エディトリアル   Oct - Nov 2001

加藤弘一 Sep 2001までのエディトリアル
Oct14
 フロリダの炭疽菌騒動はニューヨークやネバダに飛び火しました。致死率の高い株だったそうで、捜査当局は生物テロと断定したそうです。
 気分転換に、よくサーチエンジンで思いついた言葉を検索するのですが、この数日はBC兵器関係ばかりで、つい読みふけってしまいます(苦笑)。これですむわけはなく、真打は天然痘あたりでしょうか。
 天然痘は空気感染しますから、天然痘保菌者をアメリカに向かう飛行機に乗せるだけでOKです。自爆テロの覚悟があるなら、天然痘くらい、なんでもないでしょう。爆弾や銃器はチェックできても、潜伏期の天然痘まではチェックのしようがありません。天然痘は致死率が高いだけでなく、種痘をしていない若い世代を選択的に襲い、醜い瘢痕が残るので、パニックが起こりやすいはずです。以前、紹介した「人獣共通感染症連続講座」の「ソ連の生物兵器開発の実態」を見ると、他にも生物兵器の候補がごろごろしています(1979年の炭疽菌漏出事故の被害を拡大させた張本人がボリス・エリツィンだったという話が載っています)。
 天然痘に限らず、感染力の強い伝染病が発生したとなれば、国際的な人の往来がままならなくなります。ハワイの観光不況どころではすみません。
 タリバン側が、空爆停止と引き換えに、ビン・ラディン氏を第三国に引きわたすと声明したそうですが、先日、村上龍氏のJMMで配信された国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)カブール事務所所長の山本芳幸氏との対談で、山本氏は空爆前に、タリバンがビン・ラディン氏に出国勧告をおこなったのは引き伸ばしなどではなく、「タリバンにとっては、もうほとんど自殺行為に近い決定」で、本気で妥協しようとしていたのだと述べています。
 もし、その見方があたっているなら、タリバン政権を国際的に承認した上で、タリバン政権の合意のもとにテロリストの施設を破壊するという選択肢があったかもしれません。
 「龍声感冒」に山本氏が連載している「カブール・ノート」には、アメリカ発の情報を相対化する情報が満載されています。どこまであたっているのか、判断のしようがありませんが、「神の戦士たち」は一読の価値があります。
 その一方、宮崎学氏のサイトに不定期連載中の「与謝狸庵パキスタン報告」には、連日、TVに映しだされるパキスタンの「激しい反米デモ」の裏側が紹介されていて、笑いました。イスラムの民はしたたかです。
Oct22
 11月26日の開館を目指して準備中の日本ペンクラブの電子文藝館の件で、電子メディア委員会委員長の秦さんとの間で誤解が生じています。
 経緯はこうです。
 ページ作りの基本設計はわたしがやらせていただくことになり、マークアップのルールを決めるために、自選詩集一篇、自選短歌集一篇、小説四篇、評論二篇をサンプルとしてHTML化しました。当然、最終案に行きつくまでに試行錯誤があります。
 小説については、英語の「パラグラフ」概念をもとに作られたHTMLの<p>では日本語の「段落」を表現できないという問題にぶつかりました。最初にHTML化した秦さんの「清経入水」では、<p>の上下マージンをゼロにして、一行あかないようにしてみたのですが、二番目にHTML化した島崎藤村「嵐」で、「段落」は「パラグラフ」ではないのだから<p>を使うのはやめて、単なるブロックとして扱い、ブロックの後ろに一行分の空きを作るように指定する方式を考えつきました。「電子文藝館マークアップ規則」に記載したものを引用すると、

