演劇ファイル  Aug - Dec 1996

1996年 7月までの舞台へ
1997年 1月からの舞台へ
加藤弘一

*[01* 題 名<] サクラのサクラ 原体験
*[02* 劇 団<] 一年がかりの芝居づくり
*[03* 場 所<] シアターX
*[04* 演 出<] 大橋也寸
*[05* 戯 曲<] 安部公房
*[06  上演日<] 1996-08-07
*[09* 出 演<]立石涼子
*[10*    <]浅野和之
*[11*    <]山本健翔
*[12*    <]唐沢潤
*[13*    <]森田善之介
*[14*    <]不破央
 長編五本を二時間半にまとめるという無謀な企画だが、かなり成功している。
 「砂の女」は傑作。砂の穴の中におりていくところからはじまり、反抗をやめて水をもらうところまでをうまくまとめた。安部スタジオ出身の浅野和之は説明的な所作がないが、存在感があり、インテリの情けなさが体中からにじみでてくる。たたずまいのおかしさはみごと。これが安部システムの成果か。
 立石涼子なので砂の女がオバサンになってしまったが、とぼけたしたたかさで、おもしろい味を出している。背中のヌードを披露する熱演だが、確かにああいう背中でオバサンが迫ってきたら、困ってしまうだろう。
 「燃えつきた地図」は低調。最初の探偵と妻の出会いの場面はよかったが、そのあと、芝居が破綻して白けムード。
 妻の高橋ゆきは西田佐知子みたいな変てこなシナをつくって、独特のムードがあった。俳優の訓練からは、ああいう変てこなリァリティは出てこないだろうから、素人かもしれない。
 休憩後の「他人の顔」は短いが、おもしろい。山本健翔は包帯を透明人間のように顔に巻いて、黒縁メガネをかけたのが背広とミスマッチで、出てくるだけで笑ってしまう。声がネアカで、顔がケロイドだけらけだというのに、やけに陽気なのが滑稽感を増幅する。こういう読み方もあったのかと新鮮だった。
 妻の唐沢潤は、あいかわらずかっこいい。仮面をつけた主人公が街で彼女をナンパし、すぐにホテルにはいり、あれあれという間に二人は服を脱ぎだす。下着になったところで唐沢は正体は最初からわかっていたとあかして、ぴしゃりと別れを言いわたす。
 妻に捨てられた主人公は段ボールをかぶって箱男になり、その前で医者(浅野)と看護婦(唐沢)が淫靡な関係をくりひろげる。箱をかぶった役者がぞろぞろ出てきて、二人の痴態をのぞきはじめると、二人がさらに興奮してくるのがわかる。ここでの唐沢は触覚的なエロチシズムを発散し、ぞくぞくする。オバサン女教師のスカートをのぞく少年の森田善之介は、ワークショップで目だっていたナツミカンのような顔の研修生(?)で、天性のコメディアン。
 最後は「方舟さくら丸」。迷彩服の少年やらなにやら、いろいろごちゃごちゃ出てくるが、説明で終わっている。30分程度では無理だろう。客電をつけてから役者がひっこむので、終わったのか終わっていないのかなかなかわからず、物足りなさが残る。試演でも、カーテンコールがあってもよかったのではないか。
*[01* 題 名<] 女の一生
*[02* 劇 団<] 文学座
*[03* 場 所<] 三越
*[04* 演 出<] 戌井市郎
*[05* 戯 曲<] 森本薫
*[06  上演日<] 1996-09-07
*[09* 出 演<]平淑恵
*[10*    <]八木昌子
*[11*    <]戸井田稔
*[12*    <]菅生隆之
*[13*    <]大滝寛
*[14*    <]石井麗子
 主役がかわっただけでなく、戦時中、情報局委託で書かれた初演台本による51年ぶりの公演。どの劇評も戦後版とかわっていないと書いていたが、まるで印象の違う舞台だ。従来だと、けいは最後まで憎々しげな婆さんなのだが、今回は貿易商として活躍する三幕だけが嫌味な女で、四幕になると寂しい老婆になり、五幕では夫と和解して、すっかりいい人になっている。中国から堤家にやってきた、次男の英二の日中混血の娘たちにけいが囲まれたとってつけたようなエピローグはともかく、もともとは全体にウェルメイドのまとまりのいい作品だったらしい。「誰が選んでくれたのでもない……」という一人になったけいが呟く三幕の終わりの台詞は、二幕の真中にもどされていて、引用みたいな形でいわれるが、まったく毒がなく、拍子ぬけした。
