「現代人の肌は、最初は皆黒かった。白人も、かつては黒人だった
」とはじまり、かつてヒト科(ホミニド)は17種以上いたが、今はホモ・サピエンス1種を除いて絶滅してしまった、それはなぜか、とたたみかける。著者は新聞記者出身の科学ジャーナリストだそうで、つかみがうまい。
前半はネアンデルタール人、後半はその前史という構成だが、ネアンデルタールに関する部分がおもしろい。氷河期のヨーロッパに閉じこめられた原人の一団が寒冷地適応して生まれたのがネアンデルタール人で、四肢の短いずんぐりした体形になり、空気を温めるために鼻が巨大化し、復元図でおなじみの姿になっていった。骨製の針をもたなかったので気密性のある服は作れなかったが、身体が変化した結果、毛皮を巻きつける程度で、ツンドラのような環境で暮らせたという。脳が現代人よりも大きいのは、熱をたくさん発生するように増加した筋肉をコントロールするためで、知能が高かったわけではなかった。
20万年もヨーロッパに住んでいただけに、ネアンデルタール人の化石や遺跡はフランスではごく普通に見つかるそうで、現代人との関係が問題になる。現代人が絶滅に追いこんだ可能性がまず頭に浮ぶが(「殺し屋アフリカ人」説)、すくなくとも一万年間共存し、ネアンデルタール側が現代人の石器技術を部分的にとりいれた形跡も見られるので、それはないだろうという。現時点では「何もなかった説」が有力だそうである。最盛期10万人の人口があった一つの種が何もなくて滅んだというのは解せないが、石器の差などで、競合関係にある現代人との間に死亡率のわずかな差が生じると、長期には絶滅することがあるらしい。
石器はヒト科の誕生にもかかわっていた。最初期のヒトは身長1m足らずの牙ももたない非力な動物で、死肉をあさるしか生存の道がなかった。死肉はハイエナやジャッカルもねらっていたが、大型獣の骨の髄や、25mmもの分厚い皮膚で包まれた象の肉は、石器の使えるヒトしか食べることができなかった。
150万年前にホモ・エレクトスが最初の出アフリカをするが、これもネコ科の大型肉食獣がユーラシアに進出した後についていったという説が有力だという。ヒトが自分で狩りをするようになったのは最近らしいのである。
ネアンデルタール人の概説書というより、中東で洞窟発掘に半生を費やした著者の回顧録といった方がいいだろう。第一次中東戦争前夜、タンカーに便乗させてもらってシリアに向かった最初の調査から、1993年にネアンデルタール人の子供の骨を発見し、コンピュータによって歩く姿を復元するまでを興の向くままにつづっていて、著者のエネルギッシュな人柄が伝わってくる。
著者はいい意味で「お祭り男」らしく、CG、ロボット工学、美術解剖学等々の異分野の研究者を巻きこんでプロジェクトを広げていく。最初に子供の骨が出た時は、ネアンデルタール人が死者を埋葬したかどうかという問題に決着をつけるために、急遽パリに飛んで出土状況をそっくり複製にする専門家を引っぱってきている。
学際的研究は東大チームの伝統らしく、地理学の研究者が1974年から参加しているが、パルミラ盆地の中心にかつて琵琶湖大の湖があったこと、この湖の消長と洞窟利用に相関関係があったことを実証するという世界的な業績をあげている。
中東は政治的に難しい地域だが、発掘も政治と無関係ではない。イスラエルをフィールドにした学者はシリアやヨルダンには入国できないとか、アメリカ人はイラクでは調査できなくなった、等々。現地の当局者は欧米人研究者に対し微妙な感情をいだいており、出遅れた東大チームに有望なポイントを発掘する許可がおりたのは、日本人だということが大きかったらしい。その代わり、なかなか研究結果を出さない欧米人を牽制する材料に使われることもあったようである。
普請中
