演劇ファイル  Apr - Sep 1998

1998年 3月までの舞台へ
1998年10月からの舞台へ
加藤弘一

*[01* 題 名<] 貪りと嗔りと愚かさと
*[02* 劇 団<] THE・ガジラ
*[03* 場 所<] 世田谷パブリック
*[04* 演 出<] 鐘下辰男
*[05* 戯 曲<] 鐘下辰男
*[06  上演日<] 1998-04-22
*[09* 出 演<]佐藤オリエ
*[10*    <]小林勝也
*[11*    <]若林しほ
*[12*    <]下総源太朗
*[13*    <]森田順平
*[14*    <]大鷹明良
 幕の引いていない舞台に、建築中のような骨組だけの二階建ての住居が建っている。二階に回転する鏡のオブジェがあり、キラッキラッと光が反射する。その前に長髪の若い男がすわっている。もろ病気という危ない感じ。
 暗転後、憔悴しきった佐藤オリエの妻が一階の台所に登場。うずくまって割れた鏡を直しはじめる。玄関をあけ、小林勝也の夫が帰ってきて、怒鳴りはじめる。銀行マンで、全共闘世代の猛烈サラリーマンらしい。二階の男は23歳になる息子で、セックスに失敗したのがきっかけで荒れだしたのだという。夫は「おまえは逃げている。自分で考えろ、考えろ」と罵倒をくりかえすが、妻はおろおろするばかりだ。
 いつの間にか朝になり、二階から女子高生の娘が鼻に脂取りテープを貼り、ルーズソックスのコギャル・ファッションで降りてくる。娘は二階には風呂に何ヶ月もはいっていないホームレスがいて臭いから、一階に移りたいと言い、父親に抱きついてフェロモンをふりまくが、母親には露骨に敵意を向ける。
 銀行破綻、家庭内暴力、証券不祥事、援助交際、コギャル、主婦の不倫、サラ金、若年性インポテンツと、現代日本の問題をてんこ盛りにしているが、拡散したという印象はない。個々の問題の追求ではなく、問題を語る言葉の空疎さが主題だからだろう。
 「逃避をやめて自分で考えろ」という夫の言葉は、息子、妻、娘、証券マン、取立屋によってくりかえされるが、みんな無責任で、激しい剣幕で言われれば言われるほど空転するばかりだ。今の日本では、なにが起こっても喜劇にしかならないということがよくわかる。
 最後に娘は母親の不倫相手の証券マンと結婚するといって家を出、息子は自傷行為のあげく、父親の背広を着、前日倒産した父親に銀行に「出勤」するといって、家を飛び出す。子供に取り残され、家を失った夫婦の間に惰性のような平安が訪れる。
 佐藤、小林はもちろんうまいが、取立屋の大鷹と娘の若林が印象的だった。特にポラロイド・カメラを首から下げ、短いスカートで跳びまわる若林は、「高校教師」に教生の役で出た新人とはとても思えないくらい、うまくなっていた。
*[01* 題 名<] 桜姫東文章
*[02* 劇 団<] ク・ナウカ
*[03* 場 所<] 旧細川侯爵邸
*[04* 演 出<] 宮城聰
*[05* 戯 曲<] 鶴屋南北四世
*[06  上演日<] 1998-05-13
*[09* 出 演<]美加里
*[10*    <]原郁子
*[11*    <]高田恵篤
*[12*    <]阿部一徳
*[13*    <]吉田荘一郎
*[14*    <]中野真希
 旧細川邸本館の裏庭に舞台を作り、背後の斜面に客席を設営する(「熱帯樹」の休憩時間にベランダから見下ろしたところ)。40番台の整理番号を確保していたが、遅刻したので、正面の最後列から二番目の席から見下ろす形。距離はあったが、まあ見やすい。左に木立が鬱蒼と繁っていて、土の匂い、樹木の匂いが立ちこめる。観劇しながら森林浴だ。雨は降らなかったが、寒い。寒いおかげで、虫に刺されなかったのかもしれない。
 舞台は背景幕の下がった左側が正面で、右は花道になる。まずスピーカーたちが着席し、花道からビルマ風の衣装の女たちが登場。前回はコロスだったが、今回は登場人物で、桜姫の評判を口々に語る。つづいて男優たちの登場。いつもは女性スピーカーが男優を担当し、男性スピーカーが女優を担当したが、今回は男性スピーカーが男優に台詞をあてる。
 気を持たせたところで正面の金色の幕がサッと上がり、桜姫が登場。やや浅黒いメークでビルマ的というか、ヒンズー的。
 南北だけに、前世と今生が入り組んだややこしい話で、最初はのらなかったが、桜姫が流浪し、遊女に売られて啖呵を切るあたりから、ぐんぐんおもしろくなってくる。まとまりようがないほど錯綜した因縁話が、お家重代の宝を盗まれた敵討ちの話に収斂し、大団円をむかえる。思わず「ミカリ!」と声をかけたくなるかっこよさ。
 ク・ナウカのスタイルは凝縮した西洋古典劇にしか向かないのではと思っていたが、南北もちゃんとできると確認した。これは出色の多国籍歌舞伎である。
*[01* 題 名<] 娘への祈り
*[02* 劇 団<] T.P.T.