 検閲うんぬんという問題だけでなく、杉村春子という怪物女優を主役にしたために、けいの存在がどんどん大きくなり、ウェルメイド・プレイのバランスがくずれていったということではないか。
 平淑恵が主役なら、今回の整った形が一番いいのかもしれないが、伝説的な舞台にはならないだろう。
*[01* 題 名<] 間違いの喜劇
*[02* 劇 団<] シェイクスピア・シアター
*[03* 場 所<] グローブ座
*[04* 演 出<] 出口典雄
*[05* 戯 曲<] シェイクスピア
*[05* 翻 訳<] 小田島雄志
*[06  上演日<] 1996-09-08
*[09* 出 演<]吉沢希梨
*[10*    <]円道一弥
 仮面劇。顔の上半分を覆うマスクをつけている。
 若手中心の配役のせいか、最初は学生演劇みたいでおやおやと思った。だんだんよくなるものの、仮面がなじめず、はいりこめない。客席はわいていたが。
 意外にも吉沢希梨がよくて、彼女でもっている部分があった。喜劇とはいっても、暗さを全面に出したのが成功していて、ロマンス劇的な大団円で終わった。
*[01* 題 名<] マクベス
*[02* 劇 団<] シェイクスピア・シアター
*[03* 場 所<] グローブ座
*[04* 演 出<] 出口典雄
*[05* 戯 曲<] シェイクスピア
*[05* 翻 訳<] 小田島雄志
*[06  上演日<] 1996-09-11
*[09* 出 演<]吉田鋼太郎
*[10*    <]吉沢希梨
*[11*    <]円道一弥
*[12*    <]吉沢憲
 期待したのだが、低調。吉田のマクベスはメリハリがなく、一本調子に怒鳴るだけ。どうしたんだろう。吉沢のマクベス夫人はあいかわらず。
 マジックミラーになる膜をはったパネルをならべ、舞台を手前と奥に分割したため、狭苦しく、印象がごちゃごちゃした。魔女をマジックミラーの後ろに立たせた演出は逆効果だと思う。仮面の使い方といい、出口演出は新機軸を出そうとして小手先の工夫に走っている。
*[01* 題 名<] 壊れたガラス
*[02* 劇 団<] 民藝
*[03* 場 所<] 紀伊国屋
*[04* 演 出<] 内山鶉
*[05* 戯 曲<] ミラー,アーサー
*[05* 翻 訳<] 倉橋健
*[06  上演日<] 1996-09-24
*[09* 出 演<]鈴木智
*[10*    <]水原英子
*[11*    <]里居正美
*[12*    <]日色ともゑ
*[13*    <]細川ひさよ
*[14*    <]小杉勇二
 ブルックリン保証抵当という大会社のただ一人のユダヤ人重役フィリップ(鈴木智)の妻、シルビア(水原英子)が、水晶の夜の数日後、下半身麻痺になり、立てなくなる。ハイマン(里居)というやはりユダヤ系の老医師が治療にあたるが、ユダヤ人に生まれつき、顔つきからしてもろユダヤの自分を嫌っている夫と、その夫にあわせるために自分を殺してきた妻の歴史があきらかになっていく。重いテーマだが、謎解きのおもしろさで引きこんでいく。生演奏のチェロの太い音色も舞台の奥行きを深くしている。
 一幕の終わりで夫は欲求がおさえきれず、眠っている妻と性交したが、反応したにもかかわらず、翌朝、妻はおぼえていなかったと医師に告白するが、二幕では、この夫婦には長男を出産して以来、夫は不能になり、20年間性交渉がなかったと妻の口からあかされる。軽い気持ちで両親に相談したのがいけなかった。父が不能のことをアドバイスしたのが夫にはたいへんなショックだったと彼女は語る。医師は、ビルの買収の仕事に失敗して、重役の座を追われそうになっている夫に、なぜウソをついたのかと問いつめる。ユダヤ人問題と不能というデリケートな問題を、同時に腑分していく手際はみごとで、手に汗にぎってしまう。
 医師は神を否定する社会主義者で、すべての人種は迫害を受けていると思いこんでいる。ヒトラーとナチスは迫害の被害者のさいたるもので、あの美しい国を愚痴と弱音の国に変えてしまったと嘆く。恰幅がよく、禿頭が温厚さをかもしだしている。かっこいいのだが、ちょっと理想化しすぎている印象もある。
*[01* 題 名<] マクベス
*[02* 劇 団<] T.P.T.
