映画ファイル   July - September 2000

加藤弘一
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2000年10月からの映画ファイル

July 2000

*[01* 題 名<] 年下の人
*[01* 原 題<] Les enfants du siècle
*[02* 製作年<] 1999
*[03*   国<] フランス
*[05* 監 督<] キュリス,ディアーヌ
*[08* 出 演<]ビノシュ,ジュリエット
*[09*    <]マジメル,ブノワ
*[10*    <]ディオニジ,ステファノ
*[11*    <]ルヌッチ,ロバン
*[12*    <]ヴィアール,カリン

 ジョルジュ・サンドとミュッセの恋愛を描いた重厚な歴史ロマン。出会った時、二人とも文壇デビュー直後であり、その恋はどちらにとっても若い日の一挿話にすぎなかったのだが、この映画は三年間の灼けつくような日々にしぼって描いているので、サンドを失ったミュッセが夭折したかのような錯覚を生みだしている(実際は別れた後、20年以上生きている)。

 タイトルバックに印刷所で職人が活字を組む様子が映しだされる。組みあがって、紙にプレスすると、ミュッセの『世紀児の告白』である。活字の重量感と、微細な凹凸のある紙の質感がみごとに出ている。

 本篇はサンドがベッドで『世紀児の告白』を読んで、不満をもらすところからはじまる。場面は四年前にさかのぼり、結婚生活に行きづまったサンドは二人の子供を連れて故郷のノアンを去り、七月革命の余韻のさめやらぬ騒然としたパリに出てくる。サンドは男装して、たちまち文壇の寵児になり、新進小説家のミュッセと恋に落ちる。

 ヴェネツィアでもミュッセの放蕩はやまず、病気で寝ているサンドをほったらかして、娼婦を買いに出ていってしまう。

 回復したサンドは生活費を稼ぐために原稿執筆に明け暮れるが、ミュッセは売春宿を泊まり歩き、サンドを治療したパジェロ医師に阿片をねだって、阿片中毒になっていく。そして、ついに酒と阿片で錯乱におちいり、生死の境をさまようようになる。サンドは献身的に看病するが、異郷で支えになってくれるパジェロ医師との間で心が揺れる。破局にいたるまでのドロドロした経緯を描いていて、満腹という感じ。

 油彩画のようなこってりした色彩で描かれるヴェネツィアの場面が圧巻だが、パリの場面も両世界評論社やサント=ブーヴが登場して、親近感をおぼえた。

*[01* 題 名<] ラスト・ハーレム
*[01* 原 題<] Harem Suare
*[02* 製作年<] 1999
*[03*   国<] トルコ
*[05* 監 督<] オズペテク,フェルザン
*[08* 出 演<]ジラン,マリー
*[09*    <]デスカス,アレックス
*[10*    <]ゴリノ,ヴァレリア
*[11*    <]ボーウェン,マリック
*[12*    <]ユルマズ,セルラ

 トルコ語とフランス語とイタリア語がいりまじった映画。ハーレムでは実際にフランス語が使われていて、西欧から買ってきた娘もいたという。東欧からキリスト教徒の娘を集めてハーレムにいれたので、スルタンは人種的にはトルコ人ではなくなっていたという話は読んだことがあるが。

 イタリア娘、サフィエ(ジラン)が宦官のナディール(デスカス)の助けで、スルタンの寵愛をえて、ついに男児を設けるが、周囲の嫉妬をかい、赤ん坊は毒殺されてしまう。失意のサフィエはナディールを愛するようになる。

 その直後、トルコで革命が起こり、スルタンは宮殿に軟禁される。スルタンの特権は終生残す約束だったが、共和国政府はスルタンを追放し、ハーレムの女たちも「解放」する。

 「解放」されても、大半の寵姫と侍女は帰る家がなく、宮殿前で凍えながら、野宿するしかない。サフィエは見世物の一座にひろわれ、イタリア各地をハーレム・ショーで巡業する。

 という話を、ややこしい入れ子構造で語る。

 どうややこしいかというと、革命軍が迫る宮殿で、サフィエの侍女が寵姫たちに、ハーレムにはじめてやってきた女と、ハーレムを去る老女が駅のカフェで出会い、老女がハーレムの生活を語って聞かせるという物語を披露する。老女の語る話がサフィエの一代記で、実は彼女はサフィエ自身だったことがわかる。

 ハーレムが迷宮であることを暗示したかったのだろうが、この入れ子構造は成功していない。話がごたごたしすぎていて、サフィエとナディールの禁断の愛がぼやけてしまった。

 実際の後宮を使って撮影したというが、狭くて、古くて、煤けていて、陰々滅々。重苦しい圧迫感は本物のリアリティかもしれない。

 ポルノと勘違いしたとおぼしい爺さんが、途中、次々と席を立っていった。

*[01* 題 名<] ザ・ハリケーン
*[01* 原 題<] The Hurricane
*[02* 製作年<] 1999
*[03*   国<] 米国
*[05* 監 督<] ジュイソン,ノーマン
*[08* 出 演<]ワシントン,デンゼル
*[09*    <]シャノン,ヴィセラス
*[10*    <]アンガー,デボラ・カーラ
*[11*    <]ヘダヤ,ダン
*[12*    <]モーガン,デビ

 男二人、女一人のカナダ人ボランティアに引きとられ、トロントに移住した黒人少年、レズラが、古本市で生まれてはじめて本を買う。『ザ・シックスティーンス・ラウンド』という題で、元ウェルター級チャンピオン、ルービン・カーターの自伝だった。本に感動したレズラはカーターに手紙を書き、文通をはじめ、刑務所に面会にいく。

 カーターは獄中で勉強して冤罪を訴えた本を書き、ボブ・ディランをはじめとする文化人の支援で再審を請求してきたが、ことごとく退けられ、失意の底にいたが、レズラの手紙に励まされ、もう一度、裁判で闘おうと決意する。レズラの親代わりになっている三人もカーター支援に本腰になり、刑務所のあるニュージャージーに引っ越し、事件を一貫して担当してきた弁護士に協力して、証拠の洗い直しをはじめる。