コルテスのメキシコ(アステカ)征服はさまざまに語られてきたが、本書はメキシコ側の視点をとりいれた異色の歴史書として評価が高いという。メキシコ関係の本は何冊か読んだが、実際、本書は最も感動的だった。
視点をとりいれたといっても、メキシコ贔屓ということではない。著者はコルテス麾下の下級兵士で、晩年に大部の回想録をものしたベルナールの文章をたびたび引用しており、ベルナールに影響されてか、半ば賛嘆の目でコルテスの冒険を見ている。メキシコ側の視点をとりいれたというのは、メキシコの神学的世界と神学的思考を可能なかぎり再構成し、当時のメキシコ人がコルテスの侵略をどう受けとっていたかを追及したことをさす。
コルテスはわずか600の兵で敵地の奥深く侵攻し、湖上の首都、テオティワカンという罠の中にみずから進んではいっていった。メキシコ側がその気になれば、コルテス軍を全滅させることはいともたやすかった。だが、そうはならなかった。メキシコ側は、愚かというより、狂ったとしか思えない誤った判断をくりかえし、あっけなく滅ぼされてしまったのだ。
メキシコ側がコルテスをケツァルコアトル神の再来と誤解し、撃退すべき侵略者を最大級のもてなしで迎えたことはよく知られているが、問題はケツァルコアトルがどのような神だったかと、いつまでコルテスはケツァルコアトルと見なされていたかだ。
著者によると、ケツァルコアトル神は、メキシコ族の奉じる「噴煙の鏡」神に敗れて追放された神で、メキシコ族と敵対するトラシュカーラ族の守護神だった。トラシュカーラ族はコルテスが本当に自分たちの神かどうかを確かめるためにコルテス軍を襲い、打ち破られてから納得した。以後、トラシュカーラ族はコルテスの同盟者となる。
多くの論者はコルテス軍がテオティワカンに入城し、意地汚く黄金を要求し出した頃から、化けの皮が剥がれたとしているようだ。遅くともトシュカナル祭の虐殺後は、さすがのモンテスーマもコルテスを人間と考えるようになったはずだと考えている。だが、コリスはメキシコ人にとって、コルテスはメキシコ滅亡までケツァルコアトルだったという。反モンテスーマ派はコルテス軍に対して蜂起するが、それは金星が太陽の近傍にはいり、地上から見えなくなる日にあたっていた。ケツァルコアトルはメキシコの神話体系では金星の化身とされ、その時期は力が衰えると考えられていた。反モンテスーマ派はコルテス=ケツァルコアトルが一番弱る時を選んで、蜂起したのだ。
暗愚な王とされることの多いモンテスーマを、ベルナールにしたがって、聡明で寛大な王と描いている点も本書の興味深い点である。コルテスがケツァルコアトルならば、モンテスーマは最も賢明な対応をしたことになるからだ。
「偉大なるモンテスーマ」とベルナールは絶えずくりかえし書いている。このベルナールは、六ヶ月間毎日モンテスーマを観察することができた。さらに、モンテスーマがいかに絶望し、いかに死んでいったかを目撃した。この古いスペイン人の書物に出てくるもろもろの人物のなかで、他のなんぴとも偉大だとは書かれていない。他のだれもが彼にこうした印象を与えなかった。われわれはベルナールの半分もモンテスーマを知ることができない以上、モンテスーマは偉大な人物であったというベルナールの言葉をそのまま受け入れるべきだ。モンテスーマが亡くなったとき、この物語は豊かさを失った。
モンテスーマに劣らず、コルテスも偉大な人物として描かれている。メキシコの滅亡は悲劇だが、わずか600の兵力で不可能な事業をやりとげた以上、偉大といわざるをえないだろう。
歴史は勝者によってかかれるが、メキシコ(アステカ)帝国の滅亡後、早い時期に、メキシコ人の視点で書かれたスペイン人到来以降の年代記が残っている。現存する主要なものだけで12、断片も含めると40近くあるという。
スペイン人宣教師による聞き書きもあれば、スペイン語教育を受けた次の世代のメキシコ人によって書かれたものもある。アルファベットによって音写されたナワール語の資料もあるという。
