映画ファイル   March - April 2001

加藤弘一
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May 2001

*[01* 題 名<] 初恋のきた道
*[01* 原 題<] 我的父親母親
*[02* 製作年<] 2000
*[03*   国<] 中国
*[05* 監 督<] 張藝謀
*[05* 原 作<] 鮑十
*[08* 出 演<]チャン・ツィイー
*[09*    <]チェン・ハオ
*[10*    <]スン・ホンレイ
*[11*    <]チャオ・ユエリン

 「あの子はどこ」につづいて僻地の小学校もの。前作もあざとかったが、今回は輪をかけてあざとい。しかし、傑作であるのは間違いない。

 都会で猛烈サラリーマンをやっているらしい青年が、父親の死で帰郷する。父親は40年間、一人で村の小学校を守ってきた教師で、町の病院で急死した。

 村の外で亡くなった場合、棺をかついで、死者を村に連れもどす風習があるが、人手が大変なので、今は自動車で運ぶのが当たり前になっている。ところが、母親は棺はかついで運ぶものだ、お父さんは一生村に尽くしたのだから、それくらい当然だと頑固に言いはる。

 ここで40年前にもどり、村にはじめて小学校ができて、教師として赴任してきた父親と、貧農の娘だった母親とのラブストーリーになる。

 いろいろ不自然なところがあるのだが、もともと御伽噺であるし、チャン・ツィイーがすばらしいので許す。鞏俐は『秋菊の物語』でみごと田舎のおかみさんに化けたが、チャン・ツィイーはぶくぶくした綿入を着こんでも、田舎娘には見えないが、それがいいところでもある。

 現代にもどり、出費覚悟で棺をかつぐ人夫を募集すると、かつての教え子が自分にもかつがせてくれと次々と名乗りをあげ、一銭もかからずに棺を村にもどすことができた。人夫のための費用と、父親が40年かかって貯めた蓄えは、校舎新築のために寄付し、息子は教師になって欲しいという父親の願いをかなえるために、一日だけ教壇に立つ。

 額縁の現代の物語がついていても、見ているうちに、明治時代の話のような気がしてくる。ところが、1958年の反右派闘争で二年間、父親が拘留されるという歴史が割りこんできて、現実に連れもどす。

 それにしても、町の病院で死ぬなんて、ごく最近の話だろう。原作があるようだが、棺をかついで村にもどす「風習」は例によって張藝謀の創作かもしれない(「菊豆」や「紅夢」で騙された)。

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*[01* 題 名<] ハンニバル
*[01* 原 題<] Hannibal
*[02* 製作年<] 2000
*[03*   国<] 米国
*[05* 監 督<] スコット,リドリー
*[05* 原 作<] ハリス,トマス
*[08* 出 演<]ホプキンス,アンソニー
*[09*    <]ムーア,ジュリアン
*[10*    <]オールドマン,ゲイリー
*[11*    <]ジャンニーニ,ジャン・カルロ
*[12*    <]ネリ,フランチェスカ

 評判の映画で、それなりにおもしろかったが、クラリスのジュリアン・ムーアはがさつ。予算をつぎこんだのはわかるが、アメリカ人のヨーロッパ・コンプレックスがちらちらし、どうしても安っぽい。

 レクターに対する復讐に凝りかたまった富豪(オールドマン)と、麻薬密売組織の手入れに失敗して、窮地に追いこまれたクラリスを手際よく紹介した後、フィレンツェで美術館の責任者に就任したレクター博士が登場。

 年の離れた美しい妻(ネリ)に贅沢をさせるために、中年刑事(ジャンニーニ)が懸賞金目当てにレクターを追い、返り討ちにあうのが最初の山場。刑事は残虐な処刑をされた先祖をもつパッツィ家の出身で、先祖と同じ殺され方をするという趣向。

 レクターは富豪の手先に捕まり、アメリカに連行され、休職処分を受けたクラリスがからんでくる。

 ラストの特別料理はクラリスの意地悪上司のクレンドラー(リオッタ)が猿の脳味噌料理にされ、大笑い。

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*[01* 題 名<] ザ・セル
*[01* 原 題<] The Cell
*[02* 製作年<] 2000
*[03*   国<] 米国
*[05* 監 督<] ターセム,
*[08* 出 演<]ロペス,ジェニファー
*[09*    <]ヴォーン,ヴィンス
*[10*    <]ドノフリオ,ヴィンセント
*[11*    <]ジャン=バプティスト,マリアンヌ
*[12*    <]ジェイク,ウェーバー

