Amazonが書籍の全文検索サービス、Search Inside! をついに日本でも提供しはじめた(ITmedia、日経BP、Internet Watch)。日本版は「なか見!検索」という名称で、Amazonで本を買ったことのある人なら、当該ページと前後のページをGif画像で閲覧することができる。制限等は Search Inside! と同じである。
検索可能な以上、電子テキストになっているわけだが、公開が画像なのは、著作権上の理由の他に、校正が完全ではないからだろうと思われる(いわゆるNACSIS方式)。本文を公開できるような精度まで校正するには大変なコストがかかるが、検索用のテキストなら多少間違っていても実害はすくない。
現在、和書・洋書あわせて12万冊の検索が可能というが、和書と洋書の比率は明らかにされていない。和書は講談社など、許諾を受けた出版社の本のみだが、講談社の最近の本でもはいっていないものが多い。まったくの推測だが、現時点で検索できる和書は1万冊もないのではないか。
講談社が許諾契約を結んだという話は聞いていたが、こんなに早く実現するとは思わなかった。これまでの常識だったら、一橋とも同様の契約を結んでからとなるが、根回しよりも既成事実を作ることを優先したのだろう。ネット企業はやることが荒っぽい。
一方、Googleだが、8月から自主的に中断していた図書館蔵書の電子化を11月1日から 絶版書籍 中心に再開すると発表した(ITmedia)。
絶版書籍「限定」ではなく、「中心」なのは、絶版書籍がならんでいる棚に誤って現役の書籍が混ざっている可能性があるからだそうである。
絶版はある程度、出版社の都合である以上、Googleの新方針は読者の支持を集めやすいだろう。Googleを提訴しているAAP側は絶版書籍が復刊されることはよくあると反論しているが、こういう論法では読者の支持はえられない。
ITmediaの記事の次の条は意味深長である。
ウォジッキ氏によれば、同社はすべての書籍を検索可能にしたいため、最終的には作者と出版社の許可がなくても、絶版ではない書籍もスキャンするつもりだ。ただし、Googleが「著作権者の許可なく全ページを表示することはない」という。
公開できないが、いつでも検索可能にできるデータをもっていると明言することは、出版社の喉元に匕首を突きつけるに等しい。
しかし、いくら読者の支持がGoogleに集まっても、出版社と著者側の多くは許諾に慎重なままだろう。
Amazonの Search Inside! の場合は実際に本の売上があがっているという実績がある。Amazonを訪れるのは本を買うつもりのある人であって、Search Inside! が利用できるのもAmazonで本を買ったことのある人だけだ。
それに対して、Googleの利用者は読みかじりで十分という人たちである。オンライン書店に誘導するといっても、もともと本を買うつもりがなければ、本の売上にはたいして貢献しない。
Googleのこれまでの事業展開パターンからいって、来年、日本でも書籍の全文検索をはじめるのは間違いない。来年の出版界はどうなるだろうか。
オスカー・ワイルドの『ウィンダミア卿夫人の扇』のリメイク。サイレント時代の1925年に製作されたルヴィッチ版は名画の誉れが高いが(DVDになっているが未見)、この映画も傑作である。
原作はヴィクトリア朝末期のロンドンの社交界の話だったが、こちらは大恐慌を尻目に、各国の上流階級が集まるイタリアの高級保養地、アマルフィが舞台。原作はかわいらしい衣装の下に、偽善を諷刺する鎧がちらちらしたが、映画は愛すべき恋愛喜劇に徹していて、人生の諦念はあるけれども、毒はすっかり抜かれている。
毒はなくても、原作の香りは濃厚に残っている。われわれはワイルドの転落を知っているので、悲劇をさがしがちだが、全盛期の作品は軽妙な機知にあふれ、やさしさと社交性をあわせもっていた。「理想の結婚」もそうだったが、ワイルドの喜劇には人の愚かさを微苦笑で受けとめる懐の深さがあったのだ。
ヒロインのメグのスカーレット・ヨハンソンがいい。顔立ちは派手だが、お上りさんのアメリカ娘らしい一途でやぼったいところがあって、ミスマッチで危なっかしい魅力がよく出ている。
頽廃代表のアーリン夫人のヘレン・ハントもうまい。「ペイ・フォワード」でも感じたが、崩れた方が自然なのだ。メリル・ストリープがこういう役をやったら、わざとらしくなるだろう。
原作の結末は冷笑が多分にふくまれていたが、この映画では人間愛を感じさせる、心温まるハッピーエンドになっている。これはこれでよい。