映画ファイル    December 2000

加藤弘一 2000年11月までの映画ファイル
2001年 1月からの映画ファイル
December 2000
「チャーリーズ・エンジェル」
「サン・ピエールの未亡人」
「タイタス」
「理想の結婚」
「オスカー・ワイルド」
「パリ、テキサス」
「ブエナビスタソシアルクラブ」
「17歳のカルテ」
「ぼくの国、パパの国」
「ワンダー・ボーイズ」
「レンブラントへの贈り物」
「諧謔三浪士」
「It」

December 2000

*[01* 題 名<] チャーリーズ・エンジェル
*[01* 原 題<] Charlies Angels
*[02* 製作年<] 2000
*[03*   国<] 米国
*[05* 監 督<] マックジー
*[08* 出 演<]ディアス,キャメロン
*[09*    <]バリモア,ドリュー
*[10*    <]リュー,ルーシー
*[11*    <]マーレー,ビル
*[12*    <]ロックウェル,サム

 そこそこおもしろかったが、予告編ほどではない。

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*[01* 題 名<] サン・ピエールの未亡人
*[01* 原 題<] La veuve de Saint-Pierre
*[02* 製作年<] 2000
*[03*   国<] フランス
*[05* 監 督<] ルコント,パトリス
*[08* 出 演<]ビノシュ,ジュリエット
*[09*    <]オートゥイユ,ダニエル
*[10*    <]クストリッツア,エミール
*[11*    <]デュショスワ,ミシェル
*[12*    <]ラスコー,カトリーヌ

 ルコントらしからぬ格調高い歴史劇。「髪結いの亭主」とならぶ彼の代表作として残るだろう。

 冷え冷えとした窓越しの光を浴びて、喪服のジュリエット・ビノシュが壁にもたれている。感情をそぎ落としたような張りつめた表情は近寄りがたくさえある。

 第二共和政末期、カナダ沖のサン・ピエール島。タラ漁だけの辺境の島だ。

 難破してボートで漂流しているところを漁船に助けられたニール(クストリッツア)とオリヴィエは、その船で働くことになる。ある夜、酔った二人は船長ががたいが大きいだけか、それとも中味の詰まったデブかで議論になる。深夜、家を訪ねるが、船長にどなられ、はずみで殺してしまう。

 刺したニールは死刑、共犯者のオリヴィエは懲役だったが、裁判所から刑務所代わりの兵営に連行される途中、民衆に石をぶつけられて死ぬ。

 クストリッツアの凶暴ですさんだ悪相はリアリティがある。有名な俳優ではこういう迫力は出ない。ユーゴ紛争をくぐってきたせいなのか。

 ギロチンが届くまで死刑を執行できない(!)ので、ニールは駐屯部隊のジャン隊長(オートゥイユ)の責任で管理することになる。

 ジャン隊長の妻、ポーリーヌ(ビノシュ)はマダム・ラと呼ばれ、みんなから敬愛されているが、彼女はニールに温室の世話を手伝わせる。

 ニールが落ちついてくると、マダム・ラは読み書きを教え、慈善活動の手伝いもさせる。氷結した海の上をニールの引くソリに乗って、マダム・ラは貧乏人の地区を訪れるようになる。

 おとなしく働くニールは島民に愛されるようになる。酒場の建物を移動させる途中、事故で建物が斜面をすべり落ちていくのを、生命を張って止め、おかみを助ける。ニールは島中の人気者になり、死刑反対の気運が高まるが、その間にも、マルチニックからギロチンを載せた船が近づいてくる。地味な映画だが、この部分の静かなサスペンスは特筆したい。

 総督ら島の支配層はニール人気に危機感を覚えるようになり、マダム・ラとジャン隊長はブルジョワの間で孤立する。

 ついに船が着くが、ジャン隊長は妻の気持ちをくみ、ギロチンの陸揚に軍のボートを使うことを拒否する。総督は破格の条件で人夫を募集するが、貧しい島民も応じようとせず、総督は頭をかかえる。

 その時、ニールはみずから人夫に志願する。生まれてくる自分の子供に金を残してやりたいというのだ。ニールが志願したことで、島民は次々と応募し、ギロチンが陸揚げされる。