 二本立てのおまけの方だったが、意外によかった。

 一種のサイコダイバーもので、主人公のキャサリン(ロペス)は、シナプス転送という新技術の検証のために、自閉症児の治療にあたっていたが、昏睡状態におちいった連続猟奇殺人事件の犯人、スタガー(ドノフリオ)の心を探ることになる。スタガーは逮捕直前、新しい被害者をアジトの檻に監禁しており、40時間たつと、自動的に注水され、溺死させられてしまう。タイムリミットが迫る中、スタガーの倒錯的な幻想の間を進み、彼の心を開いていくという設定である。

 サイコダイビング中のキャサリンは石岡瑛子デザインのボンデージ系衣装をまとい、思い切りセクシーだが、現実世界では癒し系の表情を見せる。物語としては弱いが、やかましいことはいわずに、次から次と繰りだされるSM的な幻想世界と、ジェニファー・ロペスの魅力を楽しめばいい映画で、スライスされた馬の胴体が鼓動にあわせて断面がブルブル震える場面とか、キャサリンを助けるためにスタガーの心の中にはいったFBIのノバック捜査官(ヴォーン)が臍の下に穴を開けられ、腸を巻き上げ機でずるずる引きずりだされる場面とか、脳裏に残る絵がたくさんある。

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*[01* 題 名<] 回路
*[02* 製作年<] 2000
*[03*   国<] 日本
*[05* 監 督<] 黒澤清
*[08* 出 演<]加藤晴彦
*[09*    <]麻生久美子
*[10*    <]小雪
*[11*    <]武田真治
*[12*    <]有坂来瞳

 ゴミ。

 パソコンの画面を使ったインターネット・スリラーかと思ったら、結末でSFもどきに。

 冒頭、太平洋を進む汽船が出てくる。役所広司が普段着のまま船長をやっていて、甲板に麻生久美子が立っている冒頭の場面が最後につながり、人間がみんな異次元に吸いこまれていくというSF的設定がホラーの額縁になっている。

 本篇では園芸店店員の麻生久美子のストーリーと、学生の加藤晴彦のストーリーが平行して進み、終わりに近い部分で二人が出会って、ストーリーが一本化するのだが、この辺になると設定の無理がたたり、支離滅裂。カタルシスもなにもない。

 小雪が加藤晴彦にパソコンの手ほどきをする場面が唯一印象に残った。

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*[01* 題 名<] メトロポリス
*[02* 製作年<] 2000
*[03*   国<] 日本
*[05* 監 督<] りんたろう
*[05* 原 作<] 手塚治虫
*[08* 出 演<]井元由香
*[09*    <]小林桂
*[10*    <]岡田浩暉
*[11*    <]富田耕生
*[12*    <]石田太郎

 予告編負け。

 技術はすごいらしいし、初期手塚の絵柄をいかした作画は味があるが、脚本と演出がまずく、物語に引きこむ力がない。昔のマンガの野蛮な活力がきれいに消えてしまっている。場面転換にフェイドアウトを使ったのも裏目に出て、流れがぶつぶつ切れてしまう。「天空の城ラピュタ」を意識した部分が目につくが、プラスに働いてはいない。

 視点人物のケンイチが積極的にアクションを起こさないのは、感情移入を阻害した。ヒロインのティマ(原作ではミッチイ)を機械式ロボットにしたのはともかくとして、受身一辺倒のロリコン好みのキャラクターにしてしまい、彼女が引き起こすロボットの反乱を主体的な革命行動ではなく、キレた結果にしてしたのは決定的にまずい。原作の(原作の原作の)階級対立は三つのレベルという形で取りこまれているが、ロボットのジャンヌ・ダルクであるべきヒロインを、ネットワークを統轄する中央コンピュータにしてしまい、体を張った直接暴力をふるわせなかったのは誤算である。

 独裁者レッド公と、孤児からレッド公の養子になったロックの愛憎関係も中途半端。日本映画の欠点をアニメでなぞったような気がする。

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*[01* 題 名<] 僕たちのアナ・バナナ
*[01* 原 題<] Keeping the Faith
*[02* 製作年<] 2000
*[03*   国<] 米国
*[05* 監 督<] ノートン,エドワード
*[08* 出 演<]スティラー,ベン
*[09*    <]ノートン,エドワード
*[10*    <]エルフマン,ジェナ
*[11*    <]バンクロフト,アン
*[12*    <]フォアマン,ミロシュ

