映画ファイル   October - November 2000

加藤弘一
2000年 9月までの映画ファイル
2000年12月からの映画ファイル

October 2000

*[01* 題 名<] ホワイトアウト 
*[02* 製作年<] 2000
*[03*   国<] 日本
*[05* 監 督<] 若松節郎
*[05* 原 作<] 真保裕一
*[08* 出 演<]織田裕二
*[09*    <]松嶋菜々子
*[10*    <]佐藤浩市
*[11*    <]石黒賢
*[12*    <]吹越満

 原作はおもしろいらしいが、映画は駄作。これで日本版「ダイハード」とは片腹痛い。

 前半は大変なロケをやっている割に迫力がない。人物のアップばかりで、風景を引きで撮るショットがすくない。せっかくの雪景がもったいない。TV畑の人らしいが、ビデオ発売やTV放映を意識したんだろうか。

 後半は脚色のまずさが露呈。謎と答えの出し方がまずいのだ。過激派のテロなのに、なぜ仲間の釈放を要求しないのか、なぜ通話にダムの放流音が混じらないのかという謎が謎として伝わらないうちに答えを出してしまっている。中村嘉$津雄の署長の頑張りもわかりにくい。テロで家族を殺された男が加わっている経緯も伏線不足。原作者本人が脚色したそうだが、プロにまかせるべきだったのではないか。

 過激派テロリストがリーダーの佐藤以外、若いのはリアリティを減じている。銃の構え方もなっていない。

 過去の遺物の過激派をダムに葬るというのなら、すぐ殺された平田満らを夢破れた中年過激派にすればおもしろかったのではないか。

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*[01* 題 名<] マルコヴィッチの穴
*[01* 原 題<] Being John Malkvich
*[02* 製作年<] 2000
*[03*   国<] 米国
*[05* 監 督<] ジョーンズ,スパイク
*[08* 出 演<]キューザック,ジョン
*[09*    <]ディアス,キャメロン
*[10*    <]キーナー,キャスリーン
*[11*    <]マルコヴィッチ,ジョン
*[12*    <]ビーン,オースン

 操り人形のリハーサル風景からはじまる。衣装を着せていない裸の人形(自画像)は不気味だ。主人公のクレイグ・シュワルツは売れない人形師で、街に実演に出ると、教育上好ましくないとして殴られ、同業者の活躍をTVで見ては、有名になりさえすればと歯噛みする毎日である。ペットショップの店員をやっていて、家中、ペットだらけにしている妻のロッテからも理解されず、とうとう働きに出ることになる。

 ビルの71/2階にあるファイリングの会社に入社するが(天井が低いので、かがんで歩かなければならない)、いきなり1/2階の由来のビデオを見せられる。これが百年前の船長と小人症の女性の悲恋物語という不条理な展開。すっかり術中にはまってしまい、クレイグがジョン・キューザックで、ロッテがキャメロン・ディアスだということに気がつかなかった。

 クレイグは隣の部屋に事務所を構えるマキシン(キーナー)にちょっかいを出すが、相手にされない。クレイグがキャビネットの裏にジョン・マルコヴィッチの頭の中にはいれる穴を見つけ、マキシンに相談すると、彼女は一回200ドルをとって、マルコヴィッチになれるという商売をはじめる。ロッテはマキシンと出会い、一目ぼれし、マルコヴィッチの身体を仲立ちにして愛しあうという発想はすごすぎる。

 異変に気づいたマルコヴィッチは71/2階にやってきて、穴に並ぶ行列に怒り、制止を振り切って自ら穴に入ってしまう。高級レストランの客が全員マルコヴィッチになってしまう。カウフマンの脚本おそるべし。

 この後はちょっと苦しい。クレイグが15分という制限を克服し、マルコヴィッチの身体をずっと乗っ取り、マキシンと組んで、マルコヴィッチを人形師として再デビューさせる。一人放りだされたロッテは、マーティン船長に救われ、クレイグの追いだしに賭けるが、怒濤の前半と較べると息切れした印象は否めない。

 芸術家肌で、純粋なところのあるグレイグとロッテに対し、あくまで打算的なマキシンの対比が効いている。受けの芝居に制限されながら、中心として存在感を示したマルコヴィッチもすごい。

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*[01* 題 名<] 長崎ぶらぶら節
*[02* 製作年<] 2000
*[03*   国<] 日本
*[05* 監 督<] 深町幸男
*[05* 原 作<] なかにし礼
*[08* 出 演<]吉永小百合
*[09*    <]渡哲也
*[10*    <]原田知代
*[11*    <]藤村志保
*[12*    <]高島礼子

 なかにし礼の芸道小説の映画化。芸者置屋に売られた10歳の愛八が、小唄をいい声でうなる男に連れられ、峠道を網場(あば)から長崎に向かう場面からはじまる。

 タイトルにつづき、20数年後の丸山の料亭の玄関。愛八は歌の名手として知られていて、十二代つづいた豪商、万屋の古賀十二郎(渡)の座敷に呼ばれている。古賀は丸山とは対立する町の芸者も呼んでいて、愛八のおとした簪を町の米吉(高島礼子)が足でどかしたことから、町と山の芸者衆があわや華いくさをはじめそうになる。日本映画で久しぶりに贅沢な一場を見た。

 愛八は一家を構えていて、後輩の面倒見がよく、花売や辻占の女の子から売れ残りを買ってやったり、うだつのあがらない関取(永島敏行)を贔屓にしたりしている。

 このあたり、「夢千代日記」に通ずるものがあるが、舞台が長崎だし、思いっ切り華がある。海軍軍縮で廃艦にされた戦艦土佐に即興で唄をつくったり、土俵入りの芸を見せたりするが、吉永小百合だけに品を失わない。