 死刑執行人がいなければ執行できないという一縷の望みも、ギロチンと同じ船でやってきた子持ちの移住者を半ば脅して、承知させ、いよいよニールの死刑が執行されようとする。

 慫慂として死刑を受けいれるニールの表情は崇高である。クストリッツアは悪人面でも、インテリだったのだと再認識。

 この後、本当の悲劇が起こり、冒頭のビノシュの喪服の理由が明らかになる。

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*[01* 題 名<] タイタス
*[01* 原 題<] Titus
*[02* 製作年<] 2000
*[03*   国<] 米国
*[05* 監 督<] テイモア,ジュリー
*[05* 原 作<] シェイクスピア
*[08* 出 演<]ホプキンス,アンソニー
*[09*    <]ラング,ジェシカ
*[10*    <]カミング,アラン
*[11*    <]フレイザー,ローラ
*[12*    <]レニックス,ハリー

 「ライオン・キング」で一躍名を上げた女流演出家、ジュリー・テイモアの初の監督作品。マンネリズムぎりぎりのところを才気で疾走していて、ソンタグの「ファシズムの美学」というエッセイを思いだした。

 台所で男の子がプラスチックの人形で戦争ごっこをはじめる場面からはじまる。人形は遺跡から出土した人形のようにメイクした本物の兵士になる。コロシアムを埋めた兵士の人形ぶりの動きが人間の動きに変わっていき、ゴート族を撃破したタイタス(ホプキンス)の凱旋式につづく。

 タイタスはゴート族の女王、タモラ(ラング)とその三人の息子を捕らえていて、戦死した息子たちの供養のために、タモラの長男を生贄にする。命ごいが聞きいれられなかったタモラは復讐を誓う。

 おりから皇帝の後継者問題が起こり、皇太子サターナイナス(カミング)とその弟で、タイタスの娘ラヴィニア(フレイザー)と婚約しているバシアナス(フレイン)の両派の抗争がはじまっている。タイタスを皇帝に擁立する動きもある。

 軍をにぎっているタイタスは皇太子に忠誠を誓い、異論を唱えた息子を自らの手で殺す。即位したサターナイナスはたちまち卑劣な本性をさらけだし、弟の婚約者、ラヴィニアを奪ったので、タイタスの息子たちは父親に背き、姿をくらまして、反皇帝運動をはじめる。

 タモラは色仕掛けで新帝をたらしこみ、タイタスを迫害する。タモラの生き残った二人の息子はラヴィニアを荒野でレイプし、両手を切り落として、舌を抜く。口もとから血を流し、切断された手首に枯枝を突きさされてすラヴィニアが白茶けたヒースの野に立ちすくむ姿は悲しくもエロチックである。

 息子たちもバシアナス殺しの冤罪で処刑されたタイタスは報復を決意し、タモラの息子たちを殺して、その肉を宴席だして、タモラ自身に食べさせる。

 陰惨な話がこれでもか、これでもかとつづくが、引き締まった硬質の映像によって、陰々滅々におちいらずにすんでいる。ただし、精神の崇高性にまでいかないところが残念。いかにも一癖ありげなアンソニー・ホプキンスを高潔であるべきタイタスに選んだのが最大の計算違いだったのではないか。

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*[01* 題 名<] 理想の結婚
*[01* 原 題<] An ideal husband
*[02* 製作年<] 1999
*[03*   国<] 英国
*[05* 監 督<] パーカー,オリヴァー
*[05* 原 作<] ワイルド,オスカー
*[08* 出 演<]ブランシェット,ケイト
*[09*    <]エヴェレット,ルパート
*[10*    <]ノーザム,ジェレミー
*[11*    <]ムーア,ジュリアン
*[12*    <]ドライバー,ミニー

 1890年代のロンドン。ゴージャスな夜会では若き政界のホープ、ロバート・チルターン卿(ノーザム)と妻のガートルード(ブランシェット)が注目の的だ。オーストリア貴族と結婚して、未亡人になったチーヴリー夫人(ムーア)があらわれると、淑女の間でひそひそ話がかわされる。過去にいわくがあるらしい。