本書はメキシコ人が帝国の滅亡をどう感じていたか、一次資料によって語らせた試みである。細かい説明はないので、本書を読む前に概略的な知識を頭に入れておく必要があるが、さまざまな年代記や歌謡をパッチワークのようにつなぎあわせた歴史は実に興味深く、感動的である。
トシュカナル祭の虐殺の模様を、最古の記録である1528年稿本から引こう。祭の二日目、武装したスペイン人たちは大神殿のすべての入口を閉ざすと、無防備な人々に襲いかかった。
準備が整うと、メシーカ族は歌をうたった。こうして一日目は過ぎていった。二日目、祭りを行おうと歌い始めるや、テノチカ族とトラテロルコ族は殺された。歌い手も踊り手もまったく無防備であった。彼らが身につけていたものといえば刺繍したショール、トルコ玉、下唇の飾り環、首飾り、鷲の羽根で作った髪飾り、鹿の足の飾りであった。年老いた鼓主たちは粉末の嗅ぎタバコ入れとガラガラを持っていた。
スペイン人たちはまずインディオたちに体当りを食らわせ、手で殴りかかり、顔に平手打ちを食わせてから、大虐殺に取りかかった。歌い手も近くの見物人もともに殺された。われらは推しまくられ、三時間というものなぶり殺しにされた。人々が殺されたのは聖なる広場であった。
瞬く間に、スペイン人たちは神殿の部屋に侵入し、水を運ぶ者、馬の飼葉を持ち寄る者、臼をひく者、清掃する者、警備の者、これらすべての人々を殺した。トラテロルコのトラコチカルカトル、イツコワツィン、それにスペイン人に食べ物を提供した者たちにかしずかれたモテクソマはスペイン人たちに言った。
「われらが主たちよ、おやめなさい。なんのまねですか。かわいそうな民たちよ。かれらが盾を、棍棒を持っていたというのですか。武器など所持していなかったのに」
インディオ側の反撃は1585年にサアグンによって編纂された記録から引く。
虐殺が外に知れると、叫び声が上がった。
「隊長たちよ、メシーカ族よ、起ち上がれ。全員、戦旗、盾、投槍で武装して決起せよ。直ちに集まれ。走れ。隊長たちは死んでしまった。われわれの戦士たちは死んでしまった。メシーカの隊長たちは皆殺しにされた。」
すると大声がこだました。人々は叫び声を上げた。唇を震わして雄叫びをあげた。瞬く間に、まるで示し合せたかのように、隊長の全員が集まった。投槍と盾を持っていた。
すぐに戦端が開かれた。投槍を投げ、矢を放ち、銛さえ投げた。鳥を取る銛を投げた。猛り狂い、はやって銛を投げた。まるで黄色いマントで覆うかのように、槍がスペイン人の上に降り注いだ。
一方、スペイン人はすぐに王宮に陣を構えた。彼らもまた、メシーカ族に対して鋼の投槍を投げ始めた。大砲と火縄銃を発射した。
ここでスペイン人の捕虜になっていたイツアウツィンがモテクソマ王の降伏勧告を伝えたが、群衆は「恥知らず」と言いかえす。
「ふがいないモテクソマが何と言っただと。われらはもう彼の家臣ではないのだ」
メシーカ族は一時的にスペイン人を駆逐するが、その直後、天然痘が流行し、モテクソマの没後、王に選ばれたクイトラワクも病死する。コルテスに率いられたスペイン人は、メシーカ族と対立してきたトラスカラ族の応援をえて、再びテノチティトランを攻める。80日の攻囲の後、ついにテノチティトランは陥落し、クイトラワクの跡を継いだ最後の王、クアウテモクは降伏する。
アルバ・イシュトリルショチトルはクアウテモク王がコルテスに語った言葉を伝えている。
「閣下、私はわが王国を守るために全力を尽くし、あなた方の手に落ちるのを防いできましたが、武運つたなく破れました。このうえはわが命を奪いなさるがよい。それが情というものです。私の死はすなわちメシーカ王国の死です。わが市は滅び、わが家臣たちは死んでしまった」
最後に1523年頃作られた悲歌を引こう。