 現在(1985年前後)の話の中に事件のあった20年前(1966年)と、獄中闘争のエピソードが入れ子になるが、脚本と演出が完璧なので、すらっと頭にはいる。デンゼル・ワシントンだから、うまいのはあたり前なのだが、ちゃんとボクサー体型になり、試合のシーンもみごとにこなしている。

 刑務所にはいってからは支給の囚人服を拒否して、真っ暗な独房に一ヶ月監禁される。いったん出されるが、あくまで囚人服を拒否するので、見かねた看守が医務室のパジャマという妥協案を出す。カーターはこの看守だけは信頼する。「ショーシャンクの空に」の刑務所と同じで、基本的に独房だが、昼間は出入り自由で、近くの服役囚と自由に話ができるようになっている。哲学者のようなアフリカ人の老人がいて、含蓄のあることを言う。

 1976年の再審時に検事局側の私立探偵が集めた資料が見つかると、カーター自身の強い希望で、いきなり巡回連邦裁判所に証拠請求するという賭にでる。1985年8月、連邦裁判所サロキン判事は歴史的な無罪判決を言いわたし、カーターは釈放される。

 カーターを子供時代から執拗に追い回し、冤罪事件でも証拠のでっち上げ、証人の脅迫と殺害をしでかすしつこい刑事(ダン・ヘダヤ)がいるが、実際はどうだったのか。

*[01* 題 名<] スリーキングス
*[01* 原 題<] Three Kings
*[02* 製作年<] 1999
*[03*   国<] 米国
*[05* 監 督<] ラッセル,デイビッド
*[08* 出 演<]クルーニー,ジョージ
*[09*    <]キューブ,アイス
*[10*    <]ウォールバーグ,マーク
*[11*    <]ジョーンズ,スパイク
*[12*    <]カーティス,クリフ

 湾岸戦争停戦後、特殊部隊のゲイツ少佐(クルーニー)は、イラク軍が略奪した金の延棒の隠し場所の地図を投降兵士から入手する。数時間でいける距離だったので、退役後の生活を心配する三人の部下とかたらい、装甲車とトラックで横取りに出かける。

 延棒を隠した陣地は反フセイン派の村にあった。アメリカはイラク内の反体制活動を煽ってきたが、停戦後はあっさり切り捨てた。住民はアメリカ軍の正規の作戦で来たと勘違いして勢いづき、イラク軍の増援と一触即発の事態に直面する。

 催涙ガスが立ちこめる中、地雷原に追いこまれ、装甲車もトラックも破壊され、ゲリラの手引で地下のアジトに逃げこむ。ゲリラ側はゲイツたちが金の延棒を盗みに来たと見透かし、延棒の運搬を助ける代わりに、反フセイン派住民にイラン国境を無事越えさせるという取引をもちかける。ゲイツはのまざるをえない。

 ラストではゲイツたちは延棒をアメリカ軍に引きわたす代わりに、住民たちをイランに亡命させ、自分たちも名誉除隊するという曖昧なハッピーエンド。

 アメリカ軍の迷彩服が水戸黄門の印籠のような威光をもっていたり、イラク軍がラジカセやブランドもののバッグのようなつまらないものまでクウェートから略奪していたりするあたりは、いかにもありそうな話だ。延棒は重いので、ヴィトンのバッグでしか運べないというのも笑わせる。

*[01* 題 名<] アメリカの災難
*[01* 原 題<] 
*[02* 製作年<] 1996
*[03*   国<] 米国
*[05* 監 督<] ラッセル,デイビッド
*[08* 出 演<]スティラー,ベン
*[09*    <]アークエット,パトリシア

 ユダヤ人の養父母になに不自由なく育てられ、結婚した男が、子供が生まれたのをきっかけにルーツ探しをはじめるというコメディ。養子協会は成人してから実の親と対面した心理的影響を調べるために、研究者の同行を条件に情報を提供し、旅費まで負担する。

 妻と乳母車に乗せた男の子、養子協会の女性研究者の四人組で出かけるが、協会側のたび重なるミスで、フロリダからカリフォルニアまで、アメリカ大陸を右往左往。途中、妻(アークエット)の高校時代のボーイフレンドだった麻薬捜査官が、仕事の相棒(ゲイの恋人)とともに合流する。

 最後に人里はなれた一軒家で暮らしている芸術家風の実の両親と弟に会えるが、彫刻家というのは嘘で、LSD密造で稼いでいる犯罪一家だった。彼らは60年代ヒッピーの生き残りで、主人公を出産直後、麻薬密売で服役したために養子に出したことがわかる。

 次から次へと騒動を引きおこす主人公を、「しょうがないわねえ」と見守る妻の存在感が、ドタバタ劇を引き締めている。

*[01* 題 名<] ビフォア・ザ・レイン
*[01* 原 題<] Before the Rain
*[02* 製作年<] 1994
*[03*   国<] マケドニア
*[05* 監 督<] マンチェフスキー,ミルチョ
*[08* 出 演<]コラン,グレゴワール
*[09*    <]カートリッジ,カトリン
*[10*    <]セルベッジア,レード
*[11*    <]ミテフスカ,ラビナ

 三話からなるオムニバスで、メビウスの輪のように連環している。

 第一話の舞台はマケドニア山中の修道院。青年修道士(コラン)が沈黙の行にはいっている僧坊に、ある夜、アルバニア系イスラム教徒の少女が銃をもったマケドニア人集団に追われ、逃げこんでくる。彼は少女を匿おうとするが、男たちは彼女を見つけ、射殺する。

 第二話は世界的カメラマンのアレクサンドル(セルベッジア)と不倫関係にある女性編集者(カートリッジ)の話で、彼女はぱっとしない夫と別れようと考えている。アレクサンドルの机の中から、死体の写真が出てくるが、それは第一話の少女のものだった。彼女は夫とレストランで別れ話を切りだすが、夫は別れないでほしいと懇願する。気まずい会話を買わしていると、外国人が喧嘩をはじめる。一方が追いだされて、騒動はおさまったかに見えたが、男は銃を持って引きかえしてきて、店内で乱射する。夫は流れ弾で死ぬ。