 チーヴリー夫人はロバートを別室に誘い、彼が外務次官として調査している運河計画について質問する。橋にも棒にもかからないいかさまだと答えると、夫人は議会ではすばらしい計画だと報告してくれないかと持ちかける。彼女は亡夫の遺産を運河計画につぎこんでいたのだ。夫人はロバートの出世の糸口となった汚職の証拠となる書簡をもっていると脅迫する。

 ロバートは親友で独身の貴族、アーサー・ゴーリング卿(エヴェレット)に苦境を打ちあける。彼は首相秘書官時代、ある情報を政商に提供し、見返りに多額の現金をえていて、それを元手に今日の地位を築いたのだ。それを暴かれたら、政治家として失脚するだけでなく、潔癖な妻の信頼を失うことになる。

 アーサーはガートルードに結婚を申しこもうと思ったことがあるほど親密な仲で、今でも彼女に思いを寄せているが、親友のために一肌脱ぐことにする。ガートルードの方も夫の態度に不審をいだき、アーサーに相談にゆくからと手紙を出す。

 アーサーは一計を案じ、ガートルードが来邸する時間に、ロバートを呼ぶ。書斎の次の間にガートルードを待たせておき、書斎での会話を聞かせて、仲直りさせようというわけだ。

 この計画は思わぬことで齟齬をきたし、アーサーはロバートとガートルード双方を裏切る結果となる。危機におちいったロバートは議会でどんな演説をするか、ガートルードは夫を許すのか……

 ウェルメイドプレイなどといったら失礼になるくらいよくできた喜劇で、マリヴォーの機知とシェークスピアの豊かさをあわせもっている。カトリックの視点からプロテスタントの潔癖さをからかっているようでもある。

 キャスティングがすごい。適材適所というか、これ以上の配役は考えられない。

 ガートルードは優等生的で、はっきりいって嫌な女なのだが、ブランシェットは実に愛らしく演じた。潔癖な彼女がクライマックスで嘘をつかなければならなくなった時の困った表情は、食べてしまいたいくらいかわいい!

 エヴェレットのアーサーもすばらしい。脳天気な貴族のおぼっちゃまなのだが、超絶的に人がよく、趣味は芸術のレベルに達するくらい洗練されている。父親から結婚をせっつかれているという設定は笑わせる。脳天気と繊細さの共存をこの俳優が演じると、説得力がある。ピーター・ヴォーンの執事も適役。

 ジュリアン・ムーアはうまいのは認めるが、クセのある嫌いな女優で、チーヴリー夫人はまさに適役。

 ロバートの妹で、アーサーと結ばれることになるメイベルのミニー・ドライバーもいい。ぴりぴりした人物ばかりなので、出すぎず、賢そうな彼女がでんといることで、映画に奥行が出た。

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*[01* 題 名<] パリ、テキサス
*[01* 原 題<] Paris, Texas
*[02* 製作年<] 1984
*[03*   国<] ドイツ
*[05* 監 督<] ヴェンダース,ヴィム
*[08* 出 演<]スタントン,ハリー・ディーン
*[09*    <]キンスキー,ナスターシャ
*[10*    <]ストックウェル,ディーン
*[11*    <]クレマン,オーロール
*[12*    <]カースン,ハンター

 十年くらい前までは名画座によくかかり、何度も見たものだった。謎めいた映画で、見れば見るほど引きこまれたのである。久しぶりに見て、謎の招待がわかった気がした。父親の欲望を息子たちが反復するという単純な構造だったのである。

 父親は母親とテキサスのパリで出会い、トラヴィスができる。父親は友達に母親をパリで知りあった女だと紹介し、自分でも彼女をだんだんパリの女だと思いこむようになり、理想化したイメージでしか見なくなる。ここにずれが生まれる。「パリ」と「テキサス」という言葉のずれから、すべてがはじまっていた。

 弟がフランス人を妻にしたのは、父親のずれの現実化である。パリの女と本当に結婚してしまったわけだ。

 トラヴィスとジェーンははじめからずれた関係を宿命づけられている。年が離れた若妻に対するトラヴィスの嫉妬と疑惑。子供を産まされて自由を奪われたというジェーンの怒り。