 古賀は豪遊のあげくに身代をつぶし、自殺しかけたところを愛八がとめ、俗謡の採集に力をあわせる。古賀との関係が噂になって、旦那の米屋(松村)を自分から断る。 幻の名曲、「長崎ぶらぶら節」のために、はじめて古賀と泊まりがけで調査旅行に出かける。夜、同衾するが、抱きあうだけでこらえる。

 後ろだてを失い、お座敷もすくなくなるが、結核にかかった妹芸者のために蓄えを費やす。吉永小百合のもってうまれた貧乏くささが、このあたりの気張りにリアリティをあたえている。

 西条八十の座敷に呼ばれ、「長崎ぶらぶら節」を披露したことからレコードを出し、大ヒットする。B面は古賀が作詞した「浜節」だが、古賀は印税を返してくる。愛八は結核から回復した妹芸者のお披露目にその金をまわす。

 華やかな披露目の日、愛八は古賀との再会を断念し、家で一人、掃除をする。やはり最後は「夢千代日記」だった。

 渡哲也の古賀はイメージとして違うと思うが、存在感で納得させたのはさすがである。

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*[01* 題 名<] 
*[02* 製作年<] 1999
*[03*   国<] 日本
*[05* 監 督<] 阪元順治
*[08* 出 演<]藤山直美
*[09*    <]佐藤浩市
*[10*    <]豊川悦司
*[11*    <]牧瀬里穂
*[12*    <]大楠道代

 1995年1月、神戸長田区あたりか。

 すすけたクリーニング屋の二階で、ぶくぶく着ぶくれして、黒縁眼鏡をかけた正子(藤山)がミシンを踏んでいる。毛糸のちゃんちゃんこといい、赤い靴下カバーといい、なんとも鬱陶しい。

 外にタクシーが乗りつけ、ホステスをやっている妹の由香里(牧瀬)が、土産の紙袋と黒い大きなバッグを下げて降りてくる。バッグの中味は自分の洗濯物と客からあずかったコートで、老けこんだ母親(渡辺美佐子)にピント外れの土産と洗濯物を押しつけ、コートのかけはぎは姉にやらせようと二階に上がるが、正子はかんぬきをかけて由香里をいれない。正子は感情を爆発させて、靴下カバーのまま外に飛びだし、長距離列車で新潟の十日町までゆく。雪の駅前ロータリーをうろうろしていると、旅回りの営業マン(佐藤浩市)がかまってくれる

 この直後、母親が脳溢血で急死するが、正子は二階に閉じこもり、通夜に出ようとしない。由香里は婚約者と二人で客の応対をこなす。

 深夜、正子は由香里を絞殺し、香典をもって逃走する。

 翌朝、阪神神戸大地震がおきる。正子は天罰があたったと腰が抜ける。

 正子は避難民にまじって大阪へ向かう。女と逃げた父親を探そうとするが、無人交番で風来坊(勘九郎)につかまり、幌付トラックの荷台でレイプされる。初体験だったが、「体が熱い」といって、自分からむしゃぶりつく。なんという暑苦しさ。

 ここからロードムービー。まず、ラブホテルで住こで働くが、飄々とした社長(岸部一徳)は巨額の借金をかかえ、自殺してしまう。警察が来る前に、習ったばかりの自転車で逃げだすが、酒屋の自転車とぶつかり、顔に怪我をする。

 腫れた顔のまま、大分行の列車に乗り、リストラされて故郷に帰る佐藤浩市と再会
するが、佐藤の方は憶えていない。

 終点の大分で、倉庫のシャッターを開けて勝手に入りこみ、首吊自殺を試みるが、痛くて助けを求める。ヤクザの弟(豊川)をむかえに来ていたバーのママ(大楠)に救われ、彼女の店で働くことになる。はじめて男にちやほやされ、自転車も上達し、砂浜で泳ぎの練習までする。

 だが、豊川がヤクザに殺されたことから、正子は警察の目を避けて、フェリーで島に逃げる。一人暮らしの老婆の家に転がりこみ、裁縫の内職をして暮らすが、祭の夜、子供に指名手配の女だと見破られ、山狩される。

 翌朝、警察を尻目に、正子は沖を一人で泳いでいく。

 特に不満はないが、これだけ芸達者をそろえたのなら、もうちょっとはじけてもいいような気がする。

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*[01* 題 名<] あの子を探して
*[01* 原 題<] 一個都不能少
*[02* 製作年<] 2000
*[03*   国<] 中国
*[05* 監 督<] 張藝謀
*[08* 出 演<]魏敏芝(ウェイ・ミンジ)
*[09*    <]張慧科(チャン・ホエクー)
*[10*    <]チャン・ジェンダ

 「秋菊の物語」の系列の話だが、全員、素人を使っているという。出来映えはすばらしいが、北京政府のおぼえもめでたいというから、張藝謀はいろいろな意味で円熟したわけだ。

 水泉村の小学校を一人で切り盛りするカオ先生(カオ・エンマン)は、母親の看病のために、一ヶ月の休暇をとることになるが、僻地の寒村なので、代用教員のなり手がなく、村長(チャン・ジェンダ)は隣村の13歳のウェイ・ミンジを連れてくる。

