコネで下放をまぬがれた同級生の少年だ。

 四川省北部の村で二年をすごした後、シュウシュウは放牧技術を学ぶために、班長にするとおだてられて、軍の牧場に配属される。配属といっても、チベット族のラオジンというオヤジと同じテントで暮らすだけだ。ラオジンは若い頃、喧嘩がもとで去勢され、周囲から馬鹿にされている男である。

 ラオジンとの共同生活はほほえましいが、行商の男が伝えた帰郷がはじまっているという言葉にシュウシュウは心が揺れる。コネがあれば成都に帰れる、自分は隊長をよく知っているという言葉を信じて、シュウシュウは身をまかせる。

 しばらくして、隊長自身がバイクでやってくる。シュウシュウは成都に帰りたい一念で、隊長に身もをまかせる。その後は入れ換り立ち代り、政治力をもっていそうな男が次々と訪れ、シュウシュウは商売女のようになっていく。

 シュウシュウは誰の子かわからない子供を妊娠し、ラオジンは村の診療所に連れていくが、彼女のことは評判になっており、陰口の的にされる。

 テントのもどったシュウシュウは、帰郷のために自分の足を撃ち抜いた男に影響されて、自分の足に銃を向けるが、どうしても引金を引けず、ラオジンに銃を託す。ラオジンはシュウシュウの心を察して、足ではなく心臓に銃口を向ける。シュウシュウは切なそうにほほえむ。ラオジンは引金を引く。

 愚かな共産主義のまねいた悲劇の一つだが、なんともひどい。共産主義者は恥を知らない人種だから、こういう映画を見てもカエルの面に何とかだろう。共産主義者は皆殺しにするしかない。

*[01* 題 名<] リング0 バースデイ
*[02* 製作年<] 2000
*[03*   国<] 日本
*[05* 監 督<] 鶴田法夫
*[05* 原 作<] 鈴木光司
*[08* 出 演<]仲間由紀恵
*[09*    <]田辺誠一
*[10*    <]田中好子
*[11*    <]麻生久美子
*[12*    <]若松武史

 「リング」シリーズ第三作で、「レモンハート」という短編が原作だそうだ。山村貞子の青春時代を語るという冗談のような話なので、おもしろ半分に見たのだが、後半はともかく、前半はなかなかの出来だった。

 東京に出てきた貞子は劇団の研究生になっていて、主演女優が急死したために主役に抜擢される。演出家(若松)に関係を迫られる彼女を、スタッフの遠山(田辺)がかばってやり、二人の間に愛情が芽生えるが、遠山の恋人の立原悦子(麻生)は警戒心をつのらせる。

 公演の準備が進む一方で、新聞記者の宮地彰子(田中)は、夫の変死の謎を解こうと、貞子の行方を探し、劇団にはいっていることをつきとめる。

 公演前夜、演出家は誰もいなくなった舞台で貞子に関係を迫る。止めようとした遠山は演出家と揉みあいになり、彼を死なせてしまう。一旦はすべてを投げようとするが、病院でヒーリング能力を覚醒させた貞子を見て、遠山は気を取りなおし、死体を隠して初日の舞台に望む。

 舞台は粛々と進行するが、宮地が貞子の正体をあばくために、立原に公開実験のテープを劇中で流させる。貞子はパニックに陥り、劇場は照明が落ちてきたり、舞台に上った医者が急死したり、大混乱に陥る。演出家殺しも発覚し、怒った出演者は貞子を楽屋に追いつめ、なぶり殺しにする。

 ここで終っていればよかったのだが、井戸が出てこなくては「リング」にならない。出演者一堂は貞子の呪いを解くために、宮地に先導されて、劇団のトラックで井戸のある別荘に向かう(あれだけの騒動を起しておいて、この展開はあまりにも不自然だが、原作が短編だからだろうか)。

 この後は御都合主義で、がっくりくる。1968年という設定にしては、全学連もデモも出てこないのはおかしい。あの頃の劇団は政治色が非常に強かったはずだ。ファッションも違うと思うし、バックステージものとしては「Wの悲劇」に似すぎている。しかし、日本映画としては上出来の部類だろう。