 マジックミラーを介した会話。トラヴィスはここでも客の男たちに対する嫉妬からはじめざるをえない。

 マジックミラーを隔てているのに、内心を打ち明ける時にはお互い、後ろを向く。

 ジェーンは空想の中でトラヴィスと会話していたと語る。キー・ホール・クラブに来てからは、客がみんなトラヴィスの声をもっていたと語る。鏡像にむかっての語りかけ。

 まったくラカン的な話だった。ラカン的とわかっても、映像の存在感は圧倒的だ。謎は解消しない。

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*[01* 題 名<] 17歳のカルテ
*[01* 原 題<] Girl, interrupted
*[02* 製作年<] 1999
*[03*   国<] 米国
*[05* 監 督<] マンゴールド,ジェームズ
*[05* 原 作<] ケイセン,スザンナ
*[08* 出 演<]ライダー,ウィノナ
*[09*    <]ジョリー,アンジェリーナ
*[10*    <]ゴールドバーグ,ウーピー
*[11*    <]レッドグレーブ,ヴァネッサ
*[12*    <]モス,エリザベス

 金網を張った地下室の通風口からカメラがなめおろしていくと、スザンナ(ライダー)とその女友達。絶望したいたたまれない表情。

 救急車で病院に担ぎこまれ、迅速に胃洗浄の応急措置がとられていく。その間に精神科医の問診や卒業式、大学進学をやめた経緯がカットバックされる。両親は高名な経済学者で、友人たちはみな有名大学に進学するスザンナは指に骨がないから(実際はある)、ウォッカと精神安定剤を飲んだと釈明をする。致知の友人である医師はクレイムア病院に入院するよう彼女に言いわたす。

 スザンナは医師にイエローキャブに乗せられ、一人でクレイムア病院に送りだされる。クレイムアでは看護婦のヴァレリー(ゴールドバーグ)が待ちかまえていて、病棟内を案内するが、痩せこけて、バレーの姿勢のまま固まって立つ少女、顔にケロイドのあるポリー(モス)、部屋に立入禁止の札を下げ、ローストチキンの食べかすを貯めているデイジー(マーフィー)、虚言症でルームメイトのジョージーナ(デュヴァル)。寝ている間も看護婦が見まわりに来くるし、食前にわたされた薬を本当に飲んだかどうか口を開けさせられる。スザンナはとんでもないところへ来てしまった、自分は気違いじゃないのにという顔。

 暗く、重苦しく、これで二時間はつらいなと思ったが、脱走して連れもどされたリサ(ジョリー)が登場すると、がらりと変わる。リサは生気にあふれ、反抗的で、みんなのリーダーで、病棟を一挙に活気づける。深夜、病棟を抜けだして、閉鎖されたボーリング室でパーティーを開く。大はしゃぎして、院長室に忍びこみ、自分たちのカルテを盗み読む。スザンナのカルテには境界性人格障害と書いてあった。

 リサの反抗がひどくなり、管理側と衝突する。リサはマクマーフィー、ヴァレリーはラチェット看護婦かと思っていると、映画は別の方向に進む。リサとスザンナは部屋に閉じこもったポリーを慰めるために、当直看護婦に睡眠薬を飲ませ、一晩中、扉の前で歌っていたことが発覚する。

 ヴァレリー看護婦はスザンナを叱るが、スザンナはスラムで生まれ、夜学でやっと資格をとった成り上がり者と汚い言葉を浴びせる。しかし、優等生が無理をして反抗しているのが透けて見えて、なんとも痛々しい。

 リサは別の病棟に移され、電気ショック療法で記憶がおかしくなるが、抜けだしてきて、スザンナを連れて脱走してしまう。

 二人は治癒を装って退院して一人で暮らしているデイジーの部屋に転がりこむ。リサはデイジーが治ってなどいないこと、父親と近親相姦していて、罪の意識にさいなまれていることを容赦なくあばきたてる。翌朝、Sweet Worldをオートリピートで流した部屋で、デイジーは首をつって自殺していた。リサはテキサスに逃げるが、スザンナは現場に残り、病院にもどる。

 スザンナはウィック博士(レッドグレーブだが、ちゃんと女医に見える)のカウンセリングを受けるようになり、順調に回復する。退院が決まった頃、リサが警察に連れもどされて来る。