 たっぷり笑わせ、幸福な気分にしてくれる傑作。初監督のノートン、恐るべし。

 カトリック神父のブライアン(ノートン)と、ユダヤ教のラビのジェイク(スティラー)は子供の頃からの親友で、教会とシナゴーグ革新のために、新しい試みをどんどんやり、上司からはにらまれているが、信者の受けは抜群にいい。

 ディスコの跡にカトリック、ユダヤ教共同の文化センターを作ろうとしているところに、幼なじみのアナ・バナナ(エルフマン)がニューヨークにもどってくるという連絡がはいる。16年ぶりに再会したアナはやり手のビジネス・ウーマンになっていて、二人は一目惚れするが、神父は妻帯できず、ラビはユダヤ人としか結婚できず、どちらもロマンスは不可能なはず。

 ブライアンは悶々として、ついに還俗を決心するが、その時にはアナはジェイクと恋仲になっていた。ブライアンは自暴自棄になり、ジェイクと絶交する。映画は酔っ払ったブライアンが酒場でバーテン相手に管をまき、子供時代からのアナとの関係をふりかえるという設定である。

 ジェイク役のスティラーに花をもたせる形で進むが、ラビが信者の娘と次々とお見合いをするとか、ユダヤ教の内幕はいつもながらおもしろい。ノートンはユダヤ系ではなかったと思うが、こんな映画を作っていいのか。

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*[01* 題 名<] チューブ・テイルズ
*[01* 原 題<] Tube Tales
*[02* 製作年<] 1999
*[03*   国<] 英国

 ロンドンの地下鉄を舞台にした10分の短編9本のオムニバス。「タイム・アウト」という週刊誌が募集したストーリーをもとにしたという。チャールズ・マクドゥガル、スティーヴン・ホプキンスというプロに混じって、ボブ・ホスキンス、ジュード・ロウ、ユアン・マクレガーが参加している。

 「ミスター・クール」(エイミー・ジェンキンズ)は退社時、ださい若者がわいい女の子に「地下鉄で帰るの?」と声をかけるが、そこにキザな上司がかっこいい車であらわれ、彼女を誘う。彼女はいったんは車に同乗するが、強引に迫られたので逃げだし、地下鉄の駅に逃げこむ。上司は彼女を追いかけ、ちょうどホームに止まった回送電車に乗ってしまう。女の子と若者はにっこり笑いあい、ロマンスのはじまりを暗示。

 「ホーニー」(スティーヴン・ホプキンス)は満員電車の話。実直そうな初老のサラリーマンが、前にすわったタンクトップにミニスカートの女性にムラムラして、ズボンの前がふくらんでしまう。周囲の乗客(婆さんが多い)にじろじろ見られ、男はあせるが、胸の谷間が目の前に迫り、ついに……。意地悪な視線はさすが英国。

 「グラスホッパー」(メンハジ・フーダ)は気の小さなジャンキーの悲劇。私服刑事に尾行されていると思いこみ、電車を飛びだしてエスカレータに飛び乗って逃げるが、追いつめられてしまう。男は隠し持っていた麻薬を全部飲みこみ、証拠隠滅をはかるが、男たちは「切符をもっているか」と聞くだけ。キセル乗車摘発の鉄道公安官だとわかり、男は愕然とする。

 「パパは嘘つき」(ホスキンス)はいかにもホスキンスらしいうらぶれた小品。郊外の駅が舞台で、ここは地下鉄が地上を走っている。日曜の朝で、離婚した父親が面会日で息子を連れにくる。二人でぶらぶら駅に向かうが、途中、ぶつぶつつぶやく男とすれ違う。父親はジャンパー姿で、息子には駅の脇からこっそりはいらせるせこさ。ホームで待っていると、さっきの男がはいってきた電車の前に身を躍らせて自殺する。父親は息子にショックをあたえまいと、「ただ落ちただけ」と言う。

 「ボーン」(ユアン・マクレガー)は妄想恋愛もの。うだつのあがらないバック・ミュージシャンが大きな楽器ケースをかかえて帰宅途中、身分証明書を拾う。写真にはロシア風の額の秀でた美少女が写っていて、彼は一目惚れ。乗り換えるたびに、彼女の面影がちらつき、ついには電車の運転席に運転士の姿で彼女がすわっている幻覚を見る始末。しかし、最後に現実の彼女と出会い、彼は演奏を聞かせる。

