エディトリアル   July 2004

加藤弘一 Jun 2004までのエディトリアル
Aug 2004までのエディトリアル
Jul03

 戦争関連の映画を4本たてつづけに見た。

 まず、「真実のマレーネ・ディートリッヒ」で、これはドキュメンタリーの傑作である。

 ナチスを嫌ってアメリカにわたり、第二次大戦中、ヨーロッパ戦線で慰問公演をしたぐらいは知っていたが、ナチス嫌いは徹底していて、リッペントロップ外相がみずから訪ねてきて、祖国にもどるように説得したのを一蹴している。

 ディートリッヒといえば「リリー・マルレーン」だが、この曲を録音することになったのは、発足間もないOSS(現在のCIA)の肝煎だった。

 慰問公演もすさまじい。最初は安全な後方でやっていたが、どんどん前線に出ていき、ドイツ軍が攻勢に転じたアルデンヌの戦い(バルジ大作戦)の際は弾の飛びかう中を米軍といっしょに退却して、あやうく捕虜になりかけたという。

 そこまで最前線に固執したには二つ理由がある。第一は、母親と姉をドイツに残してきたこと。ベルリンが陥落すると、知りあいの将軍から軍用無線を使う特別許可をもらい、英語で話すという条件で母と交信している(録音が残っていて、一部がこの映画でも使われている)。

 第二の理由は愛人のジャン・ギャバンが自由フランス軍に志願し、戦車隊の隊長になって前線で戦っていたこと。パリでの凱旋式典では、戦車の行進する中を、ジャン・ギャバンを探してハイヒールで走りまわったという。

 監督のデイヴィッド・ライヴァはディートリッヒの孫だそうだが、ディートリッヒの男関係も、戦後、人気がなくなってナチスを讃美するような役をやらされたり、お金のためにラスベガスで公演したりしたことも、ドイツ公演が失敗したことも、手加減せずに描いている。

 原題は「Marlene Dietrich Her Own Song」で、全編にディートリッヒの物憂げな歌声が流れる。「花はどこへ行った」は甘ったるい反戦ソングだと思っていたが、ディートリッヒがドイツ語で歌うと勇ましい、まったく別の歌になる。

 CDを調べてみたら、ベスト盤がいろいろでている。英語中心の「ベスト・オブ・マレーネ・ディートリッヒ」のほかに、1960〜4年にかけての欧州公演のライブもあった。また、「ベスト・オブ・マレーネ・ディートリッヒ」はこの映画のために作られたベスト版で、映画の流れにそって選曲してある。

 ディートリッヒには特別興味はなかったが、このドキュメンタリーを見て俄然、興味がわいてきた。

 併映の「アドルフの画集」は期待はずれだった。無名の悩める若者だった頃のヒトラーを描こうという着想は魅力的だが、ヒトラーに援助する裕福なユダヤ人の画商を主人公にしたために、ヒトラーは単なる変な奴で終わってしまっていて、着想が生きていない。若きヒトラー周辺の右翼人脈の描き方も紋切型である。

 ジョン・トーランドの『アドルフ・ヒトラー』のような、ヒトラーを共感をこめて描いた作品は、映画ではまだ作れないのだろう。

 朝鮮戦争を描いた「ブラザーフッド」も期待はずれだった。「シュリ」のカン・ジェギュ監督の作品だというので期待したが、戦争に巻きこまれる兄弟のうち、兄の方をスーパーマンにしすぎている。いくら映画でも、ラストの展開は鼻白む。スーパーマンではない、平凡な一個人が兵士にされてしまうという作り方の方が感動を呼んだと思う。北朝鮮の将軍様崇拝と共通するメンタリティが韓国にもあるらしい。

 「シルミド」は映画としてはおもしろかったが、やはり脚色過剰ではないか。

 この映画は韓国の大統領官邸を襲撃した北朝鮮特殊部隊に対抗して、金日成暗殺のための北派部隊を編成するという実話にもとづいているが、朝鮮日報の特集ページを見ると、史実とはかなり違うようである。特に、実際は一般人から志願兵をつのったのに、映画では死刑囚が恩赦と引き換えに殺人マシンにされるという「ニキータ」もどきの設定になっているのはいかがなものか。