 第三話ではアレクサンドルが十数年ぶりにマケドニアの生家にもどる。内戦の傷痕が生々しく、バスの中ではうさんくさい眼で見られる。故郷の村で降りると、機関銃をもった少年に誰何されるが、従兄の子供だと見抜いた彼は銃を奪いとって一喝する。アレクサンドルを演ずるセルベッジアは旧ユーゴスラビアを代表する映画俳優だったそうだが、ビザンチンのキリスト像を精悍にしたような風貌といい、大人の貫禄だ。

 乾ききって白茶けた荒野を進んでいくと、不揃いな大きさの石を積みあげた農家が散在している。一族の住む集落だ。牧歌的な風景ではあるが、『秋菊の物語』の黄色と赤の対比を思わせる苛烈な色彩に頭がくらくらしてくる。

 生家は銃撃戦で破壊され、廃屋と化している。叔父は家に来いと勧めるが、アレクサンドルは生家に寝起きする。

 翌日、かつての恋人に会うためにアルバニア系住民の地区にいくが、武装した若者が警備していて、ひりひりするような緊張感が支配している。マケドニア人の彼は警戒されるが、どうにか再会がかなう。かつての恋人は同じイスラム教徒と結婚していて、分厚いチャドルをかぶっており、小声でしか話さなくなっている。説明はまったくないが、民族紛争と原理主義が人間関係をずたずたにしたという現実が皮膚感覚で迫ってくる。

 数日後、叔父がアルバニア系住民の娘に惨殺される。一族の男たちは犯人をとらえ、畑の中の小屋に監禁する。

 その夜、寝ている彼のもとをかつての恋人が訪れ、とらえられている自分の娘を助けてくれと懇願する。翌日、彼は娘を逃がす。彼は娘を追いかけようとする一族の男たちの前に立ちはだかるが、射殺される。追われた娘は修道院に逃げこみ、第一話に還える。

 メビウスの環の趣向は『ラスト・ハーレム』と似ているが、こちらは成功していて、運命を感じさせる。傑作である。

*[01* 題 名<] 地上より何処かで
*[01* 原 題<] Anywhere but here
*[02* 製作年<] 1999
*[03*   国<] 米国
*[05* 監 督<] ワン,ウェイン
*[05* 原 作<] シンプソン,モナ
*[08* 出 演<]サランドン,スーザン
*[09*    <]ポートマン,ナタリー

 都会に憧れる娘に母親がブレーキをかけるのが普通だが、この映画は逆で、母親はなんのあてもないのにウィスコンシンからビバリーヒルズに引越し、娘が振りまわされる。スーザン・サランドンの出たとこまかせの母親と、ナタリー・ポートマンの賢い娘ははまり役だし、これといって欠点はないのだが、予想通りの展開で、映画としておもしろくない。

 ナタリー・ポートマンは「レオン」のオーラが完全になくなった。

*[01* 題 名<] グラディエーター
*[01* 原 題<] Gradiator
*[02* 製作年<] 1999
*[03*   国<] 米国
*[05* 監 督<] スコット,リドリー
*[08* 出 演<]クロウ,ラッセル
*[09*    <]フェニックス,ホアキン
*[10*    <]ニールセン,コニー
*[11*    <]ハンスゥ,ジャイモン

 評判通りの傑作。大作でありながら、「タイタニック」と違って、大味にならないのはさすが。

 粉雪の舞うゲルマニアの戦場、マルクス=アウレリウス帝の崩御と陰謀、処刑と逃亡、スペインを巡業して歩くプロキシモの剣闘士一座、コモドゥス帝のローマへの凱旋、プロキシモの一座のローマへの帰還、殺され役のマケドニア兵として登場しながら、ローマ兵役を全滅させるコロッセオ・デビュー……と見せ場の連続。

 ラッセル・クロウもいいが、父帝にうとまれた不肖の息子のコモドゥス帝のホアキン・フェニックスがすばらしい。彼の屈折した芝居で、味がぐっと深まった。

 紅一点のコニー・ニールセンもすばらしい。弟の変態皇帝の暴虐から息子を守ろうと綱渡りの毎日をおくる公女を凜々しく演じて、感動もの。

*[01* 題 名<] 奇人たちの晩餐会
*[01* 原 題<] Le diner de cons
*[02* 製作年<] 1998
*[03*   国<] フランス
*[05* 監 督<] ヴェベール,フランシス
*[08* 出 演<]ヴィルレ,ジャック
*[09*    <]レルミット,ティエリー
*[10*    <]ユステール,フランシス
*[11*    <]プレヴォスト,ダニエル
*[12*    <]フロ,カトリーヌ

 最初の10分間はつまらないが、舞台がピエールの自宅の豪華なサロンに移るや、突然、台詞が水際だってきて、絶妙なやりとりがはじまる(多分、ここからが元の戯曲なのだ)。

 ピエールの妻は、バカをからかって喜ぶ夫に愛想をつかし、ぎっくり腰で動けない彼を尻目に出ていってしまう。ピエールはそうとは知らず、家にやってきたピニョンの予想を超えるバカぶりに狂喜し、無理をしてでも晩餐会に出ようとするが、ぎっくり腰が悪化し、ピニョンに介抱される始末。

 ピエールは世話を焼きたくてたまらないピニョンに恐れをなして帰そうとするが、ちょうど妻から家出を通告する電話がはいり、愕然とする。やはり妻に逃げられているピニョンはピエールに同情し、いよいよ親身に世話を焼こうとするが、やることなすことすべて裏目に出て、元愛人の作家や妻の元同棲相手、ピニョンの国税局の同僚の査察官を巻きこんで、話はもつれにもつれていく。

 ピエールは高圧的なエゴイストで、見下すか、利用するかという形でしか他人と係われない男なのだが、ピニョンに振りまわされているうちに、妻を取りもどそうと、恥も外聞もなくバカをはじめ、それが救いになっている。