*[03* 場 所<] ベニサン
*[04* 演 出<] アッカーマン,ロバート・アラン
*[05* 戯 曲<] ベイブ,トーマス
*[05* 翻 訳<] 小田島恒志
*[06  上演日<] 1998-05-15
*[09* 出 演<]平田満
*[10*    <]堤真一
*[11*    <]山本亨
*[12*    <]高橋和也
 アッカーマンの出世作だという。
 役者はすばらしいし、台本もよく出来ている。しかし、芝居がしばしば失速しかける。たまたま今日の出来が悪かったのか。
 事務机がならんだ閑散とした夜の警察。蛍光灯から独立記念日を祝う赤、青、白のリボンが下がっている。二人の刑事が容疑者二人を連れ、客席の間の通路から登場。ユダヤ人の金貸の老婆を殺して 26ドルを奪った容疑で、ゲイのカップルをつかまえたのだという。奥の取調室と、机のある部屋とで一対一の事情聴取がはじまる。
 平田には駆け落ち同然に結婚した娘がいて、取調中、その娘から自殺を予告する電話がかかってくる。平田は所轄署に保護を頼んだだけで、娘に会いに行こうとしない。むしろ、娘に会わないために、深夜の取調べを強行する。弁護士にも電話をかけさず、スパナで年上のゲイを殴りつける。滅茶苦茶なあつかいだ。
 年上のゲイの山本亨がすばらしい。髭面で男っぽい外見と口調の間から、チラッチラッと女性めいたところがのぞくところに、いかにもリアリティがある。
 ピンクのTシャツの若いゲイの高橋もうまいが、娘の出産に立ち会った体験の語りは失速しかけた。
*[01* 題 名<] 幽霊はここにいる
*[02* 劇 団<]
*[03* 場 所<] 新国立劇場
*[04* 演 出<] 串田和美
*[05* 戯 曲<] 安部公房
*[06  上演日<] 1998-05-22
*[09* 出 演<]串田和美
*[10*    <]上杉祥三
*[11*    <]小川真由美
*[12*    <]馬渕英里何
*[13*    <]小日向文世
*[14*    <]張春祥
 日経の劇評ではけなされ、朝日の劇評では奥歯にものはさまったような褒め方をされていて、これは駄目だろうと思って出かけたのだが、傑作ではないか!
 串田演出は、ヨーロッパや中国の役者にたどたどしい日本語の台詞を喋らせていて、朝日・日経とも台詞がわかりにくく、テンポがもたつくと批判していたけれども、この批判は的はずれれだ。確かに変な日本語で、意味不明の部分もあったが、「せがれがお面倒をおかけしまして」のような、日本の俳優が喋ったらベタつくような台詞が異化され、クレオール的というか、無国籍的というか、不思議な演劇空間を作っていた。
 舞台を見てあらためて感じたのだが、安部の台詞は現在の日本語感覚からいうと、かなり古い。もうちょっと時間がたてば古典になるのだが、現時点では中途半端に古いのだ。安部の戯曲が上演されないのは、このあたりに原因があるのかもしれない(三島由紀夫の場合は、最初から擬古文なので、すでに古典である)。
 ヨーロッパのマイム芸の系統の芝居をする役者を集めたことも成功している。串田の日本に類例のない道化的な演技とシンクロして、軽妙で洒脱な純度の高い舞台を作り上げた。ああいう軽やかで洒脱な動きは、オンシアター自由劇場の役者にもできなかった。串田和美は「上海バンスキング」最終公演以来、ひさびさに舞台に立ったわけだが、昔のスピードはないものの、マイム芸の軽妙さをとりもどしている。
 新国立劇場は建物に問題があって、芝居のことをろくに知らない建築家が自己満足的にギリシアの円形劇場風にしてしまったために、音が中抜けし、中央部分では台詞が聞こえにくいという致命的な欠陥があり、「せりふの時代」のアンケートでも最低最悪と批判されてる。