 学校には28人の子供がいるが、親が子供を働かせるので、どんどん退学していく。カオ先生は一人も減らさなかったら10元のボーナスを出そうという。

 ウェイは学校に住みこんで代用教員をはじめる。学校といっても教室一つと職員部屋しかなく、遠方の生徒は机をならべて泊まりこむ。13歳の女の子に授業のできるはずはなく、カオ先生が置いていった教科書を板書し、生徒に写させるくらいしかできない。音楽の授業ではお手本に歌ってみせるが、途中で歌詞がわからなくなる。当然、子供は騒ぎ、ウェイは教室の扉を閉めきるが、逃げだす者も出てくる。

 ウェイは一番のいたずら者のホエクーに手を焼くが、父親が死に、母親も病気になったために、ホエクーは町に出稼ぎにゆくことになる。

 ボーナスがもらえなくなるとあわてたウェイは町に捜しに行こうとするが、バス代は3元かかるという。お金を工面するために、子供たちと知恵をしぼり、はからずも算数の授業になるのは楽しい。

 二本のコーラをみんなでわけあって飲むシーンはあざといが、あの子供たちは本当にコーラを飲んだことがないのかもしれない。

 レンガ工場で子供たちと押しかけアルバイトし、レンガ工場長(シイ・ジャンチン)の好意でようやく往復の旅費ができるが、本当のバス代は20元で、とうてい間にあわない(10元のボーナスでは引きあわないのだが)。子供たちの助けでバスに潜りこむが、途中で降ろされてしまい、徒歩で町に向かう。

 出稼ぎ先を訪ねるが、駅ではぐれて行方不明という返事。同じ村の女の子に日当を払って駅を探すが、みつかるはずはない。文房具屋でなけなしのお金をはたいて筆と墨汁と紙を買い、駅の待合室で一晩がかりで人捜しのポスターを百枚つくるが、翌朝、同じ駅の住民に連絡先の電話番号がなければ効果がないと言われ途方にくれる。かわいそうに思った男は気休めにTV局を勧める。

 ウェイは証明書も紹介状もお金もないので、TV局の受付係は相手にしない。彼女は門で手あたりしだいに局長かと声をかける。どう見ても下っ端の局員にまで声をかける姿は痛々しい。迷子を捜しに来て迷子になってしまったわけだ。

 一方、ホエクーは浮浪児化していて、食堂の店先で、談笑している客の料理に鋭い目を向ける。都市と農村の経済格差はここまでひどいのだ。

 二日後、局長は自分に会いたがっている女の子が門の前にいると知り、直接会って、水戸黄門的な決定をくだす。

 ウェイはTV番組に出演するが、ほとんど喋れない。

 結局、ホエクーは見つかり、二人はTVのクルーと水泉村へ帰る。視聴者からの文房具の贈物と寄付金をどっさり持ってかえって、めでたしめでたしであるが、黒板に色付チョークで一人一文字づつ書いていくラストは爽やかである。

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*[01* 題 名<] ふたりのベロニカ
*[01* 原 題<] La double vie de veronique
*[02* 製作年<] 1991
*[03*   国<] フランス
*[05* 監 督<] キェシロフスキー,クシシュトフ
*[08* 出 演<]ジャコブ,イレーヌ
*[09*    <]ヴォルテール,フィリップ

 ベロニカとスクリーンで再会できる幸福。ビデオを持っているが、この映画はスクリーンで見なければ駄目だと再確認した。ふれればこわれてしまいそうなあえかな世界を描いているからだ。

 この映画はポーランドとフランスに生まれた二人のベロニカの魂の交感を描いている。二人はクラクフの広場で一瞬すれちがうが、気がついたのはポーランドのベロニカの方だけで、フランスのベロニカは映画の最後でようやくもう一人のベロニカの存在に気がつく。

 ポーランド篇のうぶ毛に風のそよぎを感じるようなデリカシーはたまらない。

 フランス篇の最初のシーン。ベッドに横たわり、後ろ抱きされながら、不意に視線を下にをそらす。もう一人のベロニカの死を感じとったのだが、まだそうとは意識できない。

 初冬の昼下がり、椅子でまどろみ、子供に鏡で夕日をあてられて眩しそうに目覚める。長い睫毛。そらす視線。この映画のイレーヌ・ジャコブは神である。

 人形劇の場面は何度見てもすばらしい。なんという繊細さ。「マルコヴィッチの穴」の人形劇は芸術ぶってはいるが、所詮、がさつなアメリカ人の仕業だ。

 人形師から小包が届くようになり、暗合と謎かけに応えて、ベロニカはパリに向かう。まとまりのつけようのない映画がきれいにまとまる。

 最後のシーン。二体つくったベロニカの人形の片方が机の上に横たえられている。死んで埋葬されたポーランドのベロニカを暗示するように。あの表情にはフランスに対するポーランド知識人の鬱屈した感情がこめられているのだろうか。

*[01* 題 名<] トリコロール 青の愛
*[01* 原 題<] Trois couleurs Bllue
*[02* 製作年<] 1993
*[03*   国<] フランス
*[03*    <] ポーランド
*[05* 監 督<] キェシロフスキー
*[08* 出 演<]ビノシュ,ジュリエット
*[09*    <]レジャン,ブノワ
*[10*    <]ヴェリー,シャルロット
*[11*    <]パーメル,フローランス
*[12*    <]ケスター,ユーグ

 三部作の中ではこれが一番だと思う。

 交通事故で重傷を負い、夫と娘を亡くしたジュリーが一端はすべてを拒絶するが、立ち直りの端緒をつかむまでを描く。冷え冷えとした青を基調にした画面が彼女の冷え冷えとした心象を思わせる。

 ジュリーは過去を忘れようとするが、過去の方は彼女を忘れてくれない。彼女は自己破壊的にすべてをすてようとする。屋敷の売却を頼み、夫と手がけていた交響曲のスコアをゴミ収集車に投げこむ。