 ラストで、ピニョンはピエールの妻に愛について感動的な言葉をのべて、仲直りさせるが、その直後、またバカをしでかして、和解を台なしにする。最後の最後まで、はらはらさせてくれる。

August 2000

*[01* 題 名<] イグジステンズ
*[01* 原 題<] eXistenZ
*[02* 製作年<] 1999
*[03*   国<] 米国
*[05* 監 督<] クローネンバーグ
*[08* 出 演<]リー,ジェニファー・ジェイソン
*[09*    <]ロー,ジュード
*[10*    <]デフォー,ウィレム
*[11*    <]ホルム,イアン

 森の中の公民館のような建物で、アンテナ社の新作ゲーム、「イグジステンズ」の発表会が開かれる。世界的なゲーム会社にしては質素な集まりだ。ジュード・ローは受付の見習社員、テッド・ピケル役で、今回は純朴な青年。

 カリスマ・ゲームデザイナー、アレグラ・ゲラー(リー)が喝采でむかえられ、ゲラーを中心に七人の被験者が軟体動物のようなゲーム機を臍帯のようなコードで結んで、「イグジステンズ」のデモがはじまるが、ゲーム撲滅を標榜する「現実主義者」の男が立ちあがり、魚の小骨を組みあわせたような銃(グリッスル・ガン)を乱射する。ピケルとゲラーは車で逃避行をはじめる。

 「イグジステンズ」はゲラーの愛機の中にしか存在しないが、デモがテロで中断したためにプログラムが壊れている怖れがあった。ゲラーは愛機と「イグジステンズ」を救うために、ポッド技術者で親友のキリ・ヴィノカーの別荘に逃げこむ。ポッドを治療してもらい、ようやく二人は「イグジステンズ」のヴァーチャルな世界にはいる。

 現実世界ではゲラーは濃緑のスラックスだが、ゲーム世界では同じ色のタイトスカートだというように、微妙に違っている。ゲーム世界の中にもゲームショップがあって、店主は闇ゲームを密売しているし、次のステージではニジマスの養殖場そっくりのポッド工場の工員に転移し、「現実主義者」のテロに加担している。

 現実とゲームの世界がいりまじって、ぐちゃぐちゃになっていく。夢落ちならぬゲーム落ちで終わるが、もう一ひねり用意してあって、現実世界をゲーム世界と取り違えたイベント参加者が不気味である。

DVD版
*[01* 題 名<] ガタカ
*[01* 原 題<] Gattaca
*[02* 製作年<] 1997
*[03*   国<] 米国
*[05* 監 督<] ニコル,アンドリュー
*[08* 出 演<]ホーク,イーサン
*[09*    <]ロー,ジュード
*[10*    <]サーマン,ユマ
*[11*    <]ディーン,ローレン
*[12*    <]アーキン,アラン

 水色を背景に弓形の物体がゆっくり落ちて、ズズンという重低音とともにバウンドする。次にパイプ状の物体が落ちてきて、やはり鈍い音をたててバウンドする。

 謎めいた美しいタイトルバックにつづいて、焼却炉の焔と、大きな冷蔵庫に保存されたパック詰めの黄色い液体、てきぱき身繕いするヴィンセント(ホーク)が映る。遺伝的優秀者に化けるための朝の儀式をこなしているところで、タイトルバックの弓形の物体は爪、パイプ状の物体は髭。

 この映画に描かれる未来社会は遺伝子診断が人間のすべてを決定する究極の優生学社会で、主人公のヴィンセントは自然受胎したため、遺伝的に矯正されておらず、「不適正者」の烙印を押され、新下層階級となることが運命づけられている。

 彼は宇宙にあこがれていて、ガタカ(DNAのG、T、C、Aの字謎)の街から、いつか宇宙探検に飛び立とうと心に決めているが、現実には清掃員の仕事しかない。

 そこに闇の仲介者があらわれ、事故(実は自殺未遂)で下半身不随になった遺伝的エリートの世話をするに、彼になりすまさないかともちかけられる。ヴィンセントは承諾し、ジェローム(ロー)を引きとり、彼から血液、尿、指紋の提供を受ける。ジェロームのDNAは折紙つきで、宇宙産業に就職できる。

 努力の結果、土星探検のメンバーに選ばれ、夢の実現が近づくが、社内で上司が殺されたために、警察の捜査がはじまり、ヴィンセントに危機が迫る。

 ありがちなアンチユートピアものだろうと思って、封切時は見る気がしなかったが、とてもいい作品だった。モダニズムの未来デザインは紋切型だが、ストイックな映像がマイケル・ナイマンの静謐な音楽とともに、快い緊張感を生んでいる。ヴィンセントが遺伝的エリートになりすます動機が、上昇志向やルサンチマンではなく、宇宙への憧れだという点が救いになっている。

*[01* 題 名<] ナビィの恋
*[02* 製作年<] 1999
*[03*   国<] 日本
*[05* 監 督<] 中江裕司
*[08* 出 演<]西田尚美
*[09*    <]平良とみ
*[10*    <]登川誠仁
*[11*    <]村上淳

 「ひょっこりひょうたん島」の主題歌をバックに、小さな連絡船が沖縄本島から粟国島に向かって、波を蹴立てて進むショットからはじまる。これで傑作と直感。

 船には本土から島にもどる奈々子(西田)が乗っているが、彼女は白いスーツで決めた老人が気になっている。

 奈々子は祖父母の家に転がりこむが、その日のうちに東京から福之助が追いかけてくる。福之助は飄々とした風来坊で、祖父の恵達(登川)とすぐに意気投合する。菜々子をめぐる三角関係にしては、軽いノリだなと思っていると、本当のヒロインは祖母のナビィ(平良)であることがわかる。恵達が福之助と牛の世話に出かけると(牧場にまで三線をかかえていく)、ナビィは奈々子を連れて他家の墓掃除に出かけるが、そこで船で見かけた白いスーツの老人と涙の再会をとげたのだ。老人はサンラーといって、60年前、ユタのお告げでナビィとの仲を裂かれ、島から追放され、ブラジルに渡った。