 串田は客席を九列つぶして張り出し舞台を作り、背景一面をガラス窓にし、両サイドに反射板をつるすことで、音の反射率を上げていた。彼が設計からかかわったコクーンそっくりになっていて、「ここが新国立?」と思ったほどだが、あまりにも評判が悪かったので、好き勝手にいじれたのだろう。
 戦友の幽霊にとりつかれる男をやった上杉祥三は、小劇場的なやかましい芝居をする人なので危惧していたが、抑えた演技もできるようになっていた。
 妻の役の小川真由美は中年女のしたたかさと弱さを自然に出していたし、娘役の新人の馬渕英里何は直球の演技がプラスに生かされていた。
 唯一駄目だったのは新聞記者役の小日向文世で、重い芝居が浮いてしまった上に、台詞はとちるし、テンポは乱すし、何度か芝居を失速させかけた。ベテランなのに、どうしたことか。
 休憩を二回はさんだのはまずかった。座長の串田みずから休憩の口上を述べるのはおもしろい趣向だが、一回だけの方が密度が上がったはずである。
 すばらしい舞台で客席もわきにわいたが、半分以上空席だった。再演は難しいだろう。
*[01* 題 名<] 蜘蛛女のキス
*[02* 劇 団<]
*[03* 場 所<] 青山劇場
*[04* 演 出<] プリンス,ハロルド
*[05* 戯 曲<] マクナリー,テレンス
*[05* 翻 訳<] 吉田美枝
*[06  上演日<] 1998-06-01
*[09* 出 演<]市村正親
*[10*    <]麻実れい
*[11*    <]宮川浩
*[12*    <]高品剛
*[13*    <]大方斐沙子
*[14*    <]麻生かほ里
 スピーカーの近くの左端の席だったので、音響条件が悪く、歌に酔うには程遠い状態だった。歌詞もよく聞きとれなかった。それにもかかわらず、すばらしい舞台だった。踊りがいいし、鉄格子とブリッジを縦横に動かし、スライドを駆使して、刑務所内の重層構造と現実と夢と記憶の交錯を表現したセットもすごい。
 市村のゲイの繊細な心根と矜持が泣かせる。麻実れいのファム・ファタルのオーラもぞくぞくする。説明がなにもなくても、蜘蛛女の世界が不可能な夢だということが伝わってくる。麻実は1930年代のドイツの頽廃美を濃厚にたたえ、映画を越えていて、終わりの方で、照明で作った蜘蛛の網を背に、太い声でテーマを歌う場面は最高。
 革命家の宮川は単細胞ぶりがあっている。宮川があこがれるお嬢様は麻生。市村の母親の大方は映画館の案内係で、オモチャの兵隊のような制服で出てくる。
*[01* 題 名<] 根岸庵律女
*[02* 劇 団<] 民藝
*[03* 場 所<] 東京芸術劇場中ホール
*[04* 演 出<] 本間忠良
*[05* 戯 曲<] 小幡欣治
*[06  上演日<] 1998-06-17
*[09* 出 演<]奈良岡朋子
*[10*    <]伊藤孝雄
*[11*    <]樫山文枝
*[12*    <]披岸喜美子
*[13*    <]里居正美
 正岡子規の妹の話だった。子規が母と妹の律を松山から根岸によびよせてから四年目の 1895年の秋から死の前年の1901年秋までが第一幕。死は最後のヘチマ三句の奈良岡の朗読で示される。第二幕は子規の七回忌の後、養子をむかえた報告の墓参から、養子の雅夫が二十歳をむかえる1912年夏まで。
 一幕はよくできていて、良くも悪くもウェルメイド・プレイになっている。豪放な子規の伊藤はみごと。気丈に兄の世話をする律に、禁欲的な奈良岡ははまり役。
 親友の河東碧梧桐里居は反発しながらも、子規を見舞うが、脚を揉んでやっているうちにペニスに触れてしまい、子規が気持ちいいというので、「今度、また、こっそりもみにきてやるからな」と語りかける場面は笑わせる。
 二幕は正岡の家名と兄の作品を守りつづけようと気張る律と、養子の雅夫の葛藤を描く。