 総じて演出しすぎで、訓練場面にも、北朝鮮の特殊部隊訓練の映像を思わせるマンガチックな部分がある。本当にあんなことをやっていたのだろうか。

 原作をはじめとして、『シルミド―「実尾島事件」の真実』、『シルミド・裏切りの実尾島』など、関連の本が出ている。史実としておもしろそうなので、読むかもしれない。

Jul17
よみがえる恐竜王朝』の
董枝明博士

 夏休みといえば、恐龍展である。今年も「驚異の恐竜博」という恐龍展が幕張で開かれているが、開催を記念したシンポジュウム、「巨大恐竜の魅力」を見てきた。

 前半は中国科学院の董枝明博士とカナダ・ロイヤル・ティレル古生物学博物館のカリー博士の講演、後半は群馬県立自然史博物館の長谷川善和館長と海洋堂の松村しのぶ氏がくわわたトークショー。司会はテレビ東京の大江麻理子アナウンサー。大江アナは「アド街」では浮きまくっているが、フォーマルな場所では見栄えがする。

 500人収容の会場は満員の盛況だった。男ばかりかだろうと思っていたが、小学生を連れた若い母親や、一人で参加している女性がかなりいる。男の参加者も小学生から御老人まで幅広い。恐龍ファンは層が厚い。

サインするカリー博士

 TVによく登場し、新書で『恐竜ルネサンス』を出しているカリー博士の人気は高く、「5才になる娘はカリー博士の大ファンです」といった調子ではじまる質問が多かった。休憩時間にはサインの列ができ、一人一人、丁寧にサインしていた。

 講演はスライドを多用しているとはいえ、学術的な内容で淡々と進められた。トークショーにいたってはまるまる2時間、アンケートで集めた質問に順番に答えていくだけで、スライドもジョークもない(地震で会場が揺れた時、司会がすかさず「今、会場で恐龍が歩きました」と言ったくらい。誰も笑わなかったが)。小学生が騒ぎだすのではと心配したが、みんな同時通訳のイヤホンを耳にかけ、大人しく聞いていた。これには驚いた。

 特別おもしろい話は出なかったが、恐龍の絶滅は人類への教訓になるかという質問に、カリー博士がおおよそ次のように答えた。

 絶滅の1千万年前、カナダのアルバータ州には約40種の恐龍がいたが、絶滅の寸前には6種に減り、すべて大型化していた。淘汰が進んで、種の多様性が失われていたのだ。恐龍は隕石の衝突だけで絶滅したのではなく、種の多様性が失われていたことも影響していたと思う。もし、隕石の衝突が1千万年か2千万年早かったなら、恐龍は絶滅せず、ここに座っているのはわれわれではなかっただろう、云々。

電車も恐竜博

 絶滅といえば、「地球大進化」の第四回がペルム紀の大絶滅と、その後の低酸素時代をとりあげていた。

 古生代末期は哺乳類型爬虫類(単弓類)が繁栄していた。恐龍の祖先(双弓類)は歯が劣っていたためにマイナーな存在だった。ペルム紀末にシベリアで大噴火が起こり、大量の二酸化炭素が放出されると、温室効果でメタンハイドレードが融けた結果、酸素濃度は30%から10%に低下した。現在の20%に回復するまでには1億年かかったという。

 1億年つづいた低酸素時代、恐龍は哺乳類の肺よりも3倍も効率がいい気嚢という呼吸システムによって哺乳類型爬虫類を圧倒して地上の王者となった。

 気嚢は鳥類がうけついでいる。渡り鳥は酸素の薄い高空を飛び、ヒマラヤ山脈を越えるものまでいるが、そんなことができるのは気嚢のおかげである。竜盤類の頸椎には鳥の頚骨そっくりの穴が開いている。恐龍も気嚢をもっていたのだ(始祖鳥には気嚢がなかったといわれていたが、「始祖鳥生息地」によると、やはりあったそうである)。やはり鳥は恐龍の子孫だったのだ。