 絶望の底で、ジュリーはストリッパーをやっているルシル(ヴェリー)に出会う。ジュリーが引っ越した先のアパルトマンからルシルは追いだされようとしているが、結果的にジュリーは彼女を守ることになる。

 ルシルは鼠の始末をつけたり、世話を焼いてくれるが、ある晩、仕事場に来てくれと電話がはいる。ジュリーは歓楽街のストリップ小屋に駆けつける。ルシルは父親が客で来ていたと泣きながら告白する。

 ルシルのヴェリーはロメールの「冬物語」でもすごくかわいかったが、その後、見ない。どうしたんだろう。

 ジュリーは邸の売却をやめ、夫の愛人のサンドリーヌのお腹の中にいる子供に相続させることにする。

 大聖堂のような、単独に聞いたら大袈裟な音楽が、ぴったりはまっている。ここにあるのはカトリックの祈りの文化だろう。

 ラストのカットバック。登場人物が深夜、孤独に耐えている姿が次々と映しだされる。祈りの深さを感じた。

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*[01* 題 名<] トリコロール 白の愛
*[01* 原 題<] Trois couleurs Blanc
*[02* 製作年<] 1994
*[03*   国<] フランス
*[03*    <] ポーランド
*[05* 監 督<] キェシロフスキー,クシシュトフ
*[08* 出 演<]デルピー,ジュリー
*[09*    <]ザマホフスキ,ズビグニエフ
*[10*    <]ガヨス,ヤヌシュ
*[11*    <]シトゥール,イェジィ

 三部作の真ん中は苦いコメディ。主演のザマホフスキは「デカローグ」でも、苦いコメディに出ていた。

 ポーランド出身の腕利き美容師、カロル(ザマホフスキ)は性的不能を理由にドミニク(デルピー)から離婚される。

 性的不能が理由の離婚というのもすごいが、たたき出し方がまた容赦ない。天使のような顔をして、残酷なジュリー・デルピーにあてて書いたのだろう。

 異国の空に一人放りだされたカロルは憂鬱な顔をした同国人のミコワイに声をかけられ、トランクの中にもぐりこんで、ポーランドに帰る。

 ドミニクが忘れられないカロルはそれからしゃかりきに働く。自由化で闇市経済全盛のポーランドで、彼は危ない仕事で資本を作り、会社を起こして、いっぱしの実業家になる。

 成功した彼は兄と、共同経営者にしたミコワイに頼みこんで、自分が死んだことにし、ドミニクに全財産を遺贈することにして、彼女を呼びよせる。

 葬儀で泣いている彼女の姿を見た彼は、その晩、彼女の部屋に忍んでいく。

 翌朝、彼女はカロル殺害容疑で逮捕・収監される。

 ラスト、カロルはドミニクに面会するために刑務所にはいっていく。

 ジュリー・デルピーの出番はすくないのだが、残酷で、わがままで、気まぐれな彼女を讃える映画で、あくまで彼女が中心である。

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*[01* 題 名<] トリコロール 赤の愛
*[01* 原 題<] Trois couleurs Rouge
*[02* 製作年<] 1994
*[03*   国<] フランス
*[03*    <] ポーランド
*[05* 監 督<] キェシロフスキ,クシシュトフ
*[08* 出 演<]ジャコブ,イレーヌ
*[09*    <]トランティニャン,ジャン・ルイ
*[10*    <]フェデール,フレデリック
*[11*    <]ロリ,ジャン・ピエール
*[12*    <]レビヨン,サミュエル

 三部作の中でこれだけが受賞を逸したのだが、今、見直してみると、しょうがないかなと思う。悪い映画ではないが、前二作にくらべると見劣りがするのだ。

 ヴァランティーヌ(ジャコブ)はジュネーブでファッションモデルをしている学生だが、車で犬をはねたことから、退職した判事(トランティニャン)と知りあう。判事は一人暮らしのひねくれた老人だが、ヴァランティーヌは彼が放っておけなくて、時々訪ねるようになる。

 ある時、判事は近所の電話を盗聴していることを知る。判事は盗聴されていると近所に言い触らしてこいと挑発する。彼女は隣家にいき、盗聴を告げようとするが、父親が浮気相手と話している電話を娘が盗み聞きしている現場を見て、何も言わずに家を出る。

 その後、判事の盗聴が発覚し、新聞種になる。ヴァランティーヌは密告したのは自分ではないと告げに判事宅を訪れるが、判事は自分で自分を告発したのだという。

 彼女は恋人のいるロンドンに移住することになり、ジュネーブで出る最後のファッションショーに判事を招待する。ショーが終わった後、誰もいなくなった劇場で、判事は若い日の失恋体験を話す。

 この主筋の間に、近所に住むオーギュストという法学生のエピソードがはさまる。彼は判事と同じように司法試験に合格し、同じように失恋する。彼は判事の分身で、英仏海峡のフェリーに彼女と乗りあわせ、事故に遭う。

 「ふたりのベロニカ」のような暗合を描こうとしたわけだが、二度目の奇跡は起こらなかった。

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*[01* 題 名<] マイ・ハート、マイ・ラブ
*[01* 原 題<] Playing by Heart
*[02* 製作年<] 1999
*[03*   国<] 米国
*[05* 監 督<] キャロル,ウィラード
*[08* 出 演<]ローランズ,ジーナ
*[09*    <]コネリー,ショーン
*[10*    <]ジョリー,アンジェリーナ
*[11*    <]バースティン,エレン
*[12*    <]ストウ,マデリーン