 樫山が日本橋の旅館の娘で、子規が一度は妻にと考えた弟子を演じる。いい年をして、まだ娘役かと思ったら、一幕の終わりでは食わせ者の男と駆け落ち結婚し、二幕では子供を引きとって離婚している。雅夫は樫山の息子と意気投合し、よく遊びに行く。能天気なお嬢様から、旅館の女将までをのびのびと演じ、さすがベテランだが、成人した雅夫の思いを彼女が律に代弁して対立する場面の緊迫感は見ごたえあり。ただし、雅夫を優等生にしすぎて、ドラマとして不完全燃焼に終わった。
*[01* 題 名<] 1998・待つ
*[02* 劇 団<] ニナガワ・スタジオ
*[03* 場 所<] ベニサン
*[04* 演 出<] 蜷川幸雄
*[06  上演日<] 1998-06-19
*[09* 出 演<]高橋洋
*[10*    <]石川素子
*[11*    <]飯田邦博
*[12*    <]鈴木真理
*[13*    <]大石継太
*[14*    <]大富士
 前回と同じ、急斜面の客席。すぐそばまで黒い幕が迫っている。背中にブリキの細長い箱を背負った男たちが登場し、お辞儀しては箱で相手の頭をたたきあう。ドリフかと思っていると、一人が幕に向かってこぶしを振りあげ、「早く開けろ」と怒鳴る。
 次の瞬間、バサッと幕が落ちると、向こうにも急斜面の客席があって、ぎっしり座っている役者たちがこちらを見て大笑いする。どこかで見た光景と思っていると、天井の方のスクリーンに映写されている映画を見ているという見立て。「タンゴ――冬の終りに」の冒頭のシーンではないか。画面で爆発が起こり、映画館の客席はパニックになる。スローモーションでもがく役者たち。一人だけ、椅子にすわって化粧を直している女がいる。
 客席が四つにわかれ、奥に引っこむと、トレーニングをしているボクサー(鈴木豊)の一人芝居。
 次の景もボクサー(高橋洋)だが、背後の壁が開いて、バイクがはいってきて、男の周囲をぐるぐる動き回る。排気ガスの甘ったるい臭いが立ちこめる。次に自転車がはいってきて、ぐるぐる走り回る。
 ちょっとだれ気味になっているところへ、まわし姿の男が六人あらわれ、竹刀をもった親方(塚本幸男)が、一人だけ浴衣を着た関取(大富士)を八百長をやったと責めはじめる。関取は前頭止まりの親方には三役の相撲はわからないと抗弁し、カマニシキとの愛の大相撲を縷々と語りはじめ、場内は爆笑。つかこうへいだ。
 ここで笑わせた後、舞台のあちこちで一人芝居が同時にはじまり、ダンボール箱をかぶった男が二人出てきたり(「箱男」らしい)、女たちが右奥の扉から、左手前へ何度も舞台を突っ切ったりして、なにがなんだかわからなくなる。五つの芝居が同時進行する趣向らしい。
 一幕最後の第七景は「罪と罰」から。これがすごい。
 舞台右奥と左手前に120センチ水槽がおいてある。例によって底から蛍光灯がぼうっと照らしているが、今回は水が入っていて、金魚まで泳いでいる。
 手前の水槽にはラスコーリニコフらしい黒い外套の男、奥の水槽にはソーニアらしい、やはり黒外套の女がもたれかかっている。男がラスコーリニコフの殺人理論をぼそぼそつぶやいていると、女は水槽の水の上で頭を揺らし、長い髪を水に漬ける。だんだん緊張が高まり、男が立ち上がる。彼は水槽に手を突っこみ、血にまみれた手斧をとりだす。その瞬間、得体の知れぬ男たちが舞台を横切る。
 男は奥の水槽のところに行き、女とラスコーリニコフとソーニアの会話をはじめる。女は水槽の上に登り、とうとう外套のまま、水にはいってしまう。ソーニアの台詞とのミスマッチは倒錯的でさえある。
 水浸しの男が手前の水槽にもどると、ヌメっとした爬虫類的なオヤジ(飯田邦博)が登場し、ポリフィーリーの台詞をはじめる。このやりとりもすごい。
 男は奥の水槽にもどり、女と外套のまま水槽の中にはいり、抱きあい、まさぐりあい、女の足の指にキスをする。おなじみの場面だが、水槽の中で演じられるとなんともエロチックだ。
 ここで休憩。
