エディトリアル   October 2005

加藤弘一 Sep 2005までのエディトリアル
Nov 2005からのエディトリアル
Oct07

 Bunkamuraミュージアムで「ギュスターヴ・モロー展」を見た。晩年のモローは自分の作品を後世に遺すことを最大の課題とし、作品と記録をアトリエを兼ねた自宅ごと国家に遺贈した。それがギュスターヴ・モロー美術館で、この展覧会はその所蔵品のめぼしいものをそっくりもってきている。画集ではわからなかったが、絵の大きさが掌大から壁一面を占めるものまで、ずいぶん幅がある。細密画のようなものが案外いい。

 モローは「実証的」といわれるように、資料を集め、周到にデッサンを重ねてから製作にとりかかったが、この展覧会は大作のためのデッサン類が充実している。この展覧会の売物は「出現」だが、「出現」のためのデッサン類も見応えがある。

 モローの画は柱というか、十字架のモチーフが多いが、デッサン類を見ると、それがいっそうよくわかる。「出現」のヨハネの首も宙に浮いた十字架に見立てることができる。テーマ批評の格好の素材かもしれない。

 モロー美術館は居間をモロー生前のままに遺しているそうで、その一部が再現されていたが、お宝でいっぱいである。さすが、絢爛豪華な画を書いた人が日常をすごした場所だけのことはある。

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「亀は意外と速く泳ぐ」

 新婚早々、夫が海外に単身赴任し、亀の世話をする以外暇をもてあましている片倉スズメ(上野樹里)が、スパイ募集の隠し貼紙を見つけ、奥様スパイになってみるという話。

 元締のクギタニ夫妻(岩松了&ふせえり)という怪しい二人組は、なにをしても目立たないスズメの平凡さを見こんでスパイに採用する。しかし、500万円を活動資金としてわたされるものの、スパイ活動といっても二人と会って世間話をする程度で、ゆる〜い日常があいかわらずつづいていき、唐突にSFまがいの結末が訪れる。

 上野樹里は「スイングガールズ」のようなやる気満々の役より、こういう脱力系の役の方が似合っている。蒼井優がスズメの幼なじみで、なにをしても目だってしまう扇谷クジャク役で登場するが、あまり目立っていない。

 特に面白いわけではないが、見終わってみると印象はいい。

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「イン・ザ・プール」

 奥田英朗の同題の連作短編集の映画化で、伊良部一郎(松尾スズキ)という精神科医のところに集まる神経症患者たちを描いたグランドホテル形式の作品。伊良部は大病院の二代目だが、まるでやる気がなく、病院の地下に立派な精神科の診察室を作り、肉体派の看護婦をはべらせて、暇つぶしに診察している。

 最初の患者は継続性勃起症になったサラリーマン(オダギリ・ジョー)。彼は人がいい上に気が弱く、浮気をして出ていった身勝手な元妻が忘れられない。人がいいのにつけこまれて、医者たちに研究材料にされ、最後の最後に怒りを爆発させる。

 二番目は電気やガスの消し忘れが気になり、外出できなくなる強迫神経症のルポライター(市川実和子)。症状が昂じ、ついに子供の頃、隠れん坊で友達を冷蔵庫の中にいれたままにしたのではないかという妄想に取りつかれるようになるが、それが意外な結末につながる。

 三番目は水泳を生きがいにしている若手の課長(田辺誠一)。すべてうまくいっているかに見えたが、いつも利用している市営プールが水泳選手の練習で使えなくなって、プール依存症の本性があきらかになっていき、悲喜劇に発展する。

 夫々のエピソードはおもしろいが、要になる松尾スズキがクドイので、完全燃焼まではいかない。演技過剰なのか、演出過剰なのかはわからないが、やりすぎは興をそぐ。

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Oct09

 シェイクスピア別人説はいろいろあるが、また新説がくわわった。ヘンリー・ネビルという外交官だったとする説で、ブレンダ・ジェームズ氏が、ウィリアム・ルービンシュタイン氏との共著『The Truth Will Out』で主張しているそうである(Sankei WebYOMIURI ONLINE)。

 チラシのPDFによると、ウィリアム・ルービンシュタイン氏は中世史を専門とするウェールズ大学の教授だが、ブレンダジェームズ氏はポーツマス大学で非常勤講師をつとめたことのある英文学者で、ストラトフォード近郊で育った縁で、シェイクスピアを研究するようになったらしい。

 ヘンリー・ネビルはこれまでまったくノーマークだったが、シェークスピアの遠縁にあたり、『ヘンリー八世』初演の11年前に記されたネビル直筆のノートに、第四幕第一場のアン・ブリンの戴冠式の場面そっくりの記述があるのをジェームズ氏が発見したという。他の材料についてはサンケイの記事参照。

 blog掲示板を流しよみした限りでは、決定的な材料はないようである。別人説の新しい候補がまた一人くわわったというところか。

Oct16

 安部公房が評価していたハロルド・ピンターがノーベル文学賞を受賞した(CNNSankei Webasahi.com)。

 ピンターは最近、さっぱり上演されない。今回の受賞を期に、上演しないだろうか。

しぐれ」

 NHK版「 しぐれ」の脚本を書いた黒土三男氏がメガホンをとったというので期待したが、NHK版には及ばなかった。

 映像は美しい。大半がロケで、普請組組屋敷の場面は羽黒町につくられた屋外セットで撮影されている。人間の勤勉な営みで作りだされた日本のかつての風景を、繊細な自然光でフィルムに定着してくれた点は評価したい。下級藩士の日々の暮らしを描いた部分も文句なしだ。前半に限っていえば、山田洋次の「たそがれ清兵衛」よりもよかった。

 地味な部分は本当にいいのだが、問題はラストである。この作品は淡々と下級藩士の暮らしを描いた後、ラストで急展開を見せ、それまで折にふれて暗示されていた陰謀が全貌をあらわすが、肝心のクライマックスが腰砕けなのである。

 クライマックスはNHK版の方が断然おもしろい。同じ人間が脚本を書いているのに、こうまで違うのは監督の資質の差だと思う。黒土監督は地味な日常を撮らせたらうまいが、大仕掛けのドラマにはむかないのだろう。

 キャストもどうしてもNHK版と較べてしまうが、文四郎の市川染五郎、おふくの木村佳乃ともに、内野聖陽・水野真紀よりも都会的すぎて、庄内の土の匂いに欠ける。

 島崎与之助を今田耕司にしたのは失敗だった。逸平のふかわりょうは毒にも薬にもならなかったが、今田は毒になってしまっている。昌平黌で儒学をおさめた秀才の役にふさわしくないだけでなく、今田が出てくるだけで、場面がお笑いになってしまうのだ。橋を船でくぐる場面など、完全にぶち壊しだ。

 NHK版をもう一回、見たくなった。

Oct21

「恋の風景」

 この映画は2003年12月に東京都写真美術館で開かれた第5回NHKアジア・フィルム・フェスティバルで見ている(当時は原題のままの「戀之風景」)。すばらしい作品で、2003年の映画ベスト10にもいれたが、ハイビジョン宣伝のためのDLP上映だったために、せっかくの映像美が台無しになってしまった。それでもよかったのだが、いつかはフィルムでみたいと思っていた。題名が変わっていたのでうっかりしていたが、この3月、ユーロスペースで公開されていったのだった。どうせディープな映画ファンしか見ないのだから、「戀之風景」のままの方がよかったろう。

 フィルムで見直してみると、予想よりも沈んだ色調で、喪の仕事をつづけるヒロインのマン(カリーナ・ラム)の深くうねる心情が惻々とつたわってくる。カリーナ・ラムは堀北真希を思わせる美しい人で、日本人的だなと思ったら、やはり祖父が日本人だそうである。彼女の表情は本当に美しく、いつまでも見ていたいと思った。侯孝賢は彼女を使わないのだろうか。

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「故郷の香り」

 「山の郵便配達」で注目されたフォ・ジェンチイの作品。日本資本がはいっているせいか、主人公の初恋の女性の夫となるヤーバを香川照之が演じている。

 北京で官僚になったジンハーが恩師に便宜をはかるために10年ぶりに帰郷し、初恋のヌァンが跛をひきながら桑の葉を背負って歩いてくるのにすれ違う。女優志望の潑剌とした娘だったヌァンは町に嫁いでいるはずだったが、聾唖者のヤーバと結婚し、すっかり土臭い農婦になっていたことがわかる。

 ジンハーはヤーバとヌァンの家に訪ねていくが、ヤーバは猜疑の目を向け、気まずい雰囲気になる。その合間に過去が回想され、ヌァンが脚に障害を負った原因がジンハーにあったことが明らかになっていく。

 僻村の牧歌的な風景は美しいけれども、ドラマの部分がいかにもお涙頂戴で、計算見え見えというか、素直に楽しめない。ラストの盛り上げ方は後味が悪い。

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Oct24

「島清、世に敗れたり」

 20歳で作家として華々しく世に出ながら、31歳で精神病院で斃死した島田清次郎が主人公である。20歳で書いた『地上』は大正時代に50万部という驚異的な部数を売った日本最初のベストセラーであり、版元の新潮社はこの本の成功で文芸出版社としての基礎を確立したといわれている。

 舞台に幕はなく、二階建てのセットの上に黒ずんだ木の格子が吊るされている。暗転後、格子が床までおりて、手前に二つの寝台が置かれ、巣鴨精神病院の閉鎖病棟という見立てである。同室の患者(鴨川てんし)が奇声をあげて暴れ、看護婦(森尾舞)や医者(有川博)、掃除婦(倉野章子)、警官、憲兵が集まってくるところからはじまる。騒動が一段落したところで、布団にもぐっていた島田清次郎(上杉祥三)がなぜ、自分はここにいるのだと騒ぎだし、第二場の金沢の場面につづく。

 この趣向は「ラマンチャの男」を思わせる。「ラマンチャの男」では、穴蔵のような牢獄に放りこまれたセルバンテスが、牢仲間に城主やドルシネーアにして『ドン・キホーテ』を上演したが、この芝居でも温厚な医者が徳田秋聲になり、掃除婦は母親、看護婦は女郎、同室の患者は新潮社の編集者になる。芝居の本編は精神病院の中で島田清次郎が見た夢であり、どんなに飛んだり跳ねたりしても、覚めれば牢獄のような病室の中の自分にもどらざるをえない。それが閉塞感を強めている。

 第二場は金沢の遊郭の離れに母と間借りしていた少年時代。二階にはかすみ(占部房子)という労咳病みの女郎が隔離されていて、あやめ(森尾)という女学校出の女郎が見舞いに出入りしている。この二人は『地上』のモデルで、あやめは書きかけの原稿を読んで、自分をモデルにした登場人物の運命に涙する。悲しい場面だが、あやめの天真爛漫な明るさが救いになっている。

 第三場は『地上』がベストセラーになり、文壇の寵児ともてはやされた頃で、洋行から帰ったばかりの時点を選んでいる。傲慢そのものの島田を上杉は思い切り誇張して演じている。二場で死にかけた女郎を演じた占部は、一転して海軍少将令嬢の舟木芳江となって再登場する。モダンガールぶってはいるが、育ちの良さがかくせないという役どころで、まぶしいくらいあでやかだ。

 芳江は小川玲子(森尾)という友人をともなっていたが、女好きの島田はさっそく玲子に食指をのばし、芳江が席を立った隙に書斎に連れこみ、犯してしまう。その間、芳江は島田の母親から島田が結婚していることを知らされる。もどってきた玲子のそぶりから、すべてを察した芳江はすっかり熱が冷め、島田を夢想家となじって、婚約破棄を通告するが、島田は匕首を振りまわして、芳江を脅して仲人の徳富蘇峰の家に連れていこうとする。

 幕間の後、島田の転落がはじまる。芳江は島田を監禁罪と強姦罪で訴え、島田はマスコミから逃げ隠れする身になる。それまでの傲慢さがたたって友人知己は掌を返すが、それまでつきあいのなかった徳田秋聲(有川)だけが同郷のよしみで舟木家との交渉を引きうけてくれる。

 上杉は飛んだり跳ねたりの熱演だが、嫌みな人物を嫌みに演じてしまっている。脚本の問題なのかもしれないが、この芝居に描かれた島田清次郎には共感できず、同情の余地がまったくないのだ。今、なぜ島田清次郎をとりあげるのかを、この芝居は納得させてくれていない。ドン・キホーテ的な「夢想家」というくくりは一般的すぎて、説得力がない。上杉が憎まれ役に終わった分、有川の秋聲の重厚さと占部の芳江のあでやかさがいっそう引き立った。時間がたってみると、この二人しか憶えていない。

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Oct26

 ペンクラブ電子メディア委員会の皆さんと、RFIDを全面的に導入した江戸川区立東葛西図書館を見学してきた。

 昨年8月に見学させていただいた アカデミーヒルズ六本木ライブラリ は館内閲覧のみの会員限定図書館だったが、こちらは貸出をおこなう普通の公共図書館である。興味深い話をいろいろうかがってきたので、近々、レポートを掲載する予定である。

 図書館の現場の話はもちろん面白かったが、委員諸兄はマスコミの各所で活躍しておられるので、へえ〜という話がいろいろ聞けた。活字文化議員連盟という超党派の議連が「活字文化振興法骨子案」なるものを発表し、ゲーム脳がどうのこうのと言いだしたが、背景に詳しい人によると、やはり本当の狙いは再販制維持だそうである。

 図書館情報大学が筑波大に吸収されたが、これで大喜びしたのが慶應閥だそうである。慶應義塾は日本で唯一、戦前から図書館学科をもち、日本の図書館学をリードしてきたが、戦後、旧司書学校がいきなり大学になったので、内心、プライドを傷つけられた人がすくなからずいたらしい。それで図書館情報大学がなくなったので、留飲をさげたというわけだ。どこまで本当かはわからないが、ありそうな話ではある。

 旧図書館情報大学には図書館のプロがそろっているが、筑波大の一部になったのに、筑波大図書館とは人事の交流はほとんどないらしい。旧図書館情報大学の関係者が筑波大図書館の館長になる日は来ないだろうとのこと。

 これもどこまで本当かはわからないが、ありそうではある。

 今日から紀伊国屋書店の主宰する「書評空間」に参加させていただくことになった。第一回は金子勇『Winnyの技術』である。月に2冊か3冊、本が紹介できたらと思っている。

 本当はこちらの「本」のコーナーもどうにかしないといけないのだが、一度、ペースが乱れると、元にもどすのは思いのほか大変である。「書評空間」が刺激となって、ペースがとりもどせたらいいのだが。

Oct28

 Googleが進めている図書館蔵書の全文検索サービス、Google Print Library Projectに対し、Authors Guildにつづいて、出版社側が行動を起こした。全米の200社以上の出版社が加入するThe Association of American Publishers (AAP)が大手五社(マグロウヒル社、ピアソン・エデュケーション社、米ペンギン・グループ、サイモン・アンド・シュスター社、ジョン・ワイリー・アンド・サンズ社)の代理人となって、著作権侵害の訴訟を起こしたのだ(CNNITmedia日経ナビ)。

 AAPはまた、アメリカ・ペンクラブおよびフランクフルトに本部をおくInternational Publisher's Association(IPA)と連名で、Google Printを批判する共同声明を25日付で出している(AAPのプレスリリース)。

 共同声明は図書館蔵書電子化の条件として、以下の三項目をあげている。

  • 著者および出版社の事前の承諾
  • Google Print Projectと同様の権利処理手続
  • 当該国の作家団体および出版社団体との協力関係

 Google Print Library Projectは図書館蔵書を問答無用で電子化してしまうことから反発をまねいているが、著作権者の事前の了解をえて進められるGoogle Print Projectの方は、今月からヨーロッパ八ヶ国(フランス、イタリア、ドイツ、オランダ、オーストリア、スイス、ベルギー、スペイン)で、各国語のサービスがはじまっている(ITmedea)。

 一方、Google Printに対抗する動きもはじまっている。まず、ドイツの出版社団体は加盟各社の出版する書籍の全文検索サービスを、来年4月から開始すると発表した(ITmedia)。プロジェクトの責任者は「Googleのサーバに書籍の本文を置かせたくはない。出版社が保持するようにしたい」と語っているという。EUレベルでも独自に電子図書館を構築する動きがはじまっている(InternetWatchEUのプレスリリース)。

 また、アメリカでは、Yahooが肝いりとなって Open Content Alliance (OCA)という電子図書館プロジェクトを推進する団体が結成された(CNET)。

 OCAにはInternet Archiveやカリフォルニア大学も参加していて、明示的に許諾を受けた書籍と、著作権が切れた書籍に限定して電子化をおこなうとしている。

 Google Printがヨーロッパでサービスを開始したとなると、次は日本である。Amazonが某大手出版社と契約を結んだという話も聞こえてくるが、いよいよ黒船来航となるか、目が離せない。

「インファナル・アフェア」

 2002年に香港で大ヒットし、ディカプリオとマット・ディモンでリメイクされることになった大作である。評判にたがわぬおもしろさで、最後まではらはらした。香港映画とは思えないくらい渋く決まっており、くりかえし見たくなる。

 黒社会からスパイとして警察に送りこまれたラウ(アンディ・ラウ)と、黒社会に潜入捜査官として送りこまれたヤン(トニー・レオン)という対照的な二人をからませた設定がみごと。スピーディーなアクションの合間に、気が狂いそうな緊張感とアイデンティティの危機がしっかり描きこまれている。中盤の衝撃的な事件の後のヤンの不安は察するに余りあるが、無精髭のトニー・レオンは飄々と演じていて、奥行をいっそう深めている。

 よくよく考えると、細かい部分で辻褄があっていないように感じるが、続編書きになる。

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「インファナル・アフェアⅡ 無間序曲」

 一作目の大ヒットを受けて、急遽製作された二作目である。「序曲」とあるように、一作目の10年前の話だが、一作目で死闘を演じたウォン警視(当時は警部)と黒社会の大ボスのサムが実はつるんでいたという唖然とする場面からはじまる。しかも、ウォン警部の策略によって香港の黒社会に抗争が起こり、『ゴッドファーザー』を思わせるような展開になっていく。

 主要人物は一作目と共通するが、はっきり言って辻褄は合っていない。一作目とは別のギャング映画と割り切って見るなら、これはこれで傑作である。

 娯楽作品としては第一級だが、唯一の傷は、若き日のラウとヤンのキャラが立っておらず、二人の区別がつきにくいことだ。しかし、二人の比重はそれほど大きくないので、致命傷というほどではない。

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Oct29

 西武ギャラリーで池田理代子監修の「マリア・テレジアとマリー・アントワネット展」を見てきた。ベルバラ・ファンのオバサンばかりだろうと思ったが、年齢層は意外に広かった。妙な熱気があったから、お婆さん方も含めて、みんなベルバラ・ファンなのかもしれない。

 一番最初に臨終のマリア・テレジアを描いた細密画と喪服姿のマリア・テレジア。音楽は荘重な「ドン・ジョバンニ」。悲劇的な場面からはじめようという演出だろう。

 三部構成で、第一部は女帝としてのマリア・テレジア、第二部はプライベートなマリア・テレジア、第三部がマリー・アントワネットとなっている。マリア・テレジア関係の展示は充実しているが、マリー・アントワネット関係はやや寂しい。それでも、足を運ぶだけの価値はある。

 一つ、妙な物があった。クリーム入れを横長に引き伸ばしたような、可愛らしい模様のはいった磁器なのだが、「マリー・アントワネットの小便器」だというのである。ホットドッグくらいの大きさしかないので、局部に密着させないと、撥ねてしまうだろう。そういえば、上面はCMに出てくる生理用品のような微妙な曲面になっていた。型をとったのだろうか。

 ルイ16世がマリー・アントワネットの兄のレオポルド2世に贈った若草色の絢爛豪華な磁器が展示されていたが、説明には包茎手術を勧めたおお礼とあった。キンキラキンのロココ時代の一面である。

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「シン・シティ」

 フランク・ミラーのアメコミの映画化。腐敗した犯罪都市の物語で、エロ・グロ・ナンセンスの極致のような場面がつづくが、モノクロのスタイリッシュな映像と、存在感をもったスターをそろえたおかげで、爽快感のある変態アクション映画に仕上がっている。大きな声では言いにくいが、これは傑作である。

 三つのエピソードから構成されているが、最初のマーヴ(ミッキー・ローク)篇が一番おもしろい。商売女にさえ相手にされない醜男のマーヴが、酒場でゴールディ(ジェイミー・キング)と名乗る絶世の美女から声をかけられ、ベッドを共にする。天国のようなひとときをすごし、仮眠して目が覚めると、ゴールディは殺されており、手回しよく警察が踏みこんでくる。ハメられたと悟ったマーヴは警察の包囲網を突破して逃げる。彼は真犯人を探してコールディの仇を討とうとするが、シン・シティを支配するロアーク枢機卿がからんだ陰謀に巻きこまれてしまう。カトリックの枢機卿が出てくるのがなんとも……。

 二番目のエピソードはドワイト(クライヴ・オーウェン)篇。オールドタウンの娼婦たちは警察と話をつけて自治区(!)を作っているが、自治区つぶしの陰謀をドワイトが阻止する。ベネチオ・デル・トロが悪役で登場するが、あっさり殺されてしまう。おやと思ったが、殺されてからがデル・トロの見せ場だった。

 自治区の用心棒の日系少女剣士役のデボン青木はロッキー青木の娘だそうである。オヤジの店でコックのナイフショーを見たことのあるアメリカ人は、彼女の華麗な殺陣を見て、ゲラゲラ笑うのだろうな。

 最後のエピソードはハーティガン刑事(ブルース・ウィリス)篇。ハーティガン刑事はロアーク上院議員の変態息子にレイプされそうになった11歳の少女、ナンシーを救うが、逆に少女レイプ犯に仕立て上げられてしまう。7年後、美しく成長したナンシー(ジェシカ・アルバ)に危機が迫り、刑務所を仮出獄したハーティガンは彼女を救おうと彼女の家に駆けつける。

 各エピソードは一部の人物が重なりあっていて、シン・シティという街が本当にあるかのように思えてくる。住むのはごめんだが、観光旅行でのぞいてみたい気はする。

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Oct31

 来春から、健康保険組合に対する診療報酬の請求の電子化が可能になるが(asahi.com)、日経の「来春スタートの医療費請求電子化、分析可能は約4分の1」によると、電子レセプトの250項目のうち診療内容など約190項目は画像データ(!)で提供されるそうである。請求額などは自動的に計算されるが、肝心の診療内容関係の項目は画像なので、チェックの手間は紙のレセプトと変わらない。日本医師会や健康保険組合連合会など関係団体の間での話し合いの結果だが、骨抜き以外のなにものでもない。あまりにも予想通りの展開なので、笑う気にもなれない。

 以前、電子カルテのための病名コードを準備しているという記事があったが、電子カルテとレセプトの連係は当分無理にしても、このあたりを追跡している人はいないだろうか。

「コープスブライド」

 ティム・バートンが監督したアニメである。『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』や『ジャイアント・ピーチ』と同じように、人形を撮影してデジタル化し、コンピュータで動かしている。

 『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』もすばらしかったが、これはもっといい。実写もふくめて、ティム・バートンの最高傑作の一つといっていいだろう。

 物語は成り上がりの金持ちの息子のビクター(ジョニー・デップ)が没落貴族の娘であるビクトリア(エミリー・ワトソン)と結婚させられるところからはじまる。親どうしが決めた政略結婚だったが、ビクターとビクトリアは意気投合する。しかし、ビクターは結婚式のリハーサルでややこしい誓いの言葉をとちってしまい、結婚式は延期される。

 ビクターは夜の森で誓いの言葉を練習するが、うまく言えたとたん、木の根元に埋められていた娘の死体(ヘレナ・ボナム=カーター)が起き上がり、結婚を承諾すると答える。ビクターはコープスブライド(死体の花嫁)と結婚してしまったのだ。

 冥界につれさられたビクターは何とかして人間界にもどろうとするが、コープスブライドが駆け落ちした男に騙され、殺されていたことを知ると、彼女を拒否できなくなる。

 一方、人間界ではビクターのライバルがあらわれ、ビクトリアの両親は彼女を新しくあらわれた男と結婚させようとする。結末はもちろんハッピーエンドだが、わかっていても感動的である。

 ヘレナ・ボナム=カーターは『フランケンシュタイン』のラストの衝撃的な姿以来、変な役を好んでやるようになったが、今回のコープスブライドも相当変な役である。どんな変な役をやっても、自分の魅力は損なわれないという自信があるのだと思うが、ちゃんと魅力的になっているから、たいしたものである。

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「チャーリーとチョコレート工場」

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