 18歳の貞子を演じた仲間由紀恵は棒読みの台詞はともかく、不吉なほどの美貌で、立派に貞子になっていたと思う。

*[01* 題 名<] ISOLA 多重人格少女
*[02* 製作年<] 2000
*[03*   国<] 日本
*[05* 監 督<] 水谷俊之
*[05* 原 作<] 貴志祐介
*[08* 出 演<]木村佳乃
*[09*    <]黒澤優
*[10*    <]石黒賢
*[11*    <]手塚理美
*[12*    <]渡辺真起子

 阪神淡路大震災直後の神戸を舞台にしたオカルトホラーで、多重人格もの、黒澤明の孫娘が出演とくれば、いかにも際物という印象だが、実はまっとうな映画で、まじにおもしろかった。黒澤優も七光とは無関係に存在感があり、才能を感じさせる。

 導入部がうまい。被災者が生活する体育館で、独居老人(室田日出男)とボランティアの青年がいさかいをはじめる。「親切の押売」という言葉をきっかけに、被災者とボランティアの喧嘩に発展するが、ヒロインの由香里(木村)はテレパシーの能力があって、老人が戦友を見捨てた体験をフラッシュバックしていたことを理解し、慰めの言葉をかける。老人は嗚咽する。室田の出番はここだけだが、インパクトは強烈である。

 高校で心理カウンセラーをやっている野村浩子(手塚)は由香里に興味をもち、自宅に泊め、多重人格の生徒の描いたバウムテストを見せる。彼女の勤務する高校を訪ねた由香里は、ばらばらにした辞書を風に飛ばした女生徒がページを拾うのを手伝うが、その生徒が問題の千尋(黒澤)だった。

 千尋の周囲で起きる不可解な事件を探るうちに、体外離脱の研究をしている真部(石黒)と知りあい、オカルトホラーになっていくが、フローティング・タンクで体外離脱中に肉体が死んでしまい、もどる場所がなくなった霊魂が多重人格の少女にとりついたという理屈づけはチャチ。『雨月物語』の磯良との関連づけも中途半端。

 しかし、ビルが潰れ、瓦礫が散乱する震災後の神戸の風景は黒澤優の病気の部分と共鳴しあって、引きこまれるような寂寥感を現出している。

 主演の木村佳乃はひたむきさが出ていて、映画の救いになっている。彼女の過去を説明しなかったのは正解である。

*[01* 題 名<] アンナと王様
*[01* 原 題<] Anna and the king
*[02* 製作年<] 1999
*[03*   国<] アメリカ
*[05* 監 督<] テナント,アンディ
*[05* 原 作<] レオノーウェンズ,アンナ
*[08* 出 演<]フォスター,ジョディ
*[09*    <]チョウ,ヨンファ
*[10*    <]バイ,リン
*[11*    <]フェルトン,トム
*[12*    <]チン,キース

 お金をかけた歴史絵巻で、たっぷり堪能した。三時間は短かった。

 『王さまと私』と同じ原作にもとづくが、こちらは歌と踊りはあるものの、帝国主義と独立を守ろうとするシャムの内情までおさめた歴史劇になっていて、ミュージカルでは終らせないぞという監督の意欲が成果をあげている。

 モンクット王は中年になるまで僧院で生活したが、異母兄の死で王位につく。僧院時代に欧米文化の造詣を深めた開明的な王で、バランスをとりながら、徐々に国を近代化しようとしているが、攘夷派の将軍のために危機に陥る。

 ジョディ・フォスターは植民地育ちのために、祖国を理想化している英国婦人で、現実の祖国が愛するシャムを侵略しようとしていると知ると、迷うことなくシャムを選ぶ。モンクット王の危機にあたっても、自分の安全を省みずに、王のために献身している。彼女の機転で王室が救われたように描いている点が、タイ当局の逆鱗に触れたのかもしれない(この作品の撮影はタイではできず、マレーシアでおこなった)。

*[01* 題 名<] 遠い空の向こう
*[01* 原 題<] October Sky
*[02* 製作年<] 1999
*[03*   国<] アメリカ
*[05* 監 督<] ジョンストン,ジョー
*[05* 原 作<] ヒッカムJr.,ホーマー
*[08* 出 演<]ギレンホール,ジェイク
*[09*    <]クーパー,クリス
*[10*    <]オーウェン,クリス
*[11*    <]リンドバーグ,チャド
*[12*    <]スコット,ウィリアム・リー