 「マウス」(イヌアッチ・アーマンド)は再び意地悪路線。終電車なのか、疲れた顔の乗客でこみあっている。そこへ中年の知的な美女が乗ってくる。掃き溜めの鶴という感じで、男たちは彼女に注目。下着姿を想像する不埒な男もいる。だが、彼女は突然、吐き出し、車内はパニック。駅に止まると、早々に彼女は降りていく。

 「手の中の小鳥」(ジュード・ロウ)は心あたたまるファンタジー。電車の中で女性が悲鳴をあげる。迷いこんできた小鳥が彼女の頭に止まったのだ。小鳥はあわてて飛びたつが、窓にぶつかって床に落ちる。乗客たちは知らんぷりするが、小柄な老人が拾いあげ、手のひらにそっと包んで、あたためてやる。駅に停車すると、老人はおり、地下深いホームから急いで地上に出、小鳥を放してやる。

 「ローズバッド」(ギャビー・デラル)は一番の名品。赤い服を着て、赤いフラフープをもったローズバッドという名の少女が母親(レイチェル・ワイズ)に連れられて、地下鉄に乗っている。駅で少女は降りるが、母親は入口の混雑で降りられず、別れ別れになる。

 母親はそこを動かないでというが、転がっていくフラフープを追って、少女は駅の中で大冒険。次の駅からもどり、半狂乱になって探す母親をしり目に、彼女は冒険を楽しんでいる。

 地下鉄の妖精のような黒人の小母さんがローズバッドをやさしく見守り、母親のもとに無事返してやるという趣向がきいている。レイチェル・ワイズは若い母親役も似合う。

 「スティール・アウェイ」(チャールズ・マクドゥガル)は「銀河鉄道の夜」の地下鉄版。若いパンクなカップルが大金のはいったブリーフケースを強奪し、地下鉄の駅に逃げこむ。ケースをあけると盗難防止の赤い染料が吹きだし、札束を赤く染めて使えなくしてしまう。男の方は上半身に染料を浴びる。

 二人は地下鉄に乗るが、そこには小柄な黒人伝道師がいて、神の教えを説き、足を洗わせてくれと言っている。冷ややかな雰囲気だったが、障碍が治るなど奇跡が次々に起こり、赤く染まっていた男の上半身と札束が元にもどり、二人は意気揚々と駅に降りる。しかし、二人は改札口で引きはなされ、男が外に出ると、天国のような静謐な雰囲気で、死んだはずの母親に迎えられる。

 ここで現実にもどり、射殺された男の遺体に女が泣いてすがっている。

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June 2001

*[01* 題 名<] ベティ・サイズモア
*[01* 原 題<] Nurse Betty
*[02* 製作年<] 1999
*[03*   国<] 米国
*[05* 監 督<] ラビュート,ニール
*[08* 出 演<]ゼルウィガー,レニー
*[09*    <]フリーマン,モーガン
*[10*    <]ロック,クリス
*[11*    <]キニア,グレッグ
*[12*    <]エクハート,アーロン

 ヒロインのゼルウィガーは知名度が低いものの、この映画でゴールデングローブ賞を受賞し、作品自体もカンヌで脚本賞をとっている。封切時は地下のシャンテシネ3だったが、二階のシャンテシネ2に。果たして客席はほぼ埋まっていた。口コミの力だろう。

 カンザスの田舎町に住むベティ(ゼルウィガー)は昼メロ大好きの平凡な主婦で、目下、「リーズン・トゥ・ラブ」に夢中になっている。ダイナーでアルバイトのウェイトレスをしていても、「リーズン・トゥ・ラヴ」がはじまると、画面に見入りながら、コーヒーを注ぐ始末。

 困った奥さんなのだが、ゼルウィガーの下ぶくれのぽっちゃりした顔、赤ん坊のようなピンク色の肌、つぶらな瞳の魅力で、なんでも許そうという気分になっている。

 夫はレンタルカーの店をやっているが、麻薬ビジネスに手を出したことから、二人組の殺し屋に殺される。ベティは夫の無残な死体を見て、頭のねじが弛んでしまい、自分は看護婦で、「リーズン・トゥ・ラヴ」の心臓外科医(キニア)の恋人だと思いこみ、彼と再会すべく、ロサンジェルスにあることになっている彼の勤める病院に向かう。

