読書ファイル   2002年 10 - 12月

加藤弘一
2002年 9月までの読書ファイル
2003年 1月からの読書ファイル

書名索引 / 著者名索引

October 2002

鈴木瑞実 『悲劇の解読』 岩波書店

 精神医学者がラカンに触発されて書いたエッセイ集である。学術誌に発表した文章を集めたというが、こなれた文章で読みやすく、温和な人柄がうかがえる。

 二部に分かれていて、前半にはバルト論、ハムレット論、アンチゴネー論がならぶ。バルトのエロスに注目しているあたりに、著者の関心がうかがえる。

 後半は分裂病論だが、症状が緩和する寛解期に話をしぼっている。

 分裂病者の体験する幻覚には妄想他者が登場することが多いが、著者は妄想他者には迫害者と保護者があり、前者は現実界的、後者は想像界的だとする。

 現実界的な妄想他者は名づけようのない恐ろしい迫害者であり、病者はその他者を「宇宙人」などとと名づけることで、なんとか自己組織を守ろうとする。

 想像界的な妄想他者は、日本では憑依して身体の中に入りこんでくるという形で体験されることが多いという。現実には存在しない妄想の産物だが、過去の幸福な体験に由来しているので、エロス的な要素をもっており、症状の悪化する時期には自己組織を守ってくれる。

 その意味で、想像界的他者は病者の味方になってくれるのだが、寛解期には逆に治癒の妨げになる。現実界的妄想他者は比較的簡単に消失するが、想像界的妄想他者はなかなか消失しないからだ。中には想像界的妄想他者との対話を楽しんだり、別れを拒む病者までいるという。

 ここで重要なのが治療者の役割である。治療者の態度としては病者を受容することの重要性が強調されているが、寛解期にも受容一辺倒だと、想像界的妄想他者を切れなくなってしまうのだ。

 表題は「悲劇の解読」だが、著者は恐ろしい現実界よりも、美的な想像界に関心のある人らしく、気持ちよく読了できた。

妙木裕之 『エディプス・コンプレックス論争』 講談社叢書メチエ

 普請中

グレイツァー 『カフカの恋人たち』 朝日新聞社

 カフカは婚約破棄の常習犯で、結婚はとうとうしていない。本書はカフカと係わりのあった9人の女性の列伝で、大部の書簡の残っているフェリーツェ・バウアーやミレナ・イェセンスカ、死を看とったドーラ・ディマントという有名どころだけでなく、短期間で別れたイディッシュ語劇団の女優やブロートの教え子など、あまり知られていない女性までとりあげている(資料が乏しいだけに、記述はすくないが)。

 恋人という切口からカフカの生涯を切りとろうという発想は覗き趣味も極まったというべきだが、なぜカフカが結婚にいたらなかったかについて、著者は次のような思いきった見解を披瀝している。

 カフカは、いわゆる成熟した女には心ひかれなかった。いっぽうで未熟な娘と結婚をすることなどのことが、社会的には眉をしかめられるたぐいであるとよく知っていた。やがて娘たちは成熟する。カフカの言い方では「女へと変身する」。その際、若さにそなわっている、とびきり魅力的で、貴重な資質を喪失する。若い日の店の娘や、スイス娘G・W、またはほかの娘たちとカフカとのかかわりを説明するものであり、フェリーツェとの仲がこじれていく底流にもなったところだ。

 カフカはロリコンだったというのである。なるほどと思わないではないが……。

 翻訳は読みやすいが、記述があっさりしすぎている。あらかじめカフカの伝記を読んでいないと、事実関係がわかりにくいかもしれない。

ブーバー=ノイマン 『カフカの恋人ミレナ』 平凡社ライブラリ

 前から気になっていた本だが、収容所ものなので敬遠していた。世田谷パブリックシアターで本書を舞台化した「ミレナ」を見たのを機に読んでみた。

 収容所ものは収容所ものだったが、著者のマルガレーテ・ブーバー=ノイマンはただ者ではなかった。まず、姓のブーバー=ノイマンだが、これは二人の夫の姓をあわせたもので、最初の夫、ラファエル・ブーバーはマルティン・ブーバーの息子、二番目の夫、ハインツ・ノイマンはドイツ共産党とコミンテルンの最高幹部だった。ハインツはスターリンの指名で1929年の広東蜂起を指導したが、暗黒の1930年代に失脚し、銃殺される。マルガレーテも5年の刑で、カザフのカラガンダ強制収容所にはいるが、1940年にヒトラー・スターリン協定でゲシュタポに引きわたされ、ラーヴェンスブリュック女性収容所に収監される。ここでミレナと出会うのである。

 ユダヤ教革新運動と共産主義運動の中心にいた人物と結婚し、ソ連とナチス両方の収容所を体験、その上カフカの恋人のミレナと親友だったのだから、マルガレーテは中欧知識人の栄光と悲惨を一身に体現した人物といえよう。