 悪い映画ではないが、楽しめなかった。書評の関係で原作のNASA技術者の自伝を先に読んだために、脚色がひっかかったのだ。

 山の中の炭鉱町の高校生がロケットの研究で全米科学フェアで最優秀賞をとるというストーリーは同じで、フェアの最中に起る事件と、それを応援する炭鉱町の動きは原作どおりだが、中盤の山場になる山火事の嫌疑をうけるくだりと、その直後の父親の負傷の部分が違う。映画では主人公にある決断をさせて、ドラマを盛りあげようとするが、原作は映画ほどドラマチックではない。

 しかし、原作は中だるみするわけではない。主人公のドラマの代りに、炭鉱町と主人公一家の数十年にわたる人間関係が書きこまれ、町の年代記になっているのだ。過去にかかわる部分は絵としては見せにくいので、主人公の試練で山場を作った脚本家の判断は正解だと思うが、原作の奥行は失われてしまった。

 活字で描かれた人物や物、風景を実物で見る楽しみはあったが、人物、特に脇役は平板だった。主人公たちを励ましてくれるライリー先生をローラ・ダーンが演じているが、期待はずれ。母親役のナタリー・キャナディも役不足。

 ロケット発射場面は映画ならではだが、原作ではデータをとりながら実験を進めている。見せ場になっている。微分方程式を解いてノズルのカーブを設計する見せ場も抜けている。

 不満はあるが、原作がおもしろすぎたからこう感じるのかもしれない。

ロケット

 国立科学博物館にペンシルロケットとベビーロケットが展示されているが、この映画の高校生たちが作ったロケットの方が大きく、性能も上のようだ。日本のロケット技術は、アメリカの高校生に負けていたのだ。


March 2000

*[01* 題 名<] ケイゾク/映画 Beautiful Dreamer
*[02* 製作年<] 1999
*[03*   国<] 日本
*[05* 監 督<] 堤幸彦
*[08* 出 演<]中谷美紀
*[09*    <]渡部篤郎
*[10*    <]鈴木紗理奈
*[11*    <]小雪
*[12*    <]大河内奈々子

 TVドラマをそのまま映画にした作品で、公開前から『踊る大捜査線』の二番煎じだとか、TVを見ていない人には難解だろうと取りざたされていた。まったく期待せずに出かけたのだが、一時間半ぐらいまではよかった。

 TVシリーズを見ていない方のために説明すると、「ケイゾク」は落ちこぼれ刑事を集めた警視庁捜査一課弐係という部署に、キャリアで成績抜群だが、性格的に問題のある柴田純(中谷)が配属され、推理小説の知識で次々と未解決の難事件を解決していくというドラマである。「ショムニ」と「踊る大捜査線」、「金田一少年の事件簿」、「ツィンピークス」を足して四で割ったような趣向といえばわかりが早いかもしれない。

 泉谷しげるが爆死する思わせぶりな導入部につづいて、おなじみの警視庁捜査一課弐係の地下室に切り替り、お約束のドタバタにつづいて、事件が持ちこまれる。

 十年前の海難事故で死んだ夫妻の娘から、事故で生き残った老女のもとに招待状が届いたというのだ。招待状は警視庁捜査一課弐係にもとどいていて、定年の野々村に代って係長に昇進した柴田(中谷)が真山(渡部)を連れてチャーター船に乗りこむが、船にはやはり事故で生き残ったいわくありげんが紳士淑女が同乗している。

 孤島に着いてからは『そして誰もいなくなった』風に一人づつ殺されていく。本格ファンだったら怒るような謎解きがあるのだが、凝った映像と柴田のボケが売物の映画だから、目くじらをたてることもあるまい。

 最後の30分間は朝倉との対決で、ほとんど『2001年宇宙の旅』のラストである。果たして続篇は作るのであろうか。

*[01* 題 名<] 宋家の三姉妹
*[01* 原 題<] 宋家皇朝 The Soong Sisters 
*[02* 製作年<] 1997
*[03*   国<] 香港
*[05* 監 督<] チャン,メイベル
*[08* 出 演<]チャン,マギー(張曼玉)
*[09*    <]ヨー,ミシェル(楊紫瓊)
*[10*    <]ウー,ヴィヴィアン
*[11*    <]チャオ,ウィンストン
*[12*    <]チャン,ウェン