 第二幕があくと、舞台は大食堂の厨房に一変している。料理人、雑用係、ウェートレスが次々と出勤してくる。金という新入りのコックもいる。一番大きな顔をしているコックは、支配人の妻でウェートレスをやっている女と不倫関係にある。
 やがて戦争のような昼食時間になる。怒鳴りあい、つかみあいの喧嘩がはじまりそうになったところで暗転。次の場面は閉店後の片づけ。不倫のコックにうながされて、残った男たちは夢を語りだすが、不倫のコックだけは夢が語れない。
 暗転して、数日がたつ。また昼食時の大騒ぎがはじまるが、余り物をもらいにきた乞食の応対をめぐって不倫のコックが暴れだし、相手のウェートレスを店内まで追いかける騒ぎになる。
 誰もいなくなった厨房に、もの静かなコック(大石継太)が一人だけ残っていると、盲人の黒眼鏡をかけた女(鈴木真理)が手探りであらわれ、評論の引用らしい訳のわからない言葉をぶつぶつつぶやく。
 女は「王女メディア」のメディアと、「欲望という名の電車」のブランチを行ったり来たりし、どんどん錯乱して男を追い詰めていく。
 鈴木真理はうまいのだが、一人で客席を圧倒するところまではいかないし、後半、ブランチとメディアの切替が単調になってくる。白石加代子への道は遠い。
 最後、タンゴを踊る二人の上に、火のついた紙がふわふわ落ちてくるが、あの劇場で火を使うのはひやひやした。
*[01* 題 名<] リターン
*[02* 劇 団<] 木冬社
*[03* 場 所<] シアターX
*[04* 演 出<] 清水邦夫
*[05* 戯 曲<] 清水邦夫
*[06  上演日<] 1998-07-06
*[09* 出 演<]米倉斉加年
*[10*    <]松本典子
*[11*    <]黒木里美
*[12*    <]中村美代子
 「ヘミングウェイ幻想」という米倉の一人芝居と、「サムトの女たち」という「タンゴ」の女優版のような一幕劇をくみあわせる。
 「ヘミングウェイ幻想」は鬱病になり、精神病院の夜中の病室で、心理療法としてかつて関係のあった女たちを演ずる老ヘミングウェイの話。途中から、子供時代の彼に女装させた母親との葛藤があらわになる。
 舞台左にボート、右に二段ベッドがおいてあるだけ。照明がうっすら灯ると、ショールをまとった米倉がボートの中で、背中を向け、うずくまっている。客席を向くと、白塗で頬に紅をさした異様な面体。
 さまざまな人物をなぞるのだが、構造が見えてこない。ヘミングウェイの伝記的事実が生で出てしまっている。悪い意味でのモノローグに終始。ドーランを一度落とし、また塗りたくるシーンで塗ったり落としたり大変だとつぶやくところでは、米倉という地がでてしまっている。
 意欲作ではあるが、創作力のおとろえは否定しがたい。
 「サムトの女たち」は「八月の鯨」の舞台で、突然、台詞が出てこなくなり、芝居をやめる時に用意していた詩を暗唱して劇場を逃げだし、故郷の町にもどってきた女優が、ぼけかけた老映画館主の老女に30年前に死んだ娘と間違えられ、ごっこ遊びで癒される。「タンゴ」の女優版で、メリーゴーラウンドは「冬の馬」の流用だし、お得意のパターンをなぞっているのは見え見えだが、熟成された世界はすばらしく、うっとり見いってしまった。
 アルマジロと呼ばれる映画館主は中村美代子で、貫禄が決まっている。
 黒木里美は故郷の家を守っている妹で、伝統家屋を解体する仕事の一家を家において、世話している。この一家の人見知りする兄弟たちが女優を距離をおいて見守っているのはおもしろい。一家の父親(米倉)はすっかりぼけていて、「おかりなさい」と誰かれかまわずに言う。この台詞は哀切。
*[01* 題 名<] 熊谷突撃商店
*[02* 劇 団<] トム・プロジェクト
*[03* 場 所<] シアターTOPS
*[04* 演 出<] マキノノゾミ
*[05* 戯 曲<] マキノノゾミ
*[05* 原 作<] ねじめ正一