 サンラーの帰郷でナビィの一族は大騒ぎになり、ユタをまねいてお告げをもらうが、このユタがすごい。ヒョウ柄の三輪車に、ヒョウ柄のスラックス、大きな宝石をごてごてつけて、ケバいのなんの。マスコミにはこういう俗臭芬々たるユタは登場しないが、やけにリアリティがある。

 ユタはナビィにもうサンラーと会うことを禁じ、ついでに奈々子はケンジと結婚しろと言いわたす。

 ここで恵達は奈々子にナビィとサンラーと自分の三角関係を語るが、白黒サイレントでコミカルに作ってあるので、深刻にならないですむ。軽妙に流してもリアリティが失われないところが、沖縄の風土なのかもしれない。

 ナビィのひたむきに恋する表情が美しい。

 恵達はナビィが駆け落ちを決心したことを察するが、黙認する。ナビィが心をこめて作った最後の弁当を、福之助は事情を知らずにほしがるが、わけてやらないのが悲しくも笑える。

 アイルランド人とクラシックの歌手を中心にした島人バンド、ホームレスの名歌手、三線を下げた本家の当主、例のユタと、印象的な人物が多いが、恵達とナビィの二人が断然光っている。彼らのような年のとり方ができるというだけでも、沖縄の文化の奥深さがわかる。

*[01* 題 名<] シュリ
*[01* 原 題<]
*[02* 製作年<] 1999
*[03*   国<] 韓国
*[05* 監 督<] カン,ジェギュ
*[08* 出 演<]ハン,ソッキュ
*[09*    <]キム,ユンジン
*[10*    <]ソン,ガンホ
*[11*    <]チェ,ミンシク

 北朝鮮特殊部隊の訓練場面で度肝を抜く。政治犯を使った殺しほうだいの実戦訓練は本当にやっていそうで怖い。訓練生のなかでも抜群の成績のイ・バンヒが次々にテロ事件を起こす。ここから韓国の情報部員で主人公のジョン・ウォンが登場するが、彼は熱帯魚店を経営するミョン・ヒョンと結婚することになっている。イ・バンヒは二年間、行方をくらましているが、武器の密売組織がらみで動いているらしい。ジョン・ウォンは相棒のイ・ジャンギルとともにイ・バンヒを追うが、情報が漏れているらしく、ことごとく先を越され、試作中の液体爆弾まで奪われてしまう。

 後半は予想通りの展開。熱帯魚店が出てきたので、悪い予感がしていたが、案の定、ラストでは盛大に水槽を割って銃撃戦。魚がピチピチはねる上を土足で駆けまわる。魚はみんな死ぬ。

 キッシング・グーラミーをロマンチックな愛の象徴のように使っているが、あれはオスとメスの愛情表現ではなく、オスどうしの喧嘩なのだ。監督&脚本家はそこまで考えたわけではないだろうが、結果的にイ・バンヒの正体の伏線になっている。

*[01* 題 名<] フリントストーン2 ビバ・ロック・ベガス
*[01* 原 題<] Flintstones in Viva Rock Vegas
*[02* 製作年<] 1999
*[03*   国<] 米国
*[05* 監 督<] レバント,ブライアン
*[08* 出 演<]アディ,マーク
*[09*    <]ボールドウィン,スティーブン
*[10*    <]ジョンストン,クリスティン
*[11*    <]クラコウスキー,ジェーン
*[12*    <]カミング,アラン

 フレッドがクレーン学校を卒業し、大金持ちのお嬢様だったウィルマと結婚するまでを描くフリントストーン版エピソード1。財産目当てでウィルマと結婚しようとする男が二人の仲を裂くために、自分が経営するロックベガスに四人を招待する。今回はフレッドもウィルマもバーニーも似ていない。ウィルマのクリスティン・ジョンストンはお嬢様タイプではない。鼻の穴が広がる場面は迫力だが。

 前作が失敗したB級映画だとするなら、今回は成功したC級映画で、映画館で見るような作品ではなかった。時間を無駄にした。

*[01* 題 名<] M:I-2
*[01* 原 題<] M:I-2
*[02* 製作年<] 1999
*[03*   国<] 米国
*[05* 監 督<] ウー,ジョン
*[08* 出 演<]クルーズ,トム
*[09*    <]ニュートン,サンディ
*[10*    <]スコット,ダグレイ
*[11*    <]ホプキンス,アンソニー
*[12*    <]レイムス,ウィング

 おもしろかった。「スパイ大作戦」らしさが前作より薄れ、アクション映画になったが、三角関係を隠し味にしたのが成功している。

 アンブローズを追うために、ハントはナイア(ニュートン)という女泥棒を仲間に引きこむように指示されるが、彼女がすばらしい。セビリアの豪邸のパーティで、フラメンコの踊りと人垣の間から垣間見える出のシーンからぞくぞくする。浴室に忍びこんでブルガリのネックレスを奪うシーン、翌日の山道でのカーチェイスと、見せ場たっぷり。「シャンドライの恋」ではけなげな優等生の役だったが、今回は繊細で妖しいオーラを放射していて、さらに一回り大きくなった。

 彼女はアンブローズの元恋人とわかり、ハントは恋人を囮にしなければならなくなるし、彼女の内通に気づいたアンブローズはハントに変装して、彼女を試している。このあたりは「スパイ大作戦」というより「フェイスオフ」の流れか。

*[01* 題 名<] サイダーハウス・ルール
*[01* 原 題<] The Cider House Rules
*[02* 製作年<] 1999
*[03*   国<] 米国
*[05* 監 督<] ハルストレム,ラッセ
*[05* 原 作<] アービング,ジョン
*[08* 出 演<]マグワイア,トビー
*[09*    <]セロン,シャーリーズ
*[10*    <]ケイン,マイケル
*[11*    <]リンド,デルロイ
*[12*    <]バドゥ,エリカ

 メイン州セント・クラウズという田舎町は、人里はなれたこの孤児院で有名で、子供を捨てに来る親、養子をもらいに来る親がこっそり訪れる。孤児院は院長のラーチ医師と二人の看護婦だけで運営されている独立王国である。