 妄想の力でとんとん拍子にうまくいき、看護婦資格もないのに一流病院に就職し、「リーズン・トゥ・ラブ」のデイヴィッド・ラヴェル役の俳優とも親しくなり、とうとうゲスト出演の話までまとまる。

 彼女の乗った車に夫が麻薬を隠していたことから、二人組の殺し屋が彼女を追うというサスペンスも用意されているのだが(片方がモーガン・フリーマンだから、サスペンスにはならないが)、ベティの妄想がいつ破れるかの方にはらはらする。

 結末はハッピーエンド。めでたし、めでたし。

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*[01* 題 名<] みんなのいえ
*[02* 製作年<] 2001
*[03*   国<] 日本
*[05* 監 督<] 三谷幸喜
*[08* 出 演<]唐沢寿明
*[09*    <]田中邦衛
*[10*    <]八木亜希子
*[11*    <]田中直樹
*[12*    <]野際陽子

 マイホーム新築という一生のうち、一度あるかないかの家族のイベントを主題に、脚本・監督の三谷の実体験にもとづくとなれば、「お葬式」を連想せずにはいられないが、三谷監督はヒロインの民子に妻の小林聡美ではなく、アナウンサーをやめて充電中の八木亜希子を選んだ。

 この判断は正しかった。

 アメリカ風の洒落た家にしようとする新進デザイナー(唐沢)と、民子の父で昔気質の大工(田中)の対立がドラマになるのだが、ただでさえアクの強い田中邦衛の後ろに、アクのかたまりのようなベテラン・バイプレーヤーが昔の仕事仲間役でずらり顔をそろえる(殿山泰治が生きていたら、当然、出ていたろう)。対抗上、唐沢も目一杯アクを出しまくっている。実に「濃い」映画なのである。

 この映画はアクのない八木亜希子を中心にしたことが、救いになっている。小林聡美が民子をやっていたら、うるさくなっていたはずだ。三谷監督の自制を徳とする。

 民子はアクがないといっても、したたかに意志は通すわけで、そうでなくてはリアリティがなくなる。八木亜希子というキャスティングは絶妙だが、もっと彼女の見せ場があってもよかった。

 終わり近くに家具修繕のエピソードをもってきて、無理矢理盛りあげるのは「ラヂオの時間」の音効のエピソードと同じ。くどい。

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*[01* 題 名<] ペイ・フォワード 可能の王国
*[01* 原 題<] Pay it forward
*[02* 製作年<] 2000
*[03*   国<] 米国
*[05* 監 督<] レダー,ミミ
*[08* 出 演<]オスメント,ハーレイ・ジョエル
*[09*    <]ハント,ヘレン
*[10*    <]スペイシー,ケヴィン
*[11*    <]モアー,ジェイ
*[12*    <]カヴィーゼル,ジェイムズ

 世直し運動の話だというので、封切時は敬遠したのだが、見て考えを変えた。これは傑作である。

 銃撃戦の現場の取材中、犯人に車をぶつけられ、途方にくれた新聞記者に、見ず知らずの紳士が、三つの善行を他人に施すことを条件に、ジャガーをプレゼントする。はじめは疑うが、正真正銘のジャガーだとわかり、彼は二度びっくりする。彼は紳士を取材し、ペイ・フォワードという運動が広がっていることを知ると、ルーツを突きとめるべく、調査を開始する。

 ここで物語は四ヶ月前にさかのぼる。暴力亭主(ボン・ジョビ)と別居中で、アル中のアーリーン(ハント)に育てられているトレバー(オスメント)は、中学校に進学するが、ホームレスの多いラスベガスの場末だけに、校門に金属探知機のある殺伐とした学校である。社会科の教師で、顔にケロイドのあるシモネット(スペイシー)は、最初の授業で、世界を変える方法を考え、実践するようにという課題をあたえる。

 トレバーは本気で考え、自分でなければできない三つの親切を他人に施し、親切の輪を広げるというアイデアを思いつき、手はじめに近くにたむろするホームレスを家に泊めてやる。ホームレスは故障した車を無料で修理してくれ、プールの従業員に就職し、うまくいくかに思われたが、彼は再び麻薬づけになり、三つの可能性の内の一つは挫折したかに思われた。