人々は泣き叫び、トラテロルコは涙に包まれた
メシーカ族はすでに湖上を舟で去った
女たちも去った 誰もが逃げた友よ どこへ行こう これは夢か
今やメヒコは捨てられる
煙が立ち上り霧が辺りを被う……
普請中
若い女性の書いたナバホ居留地の滞在記である。子供向けの本に分類されているようだが、特に子供向けに書かれたわけではないらしい。
著者は大学の人類学のフィールドワークでふれたナバホ文化が好きになり、たびたび居留地を訪れるようになる。アイリーンさんというお婆さんの友だちができ、家に泊めてもらうようになるが、つきあいが深まってから、アイリーンさんから夫がメディスンマンであることを明かされる。観光客相手のメディスンマンではなく、昼は役所で働き、夜だけナバホの人のために祈禱をおこなう本物のメディスンマンなので、わからなかったのだ。
著者はナバホの伝統に引かれるが、その一方、実際に居留地の不便な生活を体験して、都市に住みたがる若者の気持もわかるという。精神世界系や自然保護系、少数民族擁護系のライターが書きそうなかっこいいことは何も書いていないが、真面目で淡々とした語り口は好感がもてる。
各章の終わりに、注とコラムの中間のような形で補足がつき、勉強になる。「裸足で1500マイル」はアボリジニと白人の混血児を強制的に親元から引きはなし、寄宿学校にいれたオーストラリアの先住民政策を描いていたが、アメリカでも同じようなことがおこなわれていたという。1884年から1969年までとオーストラリアより長く、白人との混血児だけでなく、すべての子供を収容したというから、もっとたちが悪い。もしかしたら、オーストラリアはアメリカのインディアン局をまねしたのかもしれない。
ナバホ文化とは離れるが、気にいった箇所を引いておく。
高千穂町を訪れるまで、私は漠然と、神様の身体の大きさというのは人間よりもずっとずっと大きいものだと思いこんでいた。天の岩戸に立ってみたとき、近くを流れる川幅や岩戸から川までの距離を知ったとき、そしてこの場所で神々が動きまわっていたのだと想像したとき、日本の創世神話に登場する神々の身体の大きさというのは、木々におおわれた山々、渓流、峡谷など日本の風土に似合った大きさなのだと知った。
著者自身による写真が多数はいっているが、これもいい。
「論座」に連載されたナバホ紀行をまとめた本である。
ユング派の著者がネイティブ・アメリカンに関心をもつのは自然なことだが、ユングの影響だけではなかった。UCLAでクロッパーのアパッチの研究に参加し、メディスンマンのロールシャッハーの結果に感銘を受けて以来、ずっと気になっていたという。
著者は居留地各地で何人かのメディスンマンと会い、白人の意識の変化とインディアン同化政策の転換を見るが、同時に居留地の絶対的な貧しさ(ナバホ国では38%の家に電気設備がなく、70%の家に電話がない)と、伝統文化の危機も目の当りにする。
ナバホというと、映画にもなったナバホ暗号兵が有名で、連邦政府によって聖地に記念碑が建てられているくらいだが、ナバホの人たちの間では必ずしも歓迎されていないという。自分たちの言語を戦争の道具にされたことに忸怩たる思いをいだいている人はすくなくなく、「ナバホ・コードトーカーのことなど、われわれは誇りに思っていない
」と明言する人までいるそうだ。
巻末に『ナバホの大地へ』のぬくみちほとの対談がおさめられているが、感動的な一節があるので引いておこう。