 主人公のホーマー・ウェルズは二度、養子先から帰された少々癖のある子供。ラーチは彼を自分の跡継として育てることを決める。ホーマーを医大に行かせて普通の医師にしていれば美談なのだが、そうはならない。

 孤児院は人目をはばかって出産する母親のために産院を開設しているが、ここでは中絶手術もおこなっていた。妊娠中絶は今でも政治問題になるくらいだから、当時は完全なスキャンダルだが、ラーチはホーマーに自分で医術を仕こみ、もぐりの堕胎医にしてしまう。

 日本が参戦した翌年、陸軍パイロットのウォリー・ワージントンと恋人のキャンディ・ケンドール(セロン)が中絶手術を受けに来る。20歳になったホーマーは堕胎医になることを嫌い、二人について孤児院を出ていく。

 ホーマーはウォリーの実家のリンゴ農園で働くようになる。リンゴ摘みとリンゴ酒製造は黒人の仕事で、ホーマーは季節労働者のミスター・ローズのチームと「サイダーハウス」で寝食をともにする。題名の「サイダーハウス・ルール」は、この寮の実態にあわない規則のことだが、堕胎禁止法への揶揄もこめられている。

 ウォリーがビルマ戦線に出征すると、キャンディはホーマーをデートに誘うようになり、やがて男女の関係になる。冬、ミスター・ローズに一緒にフロリダに行かないかと誘われるが、ホーマーはリンゴ農園に残る。

 翌秋、ミスター・ローズのチームがもどってくるが、娘のローズ・ローズは妊娠していた。彼女はわざと木から落ちて流産しようとする。ホーマーは彼女を妊娠させたのが、尊敬していた父親のミスター・ローズだと知り、愕然とする。ホーマーは彼女のために堕胎手術をする。

 その頃、老齢のラーチはホーマーの卒業証書を偽造し、理事会に後継者として推薦する。ホーマー就任が決まった直後、ラーチはエーテルの吸いすぎで死ぬ。

 ウォリーがビルマ戦線から下半身不随で帰ってくると、ホーマーはリンゴ園を去って、孤児院にもどり、ラーチの後継者となる。

 登場人物がみな愛すべき人間として描かれている。ラーチ医師のマイケル・ケインは終始無表情だが、眠る時、鼻に布張の麻酔用具をかぶせ、エーテルをたらしながらでなければ寝つけなくなっている。深い鬱屈を感じさせる。 キャンディのシャーリーズ・セロンはお飾りの美人女優かと思ったが、じわじわ存在感が出てくる。永遠の憧れを感じさせる女性像である。

September 2000

*[01* 題 名<] スリーピー・ホロウ
*[01* 原 題<] The Sleepy Hollow
*[02* 製作年<] 1999
*[03*   国<] 米国
*[05* 監 督<] バートン,ティム
*[05* 原 作<] アービング,ワシントン
*[08* 出 演<]デップ,ジョニー
*[09*    <]リッチ,クリスティーナ
*[10*    <]リチャードソン,ミランダ
*[11*    <]ガンボン,マイケル
*[12*    <]リー,クリストファー

 時は1799年、場所は独立戦争間もないニューヨーク。市長は科学的捜査を主張するクレーン捜査官(デップ)がうるさくなり、スリーピー・ホロウ村で起きている首なし騎士連続殺人事件の捜査に追いやる。

 村は陰気でじめじめした森の中にあって、どんよりした空模様といい、真面目な映画だったら気の滅入るような風景だが、バートンが撮ると微妙にお茶目で、「ウェアード・テールズ」系のテイストがある。

 20年前の独立戦争時に殺人マシーンとして勇名をはせたドイツ人傭兵の死体から、何者かが首をもちさり、あやつっていることがわかる。森の中の魔女に教えられて、死体が埋められた枯れた巨木を発見するが、このあたりの作りこみは期待通り。

 首なし騎士が村の中にも侵入し、クライマックスで村人が避難した教会を襲うところまでエスカレートさせるのはラブクラフト的。

 「シザー・ハンド」に一番近いが、「シザー・ハンド」が怪物の側から描いているのに対し、「スリーピー・ホロウ」は人間の側から描いているので、普通の映画に近づいている。だからといって、バートンらしさは失われていない。

*[01* 題 名<] ナインスゲート
*[01* 原 題<] The nineth Gate
*[02* 製作年<] 1999
*[03*   国<] 米国
*[05* 監 督<] ポランスキー,ロマン
*[05* 原 作<] ペレス=レベルテ,アルトゥーロ
*[08* 出 演<]デップ,ジョニー
*[09*    <]セニエ,エマニュエル
*[10*    <]オリン,レナ
*[11*    <]ランジェラ,フランク
*[12*    <]ルッソ,ジェイムズ

 あこぎな商売で悪名だかい古書ハンターのコルソ(デップ)が、大出版社の社長で悪魔研究家のバルカンに呼ばれ、『ナインス・ゲート』という魔道書の探索を依頼される。バルカンは三冊あるうちの一冊を所有しているが、贋物かもしれないので、他の二冊と較べ、出来たら買いとってきてほしいというのだ。

 ヨーロッパにわたり、『ナインス・ゲート』を所蔵する古書コレクターを訪ねて歩くくだりはよく出来ている。古都の情景が美しく撮れているし、九枚ある挿画に微妙な違いがあることに気づき、謎解きの興味で引っぱる。

 ところが、この後がいけない。悪魔の儀式がちゃちでしらける。「アイズワイドシャット」と較べると大人と子供。ラストの悪魔召喚の儀式にいたってはマンガ。

 原作は古書の蘊蓄を傾けたペダンチックな小説だろうと思うが(後に読んだところ、映画からは想像もつかない傑作だった)、そうしたディープな要素はばっさり切り捨てられているらしい。

 今回のエマニュエル・セニエは学生のような質素な衣装で、オーラ不足。

*[01* 題 名<] スペシャリスト
*[01* 原 題<] Un specialiste
*[02* 製作年<] 1999
*[03*   国<] フランス
*[05* 監 督<] シヴァン,エイアル
*[08* 出 演<]アイヒマン,ルドルフ
*[09*    <]ハウスナー,ギデオン