 退院前夜、ふと目ざめると、ジョージーナがいない。彼女を探していると、スザンナはボーリング室で見つける。ジョージーナーはリサたちと四人で、スザンナの日記を読みあげているところだった。リサは治ったら、今度はわたしたちを裁く側にまわるのかとなじる。スザンナは違うと必死に説明する。

 「カッコーの巣の上で」との違いを感じた。どちらも1960年代の精神病院を舞台にしているが、「カッコー」が作られたのは造反有理の時代だった。スザンナとリサは治療される必要はなかったはずだし、現在なら、入院させられることはなかったろうが、スザンナは病棟の少女たちを仲間と思うようになり、入院生活には意味があったと考えるまでになる。リサのきらきらした行動を全面的には肯定していないのだ。

 精神医学を「正常」を押しつけるマインドコントロールと批判する時代は終わったというわけだろうか。

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*[01* 題 名<] ぼくの国、パパの国
*[01* 原 題<] East is east
*[02* 製作年<] 1999
*[03*   国<] 英国
*[05* 監 督<] オドネル,ダミアン
*[05* 原 作<] カーン=ディン,アユーブ
*[08* 出 演<]プリー,オーム
*[09*    <]バセット,リンダ
*[10*    <]ルートリッジ,ジョーダン
*[11*    <]ミストリー,ジミー
*[12*    <]パンジャビ,アーチー

 突然、試写会の案内をもらって見た映画だが、すごくおもしろかった。もとは舞台劇だそうだが、舞台劇から作った映画につきものの密室感はまったくない。

 印パ紛争の勃発した1971年当時、マンチェスター近郊のソルフォードで、フライ&チップスの店を営んでいたパキスタン人一家のてんやわんやを描いたコメディである。父親のジョージ・カーン氏は第二次大戦直後に移民してきて、イギリス人のエラと結婚し、六男一女が生まれた。

 父親は子供を立派な立派なイスラム教徒に育てようとしたが、四男以外は英国風の考え方に同化していて、カトリックの精霊降誕祭には父親の目を盗んでマリア像をかついで行列にくわわり、家ではこっそりベーコンに舌鼓をうつ始末(味の素騒動からすると、とんでもないタブー破りなのだろう)。

 父親はパキスタンの伝統にしたがい、親同士の話しあいで長男ナジルの嫁を決める。結婚式当日、父親は櫃から金色まばゆいパキスタンの伝統衣装とアラビア文字で名前を彫りこんだ腕時計をとりだし、うれしそうに仕度してやるが、ナジルは浮かぬ顔。はたして式の途中でモスクから逃げてしまう。

 面子をつぶされた父親はナジルは死んだものと思えと家族に言いわたし、次男と三男にパキスタン人としてふさわしい結婚をさせようとひそかに画策しはじめる。

 それがばれて、壮烈な家庭内文化紛争が勃発するのだが、父親と子供たちが、互いに大切に思いあっているにもかかわらず、すれ違う泣き笑いを情感たっぷりに描いていて、最初から最後まで笑いどおしだった(後で考えると危ないギャグだらけだったかもしれない)。

 この映画は父親と子供たちのカルチャーギャップが軸だが、裏から支えているものが二つある。

 一つは父親と母親の絆。子供たちは口々に父親を罵るが、母親は「あの人はわたしの夫なのよ」と一喝する。この母親がいるから、安心して親子喧嘩ができるのだ。

 もう一つは、大英帝国の余映だろうか、町のふところの深さである。冒頭の聖霊降誕祭の行列がユーモラスに語っているように、この町はパキスタン人一家をこともなげに受けいれている。排他的な爺さんもいないわけではないが、その孫は末弟のサジの親友で、サジの姉のミーナにあこがれている。密室感をまぬがれているのは、町の表情をたっぷり描いたからではないか。

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*[01* 題 名<] 諧謔三浪士
*[02* 製作年<] 1930
*[03*   国<] 日本
*[05* 監 督<] 稲垣浩
*[08* 出 演<]片岡千恵蔵
*[09*    <]尾上桃華
*[10*    <]瀬川路三郎
*[11*    <]実川延一郎
*[12*    <]松下猛男