 ロスアンジェルスの11人の男女の愛をカットバックで並行して描いた作品。キャストがすごい。

 25年前の夫の浮気を蒸しかえして喧嘩する料理番組のスター(ローランズ)と、プロデューサーの夫(コネリー)。エイズで死の床にある息子(ジョイ・モーア)を看取りに来た母親(バースティン)。離婚経験のある女流演出家のメレディス(ジリアン・アンダーソン)は建築家のトレントに好意を抱くようになるが、愛に臆病になっていて、逃げ腰になる。奔放な女優の卵のジョーン(ジョリー)と、クラブで年下なのに落ちついているキーナン(ライアン・フィリップ)と知りあうが、いくら誘っても、彼はクールなままだ。夜な夜な酒場を飲み歩いては、ナンパした女性に嘘の身の上話をして同情を引こうとしているヒュー(クエイド)。夫はルームメイトと割り切り、愛人(アンソニ−・エドワ−ズ)とホテルで時間厳守の逢い引きをつづけるグレイシー(ストウ)。

 この11人のエピソードが交錯しながら描かれるのだが、3/4までは絶品。脚本がよくできていて、エピソードの切り替えと対照の妙が効いている。監督は新人らしいが、ショーン・コネリーのような大物をきちんと仕切っていて、余計な芝居をさせていない。抑制した繊細な演出はみごと。気品のある母親を演じたエレン・バースティンと跳ねっ返り娘を演じたアンジェリーナ・ジョリーは特にすばらしく、出番は多くないものの、二人の代表作といっていいだろう。

 だが、最後の30分がまずい。ストウとアンダーソンとジョリーが姉妹で、コネリーとローランズの娘。バースティンはコネリーの浮気相手で、クエイドはストウの夫という種明かしがあり、金婚式の場面に移るのだが、これがだらだらしていて、前半のカットバックのデリケートな妙技をぶちこわしている。残念。

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*[01* 題 名<] 五条霊戦記
*[02* 製作年<] 2000
*[03*   国<] 日本
*[05* 監 督<] 石井聰互
*[08* 出 演<]隆大介
*[09*    <]浅野忠信
*[10*    <]永瀬正敏
*[11*    <]岸部一徳
*[12*    <]國村準

 弁慶と牛若丸の五条の大橋の話を網野史観で解釈した作品。

 平家武者を襲って刀を千本集める願をかけているのは遮那王(浅野)の方で、弁慶(隆)は五条の鬼を退治するために、破門された叡山から鬼切丸という名刀を盗みだす。

 そこに刀鍛冶の鉄吉(永瀬)と、京の治安責任者の平忠度(岸部)がからみ、網野史観を絵に描いたような中世オカルト絵巻が展開される。

 チャンバラとしては物足りない面もあるが、SFXを含めて画面は国際レベルに達している(すくなくとも、日本の特撮ものにありがちの安っぽさはまぬがれている)。これだけの完成度なら、日本映画としては傑作といっていいのではないか。

 史実をくつがえす結末がついているが、妙にリアリティがあって、真相はこうだったんじゃないかという落ちつかない気分になった。『産霊山秘録』の「真説・本能寺」の読後感と似ている。

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November 2000

*[01* 題 名<] X-メン
*[01* 原 題<] X-Men
*[02* 製作年<] 2000
*[03*   国<] 米国
*[05* 監 督<] シンガー,ブライアン
*[05* 原 作<] リー,スタン
*[08* 出 演<]パキン,アンナ
*[09*    <]ジャックマン,ヒュー
*[10*    <]スチュワート,パトリック
*[11*    <]マッケラン,イアン
*[12*    <]ヤンセン,ファムケ

 アウシュビッツでユダヤ人の少年が家族と引きはなされる場面からはじまる。パニックに陥った少年は超能力を目覚めさせ、鉄の門扉をぐにゃぐにゃにしてしまう。この少年が成長して、悪玉ミュータントの首魁、マグニート(マッケラン)になるわけだ。

 舞台は現代のアメリカに移る。ミュータントは社会問題になっていて、排斥の急先鋒のケニー上院議員は超能力者登録法を議会に提出し、可決されそうな勢いである。

 恋人をミイラにしそうになったローグ(パキン)は、自分が相手の生命力を吸いとる能力をもったミュータントであることに悩み、家出をする。彼女は冬のカナダ国境で、拳から刃物が飛びだすウルヴァリン(ジャックマン)という男を見かける。ミュータントの仲間をはじめて見つけた彼女は、彼のトラックに無理やり同乗するが、そこへ悪玉ミュータントが襲ってきて、捕らえられそうになるが、間一髪、善玉ミュータントが助けに来て、エグゼビア(スチュアート)が主宰するニューヨークのミュータント学校に連れていく。

 超能力合戦をスタイリッシュな映像で描いている。政治的・精神世界的メッセージをまぶして高級感を出しているけれども、中味はアメコミである。憎悪にかられた悪玉は野獣系、人類との協調を説く善玉は自然力系の能力をわりあてていて、わかりやすい。

 クライマックスでは、エリスン島で開かれる国連総会に出席した世界200ヶ国の首脳をまとめてミュータントにしようというマグニートの計画を、善玉ミュータントたちが力を合わせて阻止しようとする。

 エンディングでは、プラスチック製の牢獄に収監されたマグニートと、エグゼビアがチェスをさしている。風格のある役者を両巨頭にすえたことで、高級感が増している。ウルヴァリン誕生の謎からすると、続篇ができるのだろう。

