「グーグル八分発見システム」というプロジェクトがIPAの未踏ソフトウェア創造事業に選ばれたそうだ(CNET)。プロジェクトの責任者は「悪徳商法?マニアックス」の beyond(吉本敏洋)氏で、自身、Google八分にあった経験があり、『グーグル八分とは何か』という単行本まで出している。
国費を投じる事業になんと大胆なと思ったが、SETI@homeのような一般参加の分散処理システムという点が評価されたらしい。参加者のパソコンの空き時間を利用するシステムならいくらでも応用がきく。
Googleの検索順位を他サーチエンジンや過去のGoogleの順位と比較するようだが、この記事で注目すべきは、ガードの固いので有名なGoogleからGoogle八分という微妙な問題でコメントをとっている点だ。
Googleの広報は「どのページを検索結果に表示しないかという判断基準は、グーグルではなく法にある」と答えているという。具体的には次のような手続をとるようだ。
グーグルの方針としてはまず、検索結果からの除外を求める人とそのサイトの管理者で話し合いをしてもらい、問題があるサイトを管理している人が当該コンテンツを削除するように求めているという。ただし、サイト管理者とコンタクトが取れないような場合は、どの法律に違反しているという理由を明記した上で、要望を書面でグーグルに送ってもらうようにしている。この書面を元に法律に違反しているかどうかを判断し、認められる場合には「グーグル宛に送られた法的要請に応じ、このページから1件の検索結果を除外しました」といった表記をした上で、検索結果に表示されないようにする。
以前は乱暴なことをやっていたと思うが、社会問題になりかけているので火消しをはかったということだろうが、問題は 「グーグル宛に送られた法的要請に応じ、このページから1件の検索結果を除外しました」という断り書き(わたしはまだ見たことがない)がどこにどのように表示されるかだ。
Googleは中国の言論弾圧に加担していることが批判されているが、中国でもこういう断り書きを出すのだろうか。もし出すのなら、尊敬するが。
敗者復活もののラブ・コメディ。
1980年代にアイドルだったアレックス(ヒュー・グラント)は今はどさ回りとTVの懐メロ番組で食べているが、人気アイドルのコーラからの指名で作曲することに。作詞家と気があわず難航していたが、植物の水やりのアルバイトに来ていたソフィー(ドリュー・バリモア)に作詩の才能があるとわかり、コンビを組むことに。後は予定調和で展開はすべて読めるが、主役二人の芸で最後まで楽しめた。
ヒュー・グラントのぼけもいいが、ドリュー・バリモアの笑顔が絶品。最後はドリュー・バリモアの映画になっている。
ミュージカル仕立てのペンギン・アニメ。皇帝ペンギンは歌で求愛するという設定になっていて、ペンギンたちがスタンダードを熱唱する。
この映画の中の皇帝ペンギンの世界では歌がすべてなので、音痴に生まれついた子供ペンギンは仲間外れにされ落ちこむが、自分にはタップダンスの才能があると気づいて自信をとりもどす。タップダンスをすごいと言ってくれたのは、アデリーペンギンの五人組で、髪にメッシュがはいっているところから、パンクに見立てている。
子供ペンギンのふわふわした羽毛をデジタルで描くのが難しいらしいが、だからどうだというのだ。ドラマの演出がわざとらしいし、歌は上すべり。大体、ペンギンに歌を歌わせるのには異和感がある。
こうやれば当たるだろうという計算で作ったのが見え見えで、しらけた。
芸大美術館で「金刀比羅宮 書院の美」展を見た。金毘羅さんの門外不出の襖絵をまとめて見ることができる展覧会だけに混んでいた。
三階の第一会場は順路の両側に畳も含めて書院を再現し、襖をはめこんである。襖絵は襖の両面に描かれているので、こういう展示法になったのだろう。
まず、円山応挙。虎図が多いが、生きた虎を知らずに描いたので、迫力はあるが、どれも微妙に猫っぽく、愛敬がある。有名な「八方睨みの虎」は太りすぎのどら猫という感じである。
岸岱は一番作品が多く、どれもすばらしかった。地味で手堅いというイメージをもっていたが、結構ゴージャスである。
若冲は一間だけだったが、三面を花の図を整然と並べ、植物図鑑風である。照明は暗かったが、至近距離で見ることができた。色が昨日描いたかのように鮮かで、細部まで息苦しいくらい緻密に描きこまれている。ただ、若冲の過剰さは枠の決まった襖絵という場では必ずしもプラスには働いていないと思った。
最後は現役の田窪恭治氏で、野原を描いた大作だったが、襖絵なのに壁画のような野放図なスケール感がある。ヨーロッパで礼拝堂のフレスコ画の修復を長くやっていた人だそうで、壁画の感覚が身についているのだろう。
地下二階の第二会場は絵馬や奉納品の展示で、ここは神社らしい珍品がそろっていた。絵馬といっても、60インチの薄型テレビくらいある。大きさを張りあうような風潮があったのだろうか。象頭山の参詣図もよかった。
船大工が作ったという和船の大型模型が二隻鎮座していた。三越の名前のはいった流し樽もあった。酒をいれた樽を海に流すと、拾った人がちゃんと金毘羅さんに届けたそうである。
地下二階の大きな方の展示室では広重の「江戸百景」を展示していた。芸大美術館所蔵品の修復完了を記念した展示らしいが、金毘羅さんの入場料に含まれている。
押し売りの展覧会かと抵抗があったが、見るとこれがおもしろいのである。
馴染みのある地名ばかりだが、現在と同じなのは浅草寺と不忍池、湯島聖堂の脇の坂道くらいで、他はまったく変わってしまっている。