ぬくみ 先生が小学校四、五年生を谷へ遠足に連れていったときに、大きな枯木の下に子どもたちを集めて、「お前たちはアメリカ人か、インディアンか、それともナバホか」と聞きました。子供たちはナバホ、と答えます。すると今度は、「ナバホであるとはどういうことだ」と尋ねたんですが、子どもたちはわからない。すると先生が「この谷でとれるものを食べることだ」と教えました。この谷にどういう植物が生きているのか、どういうサボテンが生えているのか、どれが何に効く薬草なのかということをきちんと知っていることがナバホなんだと。そして先生は子どもたちに、「君たちはインディアンにも、ネイティヴ・アメリカンにも、アメリカ人にもなるな」と言いました。素晴らしい授業でした。
蜷川幸雄は彩の国さいたま芸術劇場で、松岡和子訳によるシェイクスピア37作品全作上演にとりくんでいるが、本書はそのパンフレットに掲載された河合隼雄と松岡和子の連続対談をまとめたもので、「ロミオとジュリエット」、「間違いの喜劇」、「夏の夜の夢」、「十二夜」、「ハムレット」、「リチャード三世」の7本をおさめている。
訳した当人が、実際の舞台を見た河合と話しているのだから、話が具体的でおもしろいのである。
「ロミオとジュリエット」に種本があり、種本のジュリエットが16歳でおとなしい女の子で、半年間の物語だったのに対し、シェイクスピアは14歳のきかん気の女の子にして、5日間に凝縮したくらいのことは、他の本にも書いてあるが、思春期の危機を描いた芝居と位置づけ、子供から大人になることがどんなに凄まじいことかというところまで深めたのは、河合ならではある。松岡もそれを受け、マキューシオやティボルト、乳母のような、身も蓋もない大人たちの出番を多くしたのは、愛を性愛のレベルに落す大人と対比することによって、二人の愛を純化するためだろうと発言する。丁々発止とはこのことだ。
特におもしろかったのが「夏の夜の夢」の章である。夢の専門家の河合だけに、この芝居の構造について、目の醒めるような洞察を語る。
河合 ティターニアとオーベロン、ヒポリタとシーシアス、それに若い恋人たち、ここまでは誰でも構造を考えられるわけですよ。そこにあの職人集団、考えたらなんの関係もないのが出てくる。彼らはシーシアスとヒポリタの婚礼の晩に芝居をやろうとしているのだけれど、またその芝居がすごい。誤解によって人殺しが起こるという芝居です。ところが、実際の若い恋人たちは、ハーミアが「あなた人殺しをしたでしょう」と言う所があるけれど、ひょっとしたら人殺ししたかも分からない状態にまでなっている。実際には起こらなかった代わりに、あの劇中劇の中で人殺しというすごい悲劇が起っているんですね。だから何層に重なった話が、ものすごくうまくできている。あの集団、それからその中のボトムというのは、大事な役割を演じているわけです。
図式化すると、こうなるだろう。
(意識)
公爵シーシアスとヒポリタ ↑
四人の恋人たち パ
職人たち (同性愛的で女性の話題がない) ッ
--------ボトムだけが妖精を見る-------- ク
妖精たち ↓
(無意識)
この舞台は別の場所で見たことがあるが、一々うなずける。こういう視点から「夏の夜の夢」を論じた人はいないのではないか。
「ハムレット」の章もおもしろい。
松岡が紹介しているのだが、「尼寺へ行け」の台詞の直前のオフィーリアのnoble mindという台詞の裏に父親がいるという松たか子の解釈には驚いた。オフィーリアはファザコンなのだ。父親が言わせたなと感じとって、心が冷えるといった真田広之もすごい。
「リチャード三世」と悪の問題についても、河合らしい洞察を示している。
河合 オセローがいる限り、イアゴーは出て来ざるを得ない。オセローの存在自体がイアゴーを誘発する。ところが、リチャード三世には対抗する存在、オセローみたいな人がいません。なぜかなと疑問でしたけれど、終わりの方でふと気がつきました。リチャードは正しいものに対する影じゃなくて、英国全体が思い知らなければいけない影なんだ、と。その影があったから、ヨーク家とランカスター家はとうとう怨念を越えたわけです。怨念がある限りは、両家のいさかいはいつまでも続くんでしょう。