 いじめられている友達を助けるという第二の親切は、勇気がなくて、挫折。

 三番目の親切として、ケロイドで心を閉ざしているシモネット先生を母親に近づけることを試みるが、あの手この手でどうにかロマンスの火をつけることに成功する。

 だが、そこに実の父親があらわれ、第三の親切も挫折する。

 トレバーの希望が次々と踏みにじられていくさまを、容赦なく描きだすところがこの作品の眼目で、単なる善行映画に終わらない深みをあたえている。

 失敗したかと思われたトレバーの運動が、ロスアンジェルスにまで波及したのはなぜかという謎で後半は引っぱる。新聞記者はついにトレバーにたどりつき、ビデオインタビューをとるが、その直後、トレバーはいじめられっ子の友達を救うというペンディング中の第二の親切を実行に移し、頭を殴られて絶命する。

 ビデオインタビューが放映され、トレバーの死が伝えられると、彼を悼む人々が車に乗って駆けつけ、街はヘッドライトの列で飾られる。

 死によって真実を世に伝えるという一種のキリスト伝説なのだが、オスメントの天才的なうまさと、ヘレン・ハント、ケビン・スペイシーという二大演技派のバックアップで、説得力のある傑作に仕上がった。

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*[01* 題 名<] レッド・プラネット
*[01* 原 題<] Red Planet
*[02* 製作年<] 2000
*[03*   国<] 米国
*[05* 監 督<] ホフマン,アントニー
*[08* 出 演<]キルマー,ヴァル
*[09*    <]モス,キャリー=アン
*[10*    <]サイズモア,トム
*[11*    <]プラット,ベンジャミン
*[12*    <]スタンプ,テレンス

 日本でもアメリカでもこけた映画。二本立てなので、つまらなかったら途中で出るつもりだったが、けっこう面白かった。

 環境破壊のために火星移住計画がもちあがり、火星をテラフォーミングしようとする。酸素を増やすために藻を増殖させるが、突然、藻が消えてしまう。謎を解明するために、火星に調査隊が送られるという設定だ。

 宇宙船内のシーンは退屈かつ安っぽいが、火星に着いてからは持ちなおした。

 着陸船を発進させる直前、太陽フレア爆発で船内がパニックになり、火災が起こる。船長(モス)が一人残り、手動で着陸船を発進させ、空気を抜いて鎮火させる。

 着陸船が激突方式なのはどうかと思うが、火星の風景は悪くない。空気量ぎりぎりでプラントへ向かうが、着いてみると滅茶苦茶に破壊されている。空気がなくなり、苦しむが、破れかぶれになってヘルメットをはずすと、息ができる。藻が消えたのに、酸素が生まれていたのだ。

 軌道上の母船と通信のために、半世紀前のルナ・オービターやロシアの無人探査機を歩いて探す場面は楽しい。

 藻が消えたのに、酸素が生まれた原因は、なんでも食いつくす昆虫だとわかるが、都合がよすぎて、謎解きのカタルシスがない。結末にひねりがあれば、もっと評判になっただろう。

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*[01* 題 名<] クイルズ
*[01* 原 題<] Quills
*[02* 製作年<] 2000
*[03*   国<] 米国
*[05* 監 督<] カウフマン,フィリップ
*[08* 出 演<]ラッシュ,ジェフリー
*[09*    <]ウィンスレット,ケイト
*[10*    <]フェニックス,ホアキン
*[11*    <]ケイン,マイケル

 題名の「クイルズ」とは羽ペンだそうで、サド侯爵(ラッシュ)を通じて作家の執念を描こうとしたらしいが、無残な失敗で終わっている。

 サドはシャラントン精神病院で旺盛に創作活動をつづけていて、カタルシス療法の名目で書かれた原稿は、洗濯女のマドレーヌ(ウィンスレット)が持ちだして秘密出版され、人気を博している。病院の責任者で寛容なド・クルミエ神父(フェニックス)はそんなことになっているとはついぞ知らない。

 ナポレオン皇帝はそれが気にいらず、コラール(ケイン)を院長として送りこんで、シャラントンの綱紀粛正をはかる。

 赴任したコラールは修道院育ちの孫娘のような若妻をむかえる。家名をおもんばかるサド侯爵夫人が金蔓になるとわかると、妻の気を引くために、荒れはてた貴族の館を豪勢に飾りたてる。