 予算をつぎこんだ高級B級映画で、出来はなかなかよい。

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*[01* 題 名<] ロッタちゃん はじめてのおつかい
*[01* 原 題<] LOTTA FLYTTAR HEMIFRAN
*[02* 製作年<] 1993
*[03*   国<] スウェーデン
*[05* 監 督<] ハルド,ヨハンナ
*[05* 原 作<] リンドグレーン,アストリッド
*[08* 出 演<]ハヴネショルド,グレネ

 スウェーデンのヴィンメルビーという田舎町に住む五才の女の子を主人公にした映画で、日本でも大ヒットした。

 続篇と二本立てだったので見たのだが、子供嫌いの人間が見る映画ではなかった。

 母親に怒られて、隣家のベルイ小母さんの家の物置に家出した話。もみの木が品薄でクリスマスツリーが買えず、兄と姉がべそをかいていたが、トラックが落としていったもみの木をロッタがひろってくる話。ギリシア人のお菓子屋が廃業することになり、ロッタはクリスマスのお菓子の売れ残りをたくさんもらってくる。父親はまたイースター・エッグが買いそこね、兄と姉はおかんむりだが、ロッタがクリスマスのお菓子を卵の代わりに庭に飾る話などなど。

 子供好きの人にはおもしろいのかもしれないが、理解不能。

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*[01* 題 名<] ロッタちゃんと赤いじてんしゃ
*[01* 原 題<] LOTTA PA BRA KMAKARGATAN
*[02* 製作年<] 1992
*[03*   国<] スウェーデン
*[05* 監 督<] ハルド,ヨハンナ
*[05* 原 作<] リンドグレーン,アストリッド
*[08* 出 演<]ハヴネショルド,グレネ

 「はじめてのおつかい」の方は一応のレベルに達していたが、こっちはひどい。

 日本では「おつかい」の方が先に公開されたが、製作はこちらが一年早い。「おつかい」は秋から春にかけてだったが、「じてんしゃ」はそれに先立つは春から夏にかけて。途中にロッタの誕生日がはさまり、ほしがっていた自転車を父親がプレゼントする。最後のエピソードは母方の祖父母の農場へ里帰り。

 退屈。時間を無駄にした。

*[01* 題 名<] オール・アバウト・マイ・マザー
*[01* 原 題<] All About My Mother
*[02* 製作年<] 1999
*[03*   国<] スペイン
*[05* 監 督<] アルモドヴァル,ペドロ
*[07* パンフ<]$1
*[08* 出 演<]ロス,セシリア
*[09*    <]パレデス,マリア
*[10*    <]クルス,ペネロペ
*[11*    <]サン・ファン,アントニア

 「ライブ・フレッシュ」でアルモドヴァルは騒々しいだけの監督から脱皮したが、この作品では巨匠の域に達している。驚いたことに、感動している自分に気がついた。色彩はあいかわらず派手だが、しみじみと人生を感じた。

 マヌエラ(ロス)は息子のエステバンと二人暮らしの移植コーディネーター。息子は彼女のことを尊敬していて、いつか小説に書くと言っている。

 18歳の誕生日の夜、母子つれだって「欲望という名の電車」を見にいくが、終演後、息子は主演のウマ・ロッホ(パレデス)のサインをもらうためにタクシーを追いかけ、自動車事故に遭う。彼は脳死におちいり、マヌエラは移植を承諾する破目になる。

 マヌエラは息子の死を元の夫に告げるために、バルセロナにおもむく。彼もエステバンという名前で、素人劇団で「欲望という名の電車」に共演した仲だったが、パリに働きにいっている間にゲイに目覚め、ロラと名乗って女装するようになる。妊娠したことを言わずに別れたので、彼は自分に息子がいて、18歳で死んだことを知らずに、今も体を売って暮らしているはずだった。

 マヌエラはゲイのたむろする郊外の空地に行く。ロラは見つからなかったが、親友のアグラード(サン・ファン)と再会し、ゲイの世話をしている修道女のシスター・ロサ(クルス)を紹介される。アグラードはロラに金を持ち逃げされ、一文なしだという。

 翌日、シスター・ロサから、ロラの子供を妊娠していると相談され、病院に付き添うが、ロサはエイズに感染していた。マヌエラはロサの面倒を見ることになる。

 ウマの「欲望という名の電車」がバルセロナに来ていたので、マヌエラは息子の写真にサインをもらおうと楽屋を訪ねるが、ウマはレスビアンの相手の若い女優に逃げられて、夜の街に探しに出ようとしているところだった。マヌエラは案内役を買って出るが、これが縁で、ウマの付き人になる。

 修道女のゲイとの恋愛、妊娠、エイズ感染、大女優のレスビアン、痴話喧嘩と、あいかわらずスキャンダラスだが、からかいで終わらず、人生の重さをとっぷり描けるようになったところに、アルモドヴァルの成熟がある。

 シスター・ロサは男の子を出産するが、産褥で死ぬ。葬儀の日、マヌエラはロラと再会し、エステバンが生まれ、18歳で死んだことを告げる。

 シスター・ロサの子供も遺言でエステバンと名づけられるが、エイズに感染していたために、マヌエラが世話をすることになる。ラストは一応のハッピーエンド。

 愛する人々のために、懸命に動きまわるマヌエラのやつれた表情が美しい。

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*[01* 題 名<] セクシリア
*[01* 原 題<] Sexilia
*[02* 製作年<] 1982
*[03*   国<] スペイン
*[05* 監 督<] アルモドヴァル,ペドロ
*[08* 出 演<]ロス,セシリア
*[09*    <]アリアス,イマノル
*[10*    <]リネ,エルガ
*[11*    <]ヴィヴァンコ,フェルナンド
*[12*    <]フェルナンデス=ムロ,マルタ