もちろん、舞台を見ていた方が本書をおもしろく読めるが、見ていなくても、啓発されるところが多く、興奮を味わえるはずである。
2003年2月にさいたま芸術劇場で上演された蜷川幸雄演出『ペリクリーズ』のために、松岡和子氏が新たに訳出したもので、稽古の過程でかなり手をいれたそうである。
松岡氏のシェイクスピアははじめて読んだが、直訳に近いくらいまで語を削ぎ落としているらしく、読みはじめは台詞がブツブツ切れているような印象を受けた。しばらくすると異和感はなくなり、即物的なよさがわかってきた。小麦粉のつなぎをいれていない10割蕎麦のようなものだろう。
ペリクリーズは三時間ほどの芝居の中で地中海各地を遍歴するが、本書の最初には地図が載っていて、タイスがフェニキアのテュロス、ターサスが小アジアのタルソス(パウロが生まれた町だ)、ミティリーニがレスボス島のミティリニ、ペンタポリスがカルタゴの近くのキレナイカ(キュレーネ)とわかる。ペリクリーズの一行は東地中海の交易路を動いていたわけだ。エリザベス朝のイギリス人にはこのくらいの知識はあったのだろう。
リドリー・スコットの映画の原作である。たった2日間の事件に700頁も費やしただけに、各所で同時進行する戦況が手にとるようにわかり、手に汗にぎりながら読んだ。戦争ドキュメンタリーの一つの到達点といっていいのではないか。
ソマリアに平和維持のために駐留していたアメリカ軍特殊部隊は、1992年10月3日、内戦をつづけるアイディド派の幹部をモガディシオ中心部のビルから拉致しようとしたが、上空から援護していたブラックホーク・ヘリコプター二機が撃墜されたために、部隊が暴徒の真ん中に一昼夜閉じこめられた。これが本書の描く「ブラック・シーの戦闘」で、暴徒がアメリカ兵の死体を引きずりまわし、手足を切断する映像が全世界に流されるという、アメリカにとっては不面目きわまりない結末に終わった。この事件以降、アメリカは利害関係のすくない地域への介入を控えるようになったといわれている。
映画ではデルタ部隊とレインジャー部隊の違いがわかりにくかったが、本来、両者はまったく異なる組織である。デルタは機密の任務が多いので、民間人と同じ風体をしているが、ソマリアではレインジャーと共同作戦をとるために、レインジャーと同じ恰好にしていたのだという。
映画は残酷なシーンがあると評判になったが、現実はもっとひどかった。ハンヴィーの銃座についていた最初の戦死者は首を撃ち抜かれたことになっていたが、実際は頭を吹きとばされていたというように。
日本軍との比較で、アメリカ軍は失敗から学ぶのに貪欲な組織といわれてきたが、「ブラック・シーの戦闘」には公式の報告書がまったくなかった。特殊部隊の作戦だったこともあるが、結末が結末だけに、誰も触れたがらなかったというのが真相らしい。しかし、ジャーナリストの奮闘と関係者の協力で、こういう網羅的なルポルタージュができるところがアメリカの底力である。
映画ではソマリア側の言い分を述べるのは武器商人一人だけだったが、著者は内戦のつづくソマリアに取材にゆき、ブラックホークのローターで屋根をつぶされた家の主人から、人質となったパイロットの世話をしたアイディド派幹部まで、広範に声を拾っている。
撃墜された二機と大破した二機はいずれもテール・ローターに損傷を受けたが、これは偶然ではなかった。アイディド派は神出鬼没のアメリカ軍特殊部隊を足止めするために、最初からヘリコプターを狙っていたのだ。映画ではRPG(対戦車ロケット弾)をそのまま肩に担いで発射していたが、実際はソ連と戦ったアフガン戦士を招いて指導を受け、発射ガスを逃すための穴を地面に掘って、ブラックホークの飛来を待ちうけていたという。
アメリカの敗因はヘリコプターの力を過信したことだが、そもそもギャングの頭目をつかまえれば、紛争が終わると思いこんでいたことが誤りだった。