 哺乳類型爬虫類は横隔膜と胎生で低酸素状態に適応するが、気嚢にはかなわず、片隅で細々と命をつなぐしかなかった。

 哺乳類型爬虫類については金子隆一氏がそのものずばりの題名の本を出しているが、こんなに興味深い生き物とは思わなかった。

Jul25

 法制審議会人名用漢字部会は先月、578字の追加案を発表し、国民の意見を募集していたが、23日の会合で削除の要望の多かった9字(「糞」「屍」「呪」「癌」「姦」「淫」「怨」「痔」「妾」)を削り、追加の要望のあった字のうち、「掬」をくわえることを決めた。削除はまだ増える模様で、8月25日に再度検討して9月に最終案を答申し、10月に省令改正のはこびという(Mainichi INTERACTIVEYOMIURI ON-LINESankei Web)。

 国民の要望を重視したということだが、はたしてそうだろうか。asahi.comに「「糞」「屍」など削除要請殺到 人名漢字追加案」という記事が22日付で載ったが、上位10位の削除希望数は以下の通り。

糞(383)屍(317)呪(266)癌(265)姦(238)
淫(189)怨(159)痔(131)妾(103)蔑 (81)

「蔑」がはずれたのは、削除希望が100に達したかどうかで線引きをしたからだろう。

 asahi.comは「削除要請殺到」と書いているが、一番多い「糞」でも383にすぎない。20日に発覚したNHKプロデューサーの製作費横領問題では、24日までに675件の抗議があったという。国民の声を聞いたといっても、NHKにわざわざ抗議電話をかけるような人種と比率敵には変わらないのである。

 法制審議会はなぜ人気投票のようなことをしたのだろうか?

 第1回会合第2回会合の議事録が公開されているが、2回の会合に関する限り、印刷物の用字調査から機械的に決めるのではなく、人名にふさわしくない字ははずすべきだという制限派の意見が大勢を占めていた。制限派に対する反論としては、日本的感覚ではめでたい「鴇」という字が、中国では「淫乱」を意味するマイナスのイメージをもつという指摘と、次の発言くらいしか見つからなかった。

● 今,大変重要な問題点,判断基準として,これが法制審の戸籍法のところの議論であるということからすると,これから未来に向けて,例えば韓半島の人々との接点であるとか,あるいは中国出身のおばあちゃまがこちらに戻られて,それが実は戦災孤児であって,お世話になった中国の方の字を引き継いで孫につけたいとか,様々な文化的な,重層的な問題点を抱えて,それを日本国民として登録するという時に,戸籍のところでそれをどう取り扱うかという,全くJISとはレベルの違う問題点が出てくると思うのですね。そのときに,その字が淫乱であれ,癌であれ,何であれ,私は,法の部分においてそこに判断基準を入れるべきではないというふうに思います。

 日常的感覚で人名にふさわしくない字をはずすという立場を素朴制限論と呼ぶとすれば、こうした反論は文化相対論といえるだろう。

 先月の機械的な試案がまとまるまでには、さらに2回の会合が開かれている。3回以降の議事録が公開されていないので推測でしかないが、人気投票という結論にいたった以上、おそらく多数派を占める素朴制限論は文化相対論を覆すことができなかったのだろう。経緯はまだわからないが、制限の根拠が300かそこらの「要望」にしかない以上、裁判になったらまた国が敗訴するかもしれない。

 元はといえば「子の名には、常用平易な文字を用いなければならない」と定めた戸籍法第51条がおかしいのだ。「常用平易な文字」に制限した結果がクイズまがいの命名である。難しい漢字なら辞書を引けば読みがわかるが、昨年、明治生命の調査で1位となった「大輝」には「ダイキ」「タイキ」「トモキ」「ヒロキ」等々の読み方があって、本人に確認しない限り、どう読むかはわからないのだ。常用平易な字の方が始末に悪いのである。

Jul26

 NHKの「ふしぎ大自然」で「ラッコ ぷかぷか水上生活の秘密」をやっていた。

 モントレー湾に棲息するラッコの子育てと巣立ちを軸に、ラッコの生態と進化を解説した番組で、なかなかおもしろかった。

 ラッコはあおむけになって海に浮かび、しきりに毛づくろいしたり、腹に載せた石に貝やウニをぶつけ、割って食べるしぐさが人気だが、こういう生態は海にはいった歴史が浅く、まだ十分に海中生活に適応できていないからなのだという。