*[06  上演日<] 1998-07-08
*[09* 出 演<]熊谷真美
 チラシの写真はサザエさん風髪型だったが、舞台ではふわっとひろがったパーマに、真っ赤なアロハにジーパンで登場。以前、TVでちらと見た熊谷キヨ子さんそのままの姿だ。実の娘が三年前に亡くなった母親を演じるのだから、きっとこの通りの女性だったのだろう。
 左手に流し場、中央に小さなテーブルセット、右手に階段。奥の壁はダンボール箱を積み重ねてできていて、店のレジが見える。
 第一場は熊谷真美が「マー姉ちゃん」に抜擢され、長女のさゆりの縁談が動きだした頃で、金沢の婚約者が上京してきたので、特上の鰻重を奮発しようとしているが、さゆりも三女の美由紀も帰ってこない。その上、九州の実家にいっている夫から、ずっと九州で暮らすという電話がある。
 第二場は二年後、電撃結婚した真美が結婚生活に行き詰まり、がっくりして実家に帰ってきている。美由紀は松田優兵と不倫の関係になり、週刊誌からしょっちゅう電話がかかってくる。真美が美由紀に「お母さんのように前妻の娘を育てられるか」と、さゆりが腹違いの姉であることを告げたのがショックだと言う。
 第三場はその四年後で、美由紀は松田と正式に結婚し、二人目の子供が生まれようとしている。長女にも最初の子供ができている。九州に行ったきりの夫から、急にヨーロッパ旅行に誘われる。
 第四場はさらに五年後の夜。「熊谷キヨ子ショー」として、だまされ婚の経緯をパジャマ姿で一人芝居。
 第五場は久しぶりに娘と孫がそろう日。美由紀が来たところで幕。
 電話の他は、ずっと真美を相手にしゃべりまくる。真美はどの場面でも気落ちしていて、母親に元気づけられる。
 声がつぶれかけていたが、スカッとした人柄がでている好舞台だ。
*[01* 題 名<] 身毒丸
*[02* 劇 団<] メジャーリーグ
*[03* 場 所<] コクーン
*[04* 演 出<] 蜷川幸雄
*[05* 戯 曲<] 寺山修司
*[06  上演日<] 1998-07-10
*[09* 出 演<]白石加代子
*[10*    <]藤原竜也
*[11*    <]三谷昇
*[12*    <]石井愃二
*[13*    <]蘭妖子
*[14*    <]松田聡也
 すごい! 鳥肌の立ちっぱなし。白石加代子が妖怪光線を全開にした久しぶりの舞台。「夏の夜の夢」以来、いや、「劇的なものをめぐって」以来ではないか。
 冒頭、町工場のイメージか、ブリッジの上でグラインダーで鉄を削り、火花が噴水のように舞台に落ちる。スモークを突いて、奥から、縁日の屋台を引いた異形の者たちがスローモーションで立ちあらわれてくる。奇怪さとかわたれ時の寂しさがいりまじり、胸を締めつける。
 旅の一座が解散し、女役者を後添えに展覧する場面もすごい。おかめの面をつけたグロテスクな女たちが、遊郭の格子窓さながらに男たちを招く中、父親に連れられた身毒丸が白石と出会う。もうこの時、近親相姦的な妖しさがたちこめ、悲劇を暗示する。
 壁や廊下や座敷が四方から集まってきて、旧家ができあがったところに、子連れの後添えをむかえ、家族ごっこをはじめる。義母は身毒丸をなつかせようとあれこれ努力するが、身毒丸は産みの母の鏡を朝に晩にのぞきこみ、なつこうとしない。義母はついに身毒丸に呪いをかけ、彼の地獄めぐりがはじまる。
 寺山の芝居はディティールはおもしろくても、ドラマとしてまとまらないうらみがあったが、この芝居は骨格がはっきりしていて、切ないイメージ群が終局に向かって一本に巻きとられ、ぎりぎり引き絞られていく。見てはいけないものを見てしまったような危うさもあって、演劇の凄さを再認識した。
 カーテンコールはスタンディング・オベーションにこそならなかったが、拍手が鳴りやまず、10分以上つづいた。
*[01* 題 名<] ヴェリズモ・オペラをどうぞ!