アメリカで教育を受け、アイディド派には批判的な立場のモガディシオ在住の弁護士は、著者の取材にこう答えている。
彼らは、人類のもっとも古く効果的な社会組織である部族を解体しようとしている。指導者ひとりを逮捕しても、そのひとりひとりに兄弟、従兄弟、息子、甥など何十人もの後継者がいることが、アメリカにはわからないのか? 苦境は部族の決意を強固にするだけだ。仮にババルギディル族が力を失ったり、消滅したりしても、二番目に強力な部族が代わりにのし上がってくるだけのことだ。それとも、アメリカはソマリアに成熟したジェファーソン流の民主主義が突然芽生えるとでも思っているのか。
実際、アイディド将軍は事件の4年後に他部族に暗殺されたが、ソマリアの内戦は今もつづいている。アメリカはベトナム戦争から肝心なことを学んでいなかったのかもしれない。
『超「20世紀論」』につづく時事放談集で、戦争を論じたというより戦後を語った本である。小林よしのりの『戦争論』を俎上に載せているので、こういう題名になったらしいが、正確には『私の「戦後論」』とすべきだったろう。
吉本の仕事で一番いいのは敗戦後10年間に書いたエッセイ類だと思うが(『全著作集』でいうと第四巻)、本書は半世紀をへて、全盛時代をふりかえるおもむきがある。吉本隆明を読んだことのない人は、敗戦直後の言論界がどんな状態だったか、著者がどういうスタンスをとっていたかが、これ一冊でかなりわかると思う。
前書がよくまとまっているので、最初の部分を引いておく。
敗戦直後の文学者の戦争責任論は、はじめ左翼系の「民主主義」文学者の側からなされた。それは、誰が見ても、理不尽なものだった。同じ戦争讃美の作品を書いた文学者でも、敗戦後に「民主主義」文学集団に属した者は不問に付されたが、その集団に参加していない者は、かなり厳しく、戦争犯罪を犯した文学者として指弾され、戦争責任がある者としてリストアップされた。
このデタラメな指弾から逃れるために、描写に戦時色のない作品まで「抵抗文学」の中に含められ、醤油を飲んで徴兵検査を逃れるという"造病"もまた、戦争中の「抵抗」ということになるほどだった。そしてまた、軽薄で安直な戦争讃美の便乗作品を描かなかったがゆえに、私たち読者が信頼してやまなかった文学者たちは、かえって戦争に協力した文学者として、戦争責任を問われるという情況を呈した。
著者はロシア・マルクス主義に対して屈折した批判をおこなってきたが(それが難解さの一因となっていた)、ソ連崩壊で屈折する必要がなくなったからだろうか、本書の発言は明解である。「ロシア・マルクス主義に、いつもおとなしく連れ添ってきたのが戦後民主主義なんです。だから、左翼運動が終われば、戦後民主主義も終わる。それは、自明の理なんです
」という具合だ。
問題は将来を語った部分だ。お得意のハイパー資本主義論をくりかえしていて、たとえば、不況克服にはサービス業に公的資金を投入すればいいとご託宣をくだしている。
吉本 前にもいいましたが、政府がやるべき不況脱出対策は一つしかありません。それは、一般民衆の個人消費が拡大するよう、百貨店、スーパー、コンビニといった第三次産業に公的資金を投入することです。
店がきれいになれば「モノがどんどん売れるようになる
」というのだが、郊外の倉庫もどき大規模ショッピングセンターの繁盛を知らないらしい。対談者が教えてやればいいのに。
9.11テロを俎上にのせた時事放談集である。いきなり、こんなことを言いだす。
吉本 犠牲になった旅客機の乗客たちと、犠牲になった世界貿易センタービルの人たち――両者は、テロリストのたちの道連れになったという点では同じですが、やはり違う。ちょっと微妙な区別なんだけど、両者は本質的に違うよって、僕はまず直観的にそう思いました。それが正当な直観力なんだと思いました。