説明文が興味深かったが、読みきれないので図録を買ってきた。説明文をじっくり読むと、面白さが倍加する。
美術館を出たところに、NHKでやった「自画像の証言」展の案内があったのではいってみた。こちらは無料。卒業制作に自画像を描かせるのは洋画科だけだったが、最近は他の学科も自画像を描かせているそうだ。
一階が戦前、二階が戦後という構成だが、二階は外光をとりいれて明るいこともあるにしても、色彩が急に華やかになる。戦前の作品はどれも重厚というか、重苦しい。大半は知らない画家だが、錚々たる画家もまじっている。
最近の作品には小学生の夏休みの自由研究みたいなものまであって、これで卒業させていいのかと思った。
芸大収蔵の自画像は修復や科学的鑑定の実習に使われているという。青木繁の自画像の科学的鑑定結果がはりだされていたが、手作りのキャンバスに描いていたことがわかったそうだ。
思いがけず三つの展覧会を見ることができたが、二時間半かかった。炎天下、上野駅にもどるのが辛かった。
9月7日、文化庁は平成18年度の「国語に関する世論調査」の結果を発表した。文化庁のホームページにはまだ出ていないので、新聞報道しかソースがないが、今回は漢字使用について調べていて、興味深い結果が出ている。
ある程度予想はできたが、若い世代に漢字多用支持が増えていることがはっきりした。漢字多用支持の比率は20代で50%を越えているのに対し、60代では32%にとどまっている。
「
一方、「憂鬱」を仮名で書くか漢字で書くかを尋ねたところ、パソコンの場合は漢字で書く人が71%もいたのに対し、手書きの場合はわずか14%にとどまった。この結果はどうということはない。読めて書ける字より読めるが書けない字の方が多いのは当たり前だが、パソコン時代になり、読めるが書けない字が著しく増えただけのことである。
ニュースサイトを日常的に読んでいる人は全体では32%だったが、20代は56%、30代は61%におよんだ。おそらく、60代以上では10%を下回るのだろう。
パソコンになじめず、左翼的な教育をひきずった団塊世代に対し、パソコンを使いこなし、左翼マスコミの情報操作に気がついた若者世代という対立がここにもあらわれているのではないかと思う。
パーレビ王政時代は欧米風のファッションの女性が街を闊歩し、女性の教育レベルが中東一高かったイランが、ホメイニ革命後、おそろしく窮屈な国になったのは御存知の通りである。女が男のスポーツを生で観戦することも禁止されているが、実際はあの手この手で競技場にもぐりこんでいるらしい。
この映画はドイツ・ワールドカップの出場権をかけた試合を見ようとして失敗した女たちの話である。彼女たちは男装してはいろうとしたが、見つかって競技場の外通路に集められる。壁一つ向こうは観客席で応援の声が聞こえてくるのに、兵士が監視しているので見ることができない。彼女たちは兵士に男顔負けの悪態をつき、試合を実況中継しろとせがむ。
映画の冒頭で競技場行きのチャーターバスを止め、娘を探していた老人が再登場するが、姪しかいなかったから、潜入に成功した女もすくなくないのだろう。一度知った自由の味は忘れられないということだ。まだ読んでいないが、『テヘランでロリータを読む』という本は女性のための地下読書会の実話だそうである。
イラン女性のたくましさは救いだが、その一方、都市と田舎の絶望的な格差もこの映画から見えてくる。競技場に潜入を試みた女たちはみなテヘランっ子で、ダフ屋のふっかける法外な金額を出せるくらい裕福だが、彼女たちをとりしまる兵士は貧しい田舎の出身で、軍隊にはいる前は羊飼いをやっていたりする。彼らからみれば、男装してでもサッカーを見ようなんて、お気楽な都会女の我儘でしかない。家族を食べさせるために男装して働きに出る『少女の髪どめ』の難民少女とはわけがちがうのだ。
厳格なイスラム原理主義はあの兵士たちのような貧しい草の根の人々に支持されているのだ。原理主義はこれからもつづくだろう。
horagai.comをアクセシビリティを考慮して、一部、模様替えした。
アクセシビリティに問題があることは前からわかっていたが、直接のきっかけはペンクラブ会員でユーディット社長でもある関根千佳氏を昨日の日本ペンクラブ電子文藝館委員会にお招きして、文藝館サイトをアクセシビリティの観点から診断していただいたことにある。
御覧になればわかるように、horagai.comと電子文藝館はよく似ている。電子文藝館の原型はわたしが作ったので似ているのは当たり前なのだが、その後、ホームページ製作会社に移管し、独自のタグづけをするようになっていった。原型段階では文字の大きさはすべて相対指定してあったのに、文字の大きさを決め打ちにするなど、問題が生じるようになった。
どこを直すべきかはわかっているつもりだったが、アクセシビリティの第一人者で、JIS X 8341の策定でも大きな役割をはたされた関根氏だけあって、気がつかなかった点を多数御教示いただいた。
horagai.comを直接診断していただいたわけではないが、共通する訂正点がすくなくなかった。わかっているつもりでも、所詮、素人だった。
とりあえず目次と索引を直したが、同様の改良は電子文藝館にもおこなうことになるだろう。
他の問題点もだんだんに直していく予定だが、最大の問題はフレーム構造をどうするかである。
horagai.comには文学だけではなく、演劇、映画、文字コードと、さまざまなジャンルのページがあるので、フレーム構造を採用した。