 ラーヴェンスブリュック女性収容所には政治犯だけでなく、聖書研究派(エホバの証人)やロマ、さらにはアル中、浮浪者、スリ、娼婦等々、さまざまな背景の囚人が収容されていたが、最大の派閥は共産党員だった。マルガレーテは粛正された最高幹部の妻というだけでなく、あるはずのないソ連の収容所にはいっていたことで党員たちから嘘つき呼ばわりされ、疫病神のようにあつかわれる。

 共産党員にはミレナも目障りな存在だった。ミレナは主義主張にとらわれず、最悪の環境でも生きることを楽しむ術を知っている女性だったからだ。

 ミレナの口から出てくる言葉は、どれもみんな<収容所風>ではなかった。驚いたことにSSはミレナのそうした毅然とした態度に圧倒され、譲歩してしまった。一方、政治犯とその先頭に立って規律に一生懸命な党員たちは、ミレナの態度にいつも腹をたてた。ある春の、夕方の点呼のことが思い出される。収容所の壁の向こうの樹がちょうど緑になりはじめ、芳しい南風が吹いてくる季節だった。物音ひとつなかった。ミレナはおそらく点呼や強制収容所のことを忘れ、プラハのどこか郊外の、芝生にクロッカスの咲き乱れている公園へ行っている夢でも見ていたのだろう。突然、彼女はひとり短い歌を口笛で吹いた……それを聞いて、まわりにいた党員たちは怒りを爆発させた。ミレナは、そんなかれらを辛辣に批判した。「あの連中ときたら楽よ。囚人に生れついているんだから。規律が骨の髄までしみこんでいるのよ」

 著者はミレナの生涯を生いたちにさかのぼって描きだすが、彼女だけでなく、彼女が育ったプラハの知的な風土も魅力的である。世紀末から両大戦間にかけて、中欧が世界の知の最先端だったことは山口昌男や栗本慎一朗の本に詳しいが、ミレナという一人の女性によって、中欧の精神性が具現化されたといっていい。

 収容所にはいってからの生活は、著者自身が体験者だけにいっそう具体的になる。意外だったのは、制限があったにせよ、外部との文通が許されており、差し入れを受けとることまでできたことだ。ナチスの収容所といっても、いろいろな形態があったのである(一般のドイツ人が収容所の存在を知っていたかどうかが問題になっているが、ラーヴェンスブリュック女性収容所が文通可能だったことからいって、刑務所の延長としての収容所があることは知られていたはずである。絶滅収容所も同じようなものと考えられていた可能性はある)。

 解説にはカナダで"L'amanto -- The Lover"として1989年に映画化されたとあるが、Internet Movie Databaseで調べてもそれらしい作品はなかった(1989年に"L'amante"という映画はあることはあるが、イタリアの製作で、内容も不倫ものらしいから、別物だろう)。映画化したら、絶対に当たると思うのだが。

谷村志穂 『ナチュラル』 幻冬舎文庫

 

櫻井よしこ編 『あなたの個人情報が危ない!』 小学館文庫

 住基ネット第一次稼働にぶつけて出版された論集である。

 おなじみの顔ぶれがおなじみの内容を書いていて、新味はないが、代表的な論説が集まっているので、入門書として勧められる。

 問題は本書であらましがわかったとして、その先がないことだ。本がないだけでなく、論自体がないのである。住基ネット論議は、マスコミで話題になっている割には底が浅いのだ。

 議論が深まらない理由は簡単だ。要するにマスコミ人には技術がまったくわからず、技術的な問題にぶつかりそうになると、原則論にもどってしまうのだ。これではなんでも反対のバカ左翼と同じではないか。もっと勉強しろといいたい。

黑田充 『「電子自治体」が暮しと自治をこう変える』 自治体研究社

 住基ネットの問題点を論じた本だが、類書とは一線を画す。

 著者は市役所に17年間勤務後、大学院にはいって社会学を学び、自治体政策情報研究所を主宰しているという異色の経歴の人だそうで、市役所の実務を知っているだけに、電子自治体のシステム全体の中に住基ネットを位置づけ、問題を洗いだしている。わたしの知る限り、こういう本は他にない。

 ただし、わずか160ページのコンパクトな本なので、ICカードや個人認証関係の知識がないと、なにがなんだかわからないと思う。その意味で、文系読者には敷居の高い本であるが、そういう人でも、リファレンスとして手元においておく価値はあると思う。

追記: 著者は自治体政策情報研究所サイトの方で「住基ネットと一切関わらない公的個人認証サービス」という対案を発表しており、今後の展開が注目される。(Jan13 2004)

November 2002

重村智計 『最新・北朝鮮データブック』 講談社現代新書

 

  先軍政治は軍事優先ぐらいに受けとっていたが、そうではなかった。 社会主義国は党がすべてを決定し、軍隊も党の軍隊だったが(名著『社会主義の軍隊』参照)、先軍政治では軍が党の上に立つことになる。 これは著者のいうように金正日自身によるクーデタである。 朝鮮労働党は官僚主義が金正日にすらどうにもできないところまで深刻化していて、こういう荒療治が必要だったというのだ。

橋爪大三郎 『こんなに困った北朝鮮』 メタローグ

 北朝鮮関係の出版は花盛りで、近所の本屋にまでコーナーができるくらいだが、こんなにあるとどれを読んだらいいかわからない。橋爪氏は北朝鮮問題の専門家ではないが、社会学者の目を期待して読んでみた。