 アルモドヴァルの初期作品だが、日本公開は数年前だったと思う。以前、名画座で見たのだが、途中で眠ってしまった。「オール・アバウト・マイ・マザー」と二本立てだったので、あらためて見たが、目を開けているのに苦労した。主演は「オール・アバウト・マイ・マザー」と同じセシリア・ロスなのだが、彼女もふくめて、ちゃちで、安っぽい。

 人工授精の研究をしている医者の一人娘のセクシリア(ロス)が、父親のスポンサーであるアラブの亡命皇帝の息子のリュカと結ばれるまでのドタバタ劇で、リュカの筆おろしをした後妻の王妃とか、クリーニング屋の父親にレイプされている実の娘のケティとかがごちゃごちゃ出てくる。若き日のアントニオ・バンデラスまで顔を出していたらしい。

 ゲイ、近親相姦、スカトロジーのてんこ盛りであるが、枝葉末節の悪ふざけに終始。セシリア・ロスも単なる太めのお人形さんである。

 こういうゴミ映画から18年後、「オール・アバウト・マイ・マザー」のような傑作に到達したのだから、アルモドヴァルとロスはいい年のとり方をしたわけだ。

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*[01* 題 名<] グリーン・デスティニー
*[01* 原 題<] 臥虎蔵龍
*[02* 製作年<] 2000
*[03*   国<] 米国
*[05* 監 督<] リー,アン
*[05* 原 作<] 王度盧
*[08* 出 演<]チョウ,ユンファ
*[09*    <]ヨー,ミシェル
*[10*    <]チァン,ツィイー
*[11*    <]チャン,チェン
*[12*    <]チェン,ペイペイ

 ヨーヨーマの悠然たるチェロの調べではじまる。

 江南ののどかな田園をリ−ム−バイ[李慕白]が歩いていく。彼は武當山きっての武術の達人で、道ゆく人々はみな親しげに挨拶する。彼は女弟子のユー・シューリン[兪秀蓮]を訪れ、剣の道は捨てると告げ、名刀グリーン・デスティニー[青冥剣]を北京のティエ氏に届けるように託す。

 ユー・シューリンは父親の跡を継いで、女手一つで商売を切り盛りしている。荷駄の準備をしている中庭の壁際にはいろいろ武器がおいてある。北京に送る荷駄は彼女が率いていくから、武術は現実に必要なのだ。

 ディエ氏は北京に邸を構える武術界の大物で、政府高官とつきあいがある。後で大道芸人やごろつきのような武術家が出てくるが、流派の対抗意識、女弟子の不遇、秘伝をめぐる師弟の葛藤があったりで、荒野で修行する孤高の剣士などというきれいごとではない武術界の実態が垣間見える。

 ティエ氏と歓談していると、宮廷警護の責任者に就任したユイ[玉]長官が訪ねてくる。ユー・シューリンは長官の娘のイェン[玉嬌龍]と出会い、武侠小説のファンだという彼女にグリーン・デスティニーを見せる。イェンはゴウ家との縁組が決まっていて、ユー・シューリンのように武術家として自由に生きたいというが、ユー・シューリンは現実はそんなものではないと諭す。チャン・ツィイーのあでやかさ、ミシェル・ヨーの姉御ぶりが早くも火花を散らす。

 その夜、くの一姿でイェンがティエ邸に忍びこみ、グリーン・デスティニーを奪って逃げる。追うユー・シューリンと屋根の上で大立ち回り。昼とは別の花合戦で、最初から飛ばしている。

 お嬢様然としたイェンは10歳の時から家庭教師に秘かに武術を仕こまれていた。家庭教師はジェイド・フォックス[碧眼狐狸]と呼ばれる女剣士で、リ−ム−バイの師を殺して秘伝書を盗んだ因縁がある。

 ユイ長官の前任地の西域から、ジェイド・フォックスを追ってツアイ親子がやってくるが、西域から来たのは彼らだけではなかった。イェンを追って、ロー[羅小虎]が邸に忍んでくる。

 ローは山賊の頭目だった。沙漠でユイ長官の家族の行列を襲い、イェンの首飾を奪って引きあげるが、腕に覚えのあるイェンはローを追いかけ、逆に捕らえられてしまう。イェンは最初は反発するが、しだいにローに引かれていく。北京とはまったく違うイェンの野生的な美しさ(『赤いコーリャン』の鞏俐を思わせる)とあいまって、哀切なラブ・ストーリーは、この映画最大の見どころである。さすがアン・リーだ。

 イェンの婚礼の日、ローは行列を襲うが、失敗に終わり、リー・ムーバイとユー・シューリンに助けられる。イェンは婚家を抜けだし、グリーン・デスティニーを再び奪って、ローを探す旅に出る。

 イェンの素質を見こんだリー・ムーバイは、彼女を武術の正道にもどすために弟子にしようとするが、ジェイド・フォックスにはばまれる。

 リー・ムーバイは師匠の仇を報じるが、ジェイド・フォックスの放った毒針のために落命する。

 ラスト、武當山でイェンはローと再会し、願いをかなえるために、伝説に倣って、橋の上から身を投げる。

 予算をつぎこんだB級映画はよくあるけれども、この映画はそんな域をはるかに越えて、完全なA級作品になっている。武侠映画の最高傑作として、後世に残るだろう。

 原作を読みたいが、全四巻のうちの三巻目だそうで、翻訳は出そうにない。

DVDファイル
*[01* 題 名<] ニコラ
*[01* 原 題<] Nicola
*[02* 製作年<] 1999
*[03*   国<] フランス
*[05* 監 督<] ミレール,クロード
*[05* 原 作<] カレール,エマニュエル
*[08* 出 演<]ヴァン・デン・ベルグ,クレモン
*[09*    <]ナルカカン,ロックマン
*[10*    <]ロイ,フランソワ
*[11*    <]ヴェローヴェン,イヴ