*[02* 劇 団<]
*[03* 場 所<] セゾン
*[04* 演 出<] 遠藤吉博
*[05* 戯 曲<] 市川森一
*[06  上演日<] 1998-09-04
*[09* 出 演<]松本幸四郎
*[10*    <]松本紀保
*[11*    <]平淑恵
*[12*    <]森口瑶子
*[13*    <]中村たつ
*[14*    <]松熊明子
 見ている間は引きこまれたが、時間がたつにつれ、印象がうすれた。妻を寝とられた主人公とオペラ「道化師」を重ねあわせ、真実と幻想の関係をさぐるという日本には珍らしいロジックで見せる芝居なのだが、ロジックが中途半端だったからだろう。
 舞台は青山にある有名デザイナーの事務所で、作りかけの衣装が人型に着せてある。主人公は秋のコレクションをひかえているが、妻を寝とった親友のオペラ歌手のために、彼が主演する「道化師」の衣装を引きうけている。
 主人公は仕事に行きづまっており、近くにあるアトリエの小火を故意に見のがし、準備中の新作を全部燃やしてしまった事情を客席に向かって語りかける場面はサリエリを思わせるが、朝になり、ワイドショーの取材が押しかけたり(現役レポーターが声の出演)、やり手の女性マネージャー(森口瑶子)が皇太子妃とアポをとろうと画策したり、探偵社をやめた女の子(松本紀保)が妻の不倫調査の書類を売りつけに来たりすると、どんどん俗になっていく。大時代的な台詞とのギャップが笑いをうむあたりはうまい。
 元探偵社の女の子は、スキャンダルのもみ消しのつもりで売りつけに来たのだが、逆に継続調査を頼まれてしまう。数日おきにやってきて、彼女が報告する妻(平淑恵)とオペラ歌手のメルヘンチックな密会に主人公は一喜一憂するが、最後に妻はすでに死んでいて、報告はすべて出鱈目だったことが、マネージャーの口から明らかにされる。
 元探偵社の女の子は、奥さんはドイツに旅立たれますといって、調査の打ち切りを申しでるが、主人公はドイツまで追いかけてくれといって、彼女を送りだす。後味のいい幕切れだが、物足りなくもある。
 松本紀保ははじめて生々とした表情を見せ、好印象をうけた。幻想場面で登場する妻の平淑恵は、ういういしくかわいいが、いくら想い出の中で理想化された妻だとはいえ、いい面だけで、リアリティがない(脚本の責任だが)。やり手マネージャーで、最後に主人公を見限る森口瑶子はよくいそうなタイプだが、颯爽と演じている。幸四郎は娘のためにやっているという感じがしなくもない。
*[01* 題 名<] 勝利 ザ・ストロンガー
*[02* 劇 団<] T.P.T.
*[03* 場 所<] ベニサン
*[04* 演 出<] 柳田伊久子
*[05* 戯 曲<] ストリンドベリ
*[05* 翻 訳<] 薛朱麗
*[06  上演日<] 1998-09-18
*[09* 出 演<]久世星佳
*[10*    <]富沢亜古
*[11*    <]松浦佐知子
 今回はスペースを斜めに使い、舞台の間口を広くとっている。喫茶店のテーブルが二組、右寄りにデッキにのぼるらせん階段、奥に深紅の薔薇。
 久世が一人でお茶を飲んでいるところに、富沢がやってくる。二人は女優で、富沢は久世に気のある男と結婚している。
 富沢はしきりに話しかけるが、久世は一言も口をきかず、冷たい視線を向けるだけ。今晩、遊びに来いという誘いが、夫の心を繋ぎとめるために、久世の真似ばかりしてきたのではないかという告白にかわり、富沢は自分で自分を追いつめていく。久世は勝ち誇った視線を投げるが、一転して富沢は立ち直り、たとえあなたをなぞっているのだとしても、自分は成長することが出来たが、あなたはなにも学べなかったと、勝利の笑みを浮かべて去っていく。喋っているのは富沢一人だが、久世の視線の芝居がすごい。対話のダイナミズムが見えてくる。
*[01* 題 名<] 楽屋
*[02* 劇 団<] T.P.T.