 紀伊国屋無声映画鑑賞会での上映。弁士澤登翠。音楽は実演。

 あばら家につんつるてんの布団をかけて、三人の浪人が朝寝している。三好清十郎(片岡)は二枚目、酒飲みの佐久良勘兵衛(瀬川)、わざとらしい口髭がユーモラスな国枝半四郎(尾上)。障子の破れ目から朝日が射しこむ情景ののどかなこと。

 お金がないので、川に釣りにいくが、さっぱり連れず、向こう岸に洗濯に来た娘の洗濯物を針にひっかけるくらい。そこで、道場破りをやって小遣い稼ぎ。

 花見に出かけ、茶店で一服していると、六法阿弥陀組という坊主の集団がぞろぞろあらわれ、乱暴狼藉。三浪士は見かねて、大立ち回り。

 その頃、江戸の街には贋金が横行。三浪士は贋金作りの本拠の屋敷に乗りこむが、幕府転覆をたくらむ大陰謀がからんでいて、六法阿弥陀組までくわわっていた。そこでまた、大立ち回り。

 フェアバンクスの「三銃士」にヒントを受けたそうだが、ここまで単純明解な娯楽作品は今の時代では作れないだろう。

*[01* 題 名<] It
*[01* 原 題<] It
*[02* 製作年<] 1927
*[03*   国<] 米国
*[05* 監 督<] バッジャー,クラレンス
*[05* 原 作<] グリン,エリノア
*[08* 出 演<]ボウ,クララ
*[09*    <]モレノ,アントニオ
*[10*    <]オースティン,ウィリアム
*[11*    <]ボナー,プリシラ
*[12*    <]ガズドン,ジャクリーン

 紀伊国屋無声映画鑑賞会での上映。弁士澤登翠。音楽は実演。

 ワルサム百貨店に若社長のサイラス(モレノ)が初出勤する。店の売り子たちはサイラスの噂で持ちきり。モダンガールのベティ・ルウ(ボウ)はサイラスを落としてみせると、仲間たちに大見えを切る。

 社長室でサイラスが幹部と打ち合わせしていると、悪友のモンティー(オースティン)がひやかしに来て、エリノア・グリンのベストセラー『It』の受け売りをし、売り子の中にit(今でいうフェロモン?)をもった子がいるかどうか調べてやると言いだす。彼は売場のベティに目をとめ、一目惚れする。

 モンティーは退社するベティに声をかけ、車で家まで送ろうと申しでるが、ベティはわたしの車に乗るなら、送らせてあげるという。ベティの車とは二階建の乗合バスで、モンティーは目を白黒させながら、バス初体験をする。モンティーからサイラスが婚約者とホテルに食事にいくと聞いたベティは、夕食に連れていってほしいとねだる。

 モンティーとホテルのレストランに乗りこんで、サイラスと婚約者、アデラ(ガズドン)のテーブルに割りこむ。モンティーはまたIt談義を蒸し返すが、そこへ原作者のエリノア・グリン自身が登場し、ご高説を垂れる。本人が脚色したそうだが、役得か。

 翌日、客とトラブルを起こしたベティは社長室に呼ばれるが、サイラスはベティとの再開に驚き、しだいに引かれていく。コニーアイランドではしゃぐ場面は輝いている。

 好事魔多し。ベティのところには、親友で乳飲み子をかかえたモリー(ボナー)が転がりこんでいた。赤ん坊を施設に引きとろうと訪問した市の福祉委員に、ベティは自分の子だとタンカを切る。それを新聞記者(グレゴリー・ペック!)とモンティーに見られ、未婚の母と誤解されて、百貨店も辞める破目に。

 サイラスも誤解しているとモンティーから聞かされたベティは腹をたて、結婚を申しこませてやると宣言。

 原因を作ったモンティーに協力を約束させ、サイラスのヨットに強引に同乗する。アデラと張りあって、Itガールの本領を発揮。たちまち船中の注目を集め、アデラが海に落ちると、まっさきに救助に飛びこむ。サイラスは後から飛びこみ、アデラを救命ボートまで運び、ベティと錨によじ登ってキス。めでたし、めでたし。

 他愛のない話だが、現代の作品にはない明るさと無邪気さは感動的。大恐慌二年前の製作だが、脳天気だった頃のアメリカの幸福感が缶詰にされて保存されていた。リメイクしたらぶちこわしだろう。

Copyright 2001 Kato Koiti
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