 サドは患者の出演する公演で、若妻の御機嫌とりに汲々とするコラールをからかうが、かえって病院劇場は閉鎖に追いこまれ、ペンもとりあげられてしまう。

 ここからサドと病院側の戦いがはじまる。鳥の骨とワインでシーツに書いたり、独房から独房へ、伝言ゲームで、洗濯場のマドレーヌに作品を伝えたり、最後には排泄物で壁に書いたりとエスカレートしていくものの、そらぞらしいばかりだ。作家の執念を描くのは難しいといえば、それまでだが、根本的な勘違いをしているのではないか。

 ド・クルミエ神父とマドレーヌのロマンスがサイドストーリになっているが、フェニックスはいいにしても、ウィンスレットのマドレーヌはミスキャストだ。どこをどうしたら、あれが処女に見えるというのか。

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*[01* 題 名<] JSA
*[01* 原 題<] JSA
*[02* 製作年<] 2000
*[03*   国<] 韓国
*[05* 監 督<] パク,チャヌク
*[08* 出 演<]イ,ヨンエ
*[09*    <]宋康昊(ソン,ガンホ)
*[10*    <]イ,ビョンホン

 アクションものかだが、本格ドラマとしても出来がいい。

 板門店の共同警備地区(Joint Security Area)で、南北の小競り合いがおきる。南の兵士が北の歩哨所に拉致され、北の兵士二人を射殺し、一人に重傷を負わせて逃げてきたと発表される。

 スイスが調査にあたることになり、本国から韓国系スイス人将校、ソフィー(イ・ヨンエ)が派遣されてくる。南北双方の説明に疑問をもったソフィーはスヒョク兵長(イ・ビョンホン)を尋問して追いつめ、ついに最前線の将兵どうしが義兄弟のつきあいをしていたという真相をつきとめるが、大事件になることを恐れた韓国側の働きかけで、ソフィーは任務を解かれ、事件は灰色の決着をむかえる。

 ヒロインが韓国系スイス人という設定は御都合主義ではないかと思ったが、彼女の父親は朝鮮戦争で捕虜になった北朝鮮将校だったという事実が、灰色決着を望む韓国側によって結末で暴露され、設定が意味をもった。

 捕虜になった北朝鮮将校は、収容所の中で、北朝鮮忠誠派と南亡命派の二派にわかれ、衝突をくりかえし、「小さな朝鮮戦争」と呼ばれたというが、停戦後、北への帰国も南への亡命も拒否し、第三国に亡命した者が76人いた。その一人がアルゼンチンでスイス女性と結婚し、ヒロインが生まれたというのだ。

 中東に軍事顧問として赴任しながら、冷遇されているギョンピル士官役のソン・ガンホの人柄が映画に奥行をあたえている。

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*[01* 題 名<] 三文役者
*[02* 製作年<] 2001
*[03*   国<] 日本
*[05* 監 督<] 新藤兼人
*[08* 出 演<]竹中直人
*[09*    <]荻野目慶子
*[10*    <]吉田日出子
*[11*    <]乙羽信子
*[12*    <]大杉漣

 殿山泰治の生涯を、近代映画協会の盟友、新藤兼人が映画化した作品。オカジこと乙羽信子がところどころに登場し、タイちゃんこと殿山に話しかけるようにナレーションを担当(乙羽はクランクアップ時には亡くなっていたが、彼女の場面だけは先に撮影してあったという)。

 昭和26年、京都の喫茶店フランソワ(ここに限らず、ロケ地は本物だという)で17才のキミエ(荻野目)をくどく場面からはじまる。時にタイちゃん、36才。19才違いだが、キミエの方もまんざらではなく、旅館にタイちゃんが借りていた部屋で気を失ったふりをして、関係ができるが、鎌倉には鯛次という飲屋をやっている内妻のアサ子(吉田)がいた。

 タイちゃんはキミエの父親にお願いにいき、赤坂一ツ木通り裏のアパートで所帯をもつが、彼女の存在を知ったアサ子は勝手に籍をいれたばかりか、姪を養女にしてしまう。キミエの方も甥を養子にし、タイちゃんはあっという間に二人の子持ちになる。こういう場面になると、殿山泰治の声帯模写をしたボヤキが生きる。