*[03* 場 所<] セゾン劇場
*[04* 演 出<] ルヴォー,デビッド
*[05* 戯 曲<] シェイクスピア
*[05* 翻 訳<] 松岡和子
*[06  上演日<] 1996-10-01
*[09* 出 演<]松本幸四郎
*[10*    <]佐藤オリエ
*[11*    <]堤真一
*[12*    <]天衣織姫
 精神病院のセットは芝居を小さくした。ラスト、精神病院の中の芝居ごっこだったのかという寒々とした虚脱感がある。英国の演出家はシェイクスピアというとひねくりすぎる傾向があるが、ルヴォーも英国の演出家だったか。
 幸四郎は冴えない。佐藤オリエはレベルを維持している。天衣織姫のマクダフ夫人の虐殺の場面が、唯一、ルヴォー調。
*[01* 題 名<] 弥々
*[02* 劇 団<] 弥々の会
*[03* 場 所<] グローブ座
*[04* 演 出<] 毬谷友子
*[05* 戯 曲<] 矢代静一
*[06  上演日<] 1996-10-05
*[09* 出 演<]毬谷友子
*[10*    <]市川染五郎(声だけ)
 真っ暗な舞台にスポットがあたると、黒衣装束の女が出てきて、自分は弥々の娘だと良寛(客席)にむかって名のり、障子のように見える正面につるした板に筆で、弥々との出会いを詠んだという良寛の歌を書いていく。子供みたいな天衣無縫な字だ。
 照明がつくと、見すぼらしい芝居小屋の骨組がたててあって、黒衣から童女姿にかわった弥々があらわれる。
 料理屋の下働きをしている時に、網元の跡取りの良寛にみそめられるが、真面目人間の良寛ではなく、遊び人の従兄弟の方を選び、江戸に出るものの、亭主は博奕で首がまわらなくなり、吉原に出る羽目に。
 その後、下田で女郎をして、一児を産むが、良寛が偉くなったと聞いて、故郷にもどる。再会した良寛は乞食坊主で、悪態をついて帰ってくるが、晩年、もう一度良寛を訪ねる。
 おきゃんな娘時代から、したたかな中年女、救いを求める老女と、女のいろいろな面を出して、女優冥利につきる芝居だ。全力投球できるこういう芝居を、父親から自分のために書いてもらって、毬谷友子は本当に幸福な女優だと思う。
 「土佐源氏」もそうだが、仏教的な救いをテーマにすると、一人芝居はうまくいくようだ。
*[01* 題 名<] 天守物語
*[02* 劇 団<] ク・ナウカ
*[03* 場 所<] 湯島聖堂
*[04* 演 出<] 宮城聰
*[05* 戯 曲<] 泉鏡花
*[06  上演日<] 1996-10-15
*[09* 出 演<]美加理
*[10*    <]阿部一徳
*[11*    <]宮坂庸子
*[12*    <]大高浩一
*[13*    <]友貞京子
*[14*    <]中野真希
 湯島聖堂を会場にした野外公演。本郷通りの門からはいり、通路をくだる。もともと街灯などないので、臨時に裸の蛍光灯を縦に点灯している。暗く、とても都心とは思えない。
 中庭の東側に舞台をつくり、ベンチをならべる。ベンチといっても、木の箱に板をわたし、座席分の座布団をのせ、ビニールで覆ったもの。地面に座布団を敷いただけかと思ったが、とても見やすい。160席ほどなので、間隔も広い。今日は晴れていたが、19:30からなので冷える。昨日は雨だったが、本当にやったのだろうか。
 まわりは道路と線路だけだし、もともと塀が高く、重々しい黒塗の回廊に囲まれた密閉性の高い空間なので、舞台としてはうってつけだ。
 時間通りにはじまる。中央にバリ島風の獅子頭をかざった舞台に太鼓をかかえた女が出てきて、激しく打ち鳴らす。それを合図に、舞台裏でパーカッションが演奏をはじめ、ボアの帽子をかぶった西域風の衣装の男女がスーフィーのように旋回して出てくる。
 西域風の男が舞台両袖にもうけられたマイク席につくと、鯉のぼりを裁ちなおしたようなひらひらした衣装の富姫と侍女が登場。人形浄瑠璃のように、語りにあわせて役者が舞い踊る。富姫の美加理はもともとマネキン風の美貌だけに、オリエンタルな衣装とあいまって、変てこな色気を発散する。奥村チヨ風でもある。