思わせぶりな発言だが、有り体にいえば、旅客機の乗客は無辜の民で、道連れにしたのは間違いだが、世界貿易センタービルで働いていて金融関係者は殺してよいということである。
ただ、さすがにそこまではっきり言う勇気はないらしく、「乗客たちを降ろして、それから旅客機で突っ込んだとしたら、それは、貧乏で弱くて、武器もあまりない国の人たちが、普段から敵対状態にあって面白くないと思っている大国に対してはじめた戦闘行為である、ということになると思います
」と語るにとどめている。
しかし、9.11テロを「象徴的な戦闘行為
」、世界貿易センタービルを「軍事施設以上の軍事施設」と認めている以上、金融関係者は象徴的な戦闘員だと言っているに等しい。
上巻の前半は、乗客は殺すべきではなかったが、金融関係者は殺してよいという理屈を正当化するために費やされている。本人も、これが暴論だということはわかっていて、「存在の倫理
」などという新概念を持ちだして四苦八苦している。政治・宗教的視点を越えているという意味で「存在」と言ったようであるが、言葉は厳めしくとも、結局は心情論にすぎない。大金を儲けている金融関係者が大量に殺されて、ざまーみろと留飲を下げているのである。
あきれたのはテロリストの行為を「戦争」と認定していることで、ブッシュと同じ誤りをおかしている。テロと戦争の違いは、不意打ちか、宣戦布告をしたかの違いにすぎないと語っているが、だとしたら日本の真珠湾攻撃はテロだったということになるのだろうか。そもそも宣戦布告のない戦争はたくさんあったわけで、真珠湾が騙し討ちだというのはアメリカのプロパガンダにすぎない。
この問題は下巻冒頭でもう一度とりあげているが、回りくどい言い方で「ざまーみろ」といっているだけで、読んでいて馬鹿らしくなった。
田中眞紀子を礼賛したり、大橋巨泉の議員辞職を評価したりしているが、床屋談義の域を出ない。商店に公的資金を注入して、店をきれいにすれば消費が回復するなどという景気対策をまたぶっているが、インタビューアーは老人の勘違いをたしなめる責任があるのではないか。
同じインタビューアーによる吉本の時事放談集は三冊目だが、最初の『超「20世紀論」』はそこそこおもしろかったものの、だんだん質が落ち、本書で紙くずと化した。今後はもう読むことはない。
気になる題名の本を何冊か書いている人だが、読むのははじめてである。著者はフランスでカトリックの研究をしているそうで、カルト宗教とノストラダムスとサウジアラビアの本も出しているから、9.11はフィールド内だろう。
三章にわかれるが、フランス在住の著者だけに、9.11テロのヨーロッパの反応を紹介した第一章と、宗教と国家の関係を論じた第二章が圧倒的におもしろい。
日本人は「アメリカ軍=解放軍」という神話をナイーブに受けいれたが、フランス人はナチスから正真正銘解放してくれたアメリカ軍に対して今でも屈折した感情をもっているという。「アメリカ軍はフランスの一般市民がいようと区別せずに爆撃した。フランスの負傷者を手当てしたのはドイツ人だった
」というのはまだわかるが、日本の特攻の記録映画がカルチェ・ラタンなどでよく上映され、特攻機がアメリカの軍艦に激突する場面で満場の拍手が起こるという条には驚いた。
フランスではアラブ系の住民が多く(人口の10%!)、イスラム教と日常的に接点があるということもあるが、サウジに勤務している義弟経由ではいってくる生活レベルの情報が生々しい。サウジとイランのライバル関係など、目から鱗の指摘が多数ある。アラブ情勢を知りたい人にとっては、この著者の本は必読かもしれない。
ただし、赦しの問題をあつかった第三章はおもしろくない。著者は体験に基づいて真剣に考察しているつもりなのだろうが、努力して悩もうとしているような印象がつきまとい、説得力が感じられなかった。