 父親の運転する車。後部座席に神経質そうな少年、ニコラ(ヴァン・デン・ベルク)が乗っている。スキー教室に送っていくところだ。

 他の級友は教師と一緒にバスで行ったが、ニコラの父親は一週間前に起きたバス事故を理由に、自分の車で連れていくとごねた。父兄説明会には母親も出ていて、いっしょになって安全がどうのと言いはる。どこの国にも過保護の困った両親はいるものだ。

 山の中のスキー教室に着くが、医療器具セールスマンの父親はバッグを降ろすのを忘れて仕事に向かう。家に電話をしても、連絡がつかないという。

 最初の夜はいじめっ子のオドカン(ナルカカン)がパジャマを貸してくれる。ニコラはオドカンに父親は義足の見本を車のトランクに積んで、旅まわりをしていると話す。

 翌日、教師のパトリックがスキーウェアを買いに町に連れていく。パトリックは内向的なニコラに優しくしてくし、願いがかなう紐を手首に結んでやる。

 ニコラは空想癖があるだけでなく、物事を悪い方へ、悪い方へと考えてしまう。武装集団にスキー教室が襲われ、子供が皆殺しにされるとか、義足を見ようと父親の車のトランクを開けたオドカンが、父親に射殺されるといった妄想にふけっている。

 隣町で少年が誘拐され、いたずらされて死体で発見されるという事件が起こり、スキー教室にも警察が調べに来る。

 オドカンは父親が誘拐犯人だというニコラの妄想を警察に話す。警察はその話を真に受けて、ニコラの父親を逮捕する。教師はニコラにその事実を隠そうとするが、ニコラはTVニュースで、連行される父親の姿を見てしまう。

 完成度は高いが、陰々滅々。

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*[01* 題 名<] フェリシアの旅
*[01* 原 題<] Felicia's Journey
*[02* 製作年<] 1999
*[03*   国<] 英国
*[05* 監 督<] エゴヤン,アトム
*[05* 原 作<] トレヴァー,ウィリアム
*[08* 出 演<]ホスキンス,ボブ
*[09*    <]キャシディ,エレーン
*[10*    <]カーンジャン,アルシネ
*[11*    <]カランジュ,ニズワー
*[12*    <]レイド,セリア

 整理整頓のゆきとどいた台所。1950年代の料理番組のビデオを見ながら、エプロンをかけた中年の紳士が料理をしている。背広を脱いではいるが、チョッキもネクタイもつけたままだ。

 彼はヒルディッチ(ホスキンス)といって、バーミンガムの大工場の支配人である。温厚な人柄で、部下から慕われているが、独身のマザコン男であることがだんだんわかってくる。料理番組で愛敬をふりまくガラという講師は彼の母親で、撮影に使った大きな邸には今は彼しか住んでいない。

 彼は工場の入口を出たところで、フェリシアというアイルランド娘を見かける。彼女は妊娠していて、英国で働いている恋人を探しにきたのだが、芝刈り機の工場に勤めているということしかわからず、途方にくれている。村では英軍の兵士になったという噂が流れていて、実家を訪ねると、母親から追いかえされたことも、彼女を不安にしている。

 ヒルディッチはフェリシアに安い宿を教えてやるが、警戒心を持たれないように計算した接近の仕方が怪しい。

 翌朝、宿を出た彼女に声をかけ、妻の手術のために病院に行くところだが、途中、心当たりの工場があるから車で送っていこうと申しでる。妻うんぬんは嘘で、彼は家出少女に声をかけては殺しているシリアル・キラーで、少女との一部始終をビデオにとってコレクションしている。

 ここからはヒッチコック的展開で、邸に泊まったフェリシアにいつヒルディッチが本性を剥きだしにするか、はらはらさせてくれる。妻が死んだことにして、自宅にあるたけの花を届けさせたり、フェリシアの中絶手術を段取してやったり、しだいに鬱陶しくなっていく。

 前半の謎かけはうまいが、後半のサスペンスは苦しい。

 ヒロインが世間ずれしていないというか、ちょっと足りないくらいの純真な娘なのは、エゴヤン監督らしいけれども、背が高すぎるのではないか。

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*[01* 題 名<] スペース・カウボーイ
*[01* 原 題<] Space Cowboy
*[02* 製作年<] 2000
*[03*   国<] 米国
*[05* 監 督<] イーストウッド,クリント
*[08* 出 演<]イーストウッド,クリント
*[09*    <]ジョーンズ,トミー・リー
*[10*    <]サザランド,ドナルド
*[11*    <]ガーナー,ジェームズ
*[12*    <]ハーデン,マーシャ・デン

 スペースラブの誘導装置をぱくったロシアの通信衛星の故障を直すために、かつて宇宙を目指したロートル飛行士たちがスペース・シャトルで飛びたつという老人映画。

 前半は予告編や紹介そのままで、退屈したが、後半、通信衛星が実は軍事衛星で、六発の核ミサイルを内蔵しているとわかり、サスペンス映画らしくなる。

 トミー・リー・ジョーンズは女性にもてた上に、我が身を犠牲にして地球を救うというおいしい役。

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This page was created on Nov29 2000.
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