 マイクの音量が大きいので(屋外でも、ここなら肉声で十分だ)、はじめはなじめなかったが、亀姫(原郁子)が客席の後ろから登場するころには舞台に引きこまれるが、昨日は雨で、このひらひらした衣装はびしょ濡れになっただろうなどと考えてしまう。
 図書之助の宮坂庸子は顔が大きいが、なかなかの若武者ぶり。浄瑠璃宝塚という感じで、軽いのがいい。兜をもたせて帰してやるが、冤罪をかけられ、天守にもどってくる。追っ手を撃退するために、富姫は図書之助とともに獅子頭にはいるが、両目を槍でつぶされ、二人とも盲目になる。獅子頭から出てきた富姫は、まげにゆっていて髪を長く垂らして、凄絶な色気をふりまく。死を覚悟して、盲いたまままさぐりあう二人の頽廃美は絶品。美加理は特別人形ぶりの仕草をするわけではないが、マネキン風の顔は人間離れした人形の美しさだ。
 デウス・エキス・マキーナが出てきて、ハッピーエンドとなるのだが、あっさりまとめた古典美は、鈴木忠志演出を思いだした。
 禁欲的で構築的な湯島聖堂を使ったのは成功していると思う。神社を使っていたら、通俗性が勝ちすぎていただろう。
*[01* 題 名<] エニシング・ゴーズ
*[02* 劇 団<] 東宝
*[03* 場 所<] 青山劇場
*[06  上演日<] 1996-10-21
*[09* 出 演<]大地真央
*[10*    <]左とん平
*[12*    <]鈴木ほのか
*[13*    <]戸田恵子
 Anything Goesとはなんでもあるという意味らしい。自分の船にチャップリンが乗るとよろこんでいた大西洋客船の船長が、あてがはずれ、乗客も文句を言いだす。ちょうどうまいぐあいに、全米一のギャング(実は人違いの密航者)が乗っているのというので、下にもおかないあつかい。
 実は彼は株屋の新米社員で、英国貴族と結婚するという大富豪の令嬢(鈴木ほのか)に一目ぼれし、仕事を放りだして密航したもの。たまたま、神父に化けた全米7位の悪党(左とん平)に助けられ、彼が名乗るはずだった偽名を名乗ったところ、全米一のギャングと間違えられる。
 大地真央は新米社員に気のある歌姫で、どちらかというと歌で場面を盛り上げる狂言まわしの役どころ。
 大恐慌の時代のさなかの 1934年に初演され、ヒットした作品だというが、あんまり楽しく盛りあがらない。日本初演は宮本亜門演出で、大成功だったらしいが。
*[01* 題 名<] 零れる果実
*[02* 劇 団<]
*[03* 場 所<] シアター・コクーン
*[04* 演 出<] 佐藤信
*[05* 戯 曲<] 狩場直史
*[05*    <] 鈴江俊郎
*[06  上演日<] 1996-10-30
*[09* 出 演<]洪仁順
*[10*    <]手塚とおる
*[11*    <]清水宏
*[12*    <]さとうこうじ
*[13*    <]花房徹
*[14*    <]篠井英介
 舞台の前半分と後ろ半分を人間の背の高さの波状のトタン板で仕切り、真中右寄りに階段が横向きについている。手前に六畳の畳と二枚の扉が思い思いの方向においてある。あちこちにずんぐりしたパパイヤのような作りものの果実がごろごろ。
 暗転した舞台の後ろ半分がほの明るくなり、木製のボートがオールを動かしながら、月明りの中空を横切っていく。照明がつくと、身長のちがう三人の若者が小太鼓をたたき、すぐに退場。パンツ一枚の妙子(洪仁順)が階段をおりてきて、寝袋のなかにしを起こす。彼女は上の部屋の住人で、下の部屋(床の扉を開いておりる)もふくめて、自由に行き来しているのだという。そこになかにしという、妙子の部屋にいついている男がからんできて、エイコというここの部屋の主の話をはじめるが、まったくわけがわからないまま、エイコの姉のヒロミ(篠井英介!)や、部屋の模様替えを頼まれた女(山下裕子)といったエイコの関係者が次々とやってきて、どうやらエイコが二週間行方不明で、失踪したらしいということがわかってくる。