 著者は1996年6月に一週間、北朝鮮を旅行しているが、旅行記を期待すると肩すかしをくう。旅行のための勉強ノートに、若干の感想を追加したものと考えた方がいい。

 「へこたれ編」、「ひねくれ編」、「ぶちきれ編」、「ふろく」にわかれるが、「ひねくれ編」は「ぶちきれ編」は他の著者の本の要約に終始していて、さっぱりおもしろくない。

 「へこたれ編」は北朝鮮の農業と工業がなぜ崩壊したのかを、すこぶるわかりやすく説明していて、一読の価値がある。ただし、これもオリジナルは黄長燁の『北朝鮮の真実と虚偽』の第一章だった。

 「ふろく」には北朝鮮のしかけているチキン・ゲームをゲーム理論で分析した短文があり、これが一番おもしろかった。結論部分だけを引こう。

 北朝鮮を、ソフトランディングに誘導することは、できる。

 その場合、大事なことは二つある。ひとつは、ソフト・ランディングと直接関係ないように見るが、米韓、日本が柔軟路線を絶対視しないで、北朝鮮の強硬路線に対しては強硬路線でのぞむこと。もうひとつは、北朝鮮が、戰爭よりもソフト・ランディングのほうがましだと考えること。この2つの条件が整えば、ソフト・ランディングのシナリオが現実味を帯びてくる。

 言い方を変えると、この2つの条件がないのに、ソフト・ランディングをさせるつもりで北朝鮮にいくら譲歩しても、譲歩するだけ無駄である。古くは金丸信、田辺誠両氏を代表とする自社訪朝団によるピンボケ謝罪外交。最近では、条件なしの人道的食糧援助。これらは、北朝鮮の態度を強硬路線から柔軟路線に転じさせるどころか、ますます現状維持を可能にしてしまうだけである。

 同じく「ふろく」のブック・ガイドも参考になる。

黃長燁 『北朝鮮の真実と虚偽』 光文社カッパブックス

 1997年に韓国に亡命した著者が、亡命後、最初に書いた本である。内容は直球勝負で、本来なら左翼系の小さな出版社から出るべき本だったろう。カッパブックスの読みやすさを期待すると裏切られる。

 内容はきわめて凝縮されており、新書判で200ページ余の小著ながら、

 金正日は、自分を高邁な道徳的品性を備えた指導者であると宣伝しているから、浮華放蕩な私生活と人権蹂躙行為の秘密が漏れることを防ぐために、異常なほど神経を使っている。彼は、大学を卒業する前から、自分の家で働く女性たちを妊娠させたので、組織部幹部たちは、彼を早く結婚させなければならないと心配したりした。彼は大学を卒業後、技術を指導すると称して俳優たちのなかに入り、多くの女優たちと関係を持ったが、そのなかの一人が成恵琳だった。成恵琳は、作家李箕永先生の長男の嫁で映画女優だった。金正日は、自分が作る映画のなかで、成恵琳に彼の母親である金正淑の役をやらせ、彼女を李箕永先生の家から連れ出して共に住み、子どもまで作ったのだが、その子どもが「金正男」である。金正日は、成恵琳と正式に結婚できなかったので、すべての事実を秘密にし、成恵琳をロシアのモスクワに送り出して生活の面倒をみた。

 その後、彼はほかの女性と正式に結婚したが、われわれが知っているかぎりでも、平壌の大邸宅に住まわせて正式な夫人の待遇を受けさせている女性だけでも三人いる。

黃長燁 『金正日への宣戦布告』 文藝春秋

 

鈴木邦男&井上周八&重村智計 日本国民のための北朝鮮原論』 デジタルハリウッド出版局

大江健三郎 『取り替え子』 講談社

 

大江健三郎 『みずから我が涙をぬぐいたまう日』 講談社文庫

 

December 2002

バルト 『新=批判的エッセー』 みすず書房

 

バルト 『記号学の冒険』 みすず書房

 

バルト 『テクストの出口』 みすず書房

 

バルト 『言語のざわめき』 みすず書房

 

バルト 『明るい部屋』 みすず書房

 

カルヴェ 『ロラン・バルト伝』 みすず書房

 

ペレス・レベルテ 『フランドルの呪画のろいえ 集英社文庫

 

金庸 『侠客行』 徳間書房

 ファンの間では評価が高いと聞くが、1巻と2巻は低調でおもしろくなかった。3巻にいたって、これはよくできた話だと思った。広げに広げた大風呂敷を、ともかくも破綻なくおさめた手際はさすがだし、武侠小説のパターンの裏をかいていく展開は、武侠小説をあきるほど読んだファンにはこたえられないだろう。

 ただし、血沸き肉躍るわけではない。主人公が修業するのはもっぱら内功なので、見せ場が作りにくいのだ。武侠小説入門者は別の本から読んだ方がいい。

2001年12月までの読書ファイル
2003年 1月からの読書ファイル
Copyright 2002 Kato Koiti
This page was created on Jan31 2002.
本目次
ほら貝目次