 1961年のアイヒマン裁判の記録フィルムを編集したドキュメンタリーである。500時間のうち350時間分が残っていることがわかり、この映画の製作が決まったとのこと。

 イスラエル国会の下院議場に作った法廷の無人の傍聴席が映しだされる。議場正面に三人がすわれる裁判官席、左に弁護人席、右に検事席。左の壁際に防弾ガラスで囲まれた被告席がある。

 熱弁をふるう小男のハウスナー検事のアップ。

 傍聴席をぎっしり埋める初老のユダヤ人たち。収容所の生き残りだろうか。

 野獣よばわりされたアイヒマンが登場すると、実直な小役人で拍子抜けする。アイヒマンという名前は有名だが、実際のところ、運輸部門の能吏にすぎず、虐殺には直接関与していないし、収容所には一回視察にいったことがあるにすぎない。

 なぜ自分が裁かれるのかわからないという顔をしているが、収容所生き残りの証人が証言台に立ち、記録映画が上映されるにおよび、うつむき、言葉に詰まる。表情の変化は緊迫感がある。

*[01* 題 名<] ロルカ、暗殺の丘
*[01* 原 題<] Death in Granasa
*[02* 製作年<] 1996
*[03*   国<] スペイン
*[05* 監 督<] スリナガ,マルコス
*[08* 出 演<]ガルシア,アンディ
*[09*    <]モラレス,イーサイ
*[10*    <]ウォーラースタイン,マルセラ
*[11*    <]クラッベ,ジェローン
*[12*    <]ジャンニーニ,ジャンカルロ

 透明な酒のはいったグラスに銃弾が投げこまれる。酒が赤く染まり、人体の組織と思われる滓が銃弾から散らばる。アンディ・ガルシア演ずるロルカの濃い横顔が大写しになり、「午後五時」をリフレインにした詩を英語で思いいれたっぷりに朗読する。

 コテコテのオープニングに引いてしまったが、本篇はスペイン内戦を避けて一家でプエルトリコに移住したリカルド(モラレス)が、まだフランコ体制がつづく1954年、故郷のグラナダにもどり、18年前のロルカの死の真相に迫るという謎解きになっている。1954年の風景の隙間に1936年の事件がのぞく趣向だから、過去の部分はコテコテでもおかしくない。

 二年後の1936年、ロルカはフランコ派蜂起直前のグラナダにもどる。危険人物視されているロルカにとっては自殺行為だ。市街戦がはじまると、リカルドはロルカの身を案じ、親友で軍人の息子のホルヘとともにロルカの家に急ぐが、途中、ホルヘは共和派と間違えられ、彼の眼前で射殺されてしまう。その夜、保守派のはずのリカルドの父は軍に連行され、血まみれでもどってくる。一家が出国したのはその直後だ。

 リカルドはグラナダにもどると、すぐにホルヘの父を訪ね、美しく成長したホルヘの妹のマリア・ウヘニアと再会するが、早くも尾行と監視がはじまっていて、タクシーの老運転手も怪しげだ。

 秘密警察に脅されながらも、リカルドは関係者に会い、しだいに真相に近づいていく。ロルカをかくまったゴンザレスとその姉、ロルカがよく訪れたジプシー酒場の女主人、グラナダのフランコ派の元締だったが、今は印刷所の主人におちぶれたロサーノ、ロルカの死に立ち会った闘牛士ガビーノ。証言内容はすこしづつ違い、藪の中的な曖昧さがたちこめるが、すくなくともロルカはマドリッドからの指令で処刑されたことが明らかになる。

 問題は誰が銃の引き金を引いたかだ。リカルドは秘密警察の大物になっているセンテーノだと目星をつけるが、最後に彼の口から恐ろしい真相が明らかにされる。

 迷宮都市グラナダが魅力的に描かれているが、リカルドとマリア=ウヘニアが結婚して幸福になったという後日譚はひっかかった。ジジェクが大喜びしそうな結末ではある。

*[01* 題 名<] ラスベガスをやっつけろ
*[01* 原 題<] Fear and Loathing in Las Vegas
*[02* 製作年<] 1999
*[03*   国<] 米国
*[05* 監 督<] ギリアム,テリー
*[05* 原 作<] トムソン,ハンター
*[08* 出 演<]デップ,ジョニー
*[09*    <]デル・トロ,ベニチオ
*[10*    <]マグワイア,トビー
*[11*    <]ハーモン,マーク

 ジョニー・デップ主演なのだが、完全にだまされた。カツラの変装はともかく、いつもなら目でわかるのだが、この映画では確信犯的ジャンキー役で、目の動きが最初から最後までおかしい。

 映画はロスの食事をしていたジャーナリストのラウル・デューク(デップ)とサモア人弁護士のドクター・ゴンゾー(デル・トロ)の二人組が、ミント・ホテルのオーナーが主催するオートバイとバギーレースの取材でラスベガスに出発するところからはじまる。レンタカーの調達の仕方といい、トランクにエーテルをふくむ各種薬剤を詰めこむことといい、くらくらしてくる。薬をやりながら、砂漠のハイウェーをぶっとばし、ミントホテルについた時には足元がおかしく、がに股で踊るように歩き、床の絨毯の模様がうごめき、バーの客すべてが恐龍に見えている。

 デュークは取材はいい加減にきりあげ、麻薬三昧。デブのゴンゾーも薬づけになって、水を部屋中にまき散らすわ、ルームサービスの料理を投げつけるわ、目茶苦茶のし放題。部屋の荒廃ぶりは芸術的で、ここだけでも一見の価値あり。

 デュークは一旦薬から醒めると、自己嫌悪と逮捕の恐怖から、ラスベガスを逃げだすが、ゴンゾーから麻薬撲滅を議題にした地方検事の会議の取材がはいったといわれ、、もう一度舞いもどって、フラミンゴ・ホテルにはいり、再び麻薬づけに。途中、デュークの車に乗る薄い金髪のヒッチハイカーがトビー・マグワイアだというのもわからなかった。