 あおむけでぷかぷか浮かぶのは息がつづかないため。毛づくろいに忙しいのは皮下脂肪がオットセイやアシカほど発達していないので、毛の間に空気をためて、体温を保っているため。貝やウニを餌にしているのは、すばしっこい魚をとるほど泳ぎがうまくないため。ちなみに、鯨の祖先が海にはいったのが6500万年前、アザラシが3000万年前なのに対し、ラッコは500万年前。

 500万年でもこの程度しか適応できないとなると、人類は海辺で進化したとするアクア説は苦しくなる。

 アクア説の中でもっとも完成されているエレイン・モーガンの『人は海辺で進化した』によると、900万年前から400万年前のある期間、海進で孤島にとりのこされた類人猿が海辺の採取生活に適応した結果、体毛を失い、皮下脂肪が厚くなり、汗腺が増え、直立二足歩行を獲得して人類になったという。アクア説はトンデモ学説あつかいされているが、モーガンの本はかなりいいところまできている。

 しかし、化石からいって、人類の祖先の水棲生活はどんなに長く見積もっても500万年を越えることはないだろう。ラッコは500万年たっても、皮下脂肪が十分発達せず、体毛を失うどころか、体温保持を体毛に頼っている。アクア説は駄目なのだろうか。

 なお、今日の番組は7月29日深夜1:45から再放送されるそうである。興味のある人はぜひ御覧になるとよい。

Jul28

 昨日、1988年の女子高生コンクリート詰め殺人の準主犯で、先月、監禁暴行事件を起こした神作譲被告の初公判がおこなわれた。夜には、テレビ朝日の「報道ステーション」で、神作被告の実母の「涙の告白」と銘打ったロング・インタビューが放映された。

 インタビューの内容を文字に起こしてHTML化してくれた奇特な人がいる。http://ccfa.info/cgi-bin/up/src/up4214.htm参照。

 一部記憶違いがあったので、このページにしたがって、記述をあらためたことをお断りしておく。(Jul29 2004)

 実母によると、神作譲被告は真面目に更正しようとしていたが、給料未払いという仕打ちを受けたために、一時、暴力団にはいってしまい、抜けようとしたところ、罠にはめられて今回の事件を起こしたのだそうである。報道で伝えられる経緯とまったく異なるが、その前に初公判について確認しておこう。

 公判の模様はMainichi INTERACTIVEZAKZAKが伝えているが、『CIAスパイ研修』の著者の野田敬生氏のメールマガジンにはマスコミに出ない情報や資料が載っている。

 被告は罪状認否で暴力をふるった事実は認めたものの、脅迫については否定、被害者に語ったとされる「オレは人を殺して10年間刑務所にいた。警官を騙したり、検事を丸め込むノウハウを身に付けている。何をやっても捕まらない」等の言葉もおぼえがないとした。監禁については「そういうことは自分には分からない」と保留している。

物証のある暴行については認め、被害者の証言だのみの脅迫については全否定、解釈がかかわる監禁については保留しているわけで、巧みというしかない。「ノウハウを身に付けている」というべきだろう。

 神作被告と弁護士は単なる暴行事件でおさめ、監禁・脅迫については無罪の線をねらっているようである。実母の「涙の告白」もこの法廷戦術と軌を一にしているような印象を受ける。

 スナック経営と紹介された実母は事件発覚後、自宅に帰れず、知りあいの家を転々としている語りと、自分も被害者だと強調する。

事件後、スナックが閉店しているような印象をもった視聴者が多いと思うが、野田氏のメルマガによると、実際は営業をつづけている。リンクされている店の登記簿画像の記述も興味深い。

 出所後の被告はコンピュータ会社の派遣社員として真面目に更正の道を歩んでいたが、コンクリート事件の犯人だと同僚に知られているのではないかという被害妄想のために人間関係でトラブルを起こし、辞めざるをえなくなった。次に勤めた会社では給料未払いにあい、実母のつてでS一家の組長に相談したところ、子分のような形になり、S組長に連れまわされるようになった。

給料未払いで相談するなら労働基準局か、コンクリート事件で世話になった伊藤芳朗弁護士のはずだ。自分から暴力団に相談させておいて、息子が更正できなかったのを社会のせいにするのは無茶苦茶である。インタビューアーも司会の古舘氏も、コメンテーターも、この点にはまったく触れていないのだが、不思議に思わないのだろうか。