 プライベートの間にタイちゃんが出演した映画が引用される。まず、『裸の島』。乙羽信子と二人で舟を漕ぎ、離れ小島の急斜面を天秤棒をかついで登り、段々畑に水をやる。この間、まったく台詞なし。映像の密度が違いすぎて、違和感をおぼえるほどだ。『人間』や『鬼婆』、『愛妻物語』も引用され、近代映画協会の傑作集の感もある。

 ロケの再現シーンも多い。「集団創作」と称してプレハブで合宿したが、実はタコ部屋同然の生活だったと、懐かしそうに描いている。当時の関係者が見たら、素直に懐かしがるかどうか。近代映画協会が独立プロだったことを差し引いても、日本映画は全盛期も貧しかったのだなと再認識。

 生涯バイプレーヤーだったタイちゃんは『人間』ではじめて賞を受けるが、この受賞が本人にとっても、周囲にとっても、すごく重かったことが描かれる。乱立気味の昨今の賞とは違う重みがあったのだ。

 年をとって仕事がなくなると、近所の手前、「仕事いってくるぞ! 仕事いってくるぞ!」と呼ばわりながら外出する。1989年に亡くなるまで、コンスタントにTVや映画で見かけたような気がするが、実際はそうではなかったのだ。殿山ほどの役者が一生アパート住まいだったというのも意外だった。

 亡くなる一年前、立てつづけに三本の映画の仕事がはいる。山道を登れなくなってなお、演技を続けようとする姿抑制して描いたのは好感が持てる。

 本妻のアサ子の吉田日出子は絶品。彼女以外の女優がやっていたら、コメディにはならなかったろう。

 キミエの荻野目慶子は若い頃の怒鳴りまくったり、鶏ガラヌードを披露する場面はいただけないが、だんだんよくなっていく。若いメークのままで通し、タイちゃんの最晩年になってはじめて髪を白くするが、老けの場面が一番いい。

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*[01* 題 名<] スリ
*[02* 製作年<] 2001
*[03*   国<] 日本
*[05* 監 督<] 黒木和雄
*[08* 出 演<]原田芳雄
*[09*    <]真野きりな
*[10*    <]石橋蓮司
*[11*    <]柏原収史
*[12*    <]風吹ジュン

 満員電車の中で挑発的な服装のレイ(真野)が痴漢に身体をまさぐられている。海藤は新聞をかざしながら、痴漢をしているサラリーマンの財布を狙っている。そこに刑事の矢尾板(石橋)が近寄り、「やれよ、見のがしてやるから」と挑むようにささやく。海藤はサラリーマンの背広に手を伸ばすが、指先が震え、スリを断念する。

 このオープニングで、傑作と直観する。果たして、物語はどんどん奥行を増していき、さまざまな人生が交錯する十字路となっていく。

 十字路の中心に立つのは海藤と、彼が引きとって育てたレイだ。

 アル中で「仕事」のできなくなった海藤が酒を断ち、現役復帰する話が一つの軸になっているが、ジャベールばりに執拗に海藤を追いまわす矢尾板との対決は枝葉の一つで、幹はあくまで海藤とレイの微妙な関係だ。これに海藤に弟子入りした一樹(柏原)と、断酒会の世話役の鈴子(風吹)がからむ。四角関係である上に、さまざまなワケありの人物が出没し、あちこちに未解決の伏線がしかけてあるが、原田と真野に焦点をあわせた演出が奏功し、シンボリックで骨太の映画に仕上がった。

 海藤が管理人をやっている大川端の荒れ果てたビルとか、レイが勤めている野犬処理施設は、よくよく考えれば不自然なのだが、作品が成功しているので、すべてがプラスに働き、映像の深みを増している。

 レイの真野は中性的で無表情の娘だが、無表情の後ろには心の揺れと慕情が隠れていて、なにかの拍子にそれが噴きだす。無表情だからこそ、心の揺れが切ない。

 鈴子の風吹もいい。はじめは世話役としての義務感から、断酒会の落ちこぼれの海藤を訪ねるが、しだいに引かれていき、酔って海藤のところにおしかける場面は息を呑むほど愛らしい。脇役ながら、彼女が一番美しく撮れている作品ではないか。

 海藤は断酒の甲斐あって、スリとしての技をとりもどすが、レイの兄で、中国人スリ集団のボスをやっているアキラに指をつぶされる。

 それでもなお、矢尾板との対決のために、一番電車に乗るというラストは劇画チックであるが、重くなりすぎなくてよかったと思う。

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This page was created on Jul21 2001.
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