 封切の時は単なるメロドラマという評判を聞き、ゆきはぐれてしまった。再公開を機に出かけたが、見てよかった。

 死を前にした宋慶齢が妹の美齢を待つ雪に降りこめられた北京の病床から、画面は一転して1900年代の上海に還る。春、柳絮の舞う夕暮れ時、廻音廊と名づけられた墓地の迷路で幼い三姉妹が呼びかわす場面のなんという美しさ。映画という現代メディアに中国絵画の洗練が流れこんでいる。

 場面は一転して反帝国主義のデモで騒然とした街路に変わり、さらに宋家が最初に財をなした上海華美書館(明朝体活字の発祥の地!)の印刷工場に変わる。父親のチャーリーこと宋嘉樹が孫文を案内し、ちょうど遊びに来ていた三姉妹に紹介する。父親は革命運動のシンパで、聖書の印刷を止めさせ、アジビラの印刷に切りかえるが、そこへ清兵が乱入してきて、孫文は逃げだす。

 幼い三姉妹はアメリカ留学に送りだされる。成人した姿で登場するのは長女の靄齢の結婚式の場面である。靄齢を演ずるのはミシェル・ヨーで、紅の花嫁衣装のあでやかさに見ほれる。

 ここからおなじみの物語がはじまるのだが、ミシェル・ヨーに気を使ってか、「孫文」では脇役としてしか扱われなかった靄齢に長女としての存在感をあたえているのがおもしろい。美齢と蒋介石の結婚を画策したのは靄齢だと描かれているが、多分、そうだったのだろう。

 父親の反対を振り切って、孫文との愛に突っ走る生真面目な慶齢のマギー・チャン、強気でちゃっかりした美齢のヴィヴィアン・ウーも適役であるが、三姉妹の葛藤に力をいれたあまり、宋子文はどこかに消えてしまった。

 蒋介石側近には共産党寄りの慶齢を暗殺しようという動きがあるが、美齢は感情j的には姉と対立しても、暗殺はさせない。中国が人治の国だといわれる機微がよくわかる。

 国共合作が映画の山場で、合作がなって後、三姉妹そろって前線を慰問するくだりで映画は終る。すっかり満腹させてもらった。メロドラマには違いないが、これだけ見ごたえがあれば傑作といってよいと思う。

*[01* 題 名<] ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ
*[01* 原 題<] Hilary and Jackie a true story
*[02* 製作年<] 1998
*[03*   国<] 英国
*[05* 監 督<] タッカー,アナンド
*[05* 原 作<] デュ・プレ,ヒラリー
*[05*    <] デュ・プレ,ピエール
*[08* 出 演<]ワトソン,エミリー
*[09*    <]グリフィス,レイチェル
*[10*    <]フレイン,ジェイムズ
*[11*    <]モリシー,デビッド
*[12*    <]イムリー,セリア

 天才チェリストとうたわれたジャクリーヌ・デュプレの伝記映画である。十代で華々しくデビューし、28歳で多発性硬化症で引退、42歳で死去したあわただしい生涯を、姉のヒラリーと弟のピエールが回想した本が原作で、英国では、姉の公認のもとにジャクリーヌと姉の夫が関係を結ぶというスキャンダラスなエピソードで評判になったらしい。だが、映画そのものは肉親の情愛にあふれた正攻法の作品で、原作もおそらく同じだと思う。

 ブルネットとブロンドの姉妹が砂浜で追いかけっこをする最初のシーンがよい。妹のブロンドの方が汀に立つ濃い紫のコートの女性から話しかけられる。最後のシーンでそれが誰であるかあかされるが、生々しいエピソードに満ちた本篇の前後を、この神秘的な映像ではさんだのは成功していると思う。

 母親のアリスは音楽家で、娘たちも音楽家に育てようと、幼いうちから楽器を練習させている。姉のヒラリーはフルートで頭角をあらわし、コンクールの上位入賞の常連だが、妹のジャクリーヌがチェロで出場すると、会場は天才の出現に息をのみ、たちまちジャクリーヌだけが注目されるようになる。突然、寵児の座から追われた幼いヒラリーの姿がいじらしい。