*[03* 場 所<] ベニサン
*[04* 演 出<] 鈴木裕美
*[05* 戯 曲<] 清水邦夫
*[06  上演日<] 1998-09-18
*[09* 出 演<]久世星佳
*[10*    <]富沢亜古
*[11*    <]松浦佐知子
*[12*    <]幹ジュンコ
 一本調子の絶叫芝居になるんじゃないかと心配していたが、台詞から笑いと怖さを丹念に立ちあげている。自転車キンクリートらしいところは、女優A(富沢)が「かもめ」のニーナの台詞をさらいながら、クッキーを食べるあたりくらい。幽霊二人組の久世と松浦のかけあいが絶妙で、木冬社版よりも笑える。女優Aに枕をかかえた女優D(幹)がニーナの役を返してくれと迫るくだりでは、二人組がコロスになり、視線でドラマを膨らませる。
 幽霊が三人になってからがすごい。幹の一途で目のすわった突っこみに、久世、松浦がなだめたり、すかしたり、傷ついたりして、やりきれない悲しさが舞台にたちこめる。「どんな蓄積を掘り返していたんですの?」という台詞がこんなに残酷な輝きを秘めていたとは。
 唯一の不満は、女優Aの富沢が位負けしている点。松本典子のイメージが強すぎるのかもしれないが、きついのは承知で女優をやってるんだと見えを切るくだりが、酔っ払い女の繰り言にしか聞こえない。
 「三人姉妹」の台詞で締めくくった後、舞台右奥の壁が開き、ススキの原っぱに鏡が捨てられている中を女優たちが去っていくラストは余計だったと思う。
 自転キンの女優で上演したらおもしろそうだ。
*[01* 題 名<] 泥の河
*[02* 劇 団<] 都民劇場
*[03* 場 所<] ヤマハホール
*[06  上演日<] 1998-09-21
*[09* 出 演<]マルセ太郎
 まず、ニワトリや猿の形態模写をまじえた40分の漫談。お笑い芸人として売れるには目つきが鋭すぎたというが、理屈っぽさも相当なもの。中国舞踊は縦に腕を動かし、韓国舞踊は横、日本舞踊は斜めという説は説得力がある。韓国舞踊の色気は肩の動き、日本舞踊の色気はうなじの角度だともいう。
 休憩をはさんで「スクリーンのない映画」の「泥の河」。昔、ジャンジャンで見たのをところどころおぼえている。今回は言葉のトチリがが多いような気がする。理屈っぽい漫談の後だったこともあって、批評部分に意識が向く。物語のおもしろさより、批評のおもしろさが勝っている。ノブちゃんが、家にTVのあるガキ大将の誘いを断ったのを、キッちゃんがでんぐり返りをして喜ぶくだりの分析は、小栗康平論として出色。
*[01* 題 名<] 山猫理髪店
*[02* 劇 団<] 木山事務所
*[03* 場 所<] 俳優座劇場
*[04* 演 出<] 末木利文
*[05* 戯 曲<] 別役実
*[06  上演日<] 1998-09-25
*[09* 出 演<]三木のり平
*[10*    <]楠郁子
*[11*    <]三谷昇
*[12*    <]高木均
*[13*    <]新村礼子
*[14*    <]林次樹
 別役自身の童話「山猫理髪店」の劇化。一幕の前半は爆笑に次ぐ爆笑だったが、後半は失速し、理髪店が取り壊された後、電柱の下に移動理髪店をひらく二幕目は超低空飛行。戦時中の朝鮮人強制連行と、中国人が暴動を起こした花岡事件、日本の敗戦を知らず、列島を十年以上逃げつづけた脱走中国人という生々しい問題をとりいれた意欲作だが、一幕にまとめるべきだったと思う。
 ボストンバッグをさげた青年(林)が、誰もいない床屋を訪ねてくる。おかみさんらしい女性(楠)、娘らしい女性(水野ゆう)のあと、主人らしい男(三木)と見習いらしい男(三谷)があらわれる。青年は北海道の鉱山で事故に遭い、後遺症の治療のために、ケーブルカーで昇っていく温泉病院にいくところだが、駅で道を聞いたところ、山猫理髪店で「海峡をわたる」と言えといわれたという。「海峡」は韓国の暗示で、北海道の鉱山から逃げてきたらしい山登り姿の角ばった顔の男が「海峡」をわたりたいとあらわれる。
 床屋が脱走朝鮮人を半島に密航させる手引きをしていたことは、一幕後半で明らかになるが、前半からつづく別役流の笑いとはなじまない。床屋のある商店街は再開発で取り壊されようとしているが、二幕で在日韓国人とわかる老夫婦(高木&新村)が阻止しようとしている。
 二幕では床屋は取り壊されてしまい、一家は電柱の下に道具を並べて客を待っている。おなじみのシチュエーションだが、ピクニックのような戯れの底から怖さがじわじわ出てくるという作りと、朝鮮人強制連行という重い題材はなじまないし、主人公の青年が、強制連行された朝鮮人の子孫だったというオチはとってつけたような印象がある。
 二幕後半、電柱のスピーカーから「おい、日本人!」という異様な声が発せられる。この異様さの根底には、炭鉱で朝鮮人労働者に対して発せられる「おい、朝鮮人!」という呼びかけがあることが示されるが、これもとってつけたような印象を否めない。戯曲・演出両方が未消化なのではないか。
Copyright 1998 Kato Koiti
This page was created on Jun13 1998; Last updated on Oct12 1998.

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