 演劇青年たちの宙ぶらりんの日常が描かれるのだが、台詞がわざとらしいくらい端正で、衣装やセットも洒落ていて、床の扉とあいまって、なんとも不思議な空間をつくる。
 まっとうな社会人の立場から、彼らにお説教するヒロミも、男が演じているので、まったく生活感がなくなる。
 冒頭のパンツ一枚の妙子や肩からつるすだぶだぶのオーバーオールのジーンズだけのなかにしをはじめとして、裸体がごく普通に出てくるが、あんまり当り前すぎて、オブジェのようにしか見えない。
 ウッディ・アレンの「リビング」みたいなつるつるした作品で、ピンとこないが、これはこれでコンビニ的な現代生活のリァリティをつかんでいるのかもしれない。
*[01* 題 名<] 零れる果実
*[02* 劇 団<]
*[03* 場 所<] シアター・コクーン
*[04* 演 出<] 蜷川幸夫
*[05* 戯 曲<] 狩場直史
*[05*    <] 鈴江俊郎
*[06  上演日<] 1996-11-06
*[09* 出 演<]勝村政信
*[10*    <]田村翔子
*[11*    <]森口遥子
*[12*    <]松重豊
*[13*    <]柳ユーレイ
*[14*    <]ダンプ松本
 傑作! いくら狙ったとはいえ、同じ台本がこうも違う芝居に化けるとは。
 舞台美術からして違う。シンプルでモダンな佐藤版とは対照的に、六畳二間ほどのスペースに家具やらゴミ袋やらをぎっしり詰めこみ、文字どおり足の踏み場もない。この狭いスペース以外は、舞台の床板をすべてはずし、スチールの梁とコンクリートの土台がむきだしになっている。奥にむかって鉄の階段があり、三省堂の辞書や一太郎の電飾広告が天井からぶらさがっている。俳優はコンクリートの土台から階段であがってきて、屋上の場面はブリッジを使う。
 ベニサンみたいな空間だなと思ったら、はたして冒頭の夜明けの場面で正面奥の扉が開き、三台のサーチライトが朝の太陽のように客席にまばゆき光線をなげかける。奥の扉は場面転換のたびに開かれ、道路を本物の通行人や自転車が時々通る。文化村がベニサンにかわってしまった(笑)。
 傷ついた心をかかえる演劇青年のたまり場になっている汚いアパートの熱気がむんむんして、蜷川スタジオの舞台裏を見ている感じ。意外なことに、出演者は小劇場系ではなく、お笑い系の若手が多い。いつの間にか、お笑いも小劇場も同質化していたわけだが、小劇場系の役者と違うのは、自分を捨て去った明るさとたくましさがあることだ。柳ユーレイとダンプ松本の底抜けの明るさは、小劇場系の役者では無理だろう。ポール牧とか、お笑い系の大物が演劇をやると臭くなったものだが、彼らにはそれはない。時代はかわったということだ。
 この芝居で、唯一、世間の常識を代表するヒロミは森口遥子がやっているが、このキャスティングが成功している。ハイヒールにきちんとしたスーツで、場違いなくらい美形の森口が登場し、怠惰で欝々とした演劇青年たちにお説教をはじめ、妹の荷物をまとめだすが、実は彼女が一番不安定で、抑圧されていて、苦しんでいることがわかってくる。ダブダブの服を来たプータローたちの中では、きちんとしたスーツの彼女が身体の線がはっきり出て、一番エロチックだし、妊娠を見ぬかれ、女としての弱さがぼろぼろ表に出てくる後半の展開は悩ましく、ドキドキした。森口は単なるお飾り女優と思っていたが、これほどの存在感を示すとは。彼女をヒロミに選んだことで、舞台の奥行きが二倍、三倍に深くなった。
 アドレッセンスという言葉を久しぶりに思いだした。こういう舞台を生みだせるのだから、演劇はいよいよおもしろくなる。
*[01* 題 名<] すててこてこてこ
*[02* 劇 団<] 蝉の会
*[03* 場 所<] 紀伊国屋
*[04* 演 出<] 渡辺浩子
*[05* 戯 曲<] 吉永仁郎
*[06  上演日<] 1996-11-13
*[09* 出 演<]風間杜夫
*[10*    <]名古屋章
*[11*    <]星ルイス
*[12*    <]篠倉伸子