 ヒラリーはフルートをつづけ、王立音楽院に入学するが、単なる優等生と天才の差は歴然としていて、所詮、ジャクリーヌのお姉さんでしかない。

 ジャクリーヌのプロ・デビューの後、ヒラリーは彼女の最初の演奏旅行に同行して、イタリアに出かける。コンサートの翌朝、YWCAでヒラリーが目覚めると、ジャクリーヌはベルリンに立った後だった。

 ここで「ヒラリーの巻」という字幕が出て、彼女が音楽を捨て、平凡な結婚生活を選んだ経緯が語られるが、その穏やかな生活の中に大成功を納めたはずのジャクリーヌが闖入してくる。ここで夫を妹に貸さざるをえなくなる異常な情況にいたった機微が描かれるが、はっきりいってわけがわからない。

 そのもどかしさを見透かすように、「ジャクリーヌの巻」という字幕が出て、カメラはイタリアのYWCAの時点に返り、今度はジャクリーヌの視点から同じエピソードをたどっていく。そこに描かれるのは華やかな成功とは裏腹の孤独地獄であり、凄絶というほかはない精神の格闘である。

 関係者が現存ということもあって、登場人物がみんな善人に描かれすぎているきらいはある。ヒラリーにも嫉妬があったろうし、ジャクリーヌと結婚するダニエル・バレンボイムだってあんなにやさしかったとは思えない。しかし、そこをほじくるように描いたからといって、この作品以上のものが作れたとも思えない。この作品はこのままで傑作なのである。

*[01* 題 名<] シャンドライの恋
*[01* 原 題<] Besieged
*[02* 製作年<] 1998
*[03*   国<] イタリア
*[05* 監 督<] ベルトリッチ,
*[05* 原 作<] ラスダン,ジェイムズ
*[08* 出 演<]ニュートン,サンディ
*[09*    <]シューリス,デビッド
*[10*    <]サンタマリア,クラウディオ
*[11*    <]オイワン,ジョン
*[12*    <]ヌリ,シリル

 不幸な社会情況がないと芸術は生まれにくいという言葉を思いだした。

 ヒロインのシャンドライは政治犯として獄中にある夫を残して、イタリアに亡命しているアフリカの女性で、キンスキーという伯母の遺産で暮らしている英国人の家で住この家政婦をしながら、医学の勉強をしている。

 キンスキーは音楽が生きがいの男だが、音楽家として立つほどの才能はなく、もともとシャイな性格ということもあって、子供にピアノを教えるぐらいしか社会と接点を持っていない。引きこもりに近いかもしれない。

 その彼がシャンドライに恋をし、伯母の残した高価な指輪を贈ったり、モーションをかけ、ついには愛を告白するが、シャンドライに「愛しているなら夫を監獄から出して」とはねつけられる。

 ここで引き下がったら映画にはならない。キンスキーはアフリカ人の教会に出かけ、牧師を通じてシャンドライの夫を救出しようと動きはじめる。当然、多額の金が必要だが、無為徒食の彼としては、伯母の残した骨董品を売るしか金策の当てはない。

 家にところ狭しと飾られていた調度品がすこしづつ減っていき、シャンドライもキンスキーの工作に気がつくが、なにもいえない。

 ついにピアノまで売ることになり、キンスキーは教え子の子供たちを集めて最後のコンサートを開くが、子供たちは彼の作った曲(退屈!)など聞かず、庭に飛びこんできたサッカーボール探しに出ていってしまう。

 最後にシャンドライの夫は釈放され、イタリアの妻のもとにやってくるが、夫と再会する前夜、シャンドライはキンスキーにお礼の手紙を書こうとして苦しんだ挙句、"I love you."という言葉に行きつく。

 無償の愛として昇華したのは結構だが、一歩間違えれば引きこもり男のストーカー騒動で終わりかねない。キンスキーが無償の愛をつらぬけたのは、アフリカの厳しい政治情況のおかげといえなくもないのである。

Copyright 2000 Kato Koiti
This page was created on Feb12 2000; Updated on Nov29 2000.
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