 被害者はマスコミのインタビューで、神作被告自身がコンクリート詰め殺人の本当の主犯と自慢していたと語っていたが、実母はこれも否定する。被告を連れまわしたS組長が「こいつはコンクリートの殺しをしたんだよ」と酒の席でネタにし、本人はそれを嫌がっていたとする。

実母が被告本人から伝聞した内容である点に注意。もし、これが事実でないとしても、息子かわいさのあまり実母が言ったことになり、テレビ朝日の責任は曖昧になる。

 さて、いよいよ核心である。神作被告は昨年12月に正式に組員になるが、上納金を要求されたことに反発。今年5月8日にS組長を殴って組を抜けた。

上納金が嫌で、組長を殴って組を抜けるなんていうことが可能なのだろうか。神作被告が母親にそういっていただけという可能性が高いのではないのか。こういう信憑性の薄い「告白」を、テレビ朝日側はなんの疑問もはさまずに垂れ流している。

 ところが、一週間後、三社祭で喧嘩がおこり、S組長が殴られる事件があった。神作被告もその場にいあわせたが、組を抜けたと思っていたので、組長を助けようとはしなかった。今回の被害者はそのことで神作被告を「行けなかったじゃないですか」(おじけづいた)とからかった。神作被告はこの言葉に腹をたて、被害者と話しあいをもち、つい手が出てしまったのだと実母は語る。つまり、女性のトラブル云々は被害者側のでっち上げというわけだ。

組長を殴っておいて、一週間後に組長の近くをうろうろしているなんて、ありうるのだろうか? 組を抜けたという話はどこまで信憑性があるのだろう。

 被害者についても、テキ屋だったはずなのに、被害届を出した直後から花屋の店員ということになっていると、S一家ぐるみの謀略であることを臭わせている。

テキ屋とはフーテンの寅さんのように、縁日などで商売する露天商のことで、テキ屋=ヤクザではないが、テキ屋を仕切っている集団はヤクザの一種と見られていて、テキ屋系暴力団と呼ばれている。S一家は山口組系の三次団体といわれているが、実際はテキ屋系暴力団らしく、本格的な暴力団とはすこし違うらしい。S一家はもともとは極東会系だったが、破門されたので、東京進出をはかる山口組の三次団体になったという情報もある。

 これが事実だとしたら、事件の構図は180度ひっくり返ることになるが、不思議なのは、TVという公の場所で、テキ屋系とはいえ、暴力団の組長をなぜここまでコケにできたのかという点である。しかも、実母はスナックを経営しているのである。ただではすまないと考えるのが普通だろう。

 実母は息子をおとしいれた暴力団の策謀を暴くために、勇気ある「涙の告白」をしたのだろうか。それとも、S一家を怖がらなくてもすむような後ろ盾があるのだろうか。S一家が崩壊直前となめている可能性もあるが。

 そもそも、実母は女子高生監禁現場の近くに自宅兼焼き肉店をかまえ、さらに被害者の女子高生が拉致された現場の近くに今回の監禁現場となったスナックを開業している(当然、女子高生の家も近かった)。そんな場所にぬけぬけと店を開く神経は相当なものである。なんの落ち度もなく惨殺された被害者に対する冒瀆としか言いようがない。

実母は被害者の遺族に対し金がないと称して、馬鹿にしたような少額の賠償金しか提示しなかったそうだが、息子には国産高級車を買いあたえていたという。

 「報道ステーション」の「涙の告白」は誘導と暗示が目立ったが、現時点では被害者側・加害者側のどちらが正しいかはわからない。しかし、もし、神作被告が法廷で実母と同様の主張をするとしたら、コンクリート詰め殺人事件について、酒の席でどんなことを話していたかが明らかにされるだろう。

 神作譲被告の再犯以来、コンクリート詰め殺人事件に対する関心が再び高まっている。多くのページができているが、めぼしいところをあげると、「公判記録」、「冒頭陳述」(その9まである)、「女子高生コンクリート詰め殺人事件の被害者の方のご冥福をお祈りいたします」、「女子高生コンクリート詰め殺人」、「女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人 監禁致傷容疑で逮捕の件」など。また、当時サンデー毎日の編集長だった牧太郎氏の「ここだけの話:被害者の人権」も一読の価値がある。

 コンクリート詰め殺人事件の被害者のご冥福をお祈りする。

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