4.246 小説・児童文学は章節の区切、もしくは一行開きによる区切までを一ブロックとし、クラス名を指定する。

となります。三番目にHTML化した上司小剣「鱧の皮」(電子文藝館用にHTML化したものを、背景色を変えて「e文具案内」に掲載しています)、四番目にHTML化した徳田秋聲「或賣笑婦の話」はこのルールでマークアップしています。
 このルールでやっていけるだろうと思っていますが、変更の可能性があったので、小説として最初にHTML化した秦さんの「清経入水」はサンプルとして急いで作った際の形態で残しておきました。いずれHTML化をやりなおすつもりだったのですが、申し送りを失念したまま、文藝館のホームページ化を委託する業者に引きわたしてしまいました。
 その後、ご自分の作品を再度チェックされた秦さんから、一行開きの区切が落ちている部分があり、行間も不揃いであるという抗議をいただきました。申し送りを失念したことと、仕様を決めるまでの試行錯誤の過程で「清経入水」の中の一行開きによる区切の一部が消えるという事故を放置したことは、わたしの失態ですから、経緯を電子メディア委員会のメーリングリストでご説明し、お詫びをしました。
 残念ながら、秦さんにご理解いただけず、秦さんの日記の.10月18日の項に次のような記述となってあらわれました。

* 終日雨で冷え冷え。文藝館に困った問題が起きていた。マークアップした方法で原稿を再現すると、例えば、私の小説が段落ごとに一行開きで出てくるのだ。創作の場合、どこかで一行開きを作ることはよくあり、だが、何処でどう開けるかはかなり苦心して決める。一行開きも「表現」なのだ。それが、機械的に一律に段落ごとに一行開きされては、作品そのものが電子メールのようなことになってしまう。読みやすいからという問題意識を全面否定はしないが、創作は作者のもので、作者に断わり無く機械的に一律にそれをやるなど、非常識な暴挙であり、機械的な操作を作品よりも優先してしまった本末転倒そのもの。こういう事になっているとは、機械の組み立てというか、 HTML言語がどうでこうだか理解仕切れないが、目の前の作者に断わり無くそれをやっていたのが、文学に無縁の業者ではなかったので、わたしの驚愕は大きかった。私の作品は、直ちに私の方法で原稿を作り直し、差し替えることになる。これが、他の著者・作者の原稿にも及んでいるとなると、由々しい事態になる。
 底本に従った原作の同一性保持は著作人格権の基盤であり、いかなる再現にも可及的誠実に守られねばならない。むろん、正字が略字にされた底本もあるし、現代仮名遣いに変えられた底本もある。社会的慣行であり、研究者用のテキストではないから、それは、此処では深く問わない。機械環境の制約でオドリ記号も用いられない以上、「いろいろ」と直したり、ルビも「侃々諤々(かんかんがくがく)」という風に新聞方式を使わねばならなかったりすることは、有る。(ルビはふれるのだけれど、その為に行間がバラツクという版面の見苦しさが、今の機械環境では出てしまう。)
 だが、一行開きなどは、忠実に原作に従える簡単なしかも大切な「表現」なのである。どうして、段落ごとに機械的に一行開くなどという設定を気儘にもちこんだものか、理解に苦しむ。

 最初に自分の作品のサンプルを見た際、なぜ秦さんが「段落ごとに機械的に一行開くなどという設定を気儘にもちこんだ」ことに気がつかなかったのか不思議に思う方もおられるでしょうが、理由は簡単で、当時のスタイルシートでは<p>の上下マージンをゼロに設定しており、「機械的に一行開」いてはいなかったからです。
 実は上に引用した秦さんの「日記」の一節は、わたしの再度の説明を受けて改訂したもので、もともとはもっと激しい記述でした。以下に電子メディア委員会のメーリングリストの場を借りて、お送りしたわたしのメールを引用します。


加藤@ほら貝です。

今、秦さんの日記の18日の項を読み、まだ誤解されているので、
再度ご説明します。個人的にメールをさしあげようかとも
思ったのですが、マークアップについての内容を含みますので、
このMLを使わせてもらいます。