*[13*    <]村松克巳
*[14*    <]千葉哲也
 師匠円朝の芸にどうしても勝てない円遊がステテコ踊りで対抗するという話。
 風間杜夫は熱演だが、あまりにも書生っぽすぎる。冒頭の滑稽噺も重く、笑えないし、自分の真打披露で引退する円朝が塩原多助の圧倒的名演をしたので、ついにステテコ踊りをはじめるというラストが自虐に見えてしまう。
 円朝の名古屋章は威厳があって、怪談の場面もみごと。完全に風間杜夫を食っている。
 円朝を井上馨が鹿鳴館に呼び、御前公演とひきかえに、塩原多助を孝行噺に変えさせる場面は秀逸。
*[01* 題 名<] 1996年・待つ
*[02* 劇 団<] ニナガワ・スタジオ・ダッシュ
*[03* 場 所<] ベニサン
*[04* 演 出<] 蜷川幸雄
*[05* 戯 曲<] 竹内銃一郎
*[06  上演日<] 1996-11-26
*[09* 出 演<]鈴木真理
*[10*    <]塚本幸男
*[11*    <]唐沢龍之介
*[12*    <]大石継太
*[13*    <]飯田邦博
*[14*    <]木村つかさ
 九話からなるオムニバス。
 壁ぎわぎりぎりに作られた五段の急峻な客席にぎゅうぎゅうに詰められる。目の前はすぐに黒い幕。どんな仕掛かと思っていると、スーハー一斉に息をする音が聞こえてきて幕があく。90cm水槽が二十個、ずらりとならび、それぞれにスポットがあたる。中に役者が胎児のように丸まって入っている。目醒めの時間になり、一斉に飛びだしてきて、めいめい食事をし、身支度をととのえ、出勤のために右往左往はじめる。
 第一話はオールドミス(鈴木真理)が男のひな型(山口正之輔)をひろってきて、育てる話。ほとんどオールドミスの独白ですすんでいくが、ひな型は言葉をおぼえ、コンビニでアルバイトをするようになり、外でセックスもしてくるほど成長する。オールドミスは外でそんなことはしてほしくないと言いだし、二人でなんとかセックスしようと努力するが、うまくいかない。「世にも奇妙な話」の一話にしていいようなコントだが、鈴木の艶やかな声と、時々見せるきつい目の取り合わせがいい。
 第二話は営業マン(塚本幸男)が無断欠勤した部下(武井秀雄)のアパートをたずねる話。部下の話は要領をえず、部長に電話しろといったのに電話すらしない。翌日、また「アズマ〜!」と怒鳴りこむことになる。舞台奥の扉を開き、向かいの家にちょうど蕎麦屋の出前が配達に来ていたのがなんともおもしろかった。
 塚本という役者は栗本慎一郎に似ていて、演劇青年というより、根っからの営業マンという感じ。「アズマ〜!」という怒鳴り声がなんともおもしろいが、堅気のサラリーマンから道を誤ったのだろうか。
 第三話は二人の女の子が楽器ではりあう話で、まったく台詞がない。
 第四話は竹内銃一郎の「恋愛日記」からで、親友の不倫相手の演劇青年と出来てしまう三角関係の話。飄飄とした演劇青年(唐沢龍之介)はなかなかだが、彼を争う二人の女は実力的に苦しいものがある。
 第五話はのぞきの師弟が三組登場し、まったく同じ台詞を同時に喋るという趣向。師匠は双眼鏡だけだが、弟子は小型のビデオカメラに競技用のサングラスと完全武装。ポリフォニーというか、なんともおもしろい舞台だった。
 休憩のあと、第六話は大石継太の青年が今までに出会った三人の中国人の想い出を語るというもの。最初は模擬テストの会場となった中国人小学校の教師(飯田邦博)で、机に落書をするなと諭す。二番目はアルバイト先で知りあった女の子(木村つかさ)で、デートをするが、知らず知らずのうちに傷つけてしまう。三番目は電車の中で偶然再会した高校時代の友人(田中哲司)で、中国人相手専門の百科事典のセールスをしているという。
 第七話は、濡れた服にゴーグルをつけた男(佐々木龍)がなにか叫んでいるのだが、よくわからない。
 第八話は忘れた。
 第九話は竹内銃一郎の「この大ガラスさえも」からで、大ガラスを運んでいる三人の男が、届け先がわからず、うろうろする。やっと三条ルミというポルノ女優の家だとわかるが、彼女と童謡歌手の三条ハルミの関係でまたもめる。