 ゴンゾーは飛行機でひっかけたモンタナの田舎娘(リッチ)を引っぱりこむが、デュークは体よく追いだす。このあたりから妄想がひどくなり、破滅的な結末へ。アメリカの無頼派はヒロポンどころではおさまらないという恐ろしい話だった。

*[01* 題 名<] GO! GO! L.A.
*[01* 原 題<] L.A. without a Map
*[02* 製作年<] 1999
*[03*   国<] 米国
*[05* 監 督<] カウリスマキ,ミカ
*[05* 原 作<] レイナー,リチャード
*[08* 出 演<]テナント,デイビッド
*[09*    <]ショウ,ヴァネッサ
*[10*    <]ギャロ,ヴィンセント
*[11*    <]デルピー,ジュリー
*[12*    <]バンクロフト,キャメロン

 リチャードは作家になる夢をいだいているが、スコットランドの田舎町、ブラッドフォードで、父親の跡を継いで葬儀屋をやっている。地元の有力者の娘との婚約が決まっているが、墓地で出会った観光客のバーバラと楽しいひとときをすごし、一目ぼれする。ロスアンジェルスでウェートレスをしながら女優の勉強をしていることしかわらかなかったが、壁に貼った「デッド・マン」のポスターのジョニー・デップが目くばせでマッチ箱を示し、彼女の勤めている店の名前がヤマシロだとわかる。

 リチャードはすべてを放りだしてロスへ向かい、彼女の勤めている日本レストランへ押しかけるが、あまり歓迎されていない。彼女はいかがわしいカメラマンや、はったりだけの監督の卵のパターソンのような連中とつきあっていて、お上りさんのリチャードは気が気ではない。ようやくデートにこぎつけるが、車を戻しておいてといわれ、運転ができないので、警察につかまり、一番やばい地区に駐車する破目におちいる。向かいの貸家の管理人のモス(ギャロ)が親切だったので、彼が管理する部屋を借りることにする。ギャロのキャラクターは「バッファロー'66」と同じで、軟体動物的だが、なんとも愛すべき人物。

 リチャードはバーバラと結婚にこぎつけるが、その直後、バーバラが女優としてチャンスをつかみ、脚本家として目のでないリチャードは置き去りにした気分になり、ストーカーまがいの行状におよび、離婚。破れかぶれになった彼はアヌーク・エーメのパーティで事件を起こす。

 プロット的には厳しい話なのだが、役者のふわふわした演技と、オフビートな演出のおかげで、楽しい映画に仕上がっている。バーバラのヴァネッサ・ショウは角度によって田中美奈子に似ている。一歩間違えると嫌な女になるが、父親の霊と話をするという設定と、スカッとした陽性の魅力で好もしいヒロインになっている。

*[01* 題 名<] 溺れゆく女
*[01* 原 題<] Alice et Martin
*[02* 製作年<] 1998
*[03*   国<] フランス
*[05* 監 督<] テシネ,アンドレ
*[08* 出 演<]ビノシュ,ジュリエット
*[09*    <]ロレ,アレクシス
*[10*    <]マウラ,カルメン
*[11*    <]アマルリック,マチュー
*[12*    <]ヴィラロンガ,マルト

 官能映画のような題名だが、駄目男の世話をするしっかり者の女をジュリエット・ビノシュが演ずる。

 私生児のマルタン(ロレ)は10歳の時、父親の家に引きとられるが、仮病を使って母親(マウラ)の家に帰ろうとし、うまくいかない。

 10年後、父が亡くなり、マルタンは家を出奔する。山中で野宿し、鶏小屋から卵を盗んで警察につかまったりしながらパリにたどりつく。

 マルタンは末の兄のバンジャマンの部屋に転がりこむ。バンジャマンはフナックで警備員をやりながら俳優修行、ルームメートのアリス(ビノシュ)はバンドで稼いで、バイオリンのコンクールの準備をしている。マルタンはカフェでモデルにスカウトされ、たちまち売れっ子になるが、アリスを慕い、彼女と暮らすようになる。バンジャマはおもしろくない。

 アリスはマルタンの子供を宿すが、ホテルで妊娠を告げられたマルタンは昏倒する。彼は仕事を放りだし、南仏の漁師町に隠れ住む。訪ねてきたアリスに彼は長兄の自殺と父親殺しを告白する。アリスはマルタンを精神病院に入院させ、マルタンの故郷の町へ向かう。

 彼の次兄は市長で、議員に立候補しようとしていた。彼女はマルタンの自首のために、母親に証人を頼む。パリにもどりった彼女はマルタンを自首させる。

 アリスは結婚式でバイオリンを弾くアルバイトにもどる。彼女はマルタンに対し、実の母や義理の母親以上に母親の愛情を注ごうとする。

 ビノシュのバイオリンの持ち方はいただけない。エマニュエル・ベアールの方がさまになっていた。

*[01* 題 名<] パトリオット
*[01* 原 題<] The Patriot
*[02* 製作年<] 1999
*[03*   国<] 米国
*[05* 監 督<] エメリッヒ,ローランド
*[08* 出 演<]ギブソン,メル
*[09*    <]レジャー,ヒース
*[10*    <]クーパー,クリス
*[11*    <]アイザックス,ジェイソン
*[12*    <]リチャードソン,ジョエリー

 メル・ギブソンのアメリカ独立戦争ものというふれこみだったので、「ブレイブ・ハート」のような映画を期待したのだが、完全に裏切られた。

 2時間44分はあまりにも長すぎるが、短く刈りこんだとしても、よくはならないだろう。メインのストーリーが散漫な上に、黒人、インディアン、フランス人に気を使い、それぞれ見せ場を作っていて、総花的になっている。英軍の悪をタビントン大佐一人に集約しているのも嘘臭い。クライマックスの会戦はなんだかわからないうちに終わってしまった。所詮、「インデペンデンス・デー」の監督の映画だ。

Copyright 2000 Kato Koiti
This page was created on Aug31 2000; Updated on Nov29 2000.
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