まず、「一行開き」が文学表現として重要であることをわたしが
ないがしろにしたかのように考えておられるようですが、それは
事実と異なります。

「電子文藝館マークアップ規則」に

> 4.246 小説・児童文学は章節の区切、もしくは一行開きによる区切までを
一ブロックとし、クラス名を指定する。

と明記しましたし、ソースをご覧になればわかるように、
「嵐」以降の三篇の小説は上記ルールにしたがって
マークアップしてあります。

「一行開き」が文学表現として重要であることと考えるから、
わざわざこのようなルールを作ったのです。

単純なルールに見えるかもしれませんが、ここにたどりつくまでには
いろいろな試行錯誤をやっています。

「嵐」については、タグやスタイルシートをいろいろ変えて、
表示体裁を調整する作業を長時間やっていますから、
その過程で、どこかの一行開きが飛んでしまう事故が
ないとはいえませんが、その点は校正で直していただきたいと思います。

「鱧の皮」と「或賣笑婦の話」は機械的に変換していますから、
わたしの段階で一行開きがなくなるという事故はないはずです。

「清経入水」 は小説としては最初にマークアップしたもので、
試行錯誤の最中でしたから、上記ルールにはしたがっていません。

すぐに作り直さなかったのは、前々便でご説明したように、
マークアップ規則を変更する可能性があったからです。

申し送りに不備があり、秦さんにご不快な思いをさせてしまった点は
お詫びしますが、一行開きを無視したとか、意図的に秦さんの作品を
改竄したというようなことはありませんので、このメールを日記に
転載いただければと思います。