*[01* 題 名<] 波のまにまにお吉
*[02* 劇 団<] 民藝
*[03* 場 所<] 三越
*[04* 演 出<] 北林谷栄
*[05* 戯 曲<]
*[06  上演日<] 1996-12-10
*[09* 出 演<]奈良岡朋子
*[10*    <]日色ともゑ
*[11*    <]斎藤美和
 どうしても玉三郎のやった演舞場の舞台とくらべてしまう。民藝の大物総出演だが、無惨。お吉が奈良岡、相棒が日色ともゑ、亭主を寝とる未亡人を斎藤美和といちおうはまり役だが、年齢からくる衰えはいなめず、華がない。お吉のタンカも湿りがちだし、宴会の場で斎藤と再会する場面はみじめて寒い。ラストも救いがない。玉三郎のお吉はあでやかで、すかっとして、かわいらしかった。玉三郎は偉大だ。
 奈良岡の立ち姿は時々、杉村春子に似すぎていて、びっくりする。ただ、陰性なので、杉村のように後味がよいというわけにはいかない。
*[01* 題 名<] 火のようにさみしい姉がいて '96
*[02* 劇 団<] 木冬社
*[03* 場 所<] サザンシアター
*[04* 演 出<] 清水邦夫
*[05* 戯 曲<] 清水邦夫
*[06  上演日<] 1996-12-17
*[09* 出 演<]蟹江敬三
*[10*    <]樫山文枝
*[11*    <]松本典子
*[12*    <]中村美代子
*[13*    <]安田正利
*[14*    <]吉田敬一
 何度も読んだ芝居のせいか、はじめて見たのに、前にも見たような気がしてきた。
 俳優の妻の役は樫山文枝にぴったりだ。樫山文枝の育ちのよさというか、天真爛漫な永遠のお嬢様のところがみごとにはまっている。初演では松本典子がやったはずだから、多分、書きなおしているのだろう(上演台本は「悲劇喜劇」に)。
 一方、今回、松本がやった姉の方は、岸田今日子の影をひきずっている。松本では岸田の不気味さはそぐわないし、調子も悪かったみたいだ。コロスを仕切っていたものの、コロスの方で仕切られたがっていたからまとまっていた感じだ。台詞のトチリもあった。樫山の元気のよさが目だっただけに、衰えたという印象は否めない。
 樫山文枝と蟹江敬三でもったようなものだが、後半の迷宮にひきずりこまれていく部分では松本も調子が出てきて、すごかった。
 蟹江はよかったが、「オセロ」の劇中劇では、小劇場出身の地が出た。新劇出身者を使った方がよかったのではないか。
*[01* 題 名<] 法王庁の避妊法
*[02* 劇 団<] 自転車キンクリート
*[03* 場 所<] 紀伊国屋
*[04* 演 出<] 鈴木裕美
*[05* 戯 曲<] 飯島早苗
*[06  上演日<] 1995-12-25
*[09* 出 演<]山西惇
*[10*    <]戸川京子
*[11*    <]山下裕子
*[12*    <]歌川椎子
*[13*    <]宇尾葉子
*[14*    <]樋渡真司
 歌川と最後に顔を出す吉田朝以外、自転キン以外の役者を使っているが、よくも悪くも、まったく自転キンの芝居になっている。それだけに、初演ではこの役は誰それだなと考えてしまう。
 本当はディスカッション・ドラマになる題材だが、主人公の荻野久作をオタク的な人のよい研究者にしたので、自己主張の強いさまざまな人物の言い分を荻野が一人でかかえこみ、悩み苦しむという作りになっている。主張を正面衝突させなかったことで、議論が上滑りにならず、リァリティが阻害されなかったのは確かだ。日本的ディスカッション・ドラマの新機軸として評価できるかもしれない。
 しかし、そういう作りの芝居に、自転キン流の絶叫芝居は苦しい。そろそろ芸風を考え直す時期ではないか。
Copyright 1997 Kato Koiti
This page was created on Feb10 1996; Last Updated on Jan07 1997.

演劇1996年 1
ほら貝目次