電子文藝館を準備していた2000年時点ではフレーム構造は好ましくないとされていたが、俳句、短歌、詩、小説、随筆、研究等々ときわめて広いジャンルをカバーするので、俳句や随筆にしか興味のない読者にも他のジャンルを意識してもらう意味で、フレーム構造には意義があると考えていた。
だが、現時点ではフレーム構造は改めた方がいいと思っている。
電子文藝館がどうなるかはわからないが、horagai.comの方は直すつもりだ。腹案はあるが、大がかりな改修になるので11月を目処にしたい。
溝口の芸道物の傑作として名高い作品。原作は二代目尾上菊之助の苦闘時代を描いた村松梢風の同題の小説。
二代目菊之助(花柳章太郎)は五代目菊五郎(河原崎権十郎)の養子で、音羽屋の若旦那としてちやほやされていたが、芸は拙く、裏では大根と揶揄されていた。本人もうすうす気がついて、養父に実子(後の六代目菊五郎)が生まれたこともあり、焦りを感じていたが、周囲はお世辞をいう者ばかり。
そんな中、弟の乳母のお徳(森赫子)がずばり批評してくれ、菊之助はお徳に好意をもちはじめるが、身分違いの恋を周囲が許すはずはなく、引き離される。菊之助は秘かにお徳に会いにゆき、養父の怒りを買って勘当されてしまう。
東京にいられなくなった菊之助は上方の尾上多見蔵(花柳喜章)を頼るが、芸はさっぱりで、多見蔵の顔でやっと役をもらえているありさま。
一年後、お徳が菊之助のもとにやってくる。お徳は芸の力が出てきたと菊之助をはげまし、菊之助はやる気をだすが、頼みの多見蔵が急死する。菊之助はどさ回りの一座に身を落とす。
希望のないすさんだ生活がつづき、お徳との仲にも隙間風が吹くようになる。名古屋の近くの町で不入りのために公演が打ちきりになり、座長が逃げてしまう。一座は女相撲に追いたてられ、空中分解。
二人は木賃宿に投宿するが、旧友の中村福助(高田浩吉)が名古屋に来ていると知り、お徳は福助を楽屋に訪ねる。福助はお徳が身を引くという条件でとりなしを承知する。福助の尽力で「積恋雪関戸」の墨染という大役をまかされた菊之助は見違えるような芸を見せ、東京復帰がかなう。
東京にもどる日、お徳は菊之助の前から姿をくらますが、辛酸をなめた菊之助は現実を受け入れるしかない。
菊之助は実力が認められ、角座で凱旋公演を打という話までもちあがる。その頃、お徳は胸を病み、かつて二人で暮らしていた下宿屋に世話になっていた。
道頓堀に舟乗りこみするという晴れ舞台を控えて菊之助は臨終のお徳と再会する。お徳は舟乗りこみを成功させてくれといって菊之助を送りだす。お徳は病床で道頓堀の歓声を聞きながら息を引きとる。
明治18年から23年にかけての話を半世紀後の昭和14年に映画化したことになる。
半世紀前は昔のようで昔ではない。現代に置きかえれば、八代目松本幸四郎の東宝移籍騒動が半世紀前で、その時行動を共にした染五郎は九代目幸四郎として現役である。平均寿命が今ほど長くはなかったとはいえ、関係者の縁者が現存していたわけで、映画化には微妙なものがあっただろう。
そのせいかどうかはともかく、かなり禁欲的な撮り方をしている。長回しの上にカメラはあまり動かず、役者の芝居を淡々と見せるという演劇的な作りである。それだけに、舟乗りこみで屋形舟の舳先に立つ菊五郎と、病床のお徳をかっとバックするドラマチックであざとい結末がよけい際立ってくる。
役者の中では無償の愛をつらぬくお徳の森赫子が断然光っている。新派では脇役で、花柳章太郎が強引にヒロインにしたらしいが、地味だからこそお徳の役にはまっている。
新文芸座の溝口特集で見る。
1935年の溝口作品だが、およそ溝口らしくない駄作だった。溝口に風刺劇やドンパチは似合わない。
原作はモーパッサンの「脂肪の塊」を翻案して新派の芝居にした川口松太郎の「乗合馬車」だそうだが、そもそも翻案に無理がある。
16mmの上映だったが、フィルムの状態がひどかった。音は甲高く、場面によって音量が変化する。
WikiScanner日本語版の余波がつづいている。朝日新聞は9月8日に「ウィキペディア 省庁から修正次々 長妻議員の悪口も」という記事を載せ、Wikipediaに対する役人の干渉を次のように具体例をあげて批判した。
厚労省で検索すると、100件ほどの結果が表示される。趣味に関する書き込みも多いが、06年4月には「ミスター年金」の民主党・長妻昭衆院議員の項目に、「行政官を酷使して自らの金稼ぎにつなげているとの指摘もある」と書き加えられていた。
宮内庁からの書き込みでは、06年4月、「天皇陵」の項で、研究者の立ち入りが制限されていることを巡り、「天皇制の根拠を根底から覆しかねない史実が発見されることを宮内庁が恐れているのではないかという見方もある」とあった部分が削除されていた。
このほか、法務省からは05年10月、「入国管理局」の項目で、難民認定に関し、「外務省・厚生省ともに面倒な割に利権が全くない業務を抱えるのを嫌がり」と他省の「悪口」を追加。
ところが、今度はその朝日新聞の社員がWikipediaに820件にもおよぶ加筆訂正をおこなっていたことがあきらかになったのである(J-CASTニュース)。
当然予想されたことだが、820件はなかなかの数だ。読売新聞はもっと多く854件ある。新聞社はよほど暇なのだろう。
Wikiepediaの記述を修正したら足跡が残るのは自明であって、会社のパソコンから修正したのは不用意だった。自宅やネットカフェのパソコンを使えばわからないから、こうした我田引水の修正の試みは今後もなくなることはないだろう。
今回の騒動でWikipediaの信頼性が揺らぐと言っている人がいるが、そんなことは最初からわかりきったことである。
わたしが興味深く感じるのは、Wikipediaの最初からいい加減でうさんくさい記述が、編集に介入する利害関係者という「主体」が発見されたとたん、急に問題にされるようになったことである。記述そのものは変わっていないにもかかわらず、だ。
しかし、Wikipediaは「集合知」といわれているように、「主体」を希釈する仕組になっている。朝日新聞社員や霞ヶ関の役人のくわえた修正の多くはそのままの形で残っているわけではない。得体の知れない、おそらくは彼らほどの知識はもちあわせない多数の匿名の参加者によって原形をとどめないまでに加筆訂正されている。Wikipediaの記述を自分の思い通りに変えようとしても、シジフォスの営みになりかねないだろう。
おそらく、Wikipedia的な「集合知」については二つの見方がある。一つは多数の「主体」がモザイクとして残存しているという見方、もう一つは個々の「主体」が消去され合力に化しているという見方。
わたし自身は「集合知」はbotやコンピュータ・ウィルスと同じ「無頭の悪意」の類だと考えている。
舟橋聖一の同題の小説の映画化である。
元華族の信濃家の熱海の別荘に信州の女学校を卒業したばかりの濱子(久我美子)が奉公にあがるところからはじまる。荷を解こうとしているところに当主の訃報がはいり、濱子は雪(木暮実千代)の着替をとどけるために東京の本宅にやられる。本宅では多くの愛人が財産争いをはじめており、そこに雪の夫で婿養子の直之(柳永二郎)があらわれ、怒鳴りちらしはじめる。雪はおろおろするだけだ。
信濃家は当主が貴族院の議長をつとめたほどの家だったが、財産税や戦後のどさくさで手を出した事業に失敗で没落し、跡を継いだ雪には熱海の別荘しか残らなかった。直之は愛人の綾子(浜田百合子)のいる京都にいったきりで、たまに熱海にもどると乱暴に雪の体をもとめ、雪は拒否できない。直之は純情な濱子にわざわざ雪との痴態を見せつけて面白がっている。
雪には信濃家の元書生で、今は上流夫人に琴を教えている菊中(上原謙)という相談相手がいた。雪は菊中にすがろうとするが、彼はは自立しろと突きはなし、別荘を旅館にするように勧める。
雪が宇津保館をはじめると、直之は京都から綾子と腹心の立岡(山村聰)を連れて乗りこんできて、綾子を女将にしてしまう。雪は直之に暴力をふるわれ閨に誘われると、ずるずると言いなりになってしまう。菊中はしっかりしろと口で言うだけで、何もしてくれない。
雪は居候の身分にされてしまうが、それは直之も同じだった。綾子は立岡とできていて、宇津保館は立岡のものになっていたのだ。真相を知らされた直之は呆然自失する。すべてを失った雪は菊中が常宿にしていた芦ノ湖畔のホテルにゆき、死を選ぶ。
なよなよとした没落華族夫人を演じる木暮はラファエロ前派の絵から抜けだしてきたようで、日本人離れしたモダンな美しさに目を見張った。ただし、モダンな見かけにもかかわらず、中味は弱さで支配する日本的なファム・ファタルである。
そんな雪に憧れ、無邪気に支える濱子の久我ははまり役だ。彼女のイノセンスぶりも罪だが。
直之の柳永二郎は印象に残った。愚かで醜悪な駄目男だが、生まれついての愛敬があって憎めないのだ。この映画の柳は俳優としての筒井康隆に酷似している。
逆に上原の演じる菊中は最初は颯爽としていたが、だんだん嫌な男の本性があらわになっていく。立岡の計略で酒の醜態を見せる場面など、やはりなと思った。
山村聰はいい人のイメージが強いが、この映画ではしたたかな小悪党を演じていて、結構はまっている。
直之と菊中の一筋縄ではいかない造形だけでも、溝口の容赦のない観察眼がわかる。
谷崎潤一郎の「蘆刈」の映画化だが、原作をずいぶん変えている。
原作は谷崎とおぼしい小説家が水無瀬の中洲で見知らぬ男の昔語りを聞くという夢幻能のような趣向をとっているが、映画の方は縹渺とした幻想味を吹き飛ばしたリアリズムである。骨董の老舗の若主人である愼之助(堀雄二)はお静(乙羽信子)と見合いをするが、付添ってきた姉のお遊(田中絹代)の方に一目惚れしてしまう。お遊は船場の大店に望まれて嫁していて、一児を設けたが、夫に死別していた。跡取り息子を育てるために婚家に残り、その代わり贅沢を許されている身で、愼之助が望んでも結婚できる相手ではなかった。
愼之助はお遊と会いたいためだけにお静と交際をつづけ、お静と祝言をあげるが、結婚初夜にお静から自分は姉の心を察して嫁に来たので、あなたに体をまかせては姉に申し訳ないといわれる。お静との結婚がなったについてはお遊の後押しがあったこともわかる。お遊は崇拝者を身近にはべらせるべく、お静を利用したのだ。お静は姉に利用されることによろこびを見出している。愼之助とお静は夫婦関係のないまま、お遊と三人で楽しい日々をすごす。
しかし、お遊の息子が急死すると状況は一変する。三人の不自然な関係が問題になり、お遊は実家に返され、別の家に再嫁することになる。
愼之助の家は左前になり、東京に夜逃げをする。愼之助はお静を本当の妻にし一粒種に恵まれるが、貧困の中でお静は死に、息子を育てきれなくなった新之助は伏見の別荘で十五夜の宴をはっているお遊に息子を託し、行方をくらます。 この展開は映画のオリジナルで、女王様に息子を押しつけて逃げるなどという結末はマゾ男にあるまじき所行である。原作は落魄した愼之助が毎年十五夜に幼い息子を連れてこっそりお遊の宴をのぞきにくるという終わり方をしている。女王様を影ながらお慕いしつづけるのがマゾ男の正しい身の処し方である。溝口は何でも許してくれる母親を求めていたにすぎず、マゾヒズムがわかっていなかった。
原作では初対面時に愼之助28歳、お遊23歳、お静18歳だが、田中絹代のお遊は愼之助より年上の大年増に見える。お遊は若尾文子にやってほしかった。お静の乙羽は清楚で美しいが、東京に夜逃げをしてからはたくましい地が見えてしまう。お静がたくましくては興ざめだ。
中経出版が書籍購入者に電子テキストを提供する「ネット書籍サービス」をはじめたそうである(CNet)。
うっかりしていたが、三省堂が「dual大辞林」として同様のサービスをすでに開始していた。辞書こそ電子データの利便性がものをいうわけで、紙の辞書離れを防ぐ決め手になるかもしれない。
今はすべてコンピュータ組版になっているので、電子テキストはすでにあるわけである。ほとんど追加コストがかからないのだから、出版社側にもメリットがあるはずだ。問題は著者側の気分的な問題ということになる。
認証がややめんどうのようだが、ICタグを本に埋めこんで、買ってきた本をパソコンにかざすだけで認証が終わるようにしたらどうだろう。CDをリッピングする際、自動的にネットから曲名や演奏者のデータをひろってきてくれるが、あのようなことが本でもできたらいいと思うのだ。
またこういう利点があれば、なかなか進まない書籍のICタグ化を後押しすることにもなるだろう。
スカーレット・ヨハンソンとトラボルタの共演ということで期待したが、思わせぶりなだけ。教養コンプレックスみたいなものが鼻につく。ラスト、二人の関係がわかるが、白けるだけ。
映画としてはつまらないが、スカーレット・ヨハンソンのビデオクリップとしてなら見る価値がある。時分の花というべきか、この映画のヨハンソンは立っても、座っても、歩いても、溜息が出るほど美しい。これだけ美しいと、コスチューム・プレイよりラフな格好の方が見栄えがする。
昼の祇園を普段着の栄子(若尾文子)がスタスタ歩いていく場面からはじまる。伝統と格式がものをいう花街に負けん気の強そうな栄子が一人はいっていく姿にこの映画のテーマが集約されている。
栄子は一軒の置屋にはいっていき、美代春(木暮実千代)に面会し、舞妓にしてくれと頼みこむ。栄子の母も芸者で美代春の同輩だったが、西陣の織屋の沢本(進藤英太郎)に落籍されて栄子を生んだが、沢本の家業が左前になってわかれ、最近亡くなっていた。
美代春は実の父親の沢本が保証人になるならというが、落ちぶれ、中風で体の自由がきかなくなった沢本は頑として保証人の判をつかない。頼まれたらいやとはいえない性格の美代春は保証人なしに栄子を引きうける。
一年の修行の後に栄子は美代吉としてデビューすることになるが、沢本は当てにならず、美代春が支度をしてやらなければならない。美代春は懇意の料亭の女将、お君(浪花千栄子)に金を借り、支度を調える。
栄子は持ち前の天真爛漫さでたちまち人気者になるが、楠田(河津清三郎)という大企業の御曹司に気にいられ、しかも楠田が受注を狙うプロジェクトの責任者である神崎という役人が美代春に執心したことから二人の行く末に暗雲が立ちこめる。栄子は唇を求めてきた楠田の鼻に噛みつき、美代春はお君がお膳立てした神崎の座敷から逃げてしまったのだ。
楠田は鼻に噛みつかれた上に、受注が宙に浮いてしまい、踏んだり蹴ったり。美代春が神崎を拒否しつづけるなら、会社の存続があやうくなる。とりなしを頼まれたお君は回状をまわし、美代春と栄子を座敷に出られなくしてしまう。
芸者といっても所詮売物買物。料亭の意向に逆らうなど考えられないことだったが、アプレゲールの栄子に触発されて、美代春も自分というものに目覚める。二人は花街のしきたりに屈せずに自分をつらぬけるのか。
この映画の見どころは木暮、若尾、浪花という三女優の競演にある。若尾の生意気な可愛らしさ、浪花の親切ごかしの老獪さもいいが、なんといっても木暮がすごい。匂わんばかりの色香と気っ風のよさ、そして芸者としての意地が美代春を大きな存在にしている。
吉原の「夢の里」という店を舞台にした娼婦の群像劇で、売春防止法が国会で争点となっていた1956年3月に公開された。映画の中では売春防止法は継続審議になったが、実際は公開2ヶ月後の5月に可決されている。
「夢の里」は特飲街組合の役員をやっている田谷倉造(進藤英太郎)とその妻の辰子(沢村貞子)が経営する女郎屋で、倉造は娼婦のことを本当に考えているのは自分たちだ、政府に代わって福祉事業をやっているんだが口癖である。
「夢の里」のかかえる女は5人いるが、みなワケありだ。
店一番の売れっ子のやすみ(若尾文子)は疑獄事件にまきこまれた父親の裁判費用のために娼婦になった女で、男社会に対して復讐心をもやし、なんとかしてのし上がろうとしている。あの手この手で男から金を引きだしては、仲間の娼婦に金を貸して金利を稼いでいる。貸し布団屋のニコニコ堂の主人(十朱久雄)を手玉にとって夜逃げをさせ、ちゃっかり居抜きで店を買って後釜に納まる。しかし、売春防止法が可決されたら、商売あがったりだろう。赤線を離れられないところに悲しさを感じる。
ハナエ(木暮実千代)は結核の亭主をかかえる通いの娼婦で、子供をおぶった亭主がむかえにくるのがわびしい。眼鏡をかけてすっかり所帯やつれしていて、その上、亭主を亡くすという悲しい役である。木暮が眼鏡をかけコミカルに演じているのが救いになっている。木暮はコメディエンヌとしても一流である。
若尾と木暮の変貌ぶりからすると「祇園囃子」から10年くらいたっていそうだが、実際は3年しかたっていない。演技力恐るべし。
ミッキー(京マチ子)は栄公(菅原健二)の連れてきたニューフェース。ゴージャスな肉体を強調した洋装で人気者になるが、浪費家で前借りばかりしている。彼女神戸の貿易商の娘で、母親をないがしろにした父親に反発して娼婦になったといういわくがある。世間体を気にした父親がむかえにくるが、父親の女遊びをなじって追いかえす。
より江(町田博子)は東北訛の垢抜けない女だが、結婚を約束した男がおり、すこしづつ所帯道具を買いためているが、前借がなかなか減らず、いつ結婚できるかわからない。ミッキーが前借は無効だから、逃げてしまえば警察沙汰にできないと教えたのをきっかけに、他の娼婦が協力して首尾よく逃げることに成功する。しかし、結婚生活は上手くゆかず、すぐにもどってきてしまう。
ゆめ子(三益愛子)は満洲から息子を連れて引きあげてきた未亡人。戦死した夫の両親と息子を養うために東京に出てきて、娼婦に身を落としている。息子といっしょに暮らすことを夢見ているが、集団就職で上京した息子が店を訪ねてくると居留守を使い会おうとしない。しかし、息子は厚化粧で客に媚びる母親の姿を見てしまい、ショックを受ける。ゆめ子は息子の勤める工場に会いにいくが、息子に拒否され、最後は発狂する。
この映画、大昔にも見ているが、今回の方がおもしろく見ることができた。日本映画全盛期をささえた大女優の競演で、こんな映画は二度と撮れない。
NHKの「地球ドラマチック」で英国グラナダTV製作の「アメリカ人はどこから来たのか」が放映された。
アメリカ先住民は氷河期にベーリンジア(海面低下で陸続きになったベーリング海峡のこと)を通ってアラスカに移住した新モンゴロイドの子孫と考えられている。氷河期のアラスカはツンドラ地帯で狩猟生活ができたが、カナダにあたる地域には広大な氷河が広がり、1万2千年前にロッキー山脈東側に無氷回廊が出現するまでは人類の進出を阻んでいた。定説にしたがえば、1万2千年以前にはアラスカ以外の南北アメリカ大陸には人類は住んでいなかったことになる。
しかし、近年、南北アメリカ大陸に数万年前の人類の痕跡が次々と発見されている。彼らは寒冷地適応した新モンゴロイドではなく、縄文人に近い旧モンゴロイドだったらしい。
もし縄文人だとしたら、千島列島からアリューシャン列島をたどり、カナダ西岸を南下する島づたいのルートでわたったと考えられるが、この番組ではジャイアントケルプの海中林ルートを紹介していた。
ジャイアントケルプは昆布の一種で、百メートル以上に成長して鬱蒼たる海中林を作り、南の珊瑚礁のように多くの生物に住処を提供している。北米大陸の太平洋岸沿いのジャイアントケルプの海中林が有名だが、実は海中林はアリューシャン列島をへて千島列島沿いに北海道までつづいているという。
ジャイアントケルプの先端は海面に達し、浮遊性の海藻がからまって、波を静めるので、ラッコが睡眠場所にしているという。海中林沿いに進めば、食物が豊富なので、貧弱な舟でも十分アメリカ大陸に到達できるそうである。
番組ではもう一つ、大西洋を横断するルートの存在も指摘していた。
北米大陸にヨーロッパと同じ様式の石器が出土することは『モンゴロイドの地球 第5巻』でも指摘されていたが、新石器時代に大西洋横断は考えにくいので、真剣に検討されることはなかった。
氷河時代、北大西洋の北半分は氷床で覆われていたが、氷床の縁の部分では下降水流が発生し、海底の養分が攪拌されて豊かな漁場となるので、オットセイやトドのような海獣が集まってくる。氷床の縁沿いに海獣猟をしているうちに、北米大陸に達することは十分考えられるというのである。
こう見てくると、アメリカ大陸に最終氷期以前から人類が住んでいたとしても不思議ではなくなる。
しかし、ここで新たな問題が浮上する。現在のアメリカ先住民は新モンゴロイドであり、縄文人の痕跡もコーカソイドの痕跡も認められないことだ。無氷回廊が開きアラスカのマンモス・ハンターが南下した後に、アメリカ大陸の住民がいれかわった可能性があるのである。
番組では慎重な留保をしつつも、マンモス・ハンターによる旧先住民のジェノサイドの可能性をほのめかしていた。PC的にはきわどいが、ありえない話ではない。
深刻かつ疲れる映画である。
最初に女子中学生が教師を刺す場面があるが、その中学生は成人して中学教師になっている。深津稜(並木愛枝)26歳である。
深津の同級生でピアノをやっていた杉野浩一(監督もつとめている廣末哲万)は音楽をあきらめて技術者になっているが、会社の社長に頼まれて息子の雨宮大樹(染谷将大)にピアノを教えることになる。大樹は深津の教え子でもある。
深津の担任するクラスを中心に話が進むが、鬱屈をかかえた爆発寸前の生徒ばかり。深津自身、カウンセラーに通いながら教師をつづけている(オイオイ)。
いろいろ深刻に悩んでいるが、まったく理解できない。今の14歳が本当にこうなのかどうかは知らないが、勝手に狂ってくれという感じだ。
さそうあきらのマンガの映画化。八百屋の息子で音大浪人生のワオ(松山ケンイチ)と、天才ピアノ少女うた(成海璃子)が出会い、互いに刺激しあう話らしい。
原作は評判がいいらしいが、映画はお粗末で支離滅裂。
しかし、最後まで見てしまったのは成海璃子がすばらしかったからだ。映画はゴミなのに、彼女の存在感にねじ伏せられてしまった。成海璃子が神童であることを証明したことだけに意義のある映画といえる。
埼玉近代美術館で「勅使河原宏展−限りなき越境の軌跡」を見た。
勅使河原宏氏は安部公房作品を映画化しただけでなく、敗戦直後に「世紀の会」を結成し、ともに前衛芸術運動を推進してきた仲間だった。家元継承後は陶芸や竹のインスタレーションに力をいれ、映画も「利休」、「豪姫」と伝統回帰した印象があったが、今回の展覧会を見て、最後まで前衛をつらぬいていたこと知った。
入口をはいると、Ω型に曲げた竹をつらねたトンネルを歩いて展示場に導かれるのであるが、カーブしているせいか屋内とは思えないくらい長く感じた。聞けば30mもあるという。
第一室は活花だが、なまものだけに写真展示が主だった。活花はわからないが、未来建築のような印象である。こういうものが部屋に飾ってあったら、落ちつかないだろう。
第二室は竹のインスタレーション。写真と記録映画が主だが、物量を投入した野外展示のすごさに度肝を抜かれた。膨大な数の青竹が整然とならべられ曲げられているが、内側の反発力が頑強なしなりを生み、一本一本が激しく自己主張している。竹は単なる素材以上のものになっている。実物を見たかった。
映画は「勅使河原宏の世界」としてDVD化されているが、竹のインスタレーションの映像は今のところ発売されていないようだ。ぜひDVD化してほしいと思う。
第三室は「利休」に捧げた書と陶芸。竹をそのまま炭に焼いたような黒い肌の焼物が多く、いかにも前衛芸術という印象だ。豪快というべきなのだろうが、正直いって、この部屋の作品はわからない。
第四室は映画監督と草月プロデューサーとしての勅使河原。室の入口で「砂の女」、「他人の顔」、「おとし穴」の予告編をエンドレスで上映しているが、つい見いってしまった。
脚本や絵コンテ、セットの設計図などの資料類が中心だが、「他人の顔」関係が多い。細く尖らした鉛筆で書いたとおぼしい細心精密な筆致で、第一室から第三室までの豪放磊落な印象とは180度違う。
「他人の顔」の診察室に出てきたアクリル板の間に人体の部分をはさんだオブジェの実物が展示されていた。画面では安っぽく見えたが、実物は一個の芸術作品である。手や足は実物大で、人体を形どりしてレジンを流しこんだのかと思ったが、近くで見ると筋肉や皮膚の凹凸が誇張されているのがわかる。
「砂の女」関係資料は青焼きの図面二枚と、カンヌの賞状しかなかった。残っていないということだろうか。カンヌの賞状は二つ折りで、左側は水彩とおぼしい絵で、それ自体、一つの作品といっていいくらいのものだった。
第五室は「世紀の会」時代の作品で、安部公房ファンには一番興味深い部屋だ。
勅使河原は芸大の日本画科出身だが、なぜか油彩ばかり、それもタンギーを思わせる絵など最初から前衛していた。安部公房の医学部卒業のようなものか。
「世紀の会」は「世紀群」という機関誌を出していたが、その実物が展示されている。プロの手になると思われる謄写印刷で保存状態がいい。安部公房は第四号に「魔法のチョーク」を寄稿しているが、その挿画が勅使河原なのである。貼込で、手彩色らしく実に鮮かだ。
弥生美術館で「紙芝居からSFアートまで 武部本一郎展」を見た。
展示は一階と二階にわかれ、二階はエドガー・ライス・バローズの「火星シリーズ」以降、一階はそれ以前である。
一階は紙芝居からはじまっている。印刷ではなく、絵具で描いた上からニスをかけて補強している。実際に口演に使われたそうだが、保存状態はいい。
つづいて貸本マンガと絵物語がくるが、この頃、武部夫人がGHQの通訳をやっていた関係で、アメリカ軍の軍人からよく肖像画を依頼されたという。
その経験が役に立ったのか、翻訳物の児童書の挿画が増えてきて、エキゾチックな武部調がしだいにはっきりしてくる。
児童書の挿絵は多い上に多ジャンルにおよんでいるが、意外だったのはSFの挿画を早くから手がけていたことだ。なんと、「ターザン」まで描いていた。通説では『火星のプリンセス』ではじめてSFと出会ったことになっていたが、そうではなかったのである。
ホームズやベリヤーエフには見覚えがあった。どうやら「火星シリーズ」以前から武部の挿画を見ていたらしい。
二階はいよいよSFアート時代である。最初に「火星シリーズ」、次に「金星シリーズ」、そして「ペルシダー・シリーズ」、「月シリーズ」、「ターザン・シリーズ」とバローズ作品がならび、他の作家の挿画がつづく。
文庫の挿画なので原画は大きくはないだろうと思っていたが、B5くらいあり、実に細密に描かれている。
武部は「火星シリーズ」の成功で一躍SFアートの第一人者となるが、1970年代にはいるとマンネリになってくる。一番脂が乗っていたのは「火星シリーズ」前半と「金星シリーズ」だと思う。特に「金星シリーズ」はいい。武部の最高傑作はなにかときかれたら、『金星の火の女神』のドゥーアーレーを描いた口絵をあげるだろう(「エドガー・ライス・バローズのSF冒険世界」で見ることができる)。
「火星シリーズ」は全巻読んだが、「金星シリーズ」は武部の挿画が目的で買ったものの、中味を読んだ記憶はない。多分、読んでいないだろう。読んでみたくなったが、すでに絶版になっていた。
図録の代わりの「挿絵画家武部本一郎」という小冊子を買ったところ、『武部本一郎少年SF挿絵原画集』を編纂した大橋博之氏による小伝があった。これを読むと、通説は間違いだらけだったことがわかる。これまでの武部像は「火星シリーズ」の訳者で東京創元新社の取締役だった厚木淳氏の紹介文で作られた部分が大きかったが、厚木氏と武部氏の関係には微妙なものがあったらしい。
武部の画集としては大橋氏編纂のものと加藤直之氏による『武部本一郎SF挿絵原画蒐集』が入手可能だが、岩崎書店から出ていた三巻本はとうに絶版で、古書店で高値をつけているようだ。東京創元新社から限定版で出た画集となると、20万円以上するらしい。ファンは多いのである。
二転三転していた「火星シリーズ」の映画化がいよいよ本決まりになったようだ。eiga.comによると、製作はピクサーがてがけ、「ロジャー・ラビット」のようなアニメーションと実写を合成した作品になるらしい。デジャー・ソリスは女優が演じると思うが、誰がやるのだろうか。赤色人はネイティブ・アメリカンがモデルだから、武部が描いたような東洋系の顔でもおかしくないはずだが、そうはなるまい。誰がやるにしろ、日本のバローズ・ファンは武部のデジャー・ソリスが動きだすのでない限り納得しないが。
テレビ朝日の「素敵な宇宙船地球号」で「脳が地震を予知する!?」が放映された。
地震の前にナマズが騒ぐとか、鼠がいなくなるとかいった前兆現象が起こることが伝承として伝えられているが、これまでは迷信で片づけられ、一部の好事家が興味をもつにとどまっていた。しかし、計測技術の進歩によって前兆現象を科学的に検証しようという試みがはじまり、徐々に成果が出てきているという内容である。
前半では生物前兆現象を利用した中国の地震予知体制とスマトラ沖地震の際の生物の異常行動を紹介していた。
スマトラ沖地震の際には、津波の到達する数時間前にスリランカの低地にいた象が鎖を引きちぎって高地に避難し、一頭も難に遭わなかった事例がニュースになった。象は人間の耳には聞こえない超低周波でコミュニケーションをとっており、津波の発する超低周波をいち早く感知したと説明されているが、実は地震の4日前から、ヤーラ国立公園の象の群れに異常行動が見られたというのだ。もし地震の前兆として超低周波が出ていたとしても、スリランカは震源から1600kmも離れており、それだけでは説明がつかない。
番組では大地震の直前に震源付近で起こる小規模な岩石破壊で発生する電磁波を生物が感知しているのではないかという山中千博氏の仮説をもとに、実験室で岩石を破壊した時に発生する電磁波と同じ波形の電磁波を象にあてたところ、象はあわてだし超低周波の警戒音を発することを確認した。生物の前兆現象を研究している中国の研究機関にも同じ装置を持ちこみ、さまざまな生物に電磁波をあてたところ、やはり顕著な反応があった。
後半では人間で同じ実験を試みていた。大地震の数日前に耳鳴りがするという福岡博さんと江口香織さん、対象群として東海大学医学部の学生に実験室で岩石を破壊した際に発生する電磁波と同じ波形の電磁波をあて、光トポグラフィーで脳の反応を計測したところ、福岡さんと江口さんの脳の聴覚野に反応が起き、耳への圧迫感も再現された。
次に実際の地震の前に観測された電磁波の波形をあてたところ、さらにはっきりした反応があらわれ、しかも学生の脳にも反応が見られた。学生自身は耳鳴りも圧迫感も感じていなかったが、脳は電磁波に反応していたのである。
鈍いか鋭いかという程度の差こそあれ、人間の脳には地震の前兆の電磁波を感知する能力がそなわっているらしい。地震は生存の危機に直結するわけで、長い進化の中でそうした能力が発達したとしても不思議はない。
野口整体では地震の数日前から心臓病が悪化すると言っていたが、あながち根拠のない話でもなかったのかもしれない。
三鷹市美術ギャラリーで「怪獣と美術」展を見た。
「ウルトラQ」以来、怪獣をデザインしてきた成田亨氏(1929−2002)の業績を美術として再評価しようという展覧会で、成田氏とともに怪獣製作をおこなってきた高山良策氏、現役で活躍中の池谷仙克氏、原口智生氏の作品もくわえ、160点もの作品が展示されている。作品はすべてが怪獣関係ではなく、美術家として製作した彫刻や絵画もふくまれている。
意欲的な企画だと思うが、怪獣関連作品はデッサンと石膏のモデル、ミニチュアが主で、撮影に使われた完成形はなく拍子抜けであった。怪獣博士のような人にとってはお宝ぞろいなのだろうが、ちょっと興味がある程度の人間には地味すぎる内容である。
それでも、知っているキャラクターの展示は興味深かった。
成田氏はウルトラマンのデザインもおこなっていて、初期のプランが二点あったが、最終的な形態とは似ても似つかぬ怪獣顔で唖然とした。あそこまで違うとなると、ウルトラマンのコンセプトが固まるまでにかなりの紆余曲折があったことが推察される。
バルタン星人がもともとは蟬型宇宙人として構想されていたことも意外だった。当然、手はハサミではない。成田氏はザリガニ型宇宙人になってからも、手をハサミにするのは反対だったそうで、ハサミではない案を残している。
ウルトラセブンには肩に鎧のような飾りがついているが、中にはいる役者の背が高く、オリジナルのデザインでは間が抜けて見えるので、アクセントに鎧をつけたのだそうである。
特撮のデザインは一人がやったものではなく、集団創作と考えた方がいいようだ。成田氏は作家性を抑圧されることで、すばらしい仕事を残したのかもしれない。
怪獣とは関係のない彫刻が展示されていたが、よくわからなかった。グロテスクさはウルトラマンの最初の案に通じるかもしれない。
晩年に描いた二点のカネゴンの絵は印象に残った。土管の上に腰かけ、夕日を眺めているカネゴンの姿には昭和ノスタルジーの味があった。
高山、池谷、原口三氏の作品は、知らない怪獣ばかりで、わたしにとっては猫に小判だった。