 電子文藝館はまだ開館していないわけで、準備段階でいろいろ手直しがあるのは当たり前のことですし、小説四篇のうち、「嵐」以降の三篇では問題が解決していることを何度もご説明しているのに、その点に言及しないのは、いかがかと思います。
 秦さんはルビと躍字に言及していますが、ルビタグの使用と、二倍躍字をという画像で表現するというわたしの提案に対し、秦さんは反対を表明され、延々と応酬がありました。秦さんは品切になった自作を「湖の本」という私家版にする際、一太郎ファイルで入稿されているそうですが、一太郎でルビにした部分はゲラでは消えてしまうということです。同じことがルビタグでも起こるのではないか、機械によってはルビが表示されないのではないかと繰りかえし懸念を出されたので、ルビタグは、ルビタグ未対応のブラウザでは、後ろに括弧でくくった形で附加されるのだとご説明したのですが、なかなかわかっていただけませんでした。最終的にはルビタグを使うかどうかは作者の希望にしたがうという形で決着しましたが、今回の件を考えると、まだ納得されていないのでしょう。
 実は、秦さんとわたしの間には、「みんなのいえ」の田中邦衛と唐沢寿明そっくりの構図がありました。主人公夫妻の家を建てるにあたり、唐沢演ずる生意気なデザイナーと、昔気質の大工の田中邦衛が、ことあるごとに対立し、周囲がはらはらするというコメディですが、映画を思いだして苦笑したことが何度もありました。
 秦さんがペンクラブの理事の中では電子メディアについて突出した知識をもっておられることは確かです。インターネット時代をむかえた言論界にあって、秦さんが果たしてこられた役割は大きなものがありますし、ペンクラブを電子文藝館開設に向かって動かしたのは、秦さんお一人のご尽力によるものです。
 「みんなのいえ」のように、ハッピーエンドといきたいものですが。
Oct27
 木曜9時から放映している村上龍原作・脚本の『最後の家族』がおもしろいです。ビデオにとっておいた二回目を見終えたところですが、原作の物足りなかったところが絵として立ちあがっていて、こうなるのかと納得しました。深夜営業のDTPの店員をもっと書きこめばいいのにと思ったのですが、TVではリアリティのある点景人物になっています。小説としては一応のレベルに達していたものの、映画としては駄目だった『だいじょうぶ・マイフレンド』や『ラッフルズ・ホテル』とは大違いです。映像化するには隙間がないといけないということでしょう。
 先日、「ポンペイ展」を駆けこみで見てきました。目玉になる展示は「パン屋の夫婦」の肖像画くらいだったものの、火山灰に埋もれた人型は迫力でした。石膏型どりはまだしも、透明プラスチックの型どりは骨が透けて見えて、生々しすぎて、たじろぎました。
 ずいぶん小いさく見えたのは、火砕流で一瞬で燃えてしまったからかと思ったのですが、復顔した頭蓋骨の顔も小さく見えました。成人男子の平均身長は163cmだそうですから、もともと小柄だったのでしょう。
Nov11
 ほら貝は六年目をむかえました。アクセス数は17万5千をちょうどこえたところです。
 六周年記念として、「トピカ」を新設しました。トピカはtopicの元になった語ですが、早い話がテーマ別索引です。
 索引を「トピカ」と気取ったのは、同一テーマをあつかった書評、映画評、演劇評を横断的に載せたところが便利かなと思ったからです。
 とりあえず、「漢字」、「チベット」、「インディアン」、「蜷川幸雄」、「ラカン」という五テーマを掲載しました。今後、シェイクスピア、映画の原作等々、いろいろな切り口を用意していきたいと考えています。
Nov25
 専修大でおこなわれた日本ラカン協会第一回大会のシンポジュウムを聴講してきました。参加者は60人ほど。30代、40代が中心、女性もかなりいました。
 まず、石澤誠一、原和之、佐々木孝次三氏が40分づつ話します。
 石澤氏の話は『翻訳としての人間』の印象通りで、手がたく、鋭く、フランス、ドイツ、オーストリアの研究の現状をまじえ、聞きごたえがありました。
 目下、フロイト全集の新訳事業にかかわっているそうですが、既存のフロイト邦訳の誤りはひどく、『夢判断』(邦題そのものに問題あり)の第一章はきわめて重要なのに、ブント派を調べずに訳したので、誤訳と脱落だらけだということです。
 石澤氏は後期ラカンの時代にヴァンセンヌ校に留学していて、セミネールに通っていたそうです。セミネールではルディネスコの本にあるように、数学者がいつも一緒に出てきて、ラカンが黒板にマテームを描き、これがわかるかと聞くたびに、Ça va pas!(わからん!)と答えていたそうで、日本で後期ラカンをわかった風に書いている人がいるが、滑稽だと一刀両断にしました。
 しかし、厳密一点張りの人ではなく、古沢平作を評価し、一神教文化にはない東洋の奥深さに注目していたのは興味深いところです。
 原氏は若手の研究者で、なぜ数学に向かったか、なぜ1950年代になってから言語学を援用しはじめたかにしぼって解説しました。鏡と鏡像を無限者にからめる着眼は、今とりかかっているW村上論の論旨と重なり、大きなヒントをもらいました。もっと先を聞きたいと思いました。
 佐々木氏は風邪でがらがら声だったせいもありますが、粗野な印象で、話にまとまりがなく、会場の雰囲気が段々だらけていきます。喋る方としては、こういう時が一番辛いはずなのですが、佐々木氏はマイペースでつづけます。オヤジの強みでしょう。原稿を半分読んだところで持ち時間がなくなったという点を割り引いても、第一世代の限界を感じました。
 休憩の後、十川幸司氏と番場寛氏がコメンテイターとして加わり、感想と質問で、質疑に移りましたが、こうなると年の功で、佐々木氏が俄然仕切役にまわります。
 シンポジュウム全体を通して、「文字」と「コード」が頻出するのに気がつき、おやおやと思いました。ラカンのキーワードというと「鏡像段階」、「対象a」、「シニフィアン」が頭に浮かびますが、分析の現場から離れると「文字」と「コード」が重要になってきます。文字コードなんていう難儀なものに係わる破目になったのは、このあたりの刷りこみに原